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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第31話 押したのに、返事がない

 翌朝、玄関ホールの空気は、授業開始前からもう少しだけ壊れていた。


 中央掲示盤の前ではなく、その少し脇。

 術務室の前に、人だかりができている。


 嫌な予感しかしない。


「……始まってるな」


 私は小さく言った。


 隣のリゼが、列の先を見ながら言う。


「始まってるね」


 列の先には、新しく置かれた申請端末が三台。

 来月分の選択授業の履修申請を受け付けるためのものだ。


 見た目は悪くない。

 板面は明るい。

 選択欄も並んでいる。

 押せる場所も、まあ分かる。


 見た目はな。


「……大丈夫そうに見えるのが一番危ない」


 私が言うと、リゼが頷いた。


「昨日の授業のやつだ」


「うん。昨日の授業のやつだ」


 術務室の中から、聞き覚えのある声が飛ぶ。


「順番に! 順番にお願いします!」

「同じ申請が重複している方は、いったん後ろへ!」

「まだ確定したか分からない方は、その場で待ってください!」


 もう駄目ですね。

 言葉の内容だけで、だいたい壊れ方が分かる。


———

 私たちが列に近づいたところで、端末の前にいた生徒が、明らかに困った顔で板面を見つめていた。


「えっと……押したんですけど」


 何も起きていないように見える。


 板面には授業名の一覧。

 選択欄。

 下に小さな決定板。

 だが、押しても表示が変わらない。


「通ったのか?」

「いや、まだじゃない?」

「もう一回押したら?」


 はい、始まった。

 人類の悪いところが、朝から元気だ。


 その生徒は不安そうに、もう一度決定板を押した。

 さらにもう一度。

 三秒後、板面の端に小さく文字が出た。


申請を受け付けました

申請を受け付けました

申請を受け付けました


 生徒が固まる。

 後ろの列がざわつく。


「三回通ってる!」

「え、重複したの?」

「なんで今出るんだよ!」


 そして、そのざわめきに別の声が重なった。


「うそでしょ、満席!?」


 列の少し後ろにいた女子生徒が、板面を見て青ざめていた。

 顔色が、一瞬で悪くなる。


「それ、必修なんだけど……」


 さらにその後ろからも声が飛ぶ。


「こっちも埋まってる!」

「昨日まで空いてたろ!」

「なんで朝一で全部死ぬんだよ!」


 女子生徒は、今にも泣きそうな顔で術務室の窓口へ詰め寄った。


「それ取れないと、来月の実習に進めないんですけど!」


 後ろの方から、さらに景気の悪い声が飛ぶ。


「学費返せ!」


 ああ、懐かしいな。

 懐かしくて嫌になる。


 その表示を見た瞬間、私は少しだけ嫌な汗をかいた。

 現世で学生だった頃、似た画面を見たことがある。


 送ったはずの履修申請に返事がなく、皆が不安になって何度も押した。

 その結果、人気科目の枠だけが先に消え、後ろの学生が青ざめ、窓口で「学費返せ」と怒鳴っていた。


 地獄だった。

 そして、人間は驚くほど同じ地獄を繰り返す。


———

 術務室の担当が飛び出してきた。


「決定板は一回だけ押してください!」


「分かるか!」


 後ろの誰かが叫ぶ。

 まったくその通りだ。


 私は端末の前まで出た。


「状況を説明してください」


 術務室の担当が、半分泣きそうな顔でこちらを見る。

 昨日の中央掲示盤の時と同じ人だ。気の毒に。人類は一回失敗すると連続で面倒を押しつけられがちだ。


「ユウ先生……!」


「その呼び方はやめてください」


「今そこですか!?」


 今そこです。


 担当は息を整えようとして、でも整えきれないまま説明を始めた。


「端末自体は動いてます!

 申請は通っています!

