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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第35話 掃きすぎるな、止めすぎるな

 実習棟の洗濯場は、入る前から空気が荒れていた。


 廊下まで湿った匂いが流れてきて、その奥から、苛立った人間の声が断続的に聞こえる。

 洗濯というのは、ただでさえ人を穏やかにしない。

 それが止まると、なおさらだ。


「……嫌な予感しかしないな」


 私が言うと、隣のリゼが頷いた。


「洗えない服を抱えた人間って、だいたい機嫌悪いもんね」


「正しい」


 正しすぎて嫌になる。


 洗濯場の入口まで来ると、床の隅がうっすら白くざらついていた。

 しかも、ところどころ半透明の飴みたいな塊になって固まっている。


 術滓だ。


 しかも、古い。

 新しい粉っぽい滓と、時間が経って粘りを帯びた滓が混ざっている。


「片付いてないな」


 私がしゃがみ込んで見ると、管理担当が青い顔で言った。


「自浄術は入ってるんです。

 でも、走るたびに全部の洗浄術が止まるわりに、隅の滓は残ってて……」


「最悪だね」


 とリゼ。


「うん。かなり」


 止まるのに綺麗にならない。

 人類が一番腹を立てる壊れ方だ。


———

 中へ入ると、洗濯槽が十数台並んでいた。

 どれも魔法で水を回し、汚れを落とし、脱水までやる半自動の洗浄槽だ。


 そのうち半分くらいは動いている。

 残り半分は止まっている。

 しかも、動いている槽も、いつ止まるか分からない不安げな音を立てていた。


「また止まった!」

「今すすぎだったんだけど!」

「ふざけるなよ、もう三回目だぞ!」

「終わるまで待てって言われたのに、終わる前に止まるじゃないですか!」


 洗濯物を抱えた学生たちが、洗浄槽の前で機嫌悪く立ち尽くしている。

 誰も死んでいない。

 だが、みんな微妙に不幸だ。

 こういう不幸は数が多いほど場を悪くする。


 術務室から来ていた担当が、額の汗をぬぐいながら言った。


「自浄術が一定間隔で走るんですけど、その時に安全のため洗濯場の術式をいったん止めていて……」


「全部?」


 私が聞く。


「はい……」


「場ごと?」


「はい……」


 それは駄目だろ。


 ルドーが後ろから言った。


「広すぎる」


「ですね」


 私は頷いた。


「しかも、広く止めているのに隅の滓は残ってる」


 リゼがざらついた床を見ながら言う。


「止めるだけ止めて、片付かないのか」


「うん。最低のやつ」


———

 私は一番近くの洗浄槽の横板を開けた。


 中には、小さな洗浄術球が三つ。

 水回し、泡立て、脱水。

 その下に、自浄術の札差し。

 さらに、場全体へつながる共通の制御糸。


「なるほど」


 私は小さく言った。


「洗濯槽ごとに術を持ってるけど、自浄術は場まとめて止める作りか」


 管理担当が頷く。


「工房が、回収中に動いている術を巻き込まないためには、一度止めた方が安全だと……」


「安全寄りに倒しすぎですね」


 私は答えた。


「しかも、その見返りが足りない」


 ルドーが短く言う。


「止めすぎだ」


「その上、掃けていない」


 私は床の隅の塊を指した。


「残ってる滓、見せてください」


 管理担当が箒札で一塊を寄せた。

 半透明の塊が、ぬるっと板の上に移る。

 その中に、薄い光の輪が二つ、互いに絡んでいた。


 私は眉をひそめる。


「輪繋ぎか」


 リゼが覗き込む。


「昨日の授業のやつ?」


「そう」


 私は頷いた。


「互いにつながったまま残ってる。

 だから繋ぎ数えでは掃けない」


 管理担当が、心底困った顔になった。


「じゃあ、今の自浄術は……」


「止めるだけ止めて、輪繋ぎ滓を見落としてる」


 私は答えた。


「かなり嫌な作りです」


———

 私は自浄術の札を抜いて、ざっと見た。


 予想通りだった。


 一定間隔で起動。

 起動したら、洗濯場内の術式をいったん全部止める。

 その後、繋ぎ数えがゼロの滓だけを掃く。


 はい。

 だいぶ分かりやすく駄目ですね。


「問題は二つあります」


 私はその場にいた管理担当と術務担当、それからリゼに向けて言った。


