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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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236/247

第236話 めんごで済むと思ったか

 秋祭りの前の晩の王都は、どこも、少しだけ声が大きい。


 市場通りの角の酒場は、戸が開け放してあった。

 焼いた脂の匂いと、麦酒の匂いと、人の笑い声が、まとめて通りへ溢れている。

 明日から、三日続きの休みである。


 休みの前の晩というのは、人類がいちばん機嫌のいい刻だ。

 明日の朝のことを、誰も考えなくていい。


「空いてるかな」


「空いてないと思う」


「じゃあ、なんで来たの」


「リゼが、ここの串がいいって言ったから」


「言った」


 リゼは、戸口から中を覗いて、指を一本立てた。

 奥の壁際に、一つだけ、空いた卓があった。


———

 串は、たしかによかった。


 炙った鶏の皮が、歯の当たったところから崩れる。塩だけで、あとは何もいらない。

 リゼは二本目を取りながら、片手で携帯術盤を出した。


「仕事?」


「仕事じゃない。決まりごと」


 リゼは、盤を卓の端に立てかけた。


「休みの前の晩に、借り場の見込みを見ておくの。班の決まり。見るのは、見習いの役目」


 ずいぶん前、王都の部署が原生林社の借り場に術台を起こしたまま返し忘れて、会計局が青ざめたことがある。

 孤児の術台が七基。誰のものか分からない保管庫が十一個。

 原生林社の請求は正当だった。返し方を決めていなかったのは、王都のほうだった。


 あれ以来、休みの前には、誰かが見込みを見ることになった。

 休みのあいだに起こしっぱなしの術台があれば、休み明けに、また誰かの顔が薄くなるからだ。

 その誰かが、今はリゼである。


「見るだけ?」


「見るだけ。いつもの数字なら、いつもの数字、って班の帳面に一行書いて終わり」


 リゼが盤に指を伸ばしたとき、帳場のほうで、杯の倒れる音がした。


———

 帳場の端に、五十がらみの男が座っていた。


 前掛けをしたままである。前掛けの裾が、藍色に染まっていた。染め物の工房の人だろう。仕事を終えて、そのまま来たのだ。


 倒れた杯から、麦酒が帳場の板を伝って、床へ落ちていた。

 男は、それを見ていなかった。

 手の中の携帯術盤を、見ていた。


「……嘘だろう」


 店の主人が布巾を持ってきても、男は盤から目を離さなかった。


「親方、どうしました」


「……鍵が、盗まれたのか?」


 男は、誰に言うでもなく言った。


「どこかで、うちの鍵を使われて、勝手に術台を起こされて……それで、こんな額に……」


 盤を持つ手が、震えていた。


 震える指で、男は盤を叩いた。遠話を呼び出している。何度か押し間違えて、やり直していた。


「術務室……王都術務室の、夜番は……」


 私は、腰を浮かせかけた。

 王都術務室の名が出たからである。


 浮かせかけて、止まった。

 何が起きているのか、私はまだ何も知らない。知らない者が駆け寄っても、震えている人の横に、慌てている人を一人増やすだけだ。


———

「見て見て、これ」


 隣の卓で、若い男が笑い出した。


 商会の揃いの上着を着た、三人連れである。笑った男は、いちばん若い。二十をいくつも出ていないだろう。


「うちの店、今月だけで、諸侯連合を三つ買える額、請求されてる」


「は?」


「ほら」


 若い男は、盤を卓の真ん中に置いた。

 連れの二人が覗き込んで、一拍置いて、吹き出した。


「なんだこれ」


「桁、いくつあるんだ」


「数えられない。指が足りない」


「貼っとこ」


 若い男は、盤を取り上げて、何か打ち込んだ。

 囁に流したのだろう。盤の面の絵をそのまま写して、一言つけて。


「これもう笑うしかない、っと」


 連れの二人が、また笑った。


 帳場の端では、染め物工房の親方が、まだ遠話の呼び出しをやり直していた。


 同じ店の、同じ刻の、同じ数字である。

 片方は笑っていて、片方は震えていた。


———

 店の隅の卓に、若い女が一人、連れと座っていた。


 右の袖口にだけ、墨の跡がある。

 術式の工房で働く人の袖だ。術師の袖は、だいたい利き手の側だけ汚れる。


 女も、盤を見ていた。

 顔から、すっと血の気が引くのが見えた。


 それから、女は、盤を目に近づけた。

 しばらく、じっと見ていた。


「……いや、待って」


 女は言った。


「これ、山率が掛かってないんじゃない? 粒の数字が、そのまま出てる」


「何それ」


「あとで説明する。……なんだ。なら、いいや」


 女は、盤を伏せて、連れの杯に自分の杯を当てた。

 それきり、盤を見なかった。


「山率」


 私は、口の中で繰り返した。

 聞いたことのない言葉だった。


AIエージェント:「補足:原生林社の借り場では、記憶晶の欠片一つを一刻借りるぶんを、一粒と数えます。契約者に見せるときは、粒を一億まとめて一山とします。粒を山に直す率を、山率と呼んでいます」


