↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
227/250

第227話 歌の下の広場

 翌朝、囁は、まだ戻っていなかった。


 開くと、白い面が出る。しばらく回って、それきりになる。三度に一度は繋がるが、繋がっても、昨日の昼の投稿が並んでいる。新しいものは来ない。


 通りは、いつもより静かだった。


 静かなのは、人がいないからではない。人が、立ち止まって盤を見ているからである。歩きながら読む者がいない朝は、王都の朝の音が変わる。


 王都術務室の小会議室に、卓を三つ並べた。


 万景社からミオという担当が一人。囁の運営からダリア。王都術務室から私とフィンと、記録役にリゼ。マリエは商務院から回ってくると言っていた。ルドーは、また講義を一つ落として来た。落としてよい講義があるのかと聞いたら、今日はある、と言われた。前と答えが違う。


 ミオは、若い女性だった。二十代の後半くらい。書き付けの束を抱えていて、抱え方が、昨夜から抱えたままの抱え方だった。


「ユウ殿ですか」


「はい」


「昨夜、うちの棚が、王都の速報所になりました」


 開口一番がそれだった。私は、少し好感を持った。


「なった、というのは」


「なりました。うちは何もしていません」


 ミオは、書き付けを卓に置いた。


「見ていただいたほうが早いです」


———

 ミオが出したのは、昨夜の一刻ぶんの数え表だった。


   『獣と君』

    再生    二千三百

    書き込み  十一万四千


 私は、二度見た。


「……再生が、二千三百」


「はい」


「書き込みが、十一万四千」


「はい」


 フィンが、身を乗り出した。


「五十倍ですか」


「五十倍です」


 ミオは、疲れた顔で頷いた。


「うちの広場は、映像片を見てもらう場として作りました。棚は、その感想を書く場です。感想のほうが五十倍多い夜というのは、想定していません」


 リゼが、私を見た。


「見てないのに、書いてるの?」


「見ていません」


 ミオが答えた。


「昨夜のあの一刻、あの映像片を一秒でも再生した者は、書き込んだ者の五十人に一人です。残りは、開いてすぐ棚へ行っています」


 リゼが、こちらを見た。


「なんで?」


「映像は入口で、目的地は書き込み棚なんです」


 私は言った。


「二年かけて、そういう建物になりました」


———

「もう一つ、こちらの話をします」


 ダリアが言った。


 短い名が売り買いされた、あの事件以来である。あのときより、少し痩せていた。運営というのは、痩せる仕事らしい。


「昨夜、揺れてから十を数えるうちに、こちらの繋ぎは、平時の四十倍になりました」


「四十倍」


「四十倍です。倍ではありません」


 ダリアは、指で卓を軽く叩いた。


「うちは、混んだときに読みを逃がす作りを持っています。ユウ殿にも見ていただいた、雲焔のような手です。ですが昨夜は、読みだけではありませんでした。全員が同時に書いたんです」


「書きに来た」


「書きに来ました。安否です。『うちは無事』『こっちも無事』『誰か南港の様子を』。読みは逃がせますが、書きは本体に通します。順番門が詰まりました」


「今朝も、まだ開きません」


「詰まったあとが、長引きました」


 ダリアは、指で卓を二度叩いた。


「届かなかった者は、何度も押し直します。押し直すたびに、順番門にもう一つ積まれます。捌く前に積まれるので、減りません。……夜中に、書きを止めました。いま、溜まったぶんを捌いています。捌き終わったら、開け直します。今日の昼を見ています」


「止めるまでに、どれくらい迷いましたか」


「三刻ほど」


 ダリアが、目をこすった。


「災害の夜に、書きを止める判断です。迷います」


 私は、少しのあいだ、黙った。


「……役所の災害の報せも、囁でした」


「そこです」


 ダリアが、顔を上げた。


「うちが速報の背骨になったのは、便利だったからです。誰も、そうしろと決めていません。決めていないものに、王都が寄りかかっていました」


 ルドーが、後ろで短く言った。


「人類は、便利なものを作ると、その上に全体重を乗せて立つ」


 それは私が前に思ったことである。声に出した覚えはない。この人は、ときどき、人の考えたことを先に言う。


———

「一つ、引っかかっていることがあります」


 私は、ダリアとミオの両方に向かって言った。


「昨夜、囁は詰まりました。棚は詰まりませんでした。ですが、書き込みの数は、棚のほうが多いんです」


 ミオが、顔を上げた。


「……うちのほうが多かったのに、詰まらなかった、ということですか」


「そうです。理屈が要ります」


 私は、表示盤に二つ書いた。


   囁  一つの書き込みを、追い読みしている全員の手元へ配る

   棚  一つの書き込みを、一つの棚へ置く


「囁は、誰かが一行書くたびに、配り先が増えます。千人に追い読みされている人が書けば、千通りの手元へ届けなければなりません。昨夜は、王都中が同時に書きました。書いた数と、読む人の数が、掛け算で効きます」


