第25話 完璧を探すと日が暮れる
教室に入った瞬間、今日は嫌なやつだな、と思った。
机の上に、小さな木片が山ほど置いてあったからだ。
四角い札。丸い札。細長い札。
全部、何かの配置を試すための駒に見える。
こういう授業は、だいたい「正解がないのに考えろ」と言ってくる。人間の教育って本当に性格が悪い。
リゼが隣で札を一枚つまんだ。
「これ、屋台かな」
細長い札の表には、焼き串の絵。
別の札には、水桶。
別の札には、警備詰所。
さらに舞台、休憩所、荷車止めまである。
「祭りの配置っぽいな」
「面倒そう」
「うん。面倒そう」
それだけで、だいぶ授業の予想がついた。
ルドーが教卓の前に立った。
目つきが悪い。今日も安定して悪い。
だが、その後ろに置かれた大きな板を見ると、今日の機嫌が少しだけ読めた。
広場の見取り図だ。
入口。
通路。
中央の舞台。
端の水場。
壁際の物資置き場。
そして、そこに木札を置くための印がびっしり書かれている。
ルドーが言った。
「座れ」
全員が座る。
ルドーは黒板に大きく書いた。
『完璧を探すと日が暮れる』
教室に、微妙な沈黙が落ちる。
前の方の生徒が首を傾げた。
「何の話ですか」
「配置だ」
ルドーが即答する。
「祭り。夜会。屋台。警備。避難導線。
世の中には、“だいたい良く並べたい”ものが多すぎる」
その言い方は少し雑だが、だいぶ真理っぽかった。
ルドーは大きな見取り図の板を指した。
「今日の課題はこれだ。
屋台六つ。警備二つ。水場一つ。休憩所一つ。
人が詰まらず、売上も落ちず、見栄えも悪くなく、偉い人の動線も邪魔しないように置け」
教室が静まる。
静まったあとで、誰かが言った。
「……無理では?」
「そうだ」
ルドーが頷いた。
「だから授業になる」
最悪の導入だが、否定はできない。
———
ルドーは、まず一人の生徒を前に呼んだ。
「お前。やれ」
呼ばれた生徒は少し考えてから、木札を置き始めた。
入口の近くに人気屋台。
中央に舞台。
舞台の脇に休憩所。
壁際に水場。
人の流れを考えたらしい。悪くない。
だが、見終わったルドーは即座に言った。
「駄目だ」
「えっ」
「入口が詰まる。
舞台の音で休憩所が死ぬ。
水場が遠い。
警備が片側に寄りすぎだ」
生徒がしょんぼりする。
分かる。私でもちょっとへこむ。
ルドーは別の生徒を呼ぶ。
「お前」
今度の生徒は、さっきの失敗を見ていたせいか、入口を広く取った。
警備を左右に振り、休憩所も離した。
「駄目だ」
「まだ何も言ってない!」
「見栄えが悪い。
屋台が散りすぎて、客が流れない。
舞台が死んでる」
生徒が抗議する。
「でも入口は詰まりません!」
「売れない祭りは失敗だ」
身もふたもない。
だが、そうなのだろう。
ルドーは黒板に書いた。
『良い条件は、一つではない』
その下に、さらに書く。
『たくさんある』
『たいてい喧嘩する』
私は少しだけ頷いた。
そこが面白いところだ。
———
ルドーは木札の山を見下ろしながら言った。
「質問だ。
全部の並べ方を試せば、最善は見つかるか」
前列の生徒が言った。
「理屈では、はい」
「理屈ではな」
ルドーは頷いた。
「では、試せ。全部」
教室に変な沈黙が流れた。
「……えっと」
「数が多すぎます」
「日が暮れます」
ルドーは黒板を叩いた。
「そうだ。
全部試すな。寿命が足りん」
教室のあちこちで苦笑が漏れる。
分かりやすすぎる。
ルドーは続けた。
「だから、“完璧”を探すな。
今よりマシを探せ」
黒板に書き足す。
『今日よりマシを探せ』
その一言が、妙に強かった。
リゼが小声で言う。
「なんか、これまでの授業のまとめみたい」
「うん」
私は答えた。
「だいたい全部そうだな」
———
ルドーは大きな見取り図の前に立って、適当に木札を並べた。
かなり雑だ。