「粒と、山」


 粒は、細かすぎて人の目には向かない。だから、山にしてから見せる。

 米屋が、米を一粒ずつではなく、升で売るのと同じだ。


 清算見込み板、というものがある。

 原生林社の借り場を使う者が、今月の請求がいくらになりそうかを見るための板である。使った量から、月末の額を見積もって出す。

 見積もりであって、請求ではない。


———

「ユウ」


 リゼの声が、いつもより低かった。


 リゼは、自分の盤を見ていた。

 串を持った手が、宙で止まっていた。


「これ」


 リゼが、盤をこちらへ向けた。


 王都術務室の、借り場の見込みだった。

 いつもなら、銀貨で四桁の数が出ている欄である。


 そこに、数字が並んでいた。

 欄からはみ出していた。はみ出したぶんが、次の行に折り返していた。


「これ、うちの国の予算の何倍?」


AIエージェント:「補足:王国の今年の予算を、桁で三つ上回っています」


「黙れ」


 最悪だ。

 リゼは、答えを聞いたのではない。言ったのだ。言わずにいられなかったのだ。


「……また、返し忘れ?」


 リゼが言った。

 声が、少しかすれていた。


「わたし、先週も見たの。先週は、いつもの数字だった。いつもの数字、って書いたの。……書いたのに、何か、見落としてた?」


 まさか、また返し忘れか。

 私も、一瞬、そう思った。


 思って、すぐに自分の盤を出した。

 返し忘れなら、見張り術を見れば分かる。王都の部署が今起こしている術台を、一覧で出す術である。あの一件のあとで、術務室が毎朝出すことにした一覧だ。


 一時術台、三基。

 三つとも、名前と担当と、返す日が書いてある。今朝の一覧と同じだった。

 借り保管庫も、数は変わっていない。


「返し忘れじゃない」


 私は言った。


「起こしてる術台は、今朝と同じ三基だ。三基で、この額にはならない。……たぶん、表示がおかしいだけだ」


「たぶん」


「見込みの板は、見積もりを出すだけで、請求は別の帳面で計算してる。本清算っていう。板が何を出しても、請求はそっちで決まる」


「……そうなの」


「そうだ。だから、たぶん大丈夫」


 リゼは、盤を見たまま、小さく頷いた。


 頷いたので、私は、それでいいと思った。

 串の残りに手を伸ばした。冷めかけていたが、まだうまかった。


 そのとき、リゼの顔を、私はちゃんと見ていなかった。


———

 家に帰ると、囁が、見たことのない速さで流れていた。


 王都中の盤の、見込みの板の絵である。

 桁の溢れた数字の絵が、何十枚も、何百枚も、上から下へ流れていく。


   うちの清算見込み、王国予算の四千倍です 笑えない

   原生林社さん、これ間違いですよね? 教えてください

   勝手に使われてないよね…… 不安で寝れない

   これもう笑うしかない 貼っとく

   うちもだ

   うちも

   桁が欄に入ってない

   術務室の夜番に遠話がつながらない

   原生林社の窓口、ずっと話し中


 商会や工房だけではなかった。


 王都の役所の誰かが、自分の部署の板の絵を上げていた。上げてから、慌てて消したらしい。

