第27話 空気を読まない助言
王都へ行くことになったのは、朝食のあとだった。
行きたくて行くわけではない。
この世界で私が自発的に王都へ向かう時は、だいたい後で面倒が増える。
だから最初にリゼが言ったときも、私は深く考えずに聞き流そうとした。
「今日、王都に買い物行くから」
「ふーん」
「荷物持ちが必要なんだけど」
「ふーん」
そこでリゼが、箸を置いた。
「ユウ」
「はい」
「返事が雑」
ごもっとも。
私は椀を机に置いて、ようやく顔を上げた。
リゼはいつもの顔をしている。少し不機嫌そうで、少しだけ目が泳いでいる。
たぶん、ここで断るとあとで面倒になる顔だ。
「……なんで俺」
「居候だから」
はい来た。万能カード。
「それ、便利な言葉だな」
「普通に考えて、家にいる暇そうな男手がいたら使うでしょ」
「暇そうって何だ」
「実際ちょっと暇でしょ」
反論できないのが悔しい。
リゼはわざとらしく視線を逸らしながら続けた。
「別に、二人で出かけたいとか、そういうんじゃないから。
荷物持ち。あと道案内。あと、えっと……そういうやつ」
そういうやつ、とは何だ。
私は少しだけ首を傾げたが、その時ちょうど枕元に置いてあった端末が震えた。
AIエージェント:「観測:本件は一般に“二人での外出”と分類されます」
やめろ。
私は反射的に端末を伏せた。
リゼが眉をひそめる。
「何」
「何でもない」
AIエージェント:「補足:彼女はあなたに好意を持っている可能性が高いと考えられます」
最悪だ。
「黙れ」
思わず口に出た。
リゼがぴたりと止まる。
「……今、私に言った?」
「違う。こいつに」
「こいつ?」
私は端末を持ち上げた。
「こいつ」
リゼは数秒、端末と私の顔を交互に見て、それからため息をついた。
「また喋ってたの」
「また喋ってた」
「何て」
「どうでもいい」
AIエージェント:「訂正:どうでもよくありません」
「黙れって言ってるだろ」
リゼが少しだけ口元を押さえた。笑いを堪えてるな。
人がAIに恋愛判定されてるの、そんなに面白いか。
「……まあいい。
来るの、来ないの」
私は味噌汁の残りを見て、端末を見て、リゼを見た。
「行くよ」
リゼがほんの少しだけ目を丸くして、すぐにそっぽを向いた。
「最初からそう言えばいいのに」
最初から素直に頼めばいいのに、とは言わないでおいた。
居候にも知恵はある。
———
王都は、相変わらず人が多かった。
市場の匂い。焼き物の煙。水路の音。客引きの声。
この街は、何もかもが少し多い。情報量で人を殴ってくるタイプの都市だ。
リゼは慣れた足取りで人混みを抜けていく。
私はその後ろを、荷物持ちとして大人しくついていく。
「で、何を買うんだ」
「布と糸と、あと生活用品」
「普通だな」
「普通だよ」
リゼは少しだけ胸を張った。
「普通の人間は、普通の買い物をします」
「俺が普通じゃないみたいな言い方やめろ」
「否定はしてない」
ひどい。
最初に入ったのは布屋だった。
色とりどりの布が壁にかかっていて、店主がやけに声が大きい。
「おっ、嬢ちゃん今日は彼氏連れかい!」
リゼが一瞬で固まった。
私は一拍遅れて店主を見た。
「違います」
「違います!」
綺麗に被った。
店主がにやにやしている。
こういう人種は世界共通で存在するらしい。滅びればいいのに。
リゼは耳まで赤くして、やや強めの声で言った。
「荷物持ちです!」
「なるほどねえ」
何ひとつ納得してない顔だな。
私は端末が震える気配を感じて、先にポケットを押さえた。
が、無駄だった。
AIエージェント:「補足:第三者から恋愛関係と誤認される頻度は、相互好意の推定材料になります」
やめろ。
「本当に黙れ」
今度は完全に口に出た。
リゼが小声で言う。
「……何て言われたの」
「聞かない方が平和」
「余計気になる」
店主が布を畳みながら言う。
「若いねえ」
違う意味で最悪だ。
———
布屋を出たあとも、王都の市場は賑やかだった。
リゼは糸を買い、木匙を見て、東方渡りの小さな香油瓶を手に取っては戻していた。
私は荷物を持ち、たまに値札を見て、たまに人波を避ける。
別に、悪くない。
むしろ、かなり平和だ。
問題は、そのことを認めると負けた気がすることだが。
リゼが小さな飾り紐を手に取った。
「これ、どう思う」
「いいんじゃない」
「雑」
「似合うと思う」
リゼが、一瞬だけ止まった。
「……そういうの、急に言うのやめて」
「なんで」
「なんでも」
難しいな。
俺はただ事実を述べただけなんだが。
AIエージェント:「観測:彼女の心拍は上昇している可能性があります。原因はあなたの発言と推定されます」
ポケットの中から喋るな。
「本当に黙れ」
リゼがじとっとした目でこちらを見る。
「また?」
「また」
「何なの、それ」
「空気を読まない分析装置」
「最悪だね」
「うん。最悪」
意見が一致した。良かった。
———
昼前になって、リゼが言った。
