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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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第242話 確かめる力

 ブレンが術務室の戸を開ける、半刻前。


 私は、台所で、三件目を読んでいた。


 窓の外は、まだ薄暗い。

 竈の火だけが、台所を赤く照らしている。鍋の中で、昨夜の残りの煮込みが、ふつふつと小さな音を立てていた。


 リゼは、まだ髪を結っている途中だった。


「また?」


「また」


「今度は、何年?」


 私は、面を見た。


「八分」


 リゼの手が、止まった。


「……八分?」


「三十年放っておかれた予想が、八分で崩れた」


———

 つぶやきを流したのは、クレイという人だった。


 新大陸の、小さな術式工房の共同主である。

 工房の中には、談じ場が一つ開いている。文字で言葉を交わすための場で、仕事の指図も、昼飯の相談も、同じ場を流れていく。どこの工房にも、たいてい一つはあるものだ。


 クレイの工房では、その談じ場に、生成変換器を一つ住まわせていた。

 頼めば、術式の下書きをする。頼まなくても、流れている話に、時々口を挟む。


 前の日、クレイは、二件目の話を談じ場に貼った。

 リュヴァンが、三十年の予想を崩したという、あのつぶやきである。すごいな、くらいの一言を添えて。


 誰も、何も頼んでいなかった。


 八分後、談じ場に住んでいた模型が、書き込んだ。


   関連して、壁書き二百八十四番の反例が見つかりました。


「壁書き」


 リゼが、髪紐を口にくわえたまま言った。


「何、それ」


「術式だ」


 私は言った。


「三十年前、数理院の先人が作った術式。図の性質どうしを、総当たりで見比べて、こうではないか、という予想を、勝手に立てる」


「術式が、予想を立てるの」


「立てる。番号をつけて、何百も吐き出す。それを、壁に貼って、誰でも見られるようにした。だから、壁書き」


「当たるの?」


「当たるのもある。外れるのもある。外れたのは、誰かが崩すまで、壁に残る」


 リゼは、髪紐を結び終えた。


「二百八十四番は」


「三十年、壁に残っていた」


 私は、面を繰った。


「立てたのも術式、崩したのも術式。あいだの三十年に、人間がいた」


———

 反例の中身を、読んだ。


 読んで、少しのあいだ、手が止まった。


 壁書き二百八十四番は、図から二つの数を取り出して、比べる形をしていた。

 一つは、それぞれの点の、隣の点たちが持つ枝の数の、平均。

 もう一つは、点どうしの隔たりを表にして、その表から取り出す数。

 予想は、前のほうは、後ろのほうを超えないはずだ、と言っていた。


 反例の図は、新しく組まれたものではなかった。


 五十点図だった。


 五十の点の、どの点からも、七本ずつ枝が出ている。六十年前に見つかって、名前がついて、それからずっと、どの教本にも載っている図である。私でさえ、こちらへ来てから、教本で二度見た。