 でも生徒が何度も決定板を押してしまって、同じ申請が重複して……!」


「それだけじゃないですね」


 私は板面を指した。


「定員の仮押さえも重複してる」


 担当の顔が固まる。


「……はい」


 リゼが板面を覗き込みながら言った。


「どういうこと?」


「申請が来た瞬間に、席を仮に押さえるんだろ」


「はい」


 術務室の担当が答える。


「抽選や重複確認の前に、空き枠だけ先に減らしてます」


「だから一人が三回押すと、三席分減る」


 私が言うと、リゼの顔色が変わった。


「じゃあ、後ろの人には“満席”って嘘が見えるんだ」


「そう」


 私は頷いた。


「壊れてるのは申請だけじゃない。

 空き枠の見え方まで壊れてる」


 女子生徒が今にも泣きそうな顔で言う。


「じゃあ、私まだ取れるんですか!?」


「たぶん取れます」


 私は答えた。


「でも今の表示は信用しないでください」


「信用できるように作れよ!」


 後ろから飛ぶ正論が、朝から重い。

 だが正しい。


———

 私は列をいったん止めさせた。


「新規受付、一回止めます。

 重複申請と仮押さえの整理が先です」


 列の後ろから不満そうな声が上がる。


「えー」

「いつ終わるんですか」

「もう一限始まるんですけど」


 分かる。全員分かる。

 でも今押し続けられる方が被害が増える。


 ルドーが、いつの間にか壁際に立っていた。


「どうだ」


「昨日の授業そのままです。

 しかも箱より悪い」


「どこがだ」


「後ろの人間の人生まで巻き込む」


 ルドーが小さく頷く。

 それだけで十分だった。


 私は端末の板面を操作し、申請処理の流れを見た。


 選択。

 決定。

 内部送信。

 仮押さえ。

 記録。

 結果返却。


 流れ自体は間違っていない。

 問題は、人間に見えている状態が少なすぎることと、仮押さえが結果返却より前に入ることだ。


「押した直後に何が見えますか」


 私が聞くと、術務室の担当は答える。


「……何も」


「処理中は」


「……何も」


「成功時は」


「数秒後に小さく結果が出ます」


「失敗時は」


「同じ場所に小さく……」


 私は目を閉じた。


「最悪ですね」


 担当がしょんぼりする。

 だがこれは本当に最悪だ。


———

 私は端末の前に立って、昨日の黒板を思い出した。


・押せる

・押した

・処理中

・終わった


 今この端末には、


・押せる


だけが、かろうじてある。


 残りが死んでいる。


「幸い、工房製の本体術式を直接いじる必要はない」


 私は術務室の担当たちに言った。


「表示文言や受付手順は、最初から術務室が差し替えられる運用札に逃がしてあるはずです」


 担当が、ばつの悪そうな顔で頷いた。


「……はい」


「つまり今回の不出来は、工房の外じゃなくて学校の中に残ってた」


 担当はさらに小さくなった。

 痛いだろうが、そこは痛がってもらう。


 私は続けた。


「まず、決定板を押した瞬間に光るようにしてください」


「それだけでいいんですか」


「それだけでは足りません。

 でも最初に必要です」


 私は指で板面を叩く。


「押した直後、板面の中央に“申請中”を出す。

 終わるまで決定板は光ったまま。

 その間は二度押しを受け付けない。

 終わったら“申請を受け付けました”を、今より大きく出す」


 担当が目を見開く。


「二度押しを止める……」


「はい。

 人を信用しないでください。

 不安な時の人間は、同じことを何度もやります」


 リゼがぼそっと言う。


「昨日、箱でもやったね」


「うん。箱より列がある分、もっと悪い」


 後ろの生徒たちも聞いていたらしく、少しざわつく。


「たしかに、何も出なかったら押すよな」

「俺も二回押した」

「私も三回……」


 人類は正直でよろしい。事故のあとにだけ。


「それと」


 私は続けた。


「仮押さえを先に入れるのはいい。

 でも同一人物・同一授業の二件目以降は、仮押さえを増やさないようにしてください」


 担当が固まる。


「……できます」


「じゃあやる。

 今すぐ」


 女子生徒が、半泣きのまま聞いた。


「それ直したら、必修の“満席”消えますか」


「重複分を戻せば消えます」


「お願いします……」


 その声は、ちょっと切実すぎた。

 だからこそ、朝からこんな壊れ方をするなと言ってるんだよ。


———

 術務室の中で、担当たちが慌てて札を書き換え始めた。


 申請処理の途中表示。

 成功表示。

 失敗表示。

 決定板の一時封鎖。

 同一人物の重複仮押さえ防止。


 私はその間に、もう一つの問題を見ていた。

 すでに積み上がった重複仮押さえの整理だ。


「今入ってる重複、戻せますか」


 担当が青い顔で答える。


