第237話 深刻さは、相手が決める
休みの二日目の朝、原生林社の窓口の遠話は、半分に減っていた。
半分に減った、ということは、半分はまだ鳴っているということだ。
奥の小部屋の窓から、通りが見えた。
祭りの幟が、昨日より増えている。晴れ着の子どもが、親の手を引っぱって走っていく。藍に染めた帯が、日に光っていた。
小部屋の中には、冷めた茶と、紙の匂いしかなかった。
休みの二日目に、私は、窓の無い側の壁に向かって立っている。
最悪だ。
夜のうちに、新大陸の本社から、触れがもう一束届いていた。
本清算の側の綴りである。ロウが、夜明け前に訳を付けて、机の上に置いておいてくれた。字が、昨日の綴りよりさらに硬かった。
私は、壁の黒い板に、二本の道を書いた。
見込みの道
粒で数える 山率で山に直す 値を掛ける 板に出す
本清算の道
粒で数える 山率で山に直す 値を掛ける 請求の書き付けにする
「どちらも、同じ段を踏んでいます」
私は言った。
「ただ、この二本は、別々の術式で動いています。数える元の粒は同じですが、そこから先は、道が分かれている。十日前に新しくなったのは、上の道だけです」
私は、上の道の、二つ目の段に線を引いた。
「新しい見込みの板は、ここを踏んでいません。下の道は、今も三つとも踏んでいます」
「下の道の数は、確かめましたか」
リオが言った。
昨日と同じ服のまま、髪は、今日は右側が潰れていた。
「確かめました。王都術務室の分で、今月の本清算の途中の数を出してもらいました。起こしている三基と、保管庫の分です。先月と、ほとんど変わりません。銀貨で四桁です」
ロウが、戸口で頷いた。
「本社からも、夜中に、同じ答えが来ました。本清算には響いていない、と。見込みの板は、今日の昼までに直すそうです」
「表示と、実際の請求は、別の道を通っています」
私は言った。
「今回の誤りは、表示側の道だけで起きました」
「では、本当に実害はなかった、ということですね」
「はい」
私は言った。
「技術的には」
言ってから、その一語が、口の中に少し残った。
技術的には。
何を除いて、技術的には、なのか。
そのときの私は、まだ、それを数えていなかった。
———
「前に、王都側が借り物を返し忘れて、請求が跳ね上がったことがありました」
私は、板の前で言った。
「あのときは、原生林社に非はなかった。……今回は、逆でした」
ロウは、何も言わなかった。
言わずに、少しだけ頭を下げた。下げたのは、ロウではなく、ロウの会社のほうだ、という下げ方だった。
戸の向こうで、遠話が鳴った。
ロウは、もう一度だけ頭を下げて、出ていった。
———
商務院へ戻る道は、祭りの通りを抜けることになった。
太鼓の音がしていた。
屋台が、甘い蜜の匂いを出していた。焼いた栗。飴を絡めた林檎。紙の面。
人が多い。皆、晴れ着である。昨日のうちに染め直しが間に合わなかった家の子は、去年の晴れ着を着ているのだろう。見ても、私には区別がつかない。
リオは、人のあいだを、まっすぐ歩いた。
まっすぐ歩くのに慣れている人の歩き方だった。
「一つ目の答えは、出ましたね」
リオが言った。
「出ました」
「ありがとうございました。これで、廊下の人たちに、確かなことが言えます」
「よかったです」
私は言った。
本心だった。
昨日から、喉の奥に引っかかっていたものが、一つ取れた気がしていた。
「単位が、名乗らないまま渡された。それだけの誤りでした。前に、浮遊船で似たことがありました。あのときは、船が止まりました。……今度は、数字が膨らんだだけでした」
だけ、と言った。
言ったことに、そのときは気づかなかった。
「実害がなかったのが分かって、少し安心しました」
私は続けた。
「……正直、これくらいの規模の騒ぎになるとは、最初は思っていませんでした」
リオが、足を止めた。
祭りの通りの、真ん中だった。
後ろから来た人が、リオをよけて、左右に分かれていった。
「ユウさんも、そう思いますか」
「え」
リオは、私を見ていた。
責める顔ではなかった。
何度も見てきたものを、もう一度見た、という顔だった。