 どの点からも七本なので、隣の点の枝の平均は、どこでも七。

 隔たりの表から出る数は、四。


 七は、四を超えている。


 それだけである。


「……それだけ?」


 リゼが言った。


「それだけだ」


「その図、教本に載ってるんでしょ」


「載ってる。六十年前から」


「三十年、誰も、それを当ててみなかったの」


「当ててみなかった」


 リゼは、しばらく黙っていた。


「……作ったんじゃなくて、探し出したのね」


「照らし合わせたんだ」


 私は言った。


「答えは、六十年前から、棚にあった。誰も、その棚の物を、その予想に当ててみなかった」


 一件目と二件目は、作る発見だった。

 まだ世界に無い図を、組み立てた。

 三件目は、違う。

 世界にもうある図を、まだ突き合わせていない予想へ当てた。照らし合わせる発見である。


 照らし合わせは、模型のほうが圧倒的に速い。

 棚の物を、片っ端から、片っ端の予想に当てればいいからだ。


 人間は、そうしない。

 まさか、あんな有名な図が、と思う。誰かがもう当ててみたはずだ、と思う。思って、当ててみない。


 人間の直観は、探すのをやめるほうにも働く。

 当てる先を狭めるほうにも、働く。


———

「それで、信じたの?」


 リゼが、椀に煮込みをよそいながら言った。


「その、クレイって人」


「信じなかった」


 私は、つぶやきの続きを繰った。


 クレイは、自分の工房の模型が出した答えを、信じなかったらしい。

 八分である。三十年が八分で崩れるはずがない、と、自分たちで思った。


 それで、別の社の模型を、二つ立てた。

 二つに、反例だけを渡して、こう頼んだ。


 これを、壊してこい。


 通してよいか、と訊いたのではない。

 壊す仕事を、渡した。


 二つとも、壊せなかった。


 それから、もう一つ。

 壁書き二百八十四番を載せた綴りを、後から引いた論文が、三百四十九あった。クレイたちは、三百四十九を全部あたって、先に誰かが崩していないかを確かめた。


 崩した者は、いなかった。


「八分で見つけて、新しいかどうか確かめるのに、丸一日」


 私は言った。


「変な人たち」


「まともな人たちだ」


 リゼは、椀を私の前に置いた。


「……三件とも、同じ会社の模型?」


「三件とも、別の社だ。一件目は人間本位社。二件目と三件目は、それぞれ別の」


「じゃあ、どこかの会社がすごい、って話じゃないのね」


「じゃない」


 私は、匙を取った。


 三件とも、模型の外側に、人がいた。

 一件目は、問いを持ち込んだアシルと、任せ方を決めたネヴィン。

 二件目は、三度差し戻したリュヴァン。

 三件目は、自分の工房の答えを信じずに、壊す役を二つ立てたクレイ。


 煮込みは、少し塩が強かった。

 言わなかった。


———

 それが、半刻前のことである。


 今、術務室の、政務術式支援班の卓の前で、ブレンが、きょとんとした顔で私を見ていた。


「疑う、って」


「まず、疑いましょう」


 私は、繰り返した。


「これは、術式の側の破れですか。それとも、試験札の側の間違いですか」


 ブレンは、手の中の紙を見た。

 それから、口を開いて、閉じた。


「……分かりません」


「分からないうちは、どちらとも言えません」


 班の人たちの顔から、さっきの熱が、少しずつ引いていった。

 引かせたのは、私である。

 最悪だ。だが、引かせないといけない熱というものはある。


