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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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214/246

第214話 神話と寓話

 冬の術務室は、朝がいちばん静かなはずである。


 今朝は違った。


 炭はまだ熾っていない。窓の内側には霜が張っている。それなのに、部屋の奥だけが暖かい。人が一か所に固まっているからだ。


 表示盤の前に、七、八人。


 誰も自分の卓に着いていない。


「本当なんですか、それ」


「本当らしいです。新大陸の報せが三つ、同じことを言ってます」


 早口が聞こえた。フィンである。休みの日の話をするときだけ早口になる男だが、今日は休みの日ではない。


「人間本位社が、新しい模型を作ったそうです。名前が、《神話》」


「《神話》」


「《賢童》の、いちばん上です。《詩篇》の上」


 私は外套を掛けながら、表示盤を覗いた。


 新大陸の報せが、いくつも並んでいる。どれも、同じ会社の同じ模型の話をしていた。


「何ができるんですか」


 若い者が訊いた。


「何ができるか、じゃないんです」


 フィンが言った。


「何を頼めるか、が違うんです」


———

 人間本位社。


 新大陸の、生成変換器の会社である。


 公開人造賢性会を辞めた術士たちが立てた会社で、《賢童》という名で言葉の模型を出している。《小詩》は速くて安い。《詩篇》は強くて高い。術務室では去年から《詩篇》を月々の契約で使っていて、試験札の下書きと、訳しの補助と、古い術式を読み解くときの当たりづけに使っている。


 使えば分かるが、《詩篇》は、頼んだことをきちんとやる。


 頼まなかったことは、やらない。


 それでよかった。それが道具である。


「《神話》は、違うらしいんです」


 フィンが、報せの一つを指した。


「"この基盤を、次の十年も使えるようにして"と頼んだ人がいて。そうしたら、古い術式の棚卸しから、移行の手順まで、ぜんぶ作ったって」


「頼んだのは、それだけ?」


「それだけです」


「……何を直すかも、言わずに?」


「言わずに」


 部屋が、少しざわついた。


「大銀行の術盤を読ませたら、誰も気づいていなかった守りの穴を、七つ見つけたそうです」


 別の者が言った。


「そのうち三つは、入り方まで考えられたとか」


「入り方まで」


 私は表示盤を見た。


 使うと世界が直る。悪用すると世界が燃える。


 とうとう、そういう道具が出てきたか。


 人類は、便利なものと危ないものを、だいたい同じ袋に入れて作る。


「それで」


 私は言った。


「いつから使えるんですか」


「使えません」


 フィンが即答した。


「公開しないそうです。強すぎるので」


———

 昼前に、カナメが来た。


 魔安対の責任者である。用があるときしか来ない人が、外套も脱がずに入ってきた。


「確認済みの話と、そうでない話を、分けて言います」


 カナメは、いつもそう始める。


「確認済みの方からです。人間本位