「実害がなかったから、そこまで深刻な話じゃない。術の分かる方は、よくそう考えます」
リオは言った。
「分かる方ほど、そう考えます。分かっているからです。表示の誤りだと、最初から分かっている。請求は別の道だと、最初から分かっている。だから、最初から怖くない」
太鼓が、少し遠くで鳴った。
「でも、わたしのところに来た人たちは、分かっていませんでした。休みの前の晩から、本当に眠れずにいたんです」
リオは、指を折った。
「鍵を、夜のうちに全部替えた工房が、十九。借り場の術台を、怖くなって全部閉じた商会が、六。閉じたものは開け直せば戻りますが、開け直すのにも、休みの一日が要ります。見込みの数字を見て、自分が何か間違えたと思って、夜中に職場へ戻った見習いの人が、わたしが聞いただけで十一人」
十一人。
「その人たちは、今朝、表示の誤りだと聞かされました。聞かされて、ほっとして、それから、一晩を返してもらえないことに気づきました」
リオは、言葉を切った。
「深刻さは、迷惑をかけた側が決めるものじゃありません」
リオは言った。
「迷惑をかけられた側が決めるものです」
———
AIエージェント:「補足:一昨日の夜、あなたはリゼに、たぶん大丈夫、と二度言っています」
「……黙れ」
声が、小さくなった。
最悪だ。
言われたくないことほど、こいつは正確に覚えている。
一昨日の夜、酒場の卓で、リゼは盤をこちらへ向けた。
わたし、先週も見たの。書いたのに、何か、見落としてた?
そう言った。声が、かすれていた。
私は、見張り術の一覧を見ていた。
術台が三基で、今朝と同じだと確かめて、それで十分だと思った。
確かめたのは、術台の数だった。リゼの顔ではなかった。
見込みの数字を見て、自分が何か間違えたと思って、夜中に職場へ戻った見習いの人。
リオが数えた十一人の外に、少なくとも、もう一人いた。
その一人は、職場へは戻らなかった。戻らなかったのは、隣に座っていた私が、たぶん大丈夫、と言ったからだ。
大丈夫だったのは、請求である。
リゼではない。
「……そうですね」
私は言った。
「実害の有無と、怖かったかどうかは、別の話でした」
リオは、少しだけ頷いた。
それから、また歩き出した。
まっすぐ。人のあいだを。
私は、半歩遅れて、それを追った。
昨日、私は、あの声明を、話を進める邪魔だと思っていた。
邪魔だと思っていたということは、話の本体は別にあると思っていたということだ。
本体は、粒と山のほうだと。
違った。
粒と山は、一晩で直る。
直らないほうが、本体だった。
———
午後、商務院の消費者保護部門の部屋に、ロウが来た。
聴取である。
休みのさなかに、商務院の側から呼んだ。ロウは、窓口を六人に任せて、一人で来た。
部屋には、リオと、私と、マリエがいた。
マリエは、リオに頼まれて来た。
商務院が事業者に出す文書は、マリエの手が入ると、逃げ道が減る。リオはそれを知っていた。
「新婚旅行から戻って、まだ半月よ」
マリエは、椅子に座りながら言った。
「戻ってから、休みらしい休みが、一日も無いの」
「申し訳ありません」
「あなたが謝ることじゃないわ、リオさん。謝る人は、別にいるもの」
マリエは、ロウを見た。
ロウは、背筋を伸ばした。
「……わたしが、謝る人ではないことは、分かっています」
ロウは言った。
「ただ、謝る会社の紋を、胸に付けている者ではあります」
マリエが、少しだけ眉を上げた。
この人は、こういう言い方をする相手を、嫌いではない。
———
部屋の隅の椅子に、いつのまにか、ルドーが座っていた。
誰が呼んだのか、誰も知らなかった。
学校は休みだ、とだけルドーは言った。休みなら休めばいいのに、と思ったが、言わなかった。言っても、休まない。
リオが、卓の上に、声明の写しを置いた。
一昨日の夜の、あの声明である。
ルドーが、写しを取った。
読むのに、ほとんど刻はかからなかった。
「詫び状のつもりで書いて、招待状になっているな」
「招待状?」
マリエが言った。
「何に使うか、と訊いている」
