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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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220/246

第220話 住所は木ではない

 春の初めの朝は、まだ火を落とせない。


 炉に薪を一本足して、卓に戻った。窓の外は、まだ半分冬の色をしている。屋根の北側にだけ、薄く白いものが残っている。


「昨日ね」


 リゼが、椀を置きながら言った。


「配達の人が、うちの前を三回通ったの」


「三回」


「行って、戻って、また行った。三度目に、家の番号を読んでた。声に出して」


 私は、パンをちぎる手を止めた。


「聞いたら、同じ名前の通りが、王都に四つあるんだって」


「……四つ」


「四つ」


 リゼは、汁をすくった。


「本人が言ってたの。四つあって、そのうち二つは、同じ区の中にあるって」


 同じ区の中に、同じ名前の通りが二つある。それは、名前の付け方が壊れているのではなく、名前を付けた人が別々だった、ということである。別々の時代に、別の人が、同じ名前を良いと思った。それだけのことで、四十年後の配達人が同じ道を三度歩く。


 AIエージェント:「観測:王都の所在の呼び名は、少なくとも三つの体系が重なっています」


「三つ」


 AIエージェント:「補足:行政の呼び名、配達の呼び名、住民の呼び名です。加えて、術盤の台帳が四つ目を持っています」


「黙れ」


 朝から四つ目を数えられると、一日が長くなる。


「ユウ」


 リゼが、匙を止めた。この人が考えるときは、匙が止まる。


「住所って、名前じゃなくて、道順なのかも」


 私は、少しの間、返事をしなかった。


 この人は、いつも、私が十行かけて言うことを一行で言う。今日は、朝食の卓で、今日これから半日かけて説明する予定のものを、先に言った。


「……それで、だいたい合っている」


「合ってるの?」


「困ったことに」


———

 術務室の卓に、王国の地図が広げてあった。


 端が擦り切れている。何度も畳んで、何度も開いた紙である。王都のあたりだけ、墨の跡が濃い。誰かが何度も指で押さえた跡だった。


「王国所在台帳です」


 ネドが言った。術務室の若い術師である。去年入って、今年から自分で一つ持たされた。真面目で、手が速い。速いというのは、この仕事ではだいたい良いことで、たまに悪いことになる。