「ちょっと休む」
連れて行かれたのは、川沿いの小さな甘味屋だった。
外に面した席。
水路の上を渡る風。
東方風の串団子と、王国風の薄い焼き菓子が並んでいる。
私は座って、ようやく荷物を下ろした。
「思ったより買うな」
「思ったより持ってくれた」
「そりゃ荷物持ちだからな」
「そうだよ。荷物持ち」
リゼが、少しだけ楽しそうに言った。
そうやって繰り返すあたり、たぶんこの言葉を便利に使う気だな。
甘味が来る。
リゼは東方風の団子を見て、少しだけ目を輝かせた。
「かわいい」
「そうか?」
「こういうの、見た目も大事」
そう言って、小さく笑う。
こういう時の顔を見ると、王都まで来た甲斐はあったのかもしれない、と思ってしまう。悔しい。
私は焼き菓子を割りながら言った。
「王都、好きなのか」
「好きというか……」
リゼは団子をひとつ持ち上げたまま、少し考えた。
「たまに来る分には、楽しい」
「住むのは?」
「疲れそう」
「分かる」
「でも、ユウと来ると前より楽」
私は手を止めた。
「……そうか」
「荷物持ちいるし」
「はいはい」
リゼが少しだけ笑った。
そのタイミングで、端末が震えた。
AIエージェント:「補足:今の発言は好意の婉曲表現である可能性が高いです」
こいつ本当に。
「黙れって」
「……何」
リゼが団子を持ったままこちらを見る。
「いや、こっちの話」
「ユウ、最近その“こっちの話”多くない?」
「多い」
「不便だね、その装置」
「すごく不便」
リゼは少しだけ考えてから、ぽつりと言った。
「でも、ユウがそれと喋ってる時、ちょっと楽しそう」
意外なことを言う。
「そうか?」
「うん。
面倒くさそうだけど、嫌いではなさそう」
私は端末を見た。
確かに、嫌いではない。面倒だし空気は読まないし余計なことばかり言うが、長く一緒にいる変な相棒みたいなものだ。
「……まあ、たぶん」
リゼが頷く。
「なら、いいんじゃない」
その言い方は、少し優しかった。
———
甘味屋を出たあと、王都の北側の橋まで歩いた。
水路が交差するところで、風が少し強い。
橋の上から見ると、王都の屋根がきれいに並んでいた。
リゼが欄干にもたれる。
「なんか、こうしてると普通だね」
「普通?」
「うん。
魔王軍も来ないし、郵便局も燃えてないし、先生もいないし」
「最後が一番大事かもしれない」
「でしょ」
私は少し笑った。
リゼはしばらく黙って、王都の景色を見ていた。
それから、ぽつりと言った。
「今の生活、嫌いじゃない」
風の音が少しだけ強くなる。
私は隣に立って、同じように屋根を見た。
「……俺も、まあ」
リゼがちらっとこちらを見る。
「“まあ”って何」
「全部認めると負けた気がする」
「面倒くさいね」
「知ってる」
リゼが、今度ははっきり笑った。
その笑い方が、前より少しだけ近く感じた。
AIエージェント:「観測:現在の状況は一般に“良好な雰囲気”と呼ばれます。適切な応答として、好意的な言葉を返すことが推奨されます」
最悪のタイミングだな、お前は。
「黙れ」
また口に出た。
リゼが吹き出した。
「今のも、装置?」
「うん」
「何て?」
「余計なお世話」
「ふふ」
リゼが少し肩を揺らして笑う。
橋の上で笑うな。風景が良すぎて変に記憶に残るだろうが。
———
その時だった。
橋の向こう側から、誰かが全力で走ってくるのが見えた。
王城の伝令服。
顔色が悪い。息が切れている。
嫌な予感が、一瞬で現実になる。
「ユウ・サカモト殿!」
ああ、やっぱり。
伝令は橋のたもとでほとんど転びかけながら叫んだ。
「探しました! 王都の端末群が異常動作を起こしています!
表示が消える、送信が落ちる、再起動してもまた死ぬと……!」
リゼがさっきまでの笑顔を引っ込める。
「どこで?」
「中央区の端末舎です!
技師たちが術式の更新不良か呪いかで揉めていて……!」
揉めてるところまで含めて、いつも通りだ。
私は橋の欄干から体を起こし、荷物を持ち直した。
せっかくの平和が、すごい勢いで壊れていく。
AIエージェント:「観測:休暇は終了したと判断されます」
「うるさい」
リゼが、少しだけ唇を尖らせた。
「……タイミング悪すぎ」
「うん」
「あとで、続き」
私は一瞬だけリゼを見た。
「続き?」
「買い物の」
少し間を置いて、そっぽを向いたまま付け足す。
「別に、橋の上の雰囲気の続きとかじゃないから」
AIエージェント:「補足:それは典型的な否認表現です」
「本当に黙れ!」
今度はリゼも笑った。
でも、その笑いはさっきより少しだけ照れていた。
私は伝令に向き直る。ここからは仕事だ。
「行きます。
案内してください」
伝令が深く頷く。
橋の向こう、王都の中心部では、たぶん今ごろ端末が死に、技師が怒鳴り、偉い人が呪いを疑っている。
世界は本当に最悪だ。
でも、リゼが「あとで続き」と言ったのは、少しだけ良かった。
その“あとで”が、本当に来るかは知らないけれど。




