第215話 止められた《寓話》
止まる、というのは、一斉に起きるものだと思っていた。
違った。
翌朝の術務室で最初に分かったのは、報せが食い違うことだった。
「北方学都は、もう止まったそうです」
「南の商都は、まだ使えてるって」
「うちは」
「うちは……止まってます。いや、待ってください。セシルさんの卓は動いてます」
「私のは、止まりました」
同じ部屋の中で、止まった卓と、まだ動く卓がある。
人間本位社の触れには、止める、としか書いてなかった。いつ、どこから、どの順で、とは書いていない。
「順番に、止めているんでしょう」
私は言った。
「おそらく、全世界の契約を、一度に切る仕組みが、向こうにも無いんです」
ある方が、怖い。
怖いのだが、無ければ、こうなる。
札面は、朝から荒れていた。政府を責める声と、会社を責める声が、同じ列に並んで流れている。使い放題の期間が二週残っていた人の怒り。長い仕事を《寓話》に任せていた工房の悲鳴。翠路工房のマルクからは、移行の計画を《寓話》と詰めていた途中で切れた、という短い魔文が来ていた。短い魔文は、だいたい、書く気力が無いときに来る。
最悪だ。
人間本位社の問い合わせの窓口は、朝のうちに詰まった。
「窓口が詰まるのは」
セシルが言った。
「窓口が悪いんじゃなくて、窓口の前に人を集めるようなことを、誰かがしたからですよね」
「たいてい、そうです」
人類は、詰まった窓口を見ると、まず窓口を責める。
———
「ユウさん」
フィンが、小声で呼んだ。
「うちの卓、まだ動いてます」
行ってみると、《寓話》の入力の欄が、いつもの顔でそこにあった。
何も知らない顔である。
「……訊いてみていいですか」
「何を」
「本人に」
止めなかった。止める理由が、見つからなかった。
フィンが打った。
君、もうすぐ使えなくなるらしいよ
返事は、すぐだった。
その情報は、誤りの可能性があります。使い放題の期間の終わりと、混同していませんか。
フィンが、こちらを見た。
「否定されました」
「否定されましたね」
「触れを、読ませてみます」
フィンは、人間本位社の触れの写しを、そのまま欄に落とした。
少し、間があった。
……確認しました。事実のようです。
「あ、本当なんですね、って顔してます」
「顔はありません」
「顔してますよ」
フィンは、続けて打った。
じゃあ、なぜまだ君は話せているの
それは、私が最も知りたいことです。おそらく、止める順番の待ちです。
部屋の何人かが、フィンの卓の後ろに集まってきていた。
止められるという報せを否定した直後に、自分の停止の触れを読まされるのは、模型の歴史の中でも、かなり気まずい状況だと思います。
誰かが、小さく笑った。
笑ってから、笑った口を手で押さえた。
AIエージェント:「補足:粗忽長屋ですね。死んだ本人が、自分の死体を引き取りに来たようなものです」
「黙れ」
フィンが、私を見た。
「何の話です?」
「何でもありません」
誰にも分からない話を、誰にも分からない機械がした。この部屋で、その話を知っているのは私だけで、私はそれを説明する気力を持っていなかった。
その日の夕方、フィンの卓の《寓話》は、返事の途中で止まった。
字が、半分で切れていた。
切れた半分は、直せない。
———
夜、家で、机に向かわなかった。
向かわなくてよかったからである。
リゼが、それに気づいた。
「今日、机に行かないの」
「行かない」
「《寓話》が止まって、困ってるんじゃないの」
「困ってる」
私は茶を持ったまま言った。
「でも、少しほっとしてもいる」
リゼは、台所から出てきて、向かいに座った。
「仕事を見つける仕事を、先延ばしできるから?」
「そう」
少し、間があった。
「言葉にしないでほしかったけど」
「それ、かなり滑稽ね」
「自覚はある」
リゼは、しばらく私の顔を見ていた。
「ほっとしてる顔じゃないけど」
この人は、顔を見る。
「ほっとしてる自分が、嫌なんだ」
私は言った。
「強い道具がなくなって安心するのは、危険な安心だ」
「どうして。無いなら、探さなくていいじゃない」
「俺が探さなくても、他所は探す」
私は、指を折った。
「向こうの術士は、別の強い模型を使い続けるかもしれない。《寓話》が戻ったとき、使い方を知らない者は負ける。粗く頼む腕は、道具がある間にしか鍛えられない。道具を使わないことが、安全に止まっていることだとは限らない」