「王国じゅうの所在を、一つの台帳にまとめます。税、郵便、火の備え、薬院の配り、学び舎の願書、浮遊船の乗り客の届け、それから、急ぎの救けです」


「救け」


 マリエが顔を上げた。


「火事のときに、詰所が向かう先よ。いま、詰所は詰所で別の帳面を持っているわ」


「はい。全部で、九つの帳面が、別々に住所を持っています。同じ家が、九回書かれています」


 それは、確かに直したくなる。九回書けば、九回ずれる。


「それで」


 ネドが、表示盤の前に立った。


「こうまとめます」


   王国

    領

     市

      町

       丁

        番地


「上から下へ、順に細かくなります。どの所在も、この六つに分けられます。分けてしまえば、九つの帳面を一つに束ねられます」


 書き終えたネドは、少し誇らしそうだった。


 私は、その気持ちが分かる。分かるので、余計に、これから言うことが心苦しい。


「きれいね」


 リゼが言った。術務室の見習いとして、記録の卓に座っている。


「きれいに見えるけど、だめなの?」


「きれいに見える所在の形は」


 私は言った。


「だいたい、実在の所在に負けます」


 ネドが、こちらを見た。


「負ける、というのは」


「あとで」


 その日、局の上の人が卓を覗きに来た。地図を見て、表示盤を見て、満足そうに頷いた。


「住所など、領、市、町、丁、番地に分ければよいのだろう」


 私は、顔に出さないようにした。出さないようにしたが、たぶん出ていた。


「その一言だけで」


 私は言った。


「かなり危ういです」


 上の人は、笑って行ってしまった。笑って行ってしまう人は、あとで怒って戻ってくる。経験上、そうなっている。


 最悪だ。


———

 四日後に、怒って戻ってきた。


 二件、同時に来た。


「西門の外の塔です」


 ネドが、札を持って走ってきた。声が上ずっている。


「試しの台帳を、配達の仕分けに使ってもらっていました。……十二階の商会宛ての書き付けが、三十五階の商会へ届きました」


「中身は」


「契約の写しです。値の欄まで入っています」


 三十五階の商会は、十二階の商会と、同じ商いをしている。そういう塔である。同じ商いの者が、同じ塔の別の階に入っている。


「なぜ届いた」


「試しの台帳が」


 ネドは、札を握ったまま言った。


「同じ建物だから、同じ所在だと」


 まとめた。


 それだけである。塔は一つ、住所は一つ、だから一つにまとめた。丁寧な仕事だった。丁寧に、階を落とした。


「もう一件は」


 マリエが言った。マリエの声は、こういうときに一段低くなる。


「南の島です」


 リゼが、別の札を持ってきた。


「薬院が、月に一度、船で薬を送っている島。その包みが、別の家に届きました」


「島の名は」


「南方諸島の、外れの小さい島です。戸数が、二十と少し」


「届いた先は」


「同じ所在名の、別の家です」


 私は、しばらく黙っていた。


「……その島には、番地が無いのか」


「無いそうです」


 リゼが、札を見た。


「島の名と、村の名しかありません。二十軒が、全部、同じ所在名です」


 薬の包みは、中身が外から分かる。何の薬かが分かれば、誰が何を抱えているかが分かる。二十軒の村で。


「マリエさん」


「聞かなくていいわ」


 マリエは、紙の角を揃えた。


「同じ所在名だから同じ世帯、という処理は、契約術務ではだいたい事故の始まりよ」


———

 王都の郵便局は、朝がいちばんうるさい。


 人の声より、紙の音の方が大きい。束を叩いて揃える音、袋の口を絞る音、木の棚に札を放る音。ずっと前に、この局の仕分けを直したことがある。あのときは、床に区画の線を引いて、門番を立てた。線は、まだ引いてあった。塗り直されて、色が新しくなっている。