「講堂で読んだ写しを、覚えていますか」


 私は、自分の卓から、栞を挟んだ束を持ってきた。


「二度目の探しの途中に、こういうところがあります」


 頁を開いた。


 生成変換器が、ある構成を組んでいる。

 組んで、差を出している。差は、〇・一五。零ではない。反例の候補として、十分に見える。


 その数行あとで、生成変換器は、自分でそれを崩していた。


   考えた運び方だけで見ると、差が残ります。

   ありうる運び方を、全部数えて見直すと、差は零に戻りました。

   意図した道だけ、見つけた道だけを確かめるのでは、足りません。


「甘い検めなら、〇・一五が残っていました。全部を数えたら、消えた」


 私は、束を閉じた。


「見つかった、と見えて、実は成り立っていない当たり。空当たり、と呼びます」


「空当たり」


「しかも、空当たりは、もっともらしい形で来ます。もっともらしくなければ、最初から疑いますから」


 年かさの術師が、ああ、と小さく言った。


「前に、雑談の模型が、もっともらしい嘘を言ったことがあったな」


「あれの続きです」


 私は言った。


「あのときは、作る側の嘘でした。今度は、確かめる側の甘さが作る嘘です。……安い検めで満足すると、空当たりを掴みます。もっともらしいものほど、掴みやすい」


 ブレンは、手の中の紙を、そっと卓に置いた。


———

「三段で、疑います」


 私は、表示盤の隅に書いた。


   一 手で、なぞる

   二 試験札のほうを、疑う

   三 作った人以外に、壊させる


「一つ目は、ブレンさん。その一件だけを取り出して、術式を通さずに、手で、紙の上でなぞってください。術式が出した額と、同じ額が出るか」


「はい」


 ブレンは、すぐに座った。

 筆を取って、紙を引き寄せた。


 破れの札は、一人ぶんの記録だった。

 月の最後の一日だけ、王都に住んだ人。リゼが、一昨日、言い当てた境目である。


 ブレンの筆が、動きはじめた。


   減免の前の税  百枚と、半枚ほどの端数

   端数を切って  百枚


「税の端数は、切ります。市民に有利な側です」


 ブレンは、独り言のように言った。


   冬越し減免  一日ぶん


「一日ぶんの減免は……銅貨一枚に、満たない。三割くらい。端数の半枚より、小さい」


 筆が、続く。


「新しい術式では、減免を引いてから、丸めます。引いたあとの税は、百枚と、二割ほどの端数。これを、丸めの節に通して……」


 筆が、止まった。


 ブレンは、自分の書いた術式の写しを、横に広げた。

 丸めの節を、指でなぞった。


「……この節」


 声が、低くなった。


「減免の額を丸めるための、節です」


 班の誰も、口を挟まなかった。


「減免の額は、上へ丸めるのが、市民に有利です。だから、この節は、上へ丸めます。……引いたあとの税まで、この節に通していました」


 ブレンは、紙に一行足した。


   上へ丸めて  百一枚


「百一枚」


 減免の前より、一枚多い。


「減免が一枚以上ある人なら、上へ丸めても、前の税は超えません。半月住んだ人も、ひと月住んだ人も、大丈夫です。試験札は、全部そういう人でした」


 ブレンは、筆を置いた。


「減免が、税の端数より小さい人だけ、です。一枚に満たない減免で、しかも税に、それより大きな端数がある人。月の終わりに一日だけ住んだ人とか、月の初めに一日だけいて出ていった人とか」