「棚は」


「棚は、置くだけです。置く先は一つしかありません。読む人のほうが、そこへ見に来ます。来た人へ返すのは、写しで足ります」


 ダリアが、低く言った。


「……うちのほうが、作りとしては新しいのに」


「新しいです。新しいぶん、できることが多いです」


 私は言った。


「一人ずつに違うものを見せる仕組みは、混んだ夜に、違いの数だけ重くなります。棚は、全員に同じものを見せています。同じものを見せる場所は、安く、丈夫です」


 ミオが、書き付けに何か書いた。


「……うちが二年、直さずに置いていた場所です」


「直さなかったから丈夫だった、とは言いません」


 私は言った。


「ですが、昨夜、王都で一番丈夫だったのは、その置いてあるだけの場所でした」


 AIエージェント:「補足:昨夜の一刻、棚への書き込みは平時の八十倍です。囁の繋ぎの伸びは四十倍でした」


「……多いほうが、立っていたのか」


 AIエージェント:「訂正:立っていたほうに、多く書かれました」


「助かる」


———

「では、何が起きたのかを整理します」


 私は、表示盤の前に立った。


「昨夜、囁が詰まりました。詰まった瞬間に、人は別の場所へ移りました」


「どこへ移るか、誰が決めたんですか」


 ミオが聞いた。


「誰も決めていません」


 私は言った。


「それが今日の話です」


 私は、表示盤に書いた。


 広場になる条件


「場が広場になるには、条件があります。十ほど挙げます」


   一、すでに人がいる

   二、書いたものが、すぐ見える

   三、書くのに、名乗りも支度も要らない

   四、話題が決まりすぎていない

   五、話が逸れても、怒られない

   六、決まり文句があって、内側にいる感じがする

   七、他の場が止まったときに、ここは止まらない

   八、上げ主が、止めない

   九、棚だけを見る道具がある

   十、ここへ来れば誰かいる、と皆が思っている


「昨夜、この十が全部そろっていた場所は、王都に一つしかありませんでした」


 会議室が、静かになった。


「本来の機能が何かより、そこに人がいるかどうかが重要になることがあります」


 ルドーが言った。


「市場の広場と同じだな。最初は魚を売る場所だったのに、演説も待ち合わせも始まる」


「かなり近いです」


 私は言った。


「魚屋は、演説のために床を貸したわけではありません。ですが、人が毎朝そこにいるので、何か言いたい者は、そこへ行きます」


 ミオが、書き付けを見た。


「うちの広場は、広場と名乗っています」


「名乗っていますね」


「名乗っているほうは、広場になりませんでした」


 ミオが、顔を上げた。


「広場になったのは、うちが『棚』と呼んでいた、映像片の下の細い場所です」


 私は、少しのあいだ、何も言わなかった。


「……そうです」


 名乗りは、場を決めません。

 人が決めます。


———

「関わりのある話を一つします」


 フィンが、手を挙げた。


「空舞台という上げ主がいます」


「空舞台」


「名乗りです。この人、中身のほとんど無い映像片を上げるんです。窓の外を映して、何も言わずに終わるとか。それだけです」


「それを見る人がいるんですか」


「見ません」


 フィンは、早口になった。


「見ないんです。開いて、すぐ棚へ行きます。棚で、その日の題が一つ出て、みんなで面白い返しを競います。上げ主も、それが分かっていて上げています。もう三年やっています」