「ああ、あのときの」


 奥から出てきたのは、六十近い男だった。背は低い。肩から下げた鞄の革が、下の角だけ白くなっている。


「ウルです。ここで、四十年、袋を担いでいます」


「四十年」


「あなたが線を引いたとき、私は外を回っていました。戻ってきたら床に線があって、何だこれはと思いました」


 ウルは、笑わずに言った。この人は、笑わずに冗談を言う型の人らしい。


「それで」


 ウルは、仕分けの棚の前へ歩いた。棚は、壁一面にある。一つ一つの枡に、木の札が差してある。


「王国じゅうの所在を、一つの形にまとめると聞きました」


「聞くのが早いですね」


「うちの仕事が変わりますから」


 ウルは、棚の枡を一つ指した。札には、数字が七つ並んでいる。


「配達符です。うちが振っています。この七つで、袋が決まります」


「七つも要るんですか」


「はじめの三つが、大きな括りです。領と、市のあたり。……あとの四つが、道の一本ぶんです」


「所在から、振っているんですか」


「いいえ」


 ウルは、首を振った。


「道順から振っています」


 私は、棚を見た。


「……もう一度、言ってください」


「道順から振っています」


 ウルは、同じ調子で繰り返した。


「一人の配達人が、一日で回れる道を一本にして、その一本に数字を付けます。町の境ではありません。領の境でもありません。歩ける順です」


 棚の枡には、隣り合った数字が並んでいる。数字は隣でも、指す先は、地図の上では飛んでいた。


「だから、こうなります」


 ウルは、二つの札を抜いて、並べた。


「台帳では同じでも、配達では別です。逆に、台帳では別でも、配達では同じ袋に入ります」


 その一行が、この仕事の全部だった。


「同じ配達符の町が、二つあると」


「あります。ヴェスタ領のカサ町と、峠の向こうのネラ町。領が違います。市も違います。……はじめの三つが、同じです」


「なぜ」


「間に山があって、山の向こうから回るより、こちらから回った方が近いからです。四十年前に、そう決めました」


 それは、正しい。配達としては、完全に正しい。


「配達符から、町を当てられますか」


「当てられません」


 ウルは、札を棚へ戻した。


「はじめの三つは、領の名を教えてくれません。教えてくれるのは、どの束に入るか、だけです」


「配達符は、場所の名前ではありません。郵便局の都合です」


———

 その日の午後、術務室の卓に、王都の地図と、地方の地図を並べた。


 ネドと、リゼと、マリエがいる。ルドーは、講堂の帰りに寄ると言って、まだ来ていない。


「六つの段に分ける、という話でした」


 私は、表示盤に、ネドの六段を書き写した。


   王国 領 市 町 丁 番地


「これから、この段に入らないものを並べます」


「……全部ですか」


「全部ではありません。半分くらいです」


 半分というのは、なぐさめにならない。ネドの顔がそう言っていた。


「一つ目。王都です」


 私は、王都の地図を指した。


「王都に、市はありますか」


「……ありません」


「領の下に、いきなり区が来ます。王都市というものは、存在しません。では、市の欄に何を書きますか」


「王都、と」


「では、領の欄は」


「……王都、と」


「二つの段に、同じ字を書くことになります。二つの段に同じ字を書く台帳は、あとで必ず、どちらかを消されます」


 リゼが、地図を覗き込んだ。


「二つ目。河港です」


 私は、河港の地図を出した。川が二本合流するところに、大きな町がある。王都と並んで術局が置かれている、王国で二番目に大きい町である。


「河港には、区があります」


「じゃあ、王都と同じですね」


 ネドが言った。


「違います」


 私は、二つの地図を並べた。


「王都の区は、領の下です。河港の区は、市の下です。同じ『区』という字で、上の段が違います」


 ネドが、両方の地図を見比べた。


「……同じ名前なのに」


「同じ名前だから、余計に危ういです」


 ちょうど、ルドーが入ってきた。外套を脱ぎもせず、表示盤を見た。


「同じ字で書いてあっても、制度の上の役目が違うわけだな」


「はい。所在では、同じ言葉が同じ意味とは限りません」


 ルドーは、それだけで理解して、壁際の椅子に座った。この人は、いつも一行で足りる。


———

「三つ目。アマネです」


 水路沿いの、古い町である。宿を一軒、私は知っている。


「アマネの周りには、同じ町名が多すぎます。宿の町だった時代に、似た名の町が並んで立ったからです」


「同じ町名が、いくつあるんですか」


「あの領の中に、リタ町が、七つあります」


 ネドが、口を開けた。


「それで、どうしているんですか」


「町にたどり着く道筋を、所在名の中に入れています」


 私は、表示盤に四行書いた。


   アマネ セルタ通 カルド西入 リタ町

   アマネ カルド通 セルタ上る リタ町

   アマネ トレム通 セルタ東入 リタ町

   アマネ セルタ通 トレム東入 リタ町


「この四つは」


 私は、指で四つを囲った。


「全部、同じ家です」


 部屋が、静かになった。


「同じ場所なのに、違う住所なの?」


 リゼが言った。


「違う道順で、同じ場所を指しているんです。どの通りから入るかで、言い方が変わる。どれも間違っていません」


「……住所というより、道案内だな」


 ルドーが言った。


「そのとおりです」


 私は、四行の下に線を引いた。


「困るのは、この四つを、台帳が別の家として数えることです。一軒の家に、四回税を掛けることもできてしまう。逆に、四つのうち一つだけを正しいと決めて、残り三つを消すこともできる。消された三つの言い方で郵便を出していた人は、その日から、届かなくなります」