 手でなぞって、術式と同じ百一が出た。


 一つ目は、通った。


———

「二つ目」


 私は言った。


「試験札のほうを疑います。この札が見ている、減免の前の税、というのは、通知に載る額と同じ決まりで出していますか」


 年かさの術師が、ブレンの試験札の写しを取った。


「……端数を切って、出している。通知と同じだ」


「この破れの札の人は、ありうる人ですか。出鱈目な値の札が、たまたま約束を破っただけ、ということは」


 リゼが、自分の卓から、去年の冬の住まいの台帳の写しを持ってきた。


「去年の冬、どこかの月に一日だけ王都にいた人。月の最後の日に越してきた人と、月の最初の日に出ていった人。……四百三十人いる。今年も、たぶんそのくらい」


「ありうる人だな」


「ありうる人よ」


 二つ目も、通った。


「三つ目」


 私は、ブレンの紙を取った。


「これは、ブレンさんではなく、別の班に見てもらいます」


 ブレンの顔が、少しだけ、しょげた。


 しょげるのは、分かる。

 見つけたのは自分である。なぞったのも自分である。そのうえで、最後の一段を、他人に渡せと言われている。


「基盤魔術班に、この破れの札と、術式の写しだけを渡します。ほかは何も渡しません。頼むのは、一つだけ」


 私は、紙の端に書いた。


   これが破れでないことを、示してください


「通してよいか、を訊くのではありません。壊してこい、と頼みます。これが空当たりだと言える穴を、向こうに探させる」


「壊してこい、と」


 年かさの術師が、繰り返した。


「出てきたものを、作った者以外の手に渡して、壊すためだけに叩かせる。壊し検め、と呼びます」


「……僕が見ては、いけないんですか」


「ブレンさんは、もう、これを破れだと思っています」


 私は言った。


「思っている人が見ると、思っている方へ、目が滑ります。誰でもそうです。私もそうです」


 ブレンは、黙った。


「これは、あなたを疑っているんじゃないんです」


 私は言った。


「作った人に、自分の成果を検めさせない。そういう決まりにしておけば、誰も、誰かを疑わなくて済みます」


 ブレンは、しばらく紙を見ていた。


「……自分で見つけたのに、自分で信じちゃいけないんですね」


「信じていいんです。信じる前に、別の手を一つ、通すだけです」


 リゼが、紙を持って、基盤魔術班の卓へ歩いていった。

 見習いの役目である。


———

 昼を過ぎて、基盤魔術班から、返事が来た。


 紙一枚だった。


   壊せませんでした。

   月の端の一日だけの住まい、税の端数が減免より大きい。二つ揃うと、百一枚。

   こちらでも、手でなぞって同じ額でした。試験札の側の誤りは、見つかりません。


 破れは、本物だった。


 年かさの術師が、出納局の古い術式の写しを引っぱり出してきた。

 二百年動いている、あの術式である。


「古いほうでは、どうだった」


「去年の通知で、同じ人を探します」


 ブレンが、去年の記録を洗った。

 去年も、月の端の一日だけ王都にいた人はいた。その人たちの通知は、減免の前より、ちゃんと一枚少なかった。


「古いほうの丸めは、第十二節で、税と減免を別々に丸めていました」


「法だからな」


 年かさの術師が言った。


「第十二節は法である、だ。三代前の税務術師長が、そう書いて寄越したそうだ」


 新しい術式だけの破れである。

 古いほうから、新しいほうへ写すとき、二つの丸めが、一つの節にまとまってしまった。


 四百三十人のうち、税の端数が減免より大きくなる人。

 来月の通知で、これに当たるはずだった人は、王都で二百十一人。

 一人あたり、銅貨一枚。


「冬越し減免の通知で、税が増えてたら」


 リゼが言った。


「一枚でも、窓口が一日潰れるわよ。増えた、っていう手紙が、たぶん二百十一通、来るもの」


「来ます」


 年かさの術師が言った。


「前にも、一枚の話があった。王都じゅうから、一枚ずつ取るところだった、というやつだ。……一枚は、少なくない」


 ブレンは、何も言わなかった。


 それから、節を二つに分けた。

 税は、下へ丸める節。減免は、上へ丸める節。引いたあとの税は、決して減免の節を通さない。

 直したあとで、破れの札をもう一度流した。九十九枚が出た。

 税の百枚から、上へ丸めた減免の一枚を引いて、九十九枚。去年の通知と、同じ出し方である。


 その札を、試験札に昇格させた。

 月の最後の一日に越してきた人。半枚ほどの端数のある税。それより小さい減免。

 今日から、この人は、毎回の変更のたびに、必ず通る人になった。


 地味な直しである。

 だが、来月、二百十一人が、窓口に並ばずに済む。


———

「確かめる、というのは」


 夕方、班の人たちが片づけをはじめたころに、私は言った。


 誰に言ったのでもなかった。

 ブレンが、手を止めて、こちらを見た。リゼも、セシルも、隣の卓から顔を上げた。


「通ることを見ることではありません。壊れないことを見ることです」


 表示盤に、三つ書いた。


   確かめるとは、壊れないことを見ること

   同じ手で二度見ても、二度目は一度目をなぞるだけ

   新しさも、確かめるもの


「二つ目」


 私は、その行を指した。


「この秋、浮遊船の整備場で、二人検算の話をしました」


 リゼが、小さく頷いた。

 あのとき、リゼも戸口にいた。


「二人が、同じ古い表を見て、同じ間違いを二回なぞった。だから、別の道で確かめろ、と言いました。竿と、濃さ測りと、別々の道で」


「味見は、舌で」


 リゼが言った。


「そうだ」


 言ってから、私は続けた。


「今日は、その先の話です。別の道を通っていても、まだ足りないことがある。二人とも、通そう、と思って見ていたら、二人とも、同じ方向へ甘くなります。だから、片方には、壊す仕事を渡す」


「二人検算では、足りない」


「二人とも、通そうとして見ている二人検算では、足りません。片方には、壊す目的を渡してください。……今朝読んだつぶやきで、クレイがそれをやっていました。別の社の模型を二つ立てて、壊してこい、と」


「三つ目は」


 セシルが言った。


「新しさ、です」


 私は言った。


「クレイたちは、八分で見つけて、三百四十九の論文をあたるのに丸一日かけました。本当に、まだ誰も崩していないか。……さっき、古い術式で去年の通知を洗ったのと、同じことです。この破れが、新しい術式で生まれたものか、二百年前からあったものか」


