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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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215/246

第215話 止められた《寓話》

 止まる、というのは、一斉に起きるものだと思っていた。


 違った。


 翌朝の術務室で最初に分かったのは、報せが食い違うことだった。


「北方学都は、もう止まったそうです」


「南の商都は、まだ使えてるって」


「うちは」


「うちは……止まってます。いや、待ってください。セシルさんの卓は動いてます」


「私のは、止まりました」


 同じ部屋の中で、止まった卓と、まだ動く卓がある。


 人間本位社の触れには、止める、としか書いてなかった。いつ、どこから、どの順で、とは書いていない。


「順番に、止めているんでしょう」


 私は言った。


「おそらく、全世界の契約を、一度に切る仕組みが、向こうにも無いんです」


 ある方が、怖い。


 怖いのだが、無ければ、こうなる。


 札面は、朝から荒れていた。政府を責める声と、会社を責める声が、同じ列に並んで流れている。使い放題の期間が二週残っていた人の怒り。長い仕事を《寓話》に任せていた工房の悲鳴。翠路工房のマルクからは、移行の計画を《寓話》と詰めていた途中で切れた、という短い魔文が来ていた。短い魔文は、だいたい、書く気力が無いときに来る。


 最悪だ。


 人間本位社の問い合わせの窓口は、朝のうちに詰まった。


「窓口が詰まるのは」


 セシルが言った。


「窓口が悪いんじゃなくて、窓口の前に人を集めるようなことを、誰かがしたからですよね」


「たいてい、そうです」


 人類は、詰まった窓口を見ると、まず窓口を責める。


———

「ユウさん」


 フィンが、小声で呼んだ。


「うちの卓、まだ動いてます」


 行ってみると、《寓話》の入力の欄が、いつもの顔でそこにあった。


 何も知らない顔である。


「……訊いてみていいですか」


「何を」


「本人に」


 止めなかった。止める理由が、見つからなかった。


 フィンが打った。


   君、もうすぐ使えなくなるらしいよ


 返事は、すぐだった。


   その情報は、誤りの可能性があります。使い放題の期間の終わりと、混同していませんか。


 フィンが、こちらを見た。


「否定されました」


「否定されましたね」


「触れを、読ませてみます」


 フィンは、人間本位社の触れの写しを、そのまま欄に落とした。


 少し、間があった。


   ……確認しました。事実のようです。


「あ、本当なんですね、って顔してます」


「顔はありません」


「顔してますよ」


 フィンは、続けて打った。


   じゃあ、なぜまだ君は話せているの


   それは、私が最も知りたいことです。おそらく、止める順番の待ちです。


 部屋の何人かが、フィンの卓の後ろに集まってきていた。


   止められるという報せを否定した直後に、自分の停止の触れを読まされるのは、模型の歴史の中でも、かなり気まずい状況だと思います。


 誰かが、小さく笑った。


 笑ってから、笑った口を手で押さえた。


 AIエージェント:「補足:粗忽長屋ですね。死んだ本人が、自分の死体を引き取りに来たようなものです」


「黙れ」


 フィンが、私を見た。


「何の話です?」


「何でもありません」


 誰にも分からない話を、誰にも分からない機械がした。この部屋で、その話を知っているのは私だけで、私はそれを説明する気力を持っていなかった。


 その日の夕方、フィンの卓の《寓話》は、返事の途中で止まった。


 字が、半分で切れていた。


 切れた半分は、直せない。


———

 夜、家で、机に向かわなかった。


 向かわなくてよかったからである。


 リゼが、それに気づいた。


「今日、机に行かないの」


「行かない」


「《寓話》が止まって、困ってるんじゃないの」


「困ってる」


 私は茶を持ったまま言った。


「でも、少しほっとしてもいる」


 リゼは、台所から出てきて、向かいに座った。


「仕事を見つける仕事を、先延ばしできるから?」


「そう」


 少し、間があった。


「言葉にしないでほしかったけど」


「それ、かなり滑稽ね」


「自覚はある」


 リゼは、しばらく私の顔を見ていた。


「ほっとしてる顔じゃないけど」


 この人は、顔を見る。


「ほっとしてる自分が、嫌なんだ」


 私は言った。


「強い道具がなくなって安心するのは、危険な安心だ」


「どうして。無いなら、探さなくていいじゃない」


「俺が探さなくても、他所は探す」


 私は、指を折った。


「向こうの術士は、別の強い模型を使い続けるかもしれない。《寓話》が戻ったとき、使い方を知らない者は負ける。粗く頼む腕は、道具がある間にしか鍛えられない。道具を使わないことが、安全に止まっていることだとは限らない」


