第32話 文字ではなく、型を読め
特任講師になってから数日。
私はようやく一つ理解したことがある。
肩書きが変わっても、面倒の種類はたいして変わらない。
むしろ増えた。
今日も教室へ入った瞬間、何人かがこっちを見て、ほんの少しだけ姿勢を正した。
その反応にまだ慣れない。
「……見られてるな」
隣のリゼが、少し面白そうに言った。
「先生だからね」
「その呼び方はやめろ」
「まだ気にしてるの?」
「気にするだろ」
前の方の席から、小さな声が飛ぶ。
「おはようございます、ユウ先生」
やめろと言う前に、別の生徒も続いた。
「おはようございます」
連鎖するな。
私は軽く片手を上げた。
「……おはよう」
それで済ませた。
もう毎回抗議しても仕方がない気がしてきた。諦めは人を大人にする。たぶん良くない意味で。
そこへルドーが入ってきた。
相変わらず目つきが悪い。だが今日はいつも以上に荷物が多かった。
札束。
書類の束。
細長い報告票。
それから、薄い水晶板をはめ込んだ黒い板。
嫌な予感しかしない。
「座れ」
全員が座る。
ルドーは教卓に書類を積み上げ、黒板に大きく書いた。
『文字ではなく、型を読め』
教室の空気が少し変わる。
前列の生徒が首を傾げた。
「型、ですか」
「そうだ」
ルドーは即答した。
「お前らは文字を一つずつ読んで遅い。
欲しいものを見つける時に、全部を読むな」
そう言って、机の上の札束を指した。
「今日は、山のような文字の中から、欲しいものだけを拾う話だ」
だいぶ情報処理っぽいな、と思った。
そして、だいぶ面倒そうでもある。
———
ルドーは黒板に、いくつかの文字列を書いた。
・王都第三区-114
・王都第三区-115
・王都南門-臨時
・王都第二区-08
・南門警備詰所
・王都第五区-3
・王都第十二区-補修
・王都第一区-001
そして、振り返る。
「質問だ。
この中から、“王都第○区-数字”の形だけ拾え」
教室が静まる。
生徒たちは黒板を見比べ始めた。
「ええと……」
「王都第三区-114 は入る」
「王都南門-臨時 は違う」
「王都第十二区-補修 も違う?」
みんな、一つずつ読んでいる。
まあ、そうなる。
ルドーは腕を組んだ。
「遅い」
はい、出ました。
「文字を読んでいるから遅い。
形を読め」
その言い方は、かなり良かった。
悔しいが。
リゼが小さく言う。
「なんとなく分かるけど、まだ分からない」
「うん。まだふわっとしてる」
ルドーがこちらを見た。
「ユウ」
「はい」
「前へ」
「今日もですか」
「特任講師だろうが」
それを言われると弱い。
———
私は前に出て、黒板の文字列を見た。
「欲しいのは、“これそのもの”じゃないです」
私は王都第三区-114を指した。
「これを丸ごと覚える必要はない。
欲しいのは、こういう形です」
黒板の端に、分けて書く。
・王都第
・数字
・区-
・数字
「つまり、固定の部分と、変わる部分を分けて考える」
前列の生徒が言う。
「数字、ってところは何でもいいんですか」
「何でもいい。
でも“数字である”ことは必要です」
私は頷いた。
「“王都第”で始まって、
そのあとに数字が来て、
“区-”があって、
最後にまた数字が来る。
そういう拾い型を作ればいい」
教室が少しざわつく。
「拾い型……」
リゼがこちらを見る。
「それって、“こういう形なら当たり”って決めるってこと?」
「そう」
私は頷いた。
「文字を全部覚えるんじゃない。
欲しい並びの形だけ決める」
ルドーが黒板を軽く叩いた。
「覚えるな。
型を作れ」
だいぶ授業っぽい。
———
ルドーはそこで、教卓の黒い板を持ち上げた。
縁に細い銀線が走り、中央には透明な水晶板が埋め込まれている。
その横に、細長い札を一枚置いた。
「見ろ」
ルドーは札を掲げる。
「これが拾い型札だ」
札には、細かい術式文字と、ところどころ空白のような印が並んでいる。
固定の文字と、揺れる部分の型を書き分ける札らしい。
ルドーは黒板に書いた文字列の上へ、その札をゆっくりかざした。
すると、水晶板の表面に薄い光の筋が走った。
次の瞬間、黒板の文字列のうち、
・王都第三区-114
・王都第三区-115
・王都第二区-08
・王都第五区-3
・王都第一区-001
だけが、淡い青白い光でふっと浮かび上がった。
教室がどよめく。
「おお」
「光った」
「当たりだけだ」
はい、やっぱり光ると人間は納得する。
ルドーは無表情のまま言った。
「術に全部読ませるな。
欲しい形だけ拾う札を書け。
すると術は、その形に合うところだけを光らせる」