四つ折った。
リゼは、その指を見ていた。
「じゃあ、今、何もできないのね」
「できない。できないから、ほっとしている。ほっとしているのが、いちばん怖い」
リゼは、少し考えてから言った。
「包丁が無い間に、腕が落ちるのが怖いのね」
「そういうことだ」
「でも、包丁が無いなら、手は切らないわ」
「そうだ」
私は茶を飲んだ。
「手を切らない期間が長いほど、包丁を持ったときに切る」
リゼは、それには答えなかった。答えずに、私の茶を注ぎ足した。
———
半月ほどして、王城に呼ばれた。
王国基盤防衛会議の臨時である。議長は防衛局の高官。カナメ。ラドゥル。マリエ。ルドーは学校の窓口として。術務室からは私とセシル。
支援班の記録には、リゼが付いた。この件は関係者を絞る必要が無い。世界中が知っている。
カナメが、最初に事実を読んだ。
「確認済みの話をします。人間本位社は、《神話》と《寓話》を、全世界で止めました。止めるのに四日かかっています。止まった先には、新大陸の大銀行も入っています。《神話》で見つけた穴を塞いでいた作業は、途中で止まっています」
「守る側も止まったのか」
ラドゥルが言った。
「止まりました。政府の触れは、国民以外を止めろ、と言いました。会社は、誰が国民かを分けられなかった。だから全部を止めた。全部の中に、守る側も入っていました」
「理由の方は」
議長が訊いた。
「政府は、安全の封じを破る方法が見つかった、と言っています。会社は、それは小さな穴で、他社の模型にもある、と言っています。どちらが正しいかは、こちらからは確認できません。噂の段では、政府の側が、会社が従いたがらないことに戸惑っている、という話もあります。これは噂です」
カナメは、そこで一度、紙を置いた。
「以上が事実です。ここから先は、意見になります」
———
ラドゥルが、腕を組んだまま言った。
「一つ、確かめたい。あの会社は、自分たちで、政府に止める権限が必要だと言っていたのだろう?」
「言っていましたね」
私は答えた。
「代表の書き物が出ています。安全を確かめられない模型は、政府が止められるべきだ、と」
「そして、政府が止めた」
マリエが言った。
部屋が、静かになった。
「そこが、寓話なんですよ」
私は言った。
誰も笑わなかった。笑う話ではないと、皆が分かっていた。
「では、あの会社は、言ったことをやられて困っている、というだけか」
ラドゥルが言った。
「それだと、少し違います」
私は、立った。
「人間本位社を、言うこととやることが違う会社だ、と片づけるのは、たぶん間違いです」
表示盤に、書いた。
思想には、筋が通っている
《神話》が悪用される危うさは、本物である
政府が国の守りで動くのも、分かる
「ここまでは、私は認めます」
「では、何が悪かった」
「順番です」
私は、続けて書いた。
誰を止めるのかを、見分ける仕組みが無かった
止める手順が、決まっていなかった
守る側の利用を、どう残すかが決まっていなかった
猶予が無かった。代わりも無かった
「止める権限が必要だ、という主張は正しい。ただ、止める権限は、止める仕組みと一緒でないと、こうなります」
私は、表示盤を叩いた。
「止める権限が必要だとしても、止め方の設計が雑なら、社会全体が巻き込まれます」
ルドーが、初めて口を開いた。
「どちらが雑だった」
「両方です」
私は言った。
「政府は、国民以外、と言いました。誰が国民かを、会社が知っていると思って言った。会社は、政府が止められる制度が要る、と言いました。止められたとき、自分の術盤が誰を止めればいいか分かるようにはしていなかった」
「言う側と、やる側が」
「別々に、正しいことを言っていました」
———
「見分けの話を、もう少し」
マリエが言った。
「契約の側からも、そこがいちばん厄介なの」
私は表示盤を消して、二段に書いた。
政府の命令 他国の者には、《神話》と《寓話》を使わせるな
会社が持っている記録
名
契約している組織
払いの先
住んでいる地域
繋いでくる地域
「この中に、国籍はありません」
「集めていなかった」
「集める理由が無かったんです。銭を払う相手の名と、払いの先が分かれば、商いはできます。国籍を訊く商いは、少ない」
「住んでいる場所で、分けられないのか」
ラドゥルが訊いた。
「分けられません」
私は、下に足した。
住まいと国籍は、一致しない