 四つ折った。


 リゼは、その指を見ていた。


「じゃあ、今、何もできないのね」


「できない。できないから、ほっとしている。ほっとしているのが、いちばん怖い」


 リゼは、少し考えてから言った。


「包丁が無い間に、腕が落ちるのが怖いのね」


「そういうことだ」


「でも、包丁が無いなら、手は切らないわ」


「そうだ」


 私は茶を飲んだ。


「手を切らない期間が長いほど、包丁を持ったときに切る」


 リゼは、それには答えなかった。答えずに、私の茶を注ぎ足した。


———

 半月ほどして、王城に呼ばれた。


 王国基盤防衛会議の臨時である。議長は防衛局の高官。カナメ。ラドゥル。マリエ。ルドーは学校の窓口として。術務室からは私とセシル。


 支援班の記録には、リゼが付いた。この件は関係者を絞る必要が無い。世界中が知っている。


 カナメが、最初に事実を読んだ。


「確認済みの話をします。人間本位社は、《神話》と《寓話》を、全世界で止めました。止めるのに四日かかっています。止まった先には、新大陸の大銀行も入っています。《神話》で見つけた穴を塞いでいた作業は、途中で止まっています」


「守る側も止まったのか」


 ラドゥルが言った。


「止まりました。政府の触れは、国民以外を止めろ、と言いました。会社は、誰が国民かを分けられなかった。だから全部を止めた。全部の中に、守る側も入っていました」


「理由の方は」


 議長が訊いた。


「政府は、安全の封じを破る方法が見つかった、と言っています。会社は、それは小さな穴で、他社の模型にもある、と言っています。どちらが正しいかは、こちらからは確認できません。噂の段では、政府の側が、会社が従いたがらないことに戸惑っている、という話もあります。これは噂です」


 カナメは、そこで一度、紙を置いた。


「以上が事実です。ここから先は、意見になります」


———

 ラドゥルが、腕を組んだまま言った。


「一つ、確かめたい。あの会社は、自分たちで、政府に止める権限が必要だと言っていたのだろう?」


「言っていましたね」


 私は答えた。


「代表の書き物が出ています。安全を確かめられない模型は、政府が止められるべきだ、と」


「そして、政府が止めた」


 マリエが言った。


 部屋が、静かになった。


「そこが、寓話なんですよ」


 私は言った。


 誰も笑わなかった。笑う話ではないと、皆が分かっていた。


「では、あの会社は、言ったことをやられて困っている、というだけか」


 ラドゥルが言った。


「それだと、少し違います」


 私は、立った。


「人間本位社を、言うこととやることが違う会社だ、と片づけるのは、たぶん間違いです」


 表示盤に、書いた。


   思想には、筋が通っている

   《神話》が悪用される危うさは、本物である

   政府が国の守りで動くのも、分かる


「ここまでは、私は認めます」


「では、何が悪かった」


「順番です」


 私は、続けて書いた。


   誰を止めるのかを、見分ける仕組みが無かった

   止める手順が、決まっていなかった

   守る側の利用を、どう残すかが決まっていなかった

   猶予が無かった。代わりも無かった


「止める権限が必要だ、という主張は正しい。ただ、止める権限は、止める仕組みと一緒でないと、こうなります」


 私は、表示盤を叩いた。


「止める権限が必要だとしても、止め方の設計が雑なら、社会全体が巻き込まれます」


 ルドーが、初めて口を開いた。


「どちらが雑だった」


「両方です」


 私は言った。


「政府は、国民以外、と言いました。誰が国民かを、会社が知っていると思って言った。会社は、政府が止められる制度が要る、と言いました。止められたとき、自分の術盤が誰を止めればいいか分かるようにはしていなかった」