その言い方は、かなり分かりやすかった。
私は補足する。
「だから、人間が一個ずつ見なくていい。
拾い型札を作って、術に探させるんです」
リゼが、ちょっと目を輝かせた。
「これ、きれい」
「だな」
「授業で出てくる魔法、だいたい地味だから珍しいね」
「先生の前で言うなよ」
ルドーは聞こえていたはずだが、無視した。
たぶん認めている。
———
実演はそこから一気に分かりやすくなった。
ルドーは今度は札束を広げた。
郵便仕分け札。
倉庫在庫札。
王城報告札。
学校内の申請札。
通行証。
配送先票。
見た目は似ているが、中身はばらばらだ。
「次」
ルドーが言う。
「この山から、“日付入りの正式報告”だけ拾え」
生徒たちがざわつく。
「正式報告って、どれだ」
「印章があるやつ?」
「いや、日付つきって言ってた」
ルドーは何も助けない。
実にルドーだ。
何人かが札を手に取って読み始める。
当然、遅い。
私は近くの一枚を取った。
王国暦 512年 霜月 12日
王城北倉庫 異常なし
報告番号: K-17
別の札。
北門臨時報
緊急搬入三件
印のみ
私は言った。
「欲しいのは“正式報告”ですよね。
なら、まず日付の形を見る」
黒板に書く。
・王国暦
・年
・月
・日
「これが揃ってるなら、少なくとも正式な日付欄っぽい。
さらに報告番号がある。
そういう形の札だけ拾えばいい」
前の方の生徒が言う。
「でも“北門臨時報”にも日付が後ろに書いてあったら?」
「だから、一個だけじゃなくて組み合わせるんです」
私は答えた。
「日付だけじゃ足りない。
番号だけでも足りない。
欲しい形を重ねる」
私は拾い型札を二枚用意して、水晶板の上に重ねた。
一枚は日付の形、もう一枚は報告番号の形。
それを札束の上にかざすと、何枚かの札だけが青く光った。
リゼが、札を覗き込みながら言う。
「つまり、“同じ文字”じゃなくて、“同じ並び方”を探すんだね」
「そう」
「ちょっと分かってきた」
その一言は助かる。
読者の代わりに理解してくれる人は大事だ。
———
そこからは、教室が少し賑やかになった。
生徒たちは一人一枚ずつ拾い型札を書き、札束の上にかざす。
合っていれば、欲しい部分だけが淡く光る。
外れていれば、何も光らない。
雑なら、余計な札までまとめて光る。
「これ、王都って入ってるから全部光っちゃう」
「型が広すぎるんだ」
「じゃあ“第○区-数字”まで入れれば……」
「今度は王都第十二区-補修 が光らなくなった」
「それは最後が数字じゃないからだ」
札が光るたびに、理解が少しずつ進んでいた。
こういう授業は、見えると強い。
ルドーは歩き回りながら、短く言う。
「広すぎる」
「狭すぎる」
「余計なところまで光らせるな」
「欲しい形だけ見ろ」
相変わらず説明は少ないが、今日は不思議と噛み合っていた。
———
私は別の束から一枚抜いた。
倉庫番号: 第三倉庫-第四棚
備考: 緊急開封禁止
「例えばこれ」
私は掲げた。
「“第三倉庫-第四棚”だけ欲しいのに、
雑な拾い型を当てると、備考まで一緒に持っていくことがある」
前の方の生徒が首を傾げる。
「なんでです?」
「止まる場所を決めてないから」
私は答えた。
拾い型札を一枚書き、水晶板の上に乗せて、札の文字列にかざす。
すると、最初は狙った通り「第三倉庫-第四棚」だけが光った。
次に、わざと雑な拾い型札を書いてかざす。
淡い光が、ずるっと伸びた。
第三倉庫-第四棚
備考: 緊急開封禁止
そこまでまとめて、べたっと光る。
教室がざわつく。
「うわ」
「隣まで食った」
「止まってない」
リゼが笑いながら言った。
「ほんとに食べすぎる虫みたい」
「そんな感じ」
私は頷いた。
「始まりだけ決めて、“あとは何でもよし”にすると、
術は止まるべき場所で止まらない」
ルドーがその言葉を受けて、黒板に書いた。
『欲張りな型は、止まるべき場所で止まらん』
かなり強い。
腹立つくらい強い。
「最悪だね」
とリゼが言う。
「最悪だよ」
と私は答えた。
———
「それだけじゃありません」
私はもう一枚、別の札を持ち上げた。
配送先: 王都南
区分: 門前臨時置場
教室の何人かが首を傾げる。
「これがどうしたんですか」
私は黒板に、さっき話していた “南門” を書いた。
「例えば、“南門”を含む札だけ拾いたいとする」
前の方の生徒がすぐ答える。
「南門警備詰所 が入る」
「王都南門-臨時 も入る」
「南門報告第3便 も入る」
「そう」
私は頷いた。
「でも、区切りを見ない雑な拾い型だと、もっと嫌なことが起きる」