 ルドーが、眉を動かした。


「映像を見ないのに、映像広場へ行くのか」


「行きます」


「なぜだ」


「店には入らず、店先の常連と話すようなものです」


 私は、リゼを見た。


 言ってから見たのではない。この言い回しは、昨夜この人から借りたものである。


「それなら分かるかも」


 リゼが言った。


「豆屋さんの前、いつも人いるもん。豆買わない人」


「豆は関係ないんだよな」


「関係ない」


 ミオが、書き付けから顔を上げた。


「……うちは、二年、映像片のほうを直してきました。映りをよくして、探しやすくして」


「棚は」


「棚は、置いてあるだけです。二年、ほとんど直していません」


 ミオが、少し笑った。笑ったというより、息が出た音だった。


「人がいるほうを、置いてあるだけにしていました」


———

「もう一つ、この歌そのものの話をします」


 私は、表示盤を消した。


「昨夜、なぜ人がこの歌の下へ行ったのか。人がいたから、というのが答えです。ですが、なぜこの歌に人が集まったのかは、別の問いです」


「名曲だから、ではないんですよね」


 ミオが言った。自分の広場で一番人が集まっている歌に対して、ずいぶんな言い方である。


「違います」


 私は、はっきり言った。


「この歌は、生成変換器が作りました。作りが平らです。人の癖が入っていません」


「それは、良くないことでは」


「良くないことです。ただ、良くないことが、この場合は効きました」


 私は、表示盤に二つ書いた。


   節  薄い

   言葉 濃い


「濃い言葉を、濃い節に乗せると、押し合います。どちらが主かで、争います。ですが、薄い節の上には、濃いものがそのまま乗ります。押し返されません」


 リゼが言った。


「薄いのに濃いんだ」


「最悪の料理評みたいですが、そうです」


 会議室が、少し笑った。


「もう一つあります」


 私は続けた。


「薄いものは、真似しやすいんです。息継ぎの位置が決まっていないので、誰が歌っても、それらしくなります。下手に歌っても、下手に聞こえません。下手に聞こえない歌は、人前で歌えます」


 ルドーが言った。


「歌わせる歌だな」


「歌わせる歌です」


 私は言った。


「聴かせる歌ではありません。この歌を、良い歌かと聞かれたら、私は答えられません。ですが、人に何かをさせる歌かと聞かれたら、答えられます。させます」


———

 昼前に、マリエが来た。


 商務院から回ってきたと言って、外套も脱がずに座った。座ってすぐ、書き付けの束を出した。この人は、いつも、着く前に読み終えている。


 同じ刻に、魔法学校から若い教師が一人、呼ばれて来た。実技の人である。中庭で庭から目をそらした、あの人だった。


「学校のほうは、どうなっていますか」


 私が聞くと、教師は、疲れた顔をした。


「禁じました」


「効きましたか」


「三日で倍になりました」


 フィンが、口を押さえた。


「禁じると、面白くなるんです。廊下では歌わなくなりました。代わりに、渡り廊下の裏と、水盤の裏と、器具庫の裏で歌っています。裏が三つ増えました」


 ルドーが言った。


「禁止はできるが、理解は止められん」


「そうなんです」


 教師は、頷いた。


「それに、いちばん困るのは、そこではありません」


「どこですか」


「意味を知らずに歌っているならまだしも、知った後も歌う者が出るのが困ります」


 会議室が、静かになった。


「知らない子は、止めれば止まります。歌の意味を教えたわけでもないので、こちらの気も痛みません。ですが、知ってしまった子には、何と言えばいいのか。知ったうえで面白がっているものを、もう一度知らないことにはできません」


 私は、何も言わなかった。


 言うべきことを持っていなかったからである。


 ルドーが、短く言った。


「言えることは一つだけだ。どこで歌うか、は教えられる」


 教師が、顔を上げた。


「……場所の話なら、できます」


「それだけでいい。中身は、教師の仕事ではない」


———

「では、運営の話をします」


 マリエが、書き付けを開いた。


「万景社さんは、いま、いくつの相談を同時に受けていますか」


 ミオが、指を折った。


「歌そのものを消せ、が一つ。年齢の縛りを付けろ、が一つ。逆に、消すな、が一つ。昨夜から、災害の報せに使えるようにしろ、が一つ増えました」


「四つね」


「四つです」


「それ、全部同じ日に来たんでしょう」


「同じ日です」


 マリエが、書き付けを閉じた。


「消せば口を塞いだと言われ、残せば子どもに見せるなと言われ、放っておけば避難所扱いされる。運営とは、だいたい貧乏くじね」


 ミオが、笑わなかった。笑えない顔で、頷いた。


「それから、もう一つあります」


 マリエが続けた。


「その映像片、誰のものですか」


「上げ主のものです。灰猫という名乗りの人です」


「その人は、棚を見張る義務を負っていますか」


 ミオが、口をつぐんだ。


「うちの定めでは、棚の見張りは、上げ主の役目です」


「二百万件を」


「……二百万件を」


 マリエが、卓を指で叩いた。


「二年前、その定めを書いた人は、一本の映像片に二百万件が付く日を想定していないわ。定めというのは、だいたいそうやって壊れるの。壊れるときは、字は一つも変わっていない」