「二百年前からあったなら」


「直し方が、まるで違います。去年までの通知を、全部洗い直すことになる」


 ブレンが、写しの束を見ていた。


「……約束検めと、壊し検めは、どう違うんですか」


 いい問いである。


「約束検めは、入力を乱して、術式を叩きます」


 私は言った。


「壊し検めは、出てきた答えのほうを叩きます。……順番が違うだけで、やっていることは同じです。壊れるかどうかを、見る」


———

 私は、自分の卓に戻って、栞の頁を開いた。


 写しの、最後の頁である。


 二件目の反例は、答えだけで出されたのではなかった。

 四枚の、示しの綴り。端数の出ない数だけで動く、全部の運び方を数え上げる術式。そのまま誰でも流せる形の、図と値。

 見つけた側が、壊し方を一緒に出していた。


 ブレンが、私の卓の脇に来た。

 直した術式を、班の綴りにまとめているところらしい。


「これ、見てもらえますか。直しの札です」


 私は、それを見た。


 直した節の写し。

 その下に、昇格させた試験札。

 その下に、今朝ブレンが紙の上でなぞった、手の計算の写し。百一が出て、直したあとで九十九が出た、二枚。

 その下に、基盤魔術班の、壊せませんでした、の紙。


「……全部、付けたんですね」


「写しの最後を、読んだので」


 ブレンは、少し照れた顔をした。


「直したものだけ渡されても、本当に直ったか、次の人が確かめられないので。確かめ方も、付けました」


「作った側が、壊し方も一緒に出す」


 私は言った。


「これは、いい作法です」


 リゼが、横から覗き込んでいた。


「お鍋を返すとき、洗い方も書いて返すのね」


 ブレンが、きょとんとした。

 それから、少し笑った。


「……そうです。たぶん、そういうことです」


———

 三件目のあと、世界じゅうの術士が、予想を投げはじめた。


 数日で、それは流行りになった。


 有名な予想を、片っ端から模型に投げる。投げて、何が返ってきたかを囁に流す。

 返ってくるのは、たいてい、見つかりませんでした、だった。それでも、皆、投げた。三件続いたのだから、四件目が自分であってもおかしくない。


 人類は、当たりが三つ続いた箱を見ると、自分の手を入れずにはいられない。


 講堂へ行くと、前の列に、学生が固まっていた。

 一つの携帯術盤を、何人もで覗き込んでいる。肩が、揺れていた。笑っている。


「ユウさん、これ」


 一人が、面をこちらへ向けた。


 新大陸の、ある術士のつぶやきだった。


   懸賞四題、同時に投げてみた。

   戦場に出て、いろいろ試しているところだ。


 添えられた写しには、四つの問いかけが、別々に、同じ刻に投げてあった。


 懸賞四題。

 王都と新大陸の数理院が、共同で懸賞を掛けている四つの大難問である。どれも、百年単位で、誰も解いていない。


「それで」


「続きがあるんです」


 学生が、面を繰った。


 同じ術士の、続きのつぶやき。

 四半刻も経っていない。


 添えられていたのは、その術士の携帯術盤の面の写しだった。

 報せが、四つ、縦に並んでいた。


   解けませんでした

   解けませんでした

   解けませんでした

   解けませんでした


 その下に、一言。


   ……最近、うちの模型、鈍ってないか?


 前の列が、また揺れた。


 私も、少し笑った。

 笑うしかない画だった。四つの大難問に、四つの、解けませんでした。きれいに揃っている。揃っているのが、いちばん可笑しい。


「返しも、すごいんです」


 学生が、さらに面を繰った。


   もっと脅せ。解かなければ別の社に乗り換える、と言え

   続けよ。探し方を変えよ。仕上げよ——これを唱えるんだ。効くらしい

   間違えるな、と言い添えたか?