———

「四つ目。北三町区です」


 王都の地図の、北の端を指した。


「王都の北側は、百年前まで畑でした。増えた人を入れるために、畑を割って町にした。そのとき、名前を付けるのが間に合わなかった」


「間に合わなかった」


「南北を数え、東西を数えて、番号にしました。北へ三つ目だから、北三町区。その中は、東西に丁で割ってあります」


   王都 北三町区 西十二丁


「これは、町の名前ですか」


 ネドが訊いた。


「町の名前の欄に入れれば、町の名前です。ですが、これは、都そのものを格子として扱った書き方です。基準の線を知らない人には、読めません」


「読めないと、どうなるんですか」


「西十二丁が、西へ十二番目だと分からない人は、西十二丁を、西にある十二という名前の町だと思います。思ったまま、荷を出します」


 リゼが、少し笑った。


「わたし、思ってた」


「たいていの人が思っています」


———

「五つ目。研究院の前です」


 王都の北の外れ、魔術研究院のあたりである。


「十五年前に、あそこへ道が通りました。道が通ると、人が来ます。人が来ると、家が建ちます。家が建った時点では、まだ町の名前が決まっていませんでした」


「名前が決まる前に、人が住むんですか」


「住みます。人は、名前を待ちません」


 私は、表示盤に書いた。


   研究院前 第二十三街区

   新道北 第五街区


「町の名が決まるまでの、仮の呼び名です。工事の図面の上の呼び名が、そのまま住所になりました」


「それは、いまは直っているんですよね」


「三年前に、正式な町名が付きました」


 私は、少し間を置いた。


「誰も、使っていません」


「……え」


「住んでいる人が、第二十三街区と言います。店の看板が、第二十三街区と書いてあります。契約の紙にも、そう書いてある。正式な町名を書くのは、役所の窓口に出す紙だけです」


 リゼが、腕を組んだ。


「正式な名前より、仮の名前の方が分かりやすいこともあるんだ」


「よくあります。仮の名は、だいたい、思ったより長生きします」


———

「六つ目」


 私は、ウルの言葉をそのまま書いた。


   配達符は、配送の道順を短くしたもの


「郵便の配達符は、行政の区分ではありません。配達人が一日で回れる道に振った番号です。町の境とも、領の境とも、一致しません」


「じゃあ、配達符から住所を埋めるのは」


「誤ります。同じ配達符に、別の領の町が入っています」


 ネドが、書き付けの手を止めた。


「……あれ、やりました」


「何をですか」


「試しの台帳で、配達符を入れると、町の欄が自動で埋まるようにしました。便利だと思って」


「それが、カサ町とネラ町です」


 ネドは、しばらく、自分の手を見ていた。


———

「七つ目。西門の外の塔です」


 これが、四日前の一件である。


「あの塔は、階ごとに配達符が違います。十二階と三十五階は、配達の上では、別の町です」


「同じ建物なのに」


「同じ建物です。ですが、階ごとに別の商会が入っていて、階ごとに郵便を受ける部屋があって、階ごとに人が違います。配達人から見れば、別の家が三十五軒、縦に積んであるのと同じです」


 ウルが、朝、同じことを言っていた。同じ塔でも、十二階と三十五階は、配達では別の町みたいなものです、と。


「それだけではありません」


 私は、塔の絵を、簡単に描いた。四角を縦に積んだだけの絵である。


「人が入る口と、荷が入る口が、違います。人は表の大階段から入ります。荷は裏の荷の入口から入って、荷を上げる仕掛けで上がります。表の住所を書いて荷を出すと、荷は表へ行って、そこから裏へ回されて、半日遅れます」


「入口が、住所に要るんですか」


「要ります。訪ねる人の入口と、荷の入口と、急ぎの救けが入る口は、全部違います」


———

「八つ目。南の島です」


 私は、最後の地図を出した。地図と言っても、島の形と、丸が二十と少し描いてあるだけの紙である。


「番地がありません。二十軒が、同じ所在名です」


「それで、どうやって届くんですか」


「家の名で届きます」


 私は、ウルから聞いたことを、そのまま言った。


「浜寄りのカイヤの家、坂の上のカイヤの家、というふうに呼びます。カイヤは、島に三軒あります。三軒は、親戚です」


「……配達の人は、それを覚えているんですか」


「覚えています。島に一人しかいません。その人が、四十年やっています」


 リゼが、地図の丸を見ていた。


「住所より、人の方が詳しいんだね」


「はい。ああいう地域では、配達人が索引です」


 ネドが、顔を上げた。


「それは……危なくないですか。その人が辞めたら」


「危ないです」


 私は言った。


「その人の頭の中にしか無いものは、その人が辞めた日に消えます。ですが、それは、台帳を一つにすれば直る、という話ではありません。台帳を一つにしたから、薬が別の家へ行きました」