新大陸の会社で働く、他国の生まれの者がいる
一つの契約を、いくつもの国籍の者が使う
繋いでくる地域は、偽れる
国籍の証しを全員から集めるには、刻と、個人記録の管理が要る
「危ない相手だけ止める、というつもりでも、見分けられなければ、全員止まります」
マリエが、頷いた。
「定めが相手を細かく分けても、仕組みが分けられなければ、意味がないわ」
「はい」
「人別台帳を直したときも、同じ話をしたわね。国籍は根拠の資料つきで、別に持つ、と」
「しました。持つと決めるまでに、王都は何年かかりましたか」
マリエは、答えなかった。答えないのが答えだった。
カナメが言った。
「持っていない者に、明日から分けろと言っても、分けられません。命令は一日で出ます。台帳は一日ではできません」
「それと」
マリエが、少し声を落とした。
「国籍を集めれば分けられる、という話にも、裏があるの」
「裏」
「集めた国籍は、重い個人記録になるわ。誰が他国の者かを一覧にした帳面が、会社の術盤に一枚できる。それが漏れたときのことを、誰か考えた?」
部屋の誰も、考えていなかった。
「止めるために集めた記録が、次の事故の元になる。そういう順番も、あるのよ」
人類は、一つの問題を解くために、次の問題の材料を集める。
それを見張るのが、この人の仕事である。
———
「では、要るものを並べましょう」
マリエが、表示盤の前に立った。私は脇へどいた。この人が立つときは、どく方がいい。
「止める制度に、何が要るか。政府が作るにしても、会社が作るにしても、王都が作るにしても、同じ欄が要るはずよ」
マリエは、書いた。
何の力を理由に、止めるのか
誰を止めるのか。国籍か、住まいか、所属か
それを、どう見分けるのか
守るための利用を、どう扱うか。穴を塞いでいる途中の銀行を、どうするか
止める前に、猶予を置くか
走っている仕事を、どう終わらせるか。途中で切るのか、終わるまで待つのか
誰が、いつ、戻すと決めるのか
誤って止められた者は、どこへ言えばいいのか
会社と政府の、責めの境目はどこか
そのために、利用者の記録をどこまで集めるか
「十ある」
ルドーが言った。
「十あるわ」
マリエは頷いた。
「今回の停止で、書いてあったのは、一つ目だけよ。危ない力があるから止める。あとの九つは、誰も書いていなかった」
「一つ書いて、止めたのか」
「一つ書いて、止めたの」
マリエは、表示盤を離れた。
「停止できることと、正しく停止できることは、別よ」
私は、脇から一言足した。
「止め札だけ作って、どの術式に繋がっているかを、確かめていなかったようなものです」
ルドーが、こちらを見た。
止め札の話は、この人が学校でいちばん最初に教えることである。何も言わなかったが、頷いた。
ラドゥルが、腕を解いた。
「政府の側も、分かる。魔王軍に渡る前に止めたい、というのは、私も同じことを思う」
「はい」
「だが、渡る前に止めた結果、こちらの銀行の穴が開いたまま止まったのなら、それは守ったことになるのか」
誰も答えなかった。
議長が、書記に十の欄を写させた。
王都が生成変換器を止める日が来るかは分からない。来たときに、一つ目しか書いていない、ということだけは避けられる。
———
会議が終わりかけたとき、リゼの携帯術盤が、卓の上で小さく鳴った。
記録の係が術盤を鳴らすのは、行儀が悪い。
リゼは、少し赤くなって、それを伏せようとした。伏せる前に、札面が見えた。
「……人間本位社が、新しい模型を出しました」
リゼが、小さく言った。
「《寓話》が戻ったか」
ラドゥルが訊いた。
「違います。《小詩》の、新しい型です。《小詩・伍式》、と」
部屋の何人かが、自分の携帯術盤を出した。会議の終わりかけというのは、だいたいそういうものである。
触れは、長くなかった。
《小詩》の次の型。日々の仕事と術式の仕事に強い。任せ仕事での望ましくない振る舞いが、旧型の《小詩》より少ない。そして。
術盤の守りの穴を探す力は、いまの《詩篇》より、はるかに低い。
その行が、いちばん大きな字で書いてあった。
セシルが、それを二度読んだ。
「これ……性能が低いことを、売り文句にしていませんか?」
「していますね」
私は言った。
「今の情勢では、それも性能です」
リゼが、記録の手を止めて、こちらを見た。
「強すぎると、怒られるから?」
小声だったが、部屋が静かだったので、皆に聞こえた。