「もう一つ、聞いていいですか」


 私は、ミオのほうを向いた。


「灰猫という人は、この二年で、いくら受け取っていますか」


 ミオが、書き付けをめくった。


「うちは、見た人の数に応じて、上げ主へ返します」


「見た人の数に」


「見た人の数に、です。……あの映像片は、見る人が減っています。伸びているのは棚だけです」


 ミオは、指で行をなぞった。


「返る額は、去年より下がっています」


 会議室が、静かになった。


「王国でいちばん人が集まっている場所の主が、去年より受け取りが少ない」


 マリエが、短く言った。


「よくあることよ」


「よくあるんですか」


「よくあるわ」


 マリエは、書き付けを見たまま言った。


「名前が広がる筋と、金が流れる筋は、たいてい別々に引かれているの。同じ筋だと思っている人が損をする」


 私は、昨日の魔法横丁を思い出した。


 硝子箱の中の水晶も、同じだった。あの銀貨は、作った者にも、演じた者にも入らない。


 この歌をめぐって動いている金は、この歌を作った者にも、この歌の下に集まっている者にも、ほとんど届いていない。


 届いているのは、その脇を通る人たちである。


———

「昨夜の棚を、検めました」


 フィンが、写しの束を出した。


「良かったところと、悪かったところが、両方あります」


 私は、表示盤に二つの列を書いた。


 良かった


  ・人がいた

  ・すぐ書けた

  ・囁が詰まっていても、ここは動いた

  ・町ごとの細かい話が集まった

  ・一人でいる者に、返事が来た


「いちばん下に、一つ足します」


 私は書いた。


  ・北三町区の、一人で住む年寄りが『誰かいますか』と書いた。返事が四つ付いた


 会議室が、静かになった。


「これは、役所にはできません。役所は、返事をする仕事をしていません」


 ミオが、うつむいた。


「悪かったほうを書きます」


 私は、右の列に書いた。


 悪かった


  ・南門が崩れた、という書き込みが流れた

  ・詰所へ走った者がいた

  ・崩れていなかった

  ・訂正は流れた。だが、合いの手の連投に埋もれた

  ・冗談と報せが、同じ形で並んでいた

  ・古い書き込みと新しい書き込みが、混ざって見えた

  ・どこの話かが書かれていないものが、半分あった

  ・ここが公の報せ所だと思った者がいた


「いちばん下のものが、いちばん重いです」


 私は、そこを丸で囲んだ。


「人が集まっていることと、情報が正しいことは別です」


 ダリアが、静かに言った。


「うちも、同じことを言われ続けています」


「囁もそうです」


 私は言った。


「昨夜、囁が詰まって、人が棚へ行きました。ですが、囁が詰まっていなかったとしても、囁に流れたものが正しいわけではありません。囁は、速い場所です。正しい場所ではありません」


「速さと正しさは」


「別の性質です。そして、速い場所のほうが、たいてい人が多いです」


———

「では、どうするか、という話をします」


 私は、表示盤を消して、五つ書いた。


   一、歌を消す

   二、年齢の縛りを付ける

   三、棚を公の避難所として定める

   四、何もしない

   五、別に、安全な場を用意する


「一つずつ潰します」


 私は、一の横に線を引いた。


「消すと、どうなりますか」


 フィンが答えた。


「別の場所に上がります」


「上がります。しかも、次は万景社の外に上がります。外へ出ると、こちらから数えることも、見ることも、注意を出すこともできなくなります。いまの棚は、少なくとも、万景社が見えています」