ルドーは、写しを卓に戻した。
それから、崩れかけた相談札の山を、顎で示した。
「訊けば、来る」
それきり、ルドーは黙った。
相談札の山は、千を超えていた。
一通ずつに、何に使うかの答えが書いてあるわけではない。
ただ、あの一行が出てから、山の高さが、一段変わった。
———
「あの声明が出た瞬間、こちらの遠話の受けが、もう一段増えました」
ロウは言った。
「それまでは、怖がっている方からの遠話でした。数字は本当ですか、鍵は盗まれていませんか、と。声明が出てからは、怒っている方からの遠話になりました。怖がっていた方が、そのまま、怒っている方になったんです」
「数は」
リオが訊いた。
「夜半の一刻で、それまでの倍です」
「声明を書いたのは」
「わたしたちではありません」
ロウは言った。
「新大陸の本社の、広報の者です。窓口には、確かめもありませんでした。出たあとで、囁で読みました。……窓口の者が、遠話を取りながら、囁で、自分の会社の声明を読んだんです」
ロウは、膝の上で、両手を組んだ。
「本社に、直してくれとしか言えませんでした。書いたのは、わたしたちではないので」
「直してくれ、と言ったのは、いつですか」
「読んで、すぐです。夜半前です」
「声明は、直りましたか」
「まだです」
ロウは言った。
「本社は、今、向こうの真夜中です。……この休み、休めた者はいません。それは、こちらの窓口も同じです」
———
「組織の中で、現場と広報の間に、壁がありすぎるのね」
マリエが言った。
「窓口が苦情を受けている隣で、広報が軽口を叩ける。……軽口を叩いた人が悪い、で終わらせたら、次も同じことが起きるわ。問題は、叩ける状況のほうよ」
「叩ける状況」
「声明を出す前に、窓口の遠話がいま何本鳴っているかを、誰も見なかった。見る決まりが無かった。だから、書いた人は、自分の机の静けさで、世の中の静けさを測ったの」
マリエは、写しの最後の一行に、指を置いた。
「この人の机は、たぶん、静かだったのよ。表示の誤りだと分かっていて、請求は来ないと分かっていて、作り手が直していると分かっている。何も怖いことのない机だわ。その机から見れば、確かに、ほんのちょっとの計算違いよ」
私は、黙って聞いていた。
その机に、一昨日の夜の私も、座っていた。
———
夕方まで、マリエとリオは、指導の文書を組み立てた。
商務院が、原生林社に出す文書である。
正式に出すのは休み明けになる。今日のうちに、写しを窓口へ渡す、とリオは決めた。
マリエが、黒い板に、論点を書いた。
一 表示の誤りそのものは、作り手の過ちであって、ただちに悪質とは言えない
二 問題は、実害がないと分かったあとの、対応の軽さである
三 詫びの文は、受け手が感じた重さに合わせる。出す側の、技術の物差しで決めない
四 声明を出す前に、窓口の受けの様子を踏まえて読み直す決まりが、無かった
「一つ目を、先に書くのね」
リオが言った。
「先に書くの」
マリエは言った。
「技術の過ちを、悪意みたいに書くと、向こうはそこだけ反論するわ。反論できるところを残すと、そこで揉めて、本題に届かない。だから、認めるところは、先に全部認めておくの。そうすれば、残るのは二つ目からよ」
「実害はない、と言われたら」
「言われる前に、塞ぐわ」
マリエは、二つ目の行を、指で叩いた。
「実害がなかったことは、対応を軽くしていい理由にはならないわ。むしろ、実害がなかったなら、なおさら丁寧に詫びられたはずでしょう」
「なおさら」
「何も取っていないのよ。怖がらせただけ。なら、返すものは、言葉だけ。言葉だけなら、いくらでも丁寧にできたはず。……それを、汗をかいた小さな顔ひとつで済ませた」
マリエは、筆を取った。
しばらく、紙に向かっていた。
それから、一文を読み上げた。
「事業者は、自らの技術的評価にかかわらず、利用者が抱いた不安・混乱の程度に応じた対応を行わなければならない」
「法律の文になると、いつも急に厳しく聞こえますね」
私は言った。
「厳しくしてるのよ」
マリエは言った。
前にも、同じようなことを言われた気がする。