「同じ名前、同じ授業、同じ時間帯なら、二件目以降を外せます」


「じゃあ今すぐやってください。

 あと、端末の横に札を貼る」


「札?」


「これです」


 私は紙を引き寄せて、太く書いた。


決定板は一回だけ押してください

押したあと光っている間は申請中です

“申請を受け付けました”が出るまでお待ちください


 担当がそれを見て、少しだけ呆然とする。


「……すごく普通ですね」


「普通でいいんです」


 私は言った。


「今必要なのは、賢さじゃなくて分かることです」


 ルドーが壁際で小さく言った。


「言うようになったな」


「昨日言われたばっかりですよ」


「飲み込みは早い」


 褒めてるのか。腹立つな。


———

 修正は、驚くほど効いた。


 次の生徒が端末の前に立つ。

 授業を選ぶ。

 決定板を押す。


 今度は、板面の中央にすぐ文字が出た。


申請中


 同時に決定板の縁が青く光る。


 生徒は手を止めた。

 後ろの列も止まる。


「……あ、今やってるんだ」


「そうだよ」


 術務室の担当が、祈るような顔で見守っている。


 数秒後。


申請を受け付けました


 今度は大きく、はっきり出た。


 生徒が顔を上げる。


「おお」


 後ろの列からも、ちょっとした感嘆が漏れる。

 人類は返事があるだけで落ち着く。実に扱いやすい。


 次の生徒。

 その次の生徒。

 誰も連打しない。


 少し遅れて、さっきの女子生徒の板面から“満席”表示が消えた。


「……取れた」


 その声は小さかったが、かなり重かった。


 後ろの生徒たちも、目に見えて肩の力を抜く。

 列が、ようやく“進む列”になった。


———

 術務室の担当が、ほとんど放心した声で言った。


「……端末は最初から動いていたのに」


「ええ」


 私は答えた。


「でも、使う人間にはそう見えなかった」


 担当は黙った。

 さっきよりずっと深く刺さったらしい。よろしい。


 リゼが端末の横の札を見ながら言う。


「結局、人間って返事がほしいんだね」


「ほしい」


 私は頷いた。


「しかも、分かる形で」


 ルドーが言う。


「処理は通っている、は作り手の言葉だ。

 通ったと分かる、が使う側の言葉だ」


 その言い方は、かなり良かった。

 悔しいが。


 私は術務室の担当に向き直った。


「次からは、事前試験の時に、術が通るかだけじゃなくて、

 初見の人間が迷わないかも見てください」


 担当が深く頷く。


「はい……」


「工房が大丈夫と言っても、使う人が大丈夫とは限りません」


「はい……」


 反省していて偉い。

 人類は反省できる時だけ、少しだけ希望がある。


———

 重複仮押さえの整理が終わる頃には、列はだいぶ短くなっていた。


 玄関ホールの空気も、朝の地獄から普通の混雑くらいに戻っている。

 人が多いのは変わらない。

 でも“どうしていいか分からない人の群れ”ではなくなっただけで、かなりマシだった。


 術務室の担当が、小さく頭を下げる。


「ありがとうございました、ユウ先生」


「その呼び方は」


「……すみません」


「いや、もういいです」


 諦めが早い。

 よくない傾向だ。


 リゼが横でにやにやしている。


「ユウ先生、諦めた」


「お前は本当に楽しそうだな」


「今日はちょっとだけ」


 それならまあいいか。ちょっとだけなら。


———

 昼前、ようやく人波が引いたころ。


 私は玄関ホールの柱にもたれて、小さく息を吐いた。

 ルドーがその横に立つ。


「どうだった」


「昨日の授業のままでした」


「そうだろうな」


「壊れてたのは端末だけじゃない。

 空き枠の見え方まで巻き込んでました」


 ルドーが頷く。


「無反応は、周囲まで壊す」


「ですね」


 私は中央掲示盤の方を見た。

 昨日はあっちが壊れ、今日はこっちが壊れた。

 学校という場所は、思ったより毎日いろいろ壊れるらしい。人類の教育機関、だいぶ綱渡りだな。


———

 帰り際、リゼが私の袖を引いた。


「ユウ」


「うん」


「今日の話、ちょっと好きかも」


「どこが」


「“端末は動いてる”と、“ちゃんと使える”は違うところ」


 私は少しだけ笑った。


「それ、結構大事なんだよな」


「うん。

 人間の方を見てない道具って、なんか寂しいし」


 その言い方は、少しだけ優しかった。


 私は玄関ホールを振り返った。

 端末はまだ光っている。

 でも今は、ちゃんと人間に返事をしている。


 世界は本当に最悪だ。

 壊れるし、並ぶし、押すし、待てない。


 でも、ちゃんと返事をするだけで、少しはマシになる。


 たぶん人間も同じなんだろう。

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