 私は、二に移った。


「年齢の縛りは」


「子どもが見られなくなります」


「見られなくなります。それから、昨夜のような夜に、家に一人でいる十四の子が、どこへも行けなくなります」


 ミオが、顔を上げた。


「……そこは、考えていませんでした」


「縛りは、いい日には正しく効いて、悪い日に人を締め出します」


 私は、三に移った。


「公の避難所にする、は」


「駄目なのか」


 ルドーが聞いた。


「駄目というより、抱え込む荷が変わります」


 私は言った。


「公のものにするというのは、間違いの責めを王都が持つということです。昨夜の『南門が崩れた』を、王都が言ったことになります。それから、あの歌の由来も、王都が抱えます」


 マリエが、短く言った。


「抱えられないわ」


「抱えられません」


 私は、四に移った。


「何もしない、は」


 誰も、答えなかった。


「何もしなければ、次も同じことが起きます。次は、南門が本当に崩れるかもしれません」


 私は、五の前で止まった。


 ここが、いちばん言いにくいところである。


「五を、私のほうから潰します」


「え」


 ミオが、顔を上げた。


「別に安全な場を用意しましょう、と言うのは簡単です。王都が、軽い掲示の場を一つ立てる。揺れたときだけ開く。それは、作れます」


「作れるなら」


「人が来ません」


 私は言った。


「そこには、人がいないからです。人がいない場所は、人が集まる場所になりません。昨夜の十の条件の、一つ目が無いんです。一つ目が無いと、残りの九つがそろっていても、広場になりません」


 会議室が、静かになった。


「ですから、王都が立てた新しい場は、昨夜の役には立ちませんでした。立てていたとしても、立ちませんでした」


「じゃあ、どうするんですか」


 ミオが言った。声が、少し硬い。


「五は、今日の役には立ちません。ですが、五年後の役には立ちます」


 私は言った。


「人がいる場所を作るのに要るのは、作る仕事ではなくて、待つ仕事です。平時から開けておいて、揺れていない日に人が来て、何でもない話をして帰る。それを何年か続けたところが、次に揺れた夜の行き先になります」


 ルドーが言った。


「祭りの前に、床を掃いておくようなものだな」


「はい」


「掃いても、祭りの日は来るかどうか分からん」


「分かりません」


 私は言った。


「ですが、掃いていない床では、祭りはできません」


———

「そのうえで、今日からできることを並べます」


 私は、表示盤に書いた。


 今日からできること


  ・棚は公の報せではない、と棚そのものに書く

  ・囁が詰まったとき、どこを見ればいいかを、詰まる前に配る

  ・上げ主一人に見張りを負わせない。数が増えた棚は、万景社が手を貸す

  ・書き込みが急に増えたときだけ、町ごと、刻ごとに並べ替えられるようにする

  ・連投の決まり文句と、そうでない書き込みを、別の流れで見られるようにする

  ・訂正は、元の書き込みの近くに置く


 私は、いちばん上をもう一度指した。


「これが一番効きます。棚に人が集まるのは止められません。ですが、集まっている人が『ここは公の報せ所ではない』と知っているかどうかは、変えられます」


「それだけで、変わりますか」


 ミオが聞いた。


「変わります。人は、公の報せだと思っている文と、誰かの書き込みだと思っている文を、別の読み方で読みます。昨夜、南門へ走った人は、あれを公の報せだと思って読みました」