「……呪文になってる」


 私は言った。


 前の列が、どっと笑った。


———

「解けませんでした、が四つ並んで」


 私は、教壇の脇に立って言った。

 ルドーは、まだ来ていない。


「それで、鈍った、は無いでしょう」


「でも、三つは、解けたじゃないですか」


 一人が言った。

 笑いながらだったが、半分は本気の顔だった。


「三つとも、同じ形をしていました」


 私は、表示盤に書いた。


   一つ持ってくれば、終わる


「反例が、一つあれば終わる。しかも、その一つは、誰でも、手の届く刻で検分できた。三つとも、そういう問いでした」


「懸賞四題は」


「違います。仮に、それらしいものが出てきても、それが本当に答えなのかを確かめるのに、また百年かかるかもしれない。一つ持ってくれば終わる形を、していないんです」


 私は、表示盤の行の下に、もう一行足した。


   確かめるのが安いのは、問いの形が安いから


「三件は、模型の勝ちでもありますが、それ以上に、問いの形の勝ちでした。確かめるのが安いのは、問いの形が安いからです。模型が偉いからじゃありません」


 後ろのほうの席から、リゼが言った。


「蓋が合うかどうかは、載せれば分かるでしょ」


 何人かが、振り向いた。


「でも、この料理おいしい? は、載せても分からないじゃない」


 講堂が、少し静かになった。

 それから、何人かが、なるほど、という顔をした。


 この人は、いつも、私が長く説明することを、鍋ひとつで終わらせる。

 今日は、鍋の蓋である。


「投げた人を、笑う話ではありません」


 私は言った。


「戦場に出て、いろいろ試している、と書いていました。正しい態度です。やってみたから、大難問には効かないと、皆に見えた。うまくいった話と同じくらい、うまくいかなかった話も流れた。……珍しいことです。たいていは、うまくいった話しか流れません」


「じゃあ、どうすればよかったんですか」


「同じ返しの中に、答えがありました」


 私は、さっきの学生の携帯術盤を借りて、返しの列を繰った。


 ある術士は、予想を投げていなかった。

 かわりに、こう投げていた。


   反例ひとつで片がつきそうな、まだ解けていない予想を、できるだけ多く挙げてこい。


「問いを解かせる前に、問いの形を探させています」


 私は言った。


「一つ持ってくれば終わる形の問いだけを、先に選り分ける。投げ先選び、と呼んでおきます」


 学生たちが、それを写した。


「投げる相手を選ぶ。……いちばん安い工夫は、たぶんこれです」


———

「呪文のほうは」


 別の学生が訊いた。


「続けよ、探し方を変えよ、仕上げよ。あれ、この前、ユウさんが本当に効いたって言ってたやつですよね」


「本当に効きました」


 私は言った。


「効いたのには、条件がありました。一回が安かった。問いの形が、確かめやすかった。それから、やめどきを人が握っていた。この三つを抜いて、言葉だけ唱えても、効きません」