「一つ。

 止める範囲が広すぎる」


 指を一本立てる。


「二つ。

 掃く基準が雑すぎる」


 もう一本立てる。


 リゼが言う。


「一つ目は分かる。

 洗濯場まるごと止めるのは嫌」


「うん」


「二つ目は、輪繋ぎを見抜けないってこと?」


「そう」


 私は頷いた。


「誰も使っていないのに、互いに“まだ必要だ”って言い張って残る滓を、今の自浄術は拾えてない」


 管理担当が恐る恐る聞く。


「じゃあ……どう直せば」


 私は洗浄槽の列を見た。


「まず、場を全部止めるのをやめる」


 それだけで、周囲の何人かがこっちを見た。

 苛立った学生たちも、少しだけ耳を向ける。


「できるんですか?」


 と担当。


「全部止める必要はありません」


 私は答えた。


「洗濯槽は一台ずつ独立してる。

 自浄術を走らせるなら、空いている槽から順番にやればいい」


 リゼが言う。


「洗濯場全体じゃなくて、区画ごとにやるんだ」


「そう」


 私は頷いた。


「動いている槽まで巻き込むから苛立たれるんです。

 空いているところから順に掃けばいい」


 ルドーが言う。


「止める場所を狭めろ」


「そういうことです」


———

「それと」


 私は床の術滓を見た。


「掃く時は、繋ぎ数えだけじゃなく、印付けを入れる」


 管理担当が首を傾げる。


「印付け……」


 私は、洗浄槽の術球を一つ指した。


「今まさに使われている術、

 動いている槽、

 管理札で保持されている術、

 そういう“生きてる側”から印をつけて辿るんです」


 リゼが少し嬉しそうに言う。


「昨日の授業の後半だ」


「うん」


「ちゃんと今の世界につながってるやつだけ残す」


「そう」


 私は頷いた。


「印のつかなかった滓だけを掃く。

 そうすれば、輪繋ぎで残ってるだけのやつも消せる」


 管理担当は、半分理解して半分死にそうな顔をした。


「今の札、そこまでやってません……」


「でしょうね」


 私は即答した。


「だから残ってる」


———

 私は洗濯場の見取り図を借りて、その場で簡単に区画を書き分けた。


東側五台


西側五台


排水溝まわり


乾燥棚下


「自浄術は四つに分ける」


 私は言った。


「東と西で別。

 床の隅は床だけで別。

 乾燥棚下も別」


 術務担当が言う。


「そんなに分けるんですか」


「分けます」


 私は答えた。


「洗濯槽の停止と、床掃除を一枚札でやろうとするから雑になるんです。

 役目が違うものは分ける」


 そのへんにいた学生がぼそっと言った。


「それ、最初からそうしてくれ……」


 まったくその通りだ。


———

 術務担当が新しい札を書き始めた。

 私は横から見ながら、印付け札の条件を直していく。


動作中の槽には印


予約済みで起動待ちの槽にも印


排水にまだつながっている術にも印


そこから辿れない滓だけ灰色に浮かせる


「印のついたものは残す。

 印のないものだけ掃く」


 私は言う。


「それと、掃いている間も他の区画は止めない。

 今掃いてる区画だけ静かにすればいい」


 リゼが洗浄槽の列を見ながら言った。


「前のは、“一人が掃除してるから家じゅう全員動くな”って言ってたみたいな感じか」


「そう」


「そりゃ嫌われる」


「うん」


 嫌われるし、実際に嫌われている。


———

 最初の試運転は、東側の空いた二台でやることになった。


 洗浄槽の縁に、新しい自浄札を差し込む。

 術務担当が少し震えた手で起動した。


 淡い青い印が、まず空いている槽の底へ落ちた。

 そこから、細い線が排水の術糸を辿る。

 つながっている術だけに小さな印が灯る。


 動いている西側の槽には触れない。

 そこはそのまま回っている。


「……止まってない」


 誰かが言った。


 そう。

 そこが大事だ。


 東側の床隅にあった術滓だけが、じわりと灰色に浮いた。

 印のない滓だけだ。


 その中に、昨日の授業で見たような、互いに絡んだ輪繋ぎの塊がある。

 外から届いていない。

 だから今回は、ちゃんと灰色になる。


「見えた」


 とリゼ。


「うん」


 私は答えた。