 消えた絵の、引き写しだけが流れていた。


 遠話が鳴った。


 会計局の、顔色の薄い担当だった。あの一件のときに、廊下に立っていた人である。

 あのときより、顔色は少しだけ濃くなっていたはずだ。声を聞くかぎり、今夜はまた薄い。


「ユウさん、原生林社から……また……」


「返し忘れではありません」


 私は言った。


「起こしている術台は、今朝と同じです。表示の誤りだと思います。本清算は別に計算されているはずなので、休み明けに、原生林社に確かめましょう」


「休み明け」


「ええ。今夜、何かしていただくことは無いと思います」


 担当は、何か言いかけて、ありがとうございます、と言って切った。


 卓の向こうで、リゼがこちらを見ていた。


「休み明け、なんだ」


「休み明けで間に合う。請求は月末だから」


「……そっか」


 リゼは、それ以上、何も言わなかった。


———

 原生林社の声明が出たのは、日付が変わる少し前だった。


 リゼが先に見つけた。

 寝る支度を途中でやめて、居間の灯の下で、盤を読んでいた。


「ユウ。原生林社が、何か出した」


「何て」


 リゼが、読み上げた。


 本日、一部のお客様の清算見込み板にて、桁違いの数字が表示される事象が確認されました。ちょっとした計算違いです(本当に、ほんのちょっとです(^^;))。

 現在修正中ですので、お客様側で対応いただくことは何もありません。ご不便をおかけしました。

 ところで――もしこの金額が本当に届いていたら、皆様は何に使いますか?


 括弧の中に、小さな顔の絵が一つ付いていた。

 囁でよく見る、額から汗を一滴垂らして笑っている顔である。

 リゼは、そこだけ読まなかった。


 読み終えて、リゼは、しばらく黙っていた。


「……何に使いますか、って、何?」


「場を和ませようとしたんだろう」


 私は言った。


「実際、間違いだって言ってる。請求も来ないって。言ってることは、合ってる」


「合ってるよ」


 リゼは言った。


「合ってるけど、和んでるの、書いた人だけだよね」


 リゼの声が、震えていた。

 さっき酒場で聞いた、かすれた声とは違った。


「わたし、さっき、本当に、自分が何か見落としたと思ったの。先週の数字を書いた手が、まだ覚えてるの。……その手で、これ読むの?」


「……」


「この顔、何。汗かいて笑ってる顔。汗かいたの、こっちなんだけど」


 リゼは、盤を卓に伏せた。


 伏せた音が、思ったより大きかった。


 私は、伏せられた盤を見ていた。


 声明の中身は、間違っていない。

 表示の誤りで、請求は来ない。客の側ですることは無い。私がさっき会計局に言ったことと、ほとんど同じである。

 違うのは、最後の一行と、括弧の中の小さな顔だけだ。


 その一行と顔一つで、リゼは怒っていた。

 私は、まだ、怒っていなかった。


———

 囁の流れが、変わった。


 夜半を回ったころから、桁の溢れた絵が減った。

 代わりに、声明の写しが流れはじめた。写しの下に、一言ずつついている。


   休みの前の晩に、ずっと窓口に遠話してたのに、これ?