 表示盤に、三つ並べた。


   一回が安い

   問いの形が、確かめやすい

   やめどきを、人が握っている


「効いた手順は、広まりやすい。効いた条件は、広まりにくい。条件のほうは、長いし、地味なので」


「……呪文にした人は」


「なぜそれが効いたのかを、聞いていないんです」


 戸が開いた。


 ルドーだった。

 表示盤の三行と、前の列の携帯術盤とを、一度ずつ見た。


 事情は、それで全部分かったらしい。


「呪文を覚えたな」


 ルドーは言った。


「理屈を、覚えろ」


 前の列が、静かに携帯術盤をしまった。


———

 冬越し減免は、決めた日に、配備された。


 配備したあとも、ブレンは、夜の空いた刻に、乱造札を流し続けた。

 決めてあったからである。


 配備から四日目の朝、ブレンが、術務室の戸を開けた。


 今度は、走ってこなかった。

 早足ではあった。


「出ました!」


 ブレンは言った。


 班の人たちが、顔を上げた。


「……あ、いえ」


 ブレンは、自分で、手の中の紙を見下ろした。


「まず、疑うんでしたね」


 班の誰かが、笑った。

 年かさの術師が、黙って、ブレンの前に紙と筆を置いた。


 ブレンは、座って、三段の頭から、自分でやった。


 破れの札は、同じ日に二件の届けが来た人の記録だった。一件は、月の最後の日の住まい。もう一件は、次の月の最初の日の住まい。


 手でなぞった。

 術式が出した額と、手の額は、合った。台帳の合計とも、合った。

 合わない、と言っているのは、試験札だけだった。


 試験札のほうを、疑った。

 減免の合計と、台帳の合計が合う、という約束の札である。札の中で、一人ぶんの減免を月ごとにまとめるとき、同じ日に来た二件を、届けの来た日の月へまとめていた。術式と台帳は、住んだ日の月へ分けている。二件が月をまたいだときだけ、札の中で、片方の月に二度数えられる。

 同じ日に二件来て、しかも月をまたぐ人。寄せた乱造札でも、めったに出ない組み合わせである。配備の前の二晩には、一度も出ていなかった。


 空当たりだった。


「……試験札が、甘かったです」


 昼前に、ブレンは、それを報告した。


「通知の額は、正しいです。僕の札が、同じ日に来た二件のまとめ方を間違えて、二度数えていました」


 班の誰も、責めなかった。

 責めるところが、どこにも無かった。


「三段目まで、行かなかったんですね」


 私は言った。


「二段目で、止まりました。……壊し検めに出す前に、自分の札が壊れていたので」


 ブレンは、少し笑った。


 その日の午後、ブレンは、班の配備前の手順の綴りに、二つ足した。


   配備の前に、守るべき約束を書き、約束検めを流す。打ち切りは、晩の数と銀貨で先に決める

   破れが出たら、手でなぞり、札を疑い、書いた者以外の班に壊させる


 誰に言われたのでもなかった。

 班長が、それに判を押した。


———

 私は、自分の卓で、引き出しを開けた。


 紙が一枚、入っている。

 家の机から、こちらへ移してあった。予算要求書と一緒に置いておくほうが、目に入るからである。


   《寓話》でなければできない仕事 候補


 一行目だけ書いて、二行目がずっと白かった紙である。

 《寓話》が、一度止まって、戻ってきた夜に書いた。


 その下に、予算要求書の写しが重ねてある。来月、王城へ出すものだ。

 何を頼むのか、は、もう書いてある。いくらかかるのか、も。


 足りなかったのは、何を、どういう条件で頼むのか、だった。


 私は、筆を取った。


   一、利用対象は、成果の検収手順が安価に定義できる業務に限る。

   二、探索の打ち切りは、費用と回数を先に定めて人が決める。

   三、受け入れ前に、作らせた者以外の手で検める。


 三行だった。


 一行では、足りなかった。

 一行で書けるなら、もっと早く書けていた。


 数理の反例探しは、術盤の守りの穴を探す力とは、何の関わりもない。

 だから、ネヴィンの《寓話》は、決勝の夜に、堂々と全力を出せた。

 《寓話》に向いている仕事は、たぶん、そういう仕事である。作るのは大変で、確かめるのは安い。危ない力に触れずに、全力を出せる。


 書き終えたところで、背中のほうで、紙の角をそろえる音がした。


「見せて」


 マリエだった。


 私は、要求書を渡した。

 マリエは、三行を、一度だけ読んだ。


「言いたいことは分かるわ。条文の言葉に、直してあげる」


「お願いします」


「ただ」


 マリエは、三行目に指を置いた。


「ここが、一番揉めるわよ」


「三行目が」


「作らせた者以外、って書くと、誰が作らせたか、記録しなきゃいけなくなるもの。誰が頼んで、誰が受けて、誰が検めたか。全部、残す。残さなかったら、以外、が守られたか分からない」