「言う側と、やる側が」


「別々に、正しいことを言っていました」


———

「見分けの話を、もう少し」


 マリエが言った。


「契約の側からも、そこがいちばん厄介なの」


 私は表示盤を消して、二段に書いた。


   政府の命令  他国の者には、《神話》と《寓話》を使わせるな


   会社が持っている記録

    名

    契約している組織

    払いの先

    住んでいる地域

    繋いでくる地域


「この中に、国籍はありません」


「集めていなかった」


「集める理由が無かったんです。銭を払う相手の名と、払いの先が分かれば、商いはできます。国籍を訊く商いは、少ない」


「住んでいる場所で、分けられないのか」


 ラドゥルが訊いた。


「分けられません」


 私は、下に足した。


   住まいと国籍は、一致しない

   新大陸の会社で働く、他国の生まれの者がいる

   一つの契約を、いくつもの国籍の者が使う

   繋いでくる地域は、偽れる

   国籍の証しを全員から集めるには、刻と、個人記録の管理が要る


「危ない相手だけ止める、というつもりでも、見分けられなければ、全員止まります」


 マリエが、頷いた。


「定めが相手を細かく分けても、仕組みが分けられなければ、意味がないわ」


「はい」


「人別台帳を直したときも、同じ話をしたわね。国籍は根拠の資料つきで、別に持つ、と」


「しました。持つと決めるまでに、王都は何年かかりましたか」


 マリエは、答えなかった。答えないのが答えだった。


 カナメが言った。


「持っていない者に、明日から分けろと言っても、分けられません。命令は一日で出ます。台帳は一日ではできません」


「それと」


 マリエが、少し声を落とした。


「国籍を集めれば分けられる、という話にも、裏があるの」


「裏」


「集めた国籍は、重い個人記録になるわ。誰が他国の者かを一覧にした帳面が、会社の術盤に一枚できる。それが漏れたときのことを、誰か考えた?」


 部屋の誰も、考えていなかった。


「止めるために集めた記録が、次の事故の元になる。そういう順番も、あるのよ」


 人類は、一つの問題を解くために、次の問題の材料を集める。


 それを見張るのが、この人の仕事である。


———

「では、要るものを並べましょう」


 マリエが、表示盤の前に立った。私は脇へどいた。この人が立つときは、どく方がいい。


「止める制度に、何が要るか。政府が作るにしても、会社が作るにしても、王都が作るにしても、同じ欄が要るはずよ」


 マリエは、書いた。


   何の力を理由に、止めるのか

   誰を止めるのか。国籍か、住まいか、所属か

   それを、どう見分けるのか

   守るための利用を、どう扱うか。穴を塞いでいる途中の銀行を、どうするか

   止める前に、猶予を置くか

   走っている仕事を、どう終わらせるか。途中で切るのか、終わるまで待つのか

   誰が、いつ、戻すと決めるのか

   誤って止められた者は、どこへ言えばいいのか

   会社と政府の、責めの境目はどこか

   そのために、利用者の記録をどこまで集めるか


「十ある」


 ルドーが言った。


「十あるわ」


 マリエは頷いた。


「今回の停止で、書いてあったのは、一つ目だけよ。危ない力があるから止める。あとの九つは、誰も書いていなかった」


「一つ書いて、止めたのか」


「一つ書いて、止めたの」


 マリエは、表示盤を離れた。


「停止できることと、正しく停止できることは、別よ」


 私は、脇から一言足した。


「止め札だけ作って、どの術式に繋がっているかを、確かめていなかったようなものです」


 ルドーが、こちらを見た。


 止め札の話は、この人が学校でいちばん最初に教えることである。何も言わなかったが、頷いた。


 ラドゥルが、腕を解いた。


「政府の側も、分かる。魔王軍に渡る前に止めたい、というのは、私も同じことを思う」


「はい」


「だが、渡る前に止めた結果、こちらの銀行の穴が開いたまま止まったのなら、それは守ったことになるのか」


 誰も答えなかった。


 議長が、書記に十の欄を写させた。


 王都が生成変換器を止める日が来るかは分からない。来たときに、一つ目しか書いていない、ということだけは避けられる。


———

 会議が終わりかけたとき、リゼの携帯術盤が、卓の上で小さく鳴った。


 記録の係が術盤を鳴らすのは、行儀が悪い。


 リゼは、少し赤くなって、それを伏せようとした。伏せる前に、札面が見えた。


「……人間本位社が、新しい模型を出しました」


 リゼが、小さく言った。


「《寓話》が戻ったか」


 ラドゥルが訊いた。


「違います。《小詩》の、新しい型です。《小詩・伍式》、と」


 部屋の何人かが、自分の携帯術盤を出した。会議の終わりかけというのは、だいたいそういうものである。


 触れは、長くなかった。


 《小詩》の次の型。日々の仕事と術式の仕事に強い。任せ仕事での望ましくない振る舞いが、旧型の《小詩》より少ない。そして。


 術盤の守りの穴を探す力は、いまの《詩篇》より、はるかに低い。


 その行が、いちばん大きな字で書いてあった。