入口の近くに屋台が寄りすぎている。
警備も片側だけ。
休憩所も舞台の真横。
はっきり言って、微妙だ。
「これを初期配置とする」
前列の生徒が言う。
「初期配置?」
「最初の雑な答えだ」
ルドーは即答した。
「最初から良い答えを出そうとするな。
まず置け。
置いてから直せ」
これはちょっと良い言葉だった。
あとで使おう。たぶん使う機会がある。
ルドーは屋台札を一つだけ動かした。
入口から少し離し、通路を広げる。
「今、少しマシになった」
次に休憩所を動かす。
舞台から一歩遠ざけ、水場に寄せる。
「これも少しマシだ」
生徒が言う。
「じゃあ、良くなる変更だけ繰り返せばいいんですか?」
ルドーは、そこで少しだけ嫌な顔をした。
「それだと、近くの“まあまあ”にハマる」
黒板に書く。
『近場のましな答え』
私は少しだけ笑った。
言葉が雑だが、意味は分かる。
ルドーは続ける。
「たとえば、今ここで一つ屋台を動かすと、少し悪くなるとする。
だが、その悪くなった先に、もっと良い並びがあるかもしれない」
そう言って、わざと入口近くの人気屋台を一つ端へ追いやった。
「今だけ見れば悪い」
確かに悪い。入口から遠い。
だが、その空いた場所に警備札を置き、通路を広げる。
さらに屋台の並びを少し回して、中央の流れを作る。
すると、全体としてはさっきよりマシになった。
教室のあちこちで「おお」と声が出る。
「つまり」
ルドーが言う。
「最初のうちは、たまに悪くなる道も踏め。
でないと、近くの小さな谷にハマる」
その言い方は妙に分かりやすかった。
黒板にさらに書く。
『最初は、少し雑でいい』
『たまに悪い変更も許せ』
『後になるほど厳しくしろ』
リゼが小声で言った。
「なんか、焼き物みたい」
私は少し考えてから答えた。
「……熱いうちは形を変えやすくて、冷めると固まる、みたいな?」
「それ」
ルドーがこちらを見た。
「そうだ。ようやく当たった」
腹立つな、その言い方。
ルドーは黒板の端に書いた。
『焼き戻し』
「最初は熱い。
だから変な形にもなれる。
後で冷える。
だからだんだん、悪い並びを許さなくなる」
まあ、そういうことだ。
名前はだいぶ雑だが、雰囲気は出ている。
———
ルドーは、そこで別の札束を出した。
今度は配置案を何枚か紙で並べる。
番号が振ってある。
「もう一つやり方がある」
嫌な予感しかしない。
「一つの案をこね回すだけでなく、
いくつかの案を並べて、良い部分だけを混ぜる」
生徒が首を傾げる。
「混ぜる?」
ルドーは、一枚目の配置案を指した。
「これは商人向けだ。
屋台の並びは良い。人が流れる」
次に二枚目を指す。
「これは警備向けだ。
見張りの位置が良い」
そして、二つの紙を見比べて、良い部分だけを拾う。
屋台の並びは一枚目から。
警備位置は二枚目から。
舞台の位置は両方の中間。
「こうして新しい案を作る」
前列の生徒がぽかんとする。
「ずるくないですか?」
「ずるい。だが現場はそうやって賢くなる」
ルドーは続ける。
「全部を一から考えるな。
良い案の、良い部分だけ残せ」
これも、かなり強い。
私は少しだけ笑った。
今までの話、全部この授業に繋がってるな。
ルドーはそこで、わざと一枚の配置案を脇へ寄せた。
「ただし、混ぜるだけでは親の案を少し賢くしただけで終わることがある」
そう言って、水場の札を、誰も置かなかった広場の角へずらす。
教室がざわつく。
「そこ遠くないですか?」
「むしろ不便では?」
「変じゃないですか?」
ルドーは構わず、そこから通路の向きを少しだけ曲げ、休憩所を水場の近くへ寄せた。
さらに警備札を一つ動かす。
すると、人の流れが妙に自然になった。
入口の混雑も減り、休憩所も静かで、水場も孤立しない。
「……あ」
前列の生徒が声を漏らす。
ルドーが言う。