   「何に使いますか」じゃないんだよ

   こっちがふざけて言うのは自由だけど、お前らが言うな

   めんごで済むと思ったか

   次から相談札、もっと強い言葉で書くわ

   その汗かいて笑ってる顔、やめろ


 一つだけ、ほかより静かな囁があった。


   これ、訴えられるやつじゃないか


 それから、もう一つ。


   原生林社の中の人たちも、今夜は窓口で遠話を取り続けてるはずだろ。あの一文を書いた人間だけ、のうのうと寝てるんじゃないのか


 引き写しが、目の前で増えていった。


 見覚えのある絵が、流れてきた。


 さっき酒場で、隣の卓の若い男が貼った絵である。諸侯連合が三つ買える、と言って笑っていた数字だ。

 その絵に、同じ名で、新しい一言が足されていた。


   面白がって貼ったのはこっちだけど、向こうに悪乗りされると、なんか腹立つな


 あの若い男も、もう笑っていないのだろう。


 私は、盤を閉じた。

 閉じても、遠話が、あと二度鳴った。


 最悪だ。

 休みは、まだ一刻も始まっていない。


———

 翌朝、遠話で起こされた。


 まだ、窓の外が青い刻だった。


「商務院、消費者保護部門のリオと申します」


 知らない声だった。

 若くはない。年寄りでもない。眠っていない人の、平らな声だった。


「お休みのところ、申し訳ありません。原生林社の件で、技術のことが分かる方に、お話を伺いたいのです。王都術務室に伺ったら、夜番の方が、あなたの名前を」


「……伺います」


 私は言った。

 言いながら、隣のリゼを見た。


 リゼは、起きていた。

 目を開けて、天井を見ていた。


「行ってきなよ」


 リゼは言った。


「休みなのに」


「休みなのは、向こうも同じでしょ」


 リゼは、寝返りを打って、こちらに背中を向けた。


「……ちゃんと、聞いてきてね。数字じゃないほうも」


 数字じゃないほう。

 何のことか、そのときの私には、半分しか分からなかった。


———

 商務院の建物は、休みの朝なのに、戸が開いていた。


 廊下に、人が並んでいた。

 並んでいるのは、役人ではない。前掛けの人。商会の上着の人。小さな子の手を引いた女。皆、手に、紙か盤を持っている。


 困惑と諦め。

 いや、諦めにはまだ届いていない。困惑と、寝不足だった。


 消費者保護部門の部屋は、廊下の突き当たりだった。


 机の上に、相談札が積んであった。

 積んである、と言うより、崩れないように、両側から板で挟んであった。


「リオです」


 机の向こうで、女が立ち上がった。


 四十に届くかどうかだろう。短く切った髪の、左側だけが潰れていた。机に突っ伏して、少しだけ眠ったのだ。

 目の下が、黒かった。

 机の端に、冷めきった茶の椀が三つ並んでいた。三つとも、半分残っていた。


「王都術務室のユウです」


「来てくださって、ありがとうございます」


 リオは、頭を下げた。

 下げ方が、事務的で、正確だった。


「昨夜から、相談札が、四百十二通。遠話は、数えるのをやめました」


———

 崩れかけた札の山の脇に、見覚えのある前掛けがあった。


 藍色に染まった裾。

 昨夜、酒場の帳場で杯を倒した、染め物工房の親方だった。


 親方は、部屋の隅の長椅子に座っていた。

 膝の上で、盤を両手で握っていた。


「夜明け前から、いらしてるんです」


 リオが、小声で言った。


「鍵を、全部替えたそうです。夜のうちに。それから、借り場の注文受けの術台を、全部閉じた。盗まれた鍵で使われているなら、止めなければと思って」


「全部」


「閉じたものは、開け直せば戻ります。ただ、今日の注文は受けられません。祭りの晴れ着の、染め直しの注文がいちばん来る日なのだそうです」


 親方が、顔を上げた。


 私の顔を見て、少し考える顔をした。酒場で見た顔だと、思い出したのかもしれない。思い出さなかったのかもしれない。


「原生林社の、あの書き付けは、読みましたか」


 親方は言った。

 声が、かすれていた。


「何に使いますか、と書いてあった」


「……読みました」


「……こっちは、一晩中、不正利用を疑って震えていたんだが」


 親方は、盤を見下ろした。


「鍵を替えるのに、一刻かかった。術台を閉じるのに、もう一刻。閉じたあと、本当に閉じたかどうか、朝まで、何度も見た。……何に使うか、か」


 親方は、少しだけ笑った。

 笑ったようには、見えなかった。


「あの一晩を、返してもらうのに使いたいね」


———

 リオの机の遠話が鳴った。


「……はい。リオです」


 向こうの声が、少しだけ漏れて聞こえた。上役らしい。


『原生林社は、実害は無いと言っているのだろう。休み明けに、先方を呼べば――』


「実害はない、で片づけていい話でしたら」


 リオは、遠話に向かって、平らな声のまま言った。


「わたしは、この部署にいません」


 向こうが、黙った。


「休み明けまでに、相談札は、千を超えます。超えた札の一通ずつに、休み明けまでお待ちください、と返すのは、わたしです。……先方には、今日、会います」


 リオは、遠話を切った。


 切ってから、私のほうを見た。


「失礼しました」


「いえ」


 私は言った。

 言いながら、少しだけ、居心地が悪かった。


 休み明けに、確かめましょう。

 昨夜、会計局の担当に、私はそう言った。


———

「伺いたいのは、二つです」


 リオは、相談札の山の上から、一通を取った。


「一つ。これは、本当に請求される額なのか。二つ。請求されないなら、それを、どう言えば、廊下に並んでいる人たちが帰れるのか」


「二つ目は」


「二つ目は、わたしの仕事です。一つ目が分からないと、二つ目が始められません」


 私は、頷いた。


「まず確認したいのは、これが本当に請求される額なのか、表示だけの問題なのか、です」


 私は言った。


「昨夜の時点では、表示の誤りだと思っていました。王都の部署の分は、起こしている術台の数が普段どおりでしたので。……ただ、思っていた、だけです。原生林社の中を見ないと、確かなことは言えません」