 セシルが、それを二度読んだ。


「これ……性能が低いことを、売り文句にしていませんか?」


「していますね」


 私は言った。


「今の情勢では、それも性能です」


 リゼが、記録の手を止めて、こちらを見た。


「強すぎると、怒られるから?」


 小声だったが、部屋が静かだったので、皆に聞こえた。


「強すぎると、政府が来ます」


 ルドーが、短く鼻を鳴らした。


「できないことを誇る賢さか。時代は変わったな」


「変わりました」


 私は言った。


「昔は、できることが多いほど、良い模型でした。今は、できないことがあるのも、模型の良さです」


「劣った版、ということか」


 ラドゥルが言った。


「そこは、違います」


 私は、表示盤に短く書いた。


   《伍式》が向くこと  日々の仕事。術式の直し。安い。速い。できないことが読みやすい

   《伍式》が向かないこと 目的だけ渡す、長い仕事


「多くの仕事には、これで足ります。王都の政務術式の下書きは、たぶん全部これでいい。何ができないかが先に書いてあるので、採る側も安心して採れます」


「《寓話》は」


「粗く頼んで、遠くまで走らせる仕事です。そこは、《伍式》では届きません」


 私は、表示盤を離れた。


「模型に、上下だけがあるのではなくて、向き不向きがある。それが、今回で、はっきりしました」


 マリエが、記録を書いているリゼの手元を見て、言った。


「一つ目だけ書いて止められた会社が、今度は、できないことをいちばん大きな字で書いて出してきたのね」


 誰も、それには答えなかった。


 答えなかったが、たぶん、皆が同じことを思っていた。


———

 《寓話》が戻ったのは、それから十日ほどしてからだった。


 新大陸の政府と人間本位社のあいだで、何かの取り決めが済んだらしい。こちらに届いたのは、その結果だけである。


 《寓話》は、全世界へ、再び出る。


 《神話》は、大きな土台の組織と、守りの機関と、信じられる研究の組織へ、限って続ける。


 安全の封じを強めた。危ない頼みは《詩篇》へ回し、回したときは、必ず印を出す。封じ破りの検めを強めた。政府と会社で、安全の基準を作る場を置く。


 完全な解決ではない、と触れには書いてあった。


 書いてあったのは、たぶん、いいことである。


 札面は、朝から、うるさかった。


   《寓話》が戻った!

   止まってた移行、再開できる

   前より、断りが増えてない?

   《詩篇》に替わったとき、頭に印が出るようになった

   《伍式》で十分だった

   いや、《寓話》級でないと無理な仕事がある


 喜びの声と、文句と、違う模型が自分には合っていたという発見が、同じ列に並んでいる。


 ひと月前、同じ列に並んでいたのは、悲鳴だった。


 人は、止まる前と同じ熱に、すぐ戻る。


 戻れるのは、いいことである。戻れるのが早すぎるのは、たぶん、あまりいいことではない。


———

 学校で、ルドーに呼び止められた。


「戻ったな」


「戻りました」


「で、何が分かった」


 短い。この人はいつも、答えを一言で持ってこいという顔で訊く。


 私は、少し考えた。


「生成変換器は、もう、商会の売り物の一つではありません」


「ほう」


「誰が使えるか。誰が止められるか。止めたとき、何が止まるか。そこまで含めて、社会の土台になり始めています」


 ルドーは、腕を組んだ。


「《賢童》は、道具ではなく、制度になりつつあるのか」


「はい」


 私は言った。


「強い道具は、だいたい、制度になります」


 ルドーは、しばらく黙っていた。


「水路も、そうだった」


「そうだと思います」


「術勢も」


「そうです」


「では、次は、あれを止める札を、誰が持つかの話になる」


「なります」


 ルドーは、それだけ聞いて、講堂へ戻っていった。


 背中が、少し楽しそうだった。次の課題を見つけた人の背中である。


———

 その夜、私は机に向かった。


 向かわなければならないからである。


 《寓話》の入力の欄が、いつもの顔で、そこにあった。何も知らない顔である。この顔を、ひと月前に見た。


「猶予は、終わりか……」


 声が出ていた。


 リゼが、台所から言った。


「仕事を見つける仕事に、戻るのね」


「その言い方、定着させないで」


「でも、間違ってないでしょ」


 否定できなかった。


 否定できないことは、だいたい、間違っていない。


 最悪だ。


 私は、表示盤ではなく、紙を出した。頼む前に、こちらが書くものがある。何を解くのか。何を守るのか。どこまで任せるか。どこを任せないか。


 一行目に、題を書いた。


   《寓話》でなければできない仕事 候補


 二行目は、まだ白い。


 白いまま、しばらく見ていた。


 AIエージェント:「観測:《寓話》が復活しました。補足:逃げ道は、塞がれましたね」


「黙れ」


 リゼが、台所で笑った。


 笑われている側としては引き下がりにくいが、二行目を書くのは、私である。


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