私は札を水晶板の下に置いた。
そして、わざと雑な拾い型札をかざす。
薄い光が、最初は「王都南」の最後の二文字に触れた。
次の瞬間、その光は行の区切りをまたいで、下の「門前臨時置場」の最初の一文字へつながった。
水晶板の上で、
南
門
の二文字が、別々の欄にまたがって、一本の淡い線でつながって光る。
教室がどよめいた。
「うわ」
「そこ別の欄だろ」
「またいでる」
「それは“南門”じゃないだろ!」
「そう」
私は頷いた。
「でも術は、区切りを教えないと知りません。
そこにその二文字が並んで見えれば、同じ語だと思って拾うことがある」
リゼが顔をしかめる。
「やだな、それ。
違うものを無理やり一語にしてる感じ」
「だから区切りがいる」
私は答えた。
「文字が並んでいることと、
意味のあるまとまりとして存在していることは違う」
ルドーがそこで短く言った。
「欄をまたぐな。
語の境を見ろ」
この人、たまに一行だけすごく強い。
———
後半になると、私はもう少し具体的な例を出した。
「“南門”だけで拾うと、何が起きます?」
生徒たちが札束を見る。
「南門警備詰所 が入る」
「王都南門-臨時 も入る」
「南門報告第3便 も入る」
「さっきみたいに、王都南 と 門前臨時置場 も危ない」
「そう」
私は頷いた。
「つまり、“南門”という文字があるだけでは足りない。
前後の形や、欄の区切りまで見ないと、欲しくないものも拾う」
そう言って、拾い型札を二種類かざして見せる。
一つ目の雑な札では、“南門”に見える箇所があちこち光る。
別欄をまたいだ箇所まで光る。
二つ目の札では、“王都南門-数字か臨時”の形だけが光る。
別の生徒が言う。
「じゃあ、細かくしすぎればいいんですか」
「それも駄目です」
今度は私が即答した。
「細かくしすぎると、少し表記が揺れただけで何も光らなくなる。
だから、広すぎず狭すぎず、欲しい形をちゃんと囲う」
リゼがうんうんと頷く。
「なんか、網だね」
「網?」
「大きすぎると余計なのが入るし、細かすぎると欲しいものまで落ちる」
「……それ、かなりいいな」
教室の何人かも頷いた。
リゼはたまにこういう良い比喩を雑に投げる。助かる。
ルドーが言う。
「覚えておけ。
雑な型は、仕事を速くする前に事故を速くする」
これもだいぶ良い。
今日のルドー、妙に切れてるな。嫌だな。
———
授業の終わりが近づいたころ、ルドーは黒板を整理した。
・固定の部分
・揺れる部分
・区切り
・止まる場所
・欄の境
「全部読もうとするな」
ルドーが言う。
「欲しい形だけ拾え」
私はその横で補足した。
「ただし、型は適当でいいわけじゃない。
広すぎれば余計なものを拾うし、狭すぎれば欲しいものを落とす。
区切りを見なければ、別の欄までつないで拾います」
前列の生徒が、少し疲れた顔で言った。
「思ったより繊細ですね」
「そう」
私は頷いた。
「便利だけど、雑にやると平気で壊れます」
その時、教室の扉が叩かれた。
嫌な予感しかしない。
入ってきたのは、学校の事務職員だった。
顔があまり良くない。つまり面倒だ。
「ルドー先生、ユウ先生」
はい来た。
「術務室からです。
申請札の自動転記術が、朝からおかしくて……」
教室が少しざわつく。
ルドーが眉ひとつ動かさず聞く。
「どう壊れた」
職員が紙を見ながら答える。
「氏名欄に、所属や理由までまとめて入ってしまっています。
逆に理由欄は空欄になっているものが多くて、一部の申請は不正書式扱いで差し戻しになっています」
ああ。
分かりやすすぎる。
リゼが小さく言う。
「欲張りな型?」
「たぶんそう」
私は答えた。
ルドーが教卓に寄りかかりながら、実に嫌な声で言った。
「雑な拾い型を使った馬鹿がいるな」
職員が何とも言えない顔をする。
そこまで言うな。いや、言っていいか。
ルドーが私を見る。
「ユウ」
「はい」
「現場だ」
「はい」
「はいは一回だ」
「今のは一回です」
教室の何人かが小さく笑った。
もうこの流れ、定型句になってきたな。良くない。
———
授業が終わって教室を出る時、リゼが横に並んだ。
「今日の次回予告、分かりやすすぎるね」
「うん。
授業で言った事故が、そのまま来た」
「これ、名前欄に本文全部入るやつだ」
「そうだろうな」
「しかも、止まる場所も見てないやつ」
「たぶんそう」
廊下の窓から、少し白い空が見えた。
学校は今日も静かそうに見える。
でも静かそうに見える時ほど、中では誰かが雑な型を書いて全部壊している。
世界は本当に最悪だ。
でも、壊れ方が分かっているだけ、少しはマシだった。