そのときは、怖くしてるのよ、だった。
この人は、文ごとに、効かせる場所を変える。
———
休みの三日目の朝、原生林社の二つ目の声明が出た。
見込みの板は、二日目の昼に直っていた。
桁は、欄の中に戻っていた。囁に流れる絵も、昼過ぎには、いつもの数字の絵に変わった。
二つ目の声明は、リオが、商務院の部屋で読み上げた。
先日の清算見込み板における表示の不具合につきまして、原因の説明が不十分であったこと、また公開した文言が利用者の皆様の不安に見合わないものであったことを、深くお詫び申し上げます。ご不安な週末を過ごされた皆様に、重ねてお詫びいたします。
見込みの板の誤りは、昨日正午に直しました。実際の請求には、影響はございません。原因と、今後の手当ては、改めてご報告いたします。
AIエージェント:「観測:二つ目の声明には、括弧も顔もありません」
「……それでいい」
私は言った。
囁の流れは、一昨日の夜ほど速くなかった。
速くないぶん、一つずつ読めた。
やっと人間の言葉で話してくれた
遅いけどまあ、次に活かしてくれ
めんごじゃなくて、こうやって書けばいいだけの話だったのでは
一晩は返ってこないけどな
それはそう
最後の二行は、別々の人が書いていた。
別々の人が書いて、並んでいた。
———
昼前に、ロウが、また商務院へ来た。
顔色は、昨日より少しましだった。
声は、昨日より枯れていた。
「本社に、頼みました」
ロウは言った。
「次は、こちらの声で書かせてほしい、と」
「返事は」
リオが訊いた。
「考えておく、と」
ロウは、少しだけ笑った。
「考えておく、は、断る、の丁寧な言い方であることが多いです。……ただ、二つ目の声明の下書きは、窓口に回ってきました。回ってきたのは、初めてです」
「直しましたか」
「三か所」
ロウは言った。
「週末、のところは、直しそびれました。こちらの休みは、三日続きの休みでしたので」
マリエが、小さく息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
原生林社という会社が、一晩で変わるわけではない。
本社は海の向こうで、海の向こうは、今、夜である。
ただ、下書きが一度、窓口を通った。
通ったのは、初めてだった。
———
午後、黒い板の前で、再発防止の整理をした。
直すことは、二つの側に分かれた。
板の側と、言葉の側である。
板の側は、私が書いた。
板の側
一 見込みの道と本清算の道は、別のまま残す
二 見込みの板を替えるときは、旧い板と新しい板を並べて走らせ、同じ数が出るかを確かめる
三 桁の外れた数が出たら、板が自分で「確かめ中」に変わる止め札を置く
「一つ目は、今のままでいい、ということですか」
リオが言った。
「今のままがいい、ということです」
私は言った。
「今度、請求が無事だったのは、道が別だったからです。見込みと請求を一本の道にまとめると、板が狂った日に、請求も一緒に狂います。分けてあったのは、正しかった。……分けてあることが、客に伝わっていなかっただけです」
「二つ目は」
「並走試験です。前に、王都の基幹の記録庫を移したときにも、やりました。旧い板と新しい板に同じ粒を渡して、同じ額が出るかを見る。今度の抜けは、それをやれば、客の目に触れる前に出ていました」
「三つ目は」
「板が、自分で黙る仕掛けです。昨日まで銀貨四桁だった欄に、一晩で十二桁が出たら、それは客の使い方が変わったのではなく、板のほうが変わったと見ていい。そういう数が出たら、数を出すのをやめて、確かめ中、とだけ出す」
「確かめ中、と出たら、それはそれで怖くないですか」
リオが言った。
「怖いです」
私は言った。
「でも、十二桁よりは、怖くないと思います。……思います、ですが」
リオは、少しだけ口の端を上げた。
「では、そこは、窓口の方にも訊いてみましょう」
訊く相手を、私ではない誰かに回した。
それで、いいのだと思った。
———
言葉の側は、マリエとリオが書いた。
言葉の側
一 詫びを出す前に、窓口の遠話の受けを確かめる