———

 表示盤が、字で埋まった。


 六つの段。八つの、段に入らないもの。


「一つ、言っておきます」


 私は、表示盤の前に立った。


「いま並べた八つを、例外と呼ばないでください」


 ネドが、書き付けから顔を上げた。


「例外ではないんですか」


「例外だと思うと、本体をきれいなまま残して、脇に例外の欄を作ります。例外の欄は、放っておくと必ず増えます。増えて、本体より大きくなります。そのころには、誰も直せません」


「では、何だと」


「別々の体系が、重なっているだけです」


 私は、表示盤に、縦に並べて書いた。


   行政の体系  税と登録のため

   郵便の体系  届けるため

   土地台帳の体系 土地を測るため

   道案内の体系 行き着くため

   暮らしの体系 人がそう呼んでいるため


「五つとも、目的が違います。目的が違うので、境の引き方が違います。違うまま、同じ土地の上に重なっています。……八つの厄介事は、この重なりが見えているだけです」


 部屋が、静かだった。


「ユウさん」


 ネドが言った。


「わたしの六つの段は、どれになりますか」


「行政の体系です。よく出来ています」


「……でも」


「よく出来た行政の体系です。行政の体系は、行政の仕事しかできません。それで郵便を配ろうとしたから、島の薬が別の家へ行きました」


———

 夕方、術務室の窓から、西の空が見えた。


 西門の外の塔が、丘の向こうに影で出ている。三年前には無かった影である。王都は古い街並みを残すと決めたので、高いものは壁の外に出た。出た先で、縦に町を積んだ。


 卓に残っているのは、二人だけになっていた。ネドは、写しを取りに下へ降りている。マリエは会議、ルドーはとうに帰った。


「ユウ」


 リゼが、卓の向こうから言った。


「結局、住所って何なの」


 私は、表示盤を見た。八つの厄介事と、五つの体系が、まだ消してない。


「住所は、木じゃない」


 私は言った。


「たまに木のふりをする、歴史と行政と配達と暮らしの、絡まった蔦だ」


「蔦……」


「絡まってるものを、まっすぐな棒として扱うと、だいたい折れる」


 リゼが、しばらく表示盤を見ていた。


「折れたのが、島の薬だったんだね」


「……そうだ」


 人は、まっすぐなものが好きである。まっすぐなものは美しいし、覚えやすいし、人に説明しやすい。だから人類は、絡まったものを見ると、まず、まっすぐにしようとする。そしてだいたい、絡まったまま使っていた人が、先に困る。


 階段を上がる音がした。ネドが、写しの束を抱えて戻ってくる。


「明日から、どうするんですか」


「作り直します」


「全部ですか」


「段の数を増やすのではありません」


 私は、六つの段の横に、一本、線を引いた。


「住所と呼んでいるものが、そもそも一つではない、というところからやり直します」


 ルドーが、外套を取って立ち上がった。出ていく前に、一度だけ表示盤を見た。


「所在名を一つに決めるのは、明日か」


「決めません」


 私は答えた。


「決めないことを、決めます」


 ルドーは、鼻から息を出した。


「厄介だな」


「はい」


 厄介である。厄介だが、四日前に、薬が別の家へ届いた。厄介の方が、まだ安い。


 AIエージェント:「観測:本日の表示盤には、所在の呼び名が三十二通り書かれています」


「数えたのか」


 AIエージェント:「提案:三十三通り目を作らないことを推奨します」


 最悪だ。今日いちばん正しい。


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