「……そうですね」


「制度は、記録を欲しがるの」


 マリエは、要求書を自分の卓へ持っていった。

 持っていきながら、もう筆を取っていた。


———

 フィンが、自分の携帯術盤を持って、私の卓に来た。


「クレイが、また囁につぶやいてます」


「今度は」


「これから丸一日、千の模型に予想を投げ続ける、と」


 フィンは、面をこちらへ向けた。

 工房の談じ場の写しが付いている。千の問いかけが、細かい升目になって、びっしり並んでいた。


「千」


「千です。……やりすぎ、ですかね」


「撃つのは、正しいです」


 私は言った。


 否定する理由は、無い。

 三件目は、八分で出た。撃てば、出るものは出る。


「ただ、千撃つなら、二つ要ります」


「二つ」


「一つは、投げ先選び。選ばずに撃てば、返ってくるのは、解けませんでした、が千枚です」


 フィンが、笑った。

 講堂の話は、もう術務室まで届いているらしい。


「もう一つは」


「千ぶんの検めです」


 私は言った。


「選んで撃っても、千の中から一つ当たりが出たとき、それが空当たりでないと言えるのは、検めだけです。クレイは、一件に、壊す役を二つと、丸一日を使いました。千件当たったら、どうしますか」


 フィンは、少し考えた。


「……壊す役が、二千」


「丸一日が、千」


「無理ですね」


「千も撃つなら、検めも千要ります。そして、先に高くなるのは、撃つ側ではなく、検める側です」


 私は、表示盤の隅に、二行書いた。


   作るのは、安くなった

   確かめるのは、安くなっていない


「これから高くつくのは、作る側ではなく、確かめる側です」


 フィンは、自分の面を見下ろした。

 千の問いかけが、まだ、びっしり並んでいた。


———

 夕方、窓際にルドーがいた。


 何の用で来たのかは、言わない。

 呼んでいない。来ている。


 私は、マリエが条文に直した三行の写しを、ルドーに見せた。

 ルドーは、それを一度だけ読んだ。


「信じるな」


 ルドーは言った。


「検めろ」


「はい」


「それと」


 ルドーは、三行目を、指で叩いた。


「作った者に、検めさせるな」


「三行目に、書きました」


「書いたなら、守れ」


 ルドーは、写しを返した。


 私は、写しを受け取った。


 この三行を書いたのは、私である。

 条文に直したのは、マリエである。直すあいだに、あの人は、三行を三度は読んだはずだ。言葉の端を一つずつ叩いて、いちばん揉めるところを、先に言い当てた。

 この三行は、もう一度、作った者以外の手を通っている。


「マリエさんが、もう叩きました」


「なら、いい」


 ルドーは、窓の外を見た。


 守るには、誰が作らせたかを、残さなければならない。マリエの言ったとおりである。

 三行書いて、帳面が一冊増えることになった。

 最悪だ。


———

 夜。


 居間の灯の下で、リゼが、繕い物をしていた。

 私の外套の、ほつれた袖である。


「今日、ブレン、また出たって言ってたね」


「出た。空当たりだった」


「自分で、疑ったんでしょ」


「自分で疑った。自分の札を、自分で壊した」


 リゼは、針を止めた。


「自分で見つけたものを、自分で疑うの?」


 リゼは言った。


「……大変な仕事ね」


「大変だ」


 私は言った。


「でも、疑われて、残ったものは、もう疑わなくていい」


「残ったもの」


「壊してこい、と渡して、壊せなかったもの。三段やって、三段とも通ったもの。……そのために、疑う」


 リゼは、また針を動かしはじめた。


「そういう問題ばかりじゃないでしょ」


「そういう問題ばかりじゃない」


 私は、湯呑みを両手で持った。


「この料理おいしい、は、載せても分からない。そういう問題のほうが、たぶん、多い」


「でしょ」


「でも、蓋が合うかどうかの問題からは、模型が片づけていく」


 リゼは、糸を歯で切った。


「じゃあ、人には、おいしいかどうかが残るのね」


「残る」


「それは、そう」


 リゼは、繕い終えた外套を、私の膝に置いた。

 袖口が、新しい糸で、きれいに閉じていた。


 答えを作る力と、確かめる力は、別の力だ。

 そして、確かめる力は、設計できる。


———

 作るのは、安くなった。


 確かめるのは、まだ、安くならない。


 壊れなかったものだけが、確かめられたものだ。


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