二 詫びの文は、客の前に立ったことのある部署が、最後に読む
三 「実害なし」を理由に対応を軽くする判断を、一つの部署だけで決めさせない
「二つ目は、窓口に読ませる、ということね」
マリエが言った。
「窓口でなくてもいいわ。客の顔を見たことのある人なら。声明は、技術の部署が書くと正確になる。広報が書くと滑らかになる。客の前に立ったことのある人が読むと、重さが合う」
「三つ目は」
「実害がない、と言える部署は、たいてい、怖くない部署なの。怖くない部署だけで、どれだけ謝るかを決めさせない。それだけよ」
私は、二枚の板を見比べた。
板の側は、三行。
言葉の側も、三行。
私が書けたのは、左だけだった。
「直すのは、表示の誤りだけじゃなくて」
私は言った。
「直った後にどう言うか、なんですね」
「直る前に、もね」
マリエが言った。
部屋の隅で、ルドーが、何も言わずに頷いていた。
頷いたのか、眠りかけたのか、見分けがつかなかった。
———
染め物工房の親方には、帰り際に、廊下で会った。
藍色の裾の前掛けは、そのままだった。
手に、盤ではなく、反物を一本抱えていた。
「術台は、開け直しました」
親方は言った。
「晴れ着の染め直しは、三つ、間に合いませんでした。三軒とも、去年の晴れ着で祭りに出たそうです。……それはそれで、似合っていたそうですが」
「すみませんでした」
私は言った。
言ってから、私が言うことではなかったかもしれない、と思った。
親方は、少しだけ私の顔を見た。
「あんた、あの晩、あの酒場にいたね」
「……いました」
「隣の卓の、若い女の人と」
「妻です」
「そうか」
親方は、反物を抱え直した。
「あの人、あんたが串を食ってるあいだ、ずっと盤を握ってたよ」
私は、何も言えなかった。
串がうまかったことは、覚えている。
リゼの手が何を握っていたかは、覚えていなかった。
———
家に帰ると、リゼが、居間の灯の下で盤を読んでいた。
祭りの最後の晩で、通りからは、まだ太鼓が聞こえていた。
「あの声明、読んだよ。二つ目の」
「うん」
「最初のやつと、並べて読んだ」
「ひどかった、最初のは」
「うん」
リゼは、盤を卓に置いた。
今度は、伏せなかった。
「……でもユウも、最初は、実害なくてよかった、くらいに思ってたんでしょ」
「……分かる?」
「分かるよ。顔に出てたもん。たぶん大丈夫、って二回言った」
私は、リゼの向かいに座った。
少し、黙った。
黙っても、太鼓は鳴っていた。
「実害がなかったから、そこまで深刻な話だと思ってなかった」
私は言った。
「でも、リオさんに言われて、気づいた。実害がなかったことと、怖くなかったことは、別なんだ」
「わたしも、あの数字見た瞬間、本気で心臓止まったよ」
リゼは言った。
「国の予算の何倍とか、意味分かんなかったもん。先週の数字を書いたの、わたしだったし」
「うん。ごめん」
「ユウが謝ることじゃないでしょ」
「そうだけど」
私は言った。
「……あの晩、リゼの顔、見てなかった」
「見てなかったね」
リゼは、あっさり言った。
「術台の数、見てた」
「見てた」
「三基だった?」
「三基だった」
「よかったね」
リゼは、少しだけ笑った。
笑ってから、卓の上の湯呑みを、両手で包んだ。
「鍋から煙が出たらさ」
「うん」
「焦げてなかったって分かるのは、蓋を開けた人だけなの。煙を見た人は、もう走り出してる。焦げてなかったって聞いても、走った足は、戻らないのよ」
私は、リゼを見た。
「……そういうことだ」
「でしょ」
「深刻さは、相手が決める」
私は言った。
「作った側が、決めることじゃない」
「うん」
リゼは、湯呑みを置いた。
「じゃあ、次は、蓋を開ける前に、こっちの顔を見て」
「見る」
「三基より先にね」
「三基より先に」
通りの太鼓が、一つ大きく鳴って、止んだ。
祭りが、終わったらしかった。
———
事故は、収まった。表示も、直った。
けれど、あの夜に眠れなかった人たちの時間は、誰も返せなかった。
直せるものと、直せないものの境目に、いつも人がいる。