「今度は“残すもの”と“掃くもの”が分かれてる」


 術務担当が箒札を起動する。

 灰色に浮いた滓だけが、静かに崩れて札の中へ吸い込まれていった。


 西側の洗浄槽は止まらない。

 音も途切れない。

 待っていた学生が、少しだけ拍子抜けした顔をする。


「……あれ、止まらない」

「今、自浄してたんだよな?」

「東だけ掃いてる?」


 そうです。

 ようやくまともな掃除です。


———

 次に、西側を掃く。

 今度は東側がそのまま動いている。


 自浄が終わるまでの時間も短い。

 前みたいに、洗濯場全体が妙な沈黙に包まれることもない。


 しかも、床の隅の古い塊が、今度はちゃんと減っていく。


 管理担当が、半分呆然として言った。


「……今まで、止めてるわりに片付かなかったのに」


「止める場所が広すぎた上に、掃く目が粗かったんです」


 私は答えた。


「掃除はしてた。

 でも雑でした」


 ルドーが壁際で言う。


「雑な自浄は、掃除ではなく迷惑だ」


 強い。

 とても強い。

 腹立つけど。


———

 さっきまで苛立っていた学生の一人が、洗濯物の籠を抱えたまま言った。


「つまり、これからは途中で全部止まらないんですか」


「少なくとも、今みたいな止まり方は減ります」


 私が答えると、その学生はかなり露骨に安堵した顔をした。


「助かる……」


 別の学生も言う。


「床のべたつきも減るならもっと助かる」


「それも減ります」


 リゼが床を見て言った。


「ちゃんと灰色になったやつだけ消えてたもんね」


「うん」


「わかりやすかった」


「大事だからな。わかりやすさ」


 人類はわからないまま掃除されるのも嫌うし、わからないまま止められるのはもっと嫌う。


———

 管理担当は、何度も新しい札と古い札を見比べていた。


「繋ぎ数えだけで十分だと思ってました」


「十分な場所もあります」


 私は答えた。


「でも、輪になるものがあるなら、それだけでは残る。

 しかも今回は、残るくせに場全体を止めてた」


「はい……」


「そこがまずかった」


 管理担当は深く頷いた。

 この人たちはちゃんと頷けるのでまだ救いがある。


 ルドーが小さく言う。


「速いだけの仕組みを信用するな」


「ですね」


 私は頷いた。


「速くても、雑なら結局あとで人を苛立たせる」


———

 最後に私は、洗濯場の入口脇に短い注意札を置いた。


自浄術の運用

一、場全体を一度に止めない

二、空いた区画から順に掃く

三、印のつかない滓だけを掃く

四、輪繋ぎ滓が残る時は掃き方を疑え


 術務担当がそれを見て言った。


「普通ですね」


「普通でいいんです」


 私は答えた。


「普通に使えて、普通に片付く方が強い」


 リゼが笑う。


「最近それ多いね」


「だいたい正しいからな」


 派手な解決法より、雑な運用をやめる方が効くことは多い。

 人類がそこに気づくまでが長いだけで。


———

 洗濯場を出るころには、さっきの苛立った声はだいぶ減っていた。


 洗浄槽は順番に回り、順番に掃かれ、床隅のざらつきも少しずつ消えている。

 完全な平和ではない。

 でも、少なくとも“止まるのに片付かない”という最悪は去った。


 廊下を歩きながら、リゼが言った。


「今日の話、なんか好き」


「どこが」


「ちゃんと片付けるために、全部止めなくてよかったところ」


 私は少しだけ考えた。


「……ああ」


「世の中、止めなくていいものまで止めがちだよね」


「そうだな」


 それは術でも、制度でも、人間関係でも、たぶん同じだ。


 ルドーが後ろから言う。


「広く止めるのは簡単だ。

 必要なところだけ動かし続ける方が難しい」


 それもまた、嫌なほど正しい。


———

 窓の外は、少しだけ白く曇っていた。

 静かな午後だった。


 今日も世界は本当に最悪だ。

 服は汚れるし、床はざらつくし、掃除は下手をすると全員を苛立たせる。


 でも、何を残して、何を掃くか。

 どこまで止めて、どこは動かすか。

 そこを少し丁寧に決めるだけで、だいぶましになる。


 人類の問題って、案外そういうものかもしれない。

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