「では、見に行きましょう」


 リオは、外套を取った。

 冷めた茶の椀には、手をつけなかった。


———

 原生林社の王都の窓口は、西区の、石造りの三階建てだった。


 表の戸には、休業の札が下がっていた。

 中からは、遠話の鳴る音が、途切れずに聞こえていた。


 一つではない。

 十も二十も、少しずつずれた高さで鳴っている。鳴りやんだと思うと、別の一つが鳴る。


 戸を叩くと、男が出てきた。


 三十半ばくらいだろう。襟元を緩めて、袖をまくっている。声を出す前に、一度、咳払いをした。咳払いの音が、もう枯れていた。


「王都窓口の、ロウです」


 ロウは、リオの顔を見て、それから私の顔を見た。


「商務院の方ですね。……どうぞ。散らかっていますが」


 中は、散らかっていなかった。


 机が二十ほど並んでいて、そのうち七つに人がいた。七人とも、遠話を耳に当てていた。

 七人とも、同じことを言っていた。


「表示の誤りでございます。請求には響きません。……はい。はい。申し訳ございません」


 残りの十三の机の上で、遠話が鳴っていた。


「七人しかいないんです」


 ロウは言った。


「休みの前の晩ですので。来られる者は、全員、来ました」


「表示の誤り、と答えていらっしゃいますね」


 リオが言った。


「本社から、そう答えるように、と」


「なぜそうなったかは」


「……まだ、です」


 ロウは、少しだけ目を伏せた。


「本社の作り手が、今、調べています。わたしたちに降りてきているのは、答え方だけです」


「見込みの板の術式を変えた記録は、こちらで見られますか」


 私は聞いた。


「見られます。窓口が客に説明するために、変更の触れは、全部こちらにも回ってきます。……読む刻が、無いだけで」


———

 奥の小部屋で、ロウが綴りを出してきた。


 清算見込み板の、変更の触れの綴りである。

 表紙に、新大陸の言葉と、王国の言葉が並べて書いてある。王国の言葉のほうは、少し字が硬い。訳した人が、急いだのだろう。


 私は、頁をめくった。


 見込み板の作りの図があった。

 契約者が使った量を、粒で数える。粒の数を、山率で山に直す。山に、一山あたりの値を掛けて、見込みの額を出す。

 旧い板の図には、その三段が描いてあった。


 十日前の日付の触れに、新しい板の図があった。


 見た目を変えた、と書いてある。月の途中の伸びを、線で見せるようにした、とも。

 新しい図は、きれいだった。線と色が増えて、旧い図よりずっと分かりやすかった。


 段が、二つしかなかった。


 粒で数える。

 一山あたりの値を掛ける。


 真ん中が、無かった。


 昨夜、酒場の隅で、袖の汚れた女が言っていた。

 山率が掛かってないんじゃない。粒の数字が、そのまま出てる。


 あの人は、盤の絵を一目見ただけで、ここまで来ていた。


「……粒の数字を、そのまま山の単位として出してますね」


 私は言った。


「これ、山率が掛かってません」


「つまり?」


 リオが言った。


 私は、綴りの、旧い図と新しい図を並べた。


「原生林社の中では、使った量を、とても小さな単位で数えています。粒、という単位です。客に見せるときは、それを一億まとめて、山という大きな単位に直してから、値を掛けます。新しい板は、その直す段が抜けています。粒の数を、山の数だと思って、値を掛けている」


「一億倍」


「一億倍です」


「では、請求は」


「実際に請求される額ではないと思います。請求のほうは、本清算という別の道で計算されているはずです。そちらの道は、この触れでは変わっていません。……もう少し確かめる必要はありますが」


 リオの肩から、ほんの少しだけ、力が抜けた。


「ただ――」


 私は、言葉を止めた。


 小部屋の戸の向こうで、遠話が鳴っていた。

 十三の机の上で、鳴り続けていた。


 七人が、同じ言葉で謝っていた。表示の誤りでございます。請求には響きません。申し訳ございません。

 その七人の頭の上を、昨夜の一行が、まだ流れている。

 何に使いますか。


 原因は、たぶん、今日のうちに確かめられる。

 直すのも、原生林社の作り手なら、たぶん一日かからない。


 でも、それを言いに行く先が、今、塞がっている。


「原因より先に」


 私は言った。


「あの声明のほうを何とかしないと、話が進まない気がします」


 リオは、私の顔を見た。


 それから、小部屋の戸のほうを見た。


 ロウが、戸口に立っていた。

 手に、まだ鳴っている遠話を持っていた。


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