「だから、たまに一手だけ“気まぐれ”を入れる。
変な場所に置く。余計に見えるものを足す。
それが、案を親よりマシにすることがある」
黒板に、最後の一語を足す。
『気まぐれ』
私は少しだけ頷いた。
良い部分を残すだけでは、親の癖から抜けにくい。
だから、たまに変な一手がいる。
リゼが小声で言った。
「それ、ちょっと人生っぽい」
「最近その方向に寄せるの好きだな」
「だって分かるし」
たしかに、分かる。
———
後半は演習だった。
生徒たちは三人一組で、広場配置を考える。
最初に雑に置く。
そこから一個ずつ動かす。
「入口が詰まった」
「じゃあ屋台を一つ引く」
「でも売上が落ちる」
「じゃあ舞台を少し寄せる」
教室全体が、妙にうるさい。
でも、悪い種類のうるささじゃない。頭を使っている音だ。
ルドーは歩き回りながら言う。
「お前、完璧を探すな」
「お前、悪くなった変更も一回は見ろ」
「お前、その案の良いところだけ抜け」
私は自分の組の配置を眺めていた。
入口。屋台。水場。警備。舞台。
少しずつ動かすと、確かに前よりマシになる。
だが、どこかを良くすると別のどこかが悪くなる。
リゼが言う。
「これ、終わらなくない?」
「終わらないよ。
だから“ここでいい”って決めるしかない」
「なんか人生みたい」
「最近そういうこと言うの流行ってる?」
「ちょっとだけ」
それは困る。
———
ルドーは、教室のざわめきが少し落ち着いたところで、黒板に最後の一行を書いた。
『完璧を待つな』
そして振り返る。
「祭りは、待ってくれない。
夜会も、戦も、火事も、待ってくれない。
だから“最善”を探して日が暮れるな。
今よりマシを出せ」
教室が静かになる。
そこは、たぶん全員に刺さった。
私にも刺さった。
嫌なことに。
———
授業の終わり。
ルドーは黒板に宿題を書いた。
『宿題:悪くない配置を一つ出せ』
『条件:一つずつ直して良くしろ』
今日は、だいぶ分かりやすい。
良い授業だ。認めたくはないが。
そしてもちろん、ルドーは一拍置いて私を見た。
「……ユウ」
はい来た。
「前へ」
私は前に出た。もう慣れた。慣れたくなかった。
ルドーは声を落として言った。
「お前は紙で出すな」
「……はい」
よし、一回だ。完璧。
ルドーが少しだけ頷く。
「お前の宿題は現場だ。
王都の交流祭の配置が燃えている」
「交流祭」
「東方使節団も来る。
屋台、舞台、警備、水場、休憩所、貴人の導線。
全員が好きなことを言って、現場が止まった」
素晴らしい。人類の縮図だ。
リゼが小さく言う。
「……絶対めんどくさい」
「うん。絶対めんどくさい」
ルドーは続ける。
「全部の並びを試すな。
最初は雑でいい。
悪い変更も少しは踏め。
そのうち冷やせ」
冷やせ、って言い方がちょっと面白い。
でも言ってることはちゃんとしている。
ルドーは最後に言った。
「覚えておけ。
完璧を探すと日が暮れる。
だから、今日よりマシを置け」
嫌なほど筋が通っている。
———
授業が終わって、廊下に出る。
リゼが私の袖を掴んだ。
「ユウ」
「うん」
「今日の授業、好きだった」
「珍しいな」
「だって、ちょっと安心する」
「何が」
「完璧じゃなくていいって言われるの」
その言葉に、私は少しだけ黙った。
たしかに。
完璧じゃなくていい、でも雑すぎるのも駄目。
その間のどこかを探せ、という話だった。
現実的だ。現実的すぎて、ちょっと優しい。
「……そうだな」
私は答えた。
「完璧を探して止まるより、マシな答えで動いた方がいい」
リゼが頷く。
「うん。祭りも、その方が始められるし」
始められる。
そこが大事なんだろう。
窓の外では、王都の広場が夕方の光を受けて静かに見えていた。
たぶん今ごろ、現場では全然静かじゃない。
最悪だ。
でも、たぶんちょっと面白い。