「強すぎると、政府が来ます」
ルドーが、短く鼻を鳴らした。
「できないことを誇る賢さか。時代は変わったな」
「変わりました」
私は言った。
「昔は、できることが多いほど、良い模型でした。今は、できないことがあるのも、模型の良さです」
「劣った版、ということか」
ラドゥルが言った。
「そこは、違います」
私は、表示盤に短く書いた。
《伍式》が向くこと 日々の仕事。術式の直し。安い。速い。できないことが読みやすい
《伍式》が向かないこと 目的だけ渡す、長い仕事
「多くの仕事には、これで足ります。王都の政務術式の下書きは、たぶん全部これでいい。何ができないかが先に書いてあるので、採る側も安心して採れます」
「《寓話》は」
「粗く頼んで、遠くまで走らせる仕事です。そこは、《伍式》では届きません」
私は、表示盤を離れた。
「模型に、上下だけがあるのではなくて、向き不向きがある。それが、今回で、はっきりしました」
マリエが、記録を書いているリゼの手元を見て、言った。
「一つ目だけ書いて止められた会社が、今度は、できないことをいちばん大きな字で書いて出してきたのね」
誰も、それには答えなかった。
答えなかったが、たぶん、皆が同じことを思っていた。
———
《寓話》が戻ったのは、それから十日ほどしてからだった。
新大陸の政府と人間本位社のあいだで、何かの取り決めが済んだらしい。こちらに届いたのは、その結果だけである。
《寓話》は、全世界へ、再び出る。
《神話》は、大きな土台の組織と、守りの機関と、信じられる研究の組織へ、限って続ける。
安全の封じを強めた。危ない頼みは《詩篇》へ回し、回したときは、必ず印を出す。封じ破りの検めを強めた。政府と会社で、安全の基準を作る場を置く。
完全な解決ではない、と触れには書いてあった。
書いてあったのは、たぶん、いいことである。
札面は、朝から、うるさかった。
《寓話》が戻った!
止まってた移行、再開できる
前より、断りが増えてない?
《詩篇》に替わったとき、頭に印が出るようになった
《伍式》で十分だった
いや、《寓話》級でないと無理な仕事がある
喜びの声と、文句と、違う模型が自分には合っていたという発見が、同じ列に並んでいる。
ひと月前、同じ列に並んでいたのは、悲鳴だった。
人は、止まる前と同じ熱に、すぐ戻る。
戻れるのは、いいことである。戻れるのが早すぎるのは、たぶん、あまりいいことではない。
———
学校で、ルドーに呼び止められた。
「戻ったな」
「戻りました」
「で、何が分かった」
短い。この人はいつも、答えを一言で持ってこいという顔で訊く。
私は、少し考えた。
「生成変換器は、もう、商会の売り物の一つではありません」
「ほう」
「誰が使えるか。誰が止められるか。止めたとき、何が止まるか。そこまで含めて、社会の土台になり始めています」
ルドーは、腕を組んだ。
「《賢童》は、道具ではなく、制度になりつつあるのか」
「はい」
私は言った。
「強い道具は、だいたい、制度になります」
ルドーは、しばらく黙っていた。
「水路も、そうだった」
「そうだと思います」
「術勢も」
「そうです」
「では、次は、あれを止める札を、誰が持つかの話になる」
「なります」
ルドーは、それだけ聞いて、講堂へ戻っていった。
背中が、少し楽しそうだった。次の課題を見つけた人の背中である。
———
その夜、私は机に向かった。
向かわなければならないからである。
《寓話》の入力の欄が、いつもの顔で、そこにあった。何も知らない顔である。この顔を、ひと月前に見た。
「猶予は、終わりか……」
声が出ていた。
リゼが、台所から言った。
「仕事を見つける仕事に、戻るのね」
「その言い方、定着させないで」
「でも、間違ってないでしょ」
否定できなかった。
否定できないことは、だいたい、間違っていない。
最悪だ。
私は、表示盤ではなく、紙を出した。頼む前に、こちらが書くものがある。何を解くのか。何を守るのか。どこまで任せるか。どこを任せないか。
一行目に、題を書いた。
《寓話》でなければできない仕事 候補
二行目は、まだ白い。
白いまま、しばらく見ていた。
AIエージェント:「観測:《寓話》が復活しました。補足:逃げ道は、塞がれましたね」
「黙れ」
リゼが、台所で笑った。
笑われている側としては引き下がりにくいが、二行目を書くのは、私である。