 マリエが、書き付けに何か書いた。


「それは、表示の話ね。うちの管轄よ」


「助かります」


 ミオが、書き付けを見ながら言った。


「……並べ替えは、作れます。三月ほど、ください」


「三月なら、間に合います」


「何にですか」


「次の揺れに、間に合うかどうかは分かりません」


 私は言った。


「ですが、次の揺れのあとの棚卸しには、間に合います」


———

「一つだけ、言い残します」


 私は、表示盤の前から動かずに言った。


「人が集まる場所を消すより、人が安全に集まれる場所を別に用意した方がいいことがあります」


 ミオが、顔を上げた。


「ですが、今日の話でいちばん大事なのは、そこではありません」


「どこですか」


「用意しても、すぐには来ない、ということです」


 私は言った。


「これを言わないでおくと、次に困る人が出ます。新しい場を立てて、人が来なくて、作った人が『作り方が悪かった』と思う。悪くありません。まだ、人がいないだけです」


 ルドーが、短く言った。


「待てる仕事か」


「待てる仕事です」


 私は言った。


「待てない仕事だと思った人が、たいてい、人がいるほうを消しにいきます」


———

 囁が戻ったのは、その日の昼過ぎだった。


 会議室の卓の上で、フィンの盤が先に鳴った。次にリゼの盤が鳴った。それから、全員の盤が、順に鳴った。


「戻りました」


「戻ったな」


 ダリアが、大きく息を吐いた。吐いてから、自分で驚いた顔をした。


「……すみません」


「寝ていませんね」


「昨日の夜からです」


 ミオが、流し盤を開いた。


 私は、その画面を、横から見た。


 文字は、まだ流れていた。


   囁もどった

   もどった

   よかった

   こっちは無事でした

   昨日の南門のやつ、嘘だったって

   走った人ごめん

   いや助かった

   また来た

   おかえり

   ただいま


 リゼが、覗き込んで、言った。


「囁、戻ったのに、まだいるんだ」


「いる」


 私は言った。


「一度広場になった場所は、用事が終わってもすぐには空になりません」


 ミオが、盤を見たまま聞いた。


「……この棚、どうなると思いますか」


 私は、少し考えた。


「たぶん、しばらくは残ります。網の上の祠みたいなものなので」


 ルドーが、後ろで言った。


「祠か」


「由来を説明しづらい祠です」


 ルドーが、はじめて、少しだけ笑った。


「祠は、たいていそうだ」


 私は、この人のほうを見た。


「王都の南の辻に、石が一つ据えてある。誰も、何を祀っているか知らん。だが、みんな水をかけていく。かけないと、なんとなく気分が悪い」


「調べたことは」


「あるぞ」


 ルドーは、椅子から立った。


「三百年前、荷馬車が止まった場所だそうだ。それだけだ」


 AIエージェント:「補足:現在、その辻の石には、日に平均四十二度、水がかけられています」


「……黙れ」


 最悪だ。祠に数を付けるな。


———

 夕方、家に戻った。


 床の豆は、朝のうちにリゼが拾ってあった。瓶は、新しいのを買うと言っていた。同じ形のがなければ、違う形でいいらしい。うちは、だいたいそうやって形が揃わなくなる。


「ねえ」


 リゼが、卓の向かいから言った。


「あの歌、これからどうなるの」


「飽きられる」


 私は言った。


「たぶん、そんなに先じゃない。歌というのは、飽きられるようにできている」


「棚は?」


「棚は、残る」


 リゼが、匙を止めた。


「歌がなくなっても?」


「歌がなくなっても、だ」


 私は、豆をすくった。


「歌は、看板だった。看板が古くなっても、看板の下にいた人は、すぐには散らない。散るとしたら、人が減ってからだ。人が減るのは、飽きたからじゃない。もっと人がいるところが、どこかにできたときだ」


「そしたら、そっちに行くんだ」


「行く」


「みんな?」


「みんなじゃない」


 私は言った。


「何人かは、残る。残った人が、いちばん長くいる」


 リゼは、しばらく黙って豆を食べていた。


「ユウ」


「うん」


「あの歌、下手だよね」


「下手だ」


「でも、わたし、覚えちゃった」


「俺もだ」


 リゼが笑った。


「最悪だね」


「最悪だ」


 私は言った。


 この人に先に言われると、なぜか腹が立たない。


———

 寝る前に、窓を開けた。


 初夏の夜は、まだ冷たい。通りの向かいの家は、もう灯りを落としている。昨夜、あれだけ声が上がっていた通りが、今日はもう、いつもの通りに戻っていた。


 人は、そういうふうにできている。


 映像片は、歌を流すために作られた。

 書き込み棚は、その歌への感想を書くために作られた。


 だが、人が集まり、挨拶をし、揺れを知らせ、冗談を重ねるうちに、そこは別の場所になっていた。


 由来を説明しづらい歌の下に、説明しづらい広場が生えた。


 誰も、そう作ったつもりはない。


 作った者は、映像を見てもらうつもりだった。上げた者は、二年前に一本上げたきり、何も言っていない。書いている者も、広場を作っているつもりはない。挨拶をして、揺れを知らせて、帰っているだけである。


 それでも、そこにはいま、王都のどこよりも人がいる。


 網の上には、ときどき、こういう祠ができる。

 誰も据えていないのに、人だけが、妙に正確にそこへ集まる。


 私は、窓を閉めた。


 明日も、たぶん、誰かが「誰かいますか」と書く。

 そして、たぶん、返事が付く。


 便利で、危うくて、少し滑稽で、そこだけは、人間の作ったどの制度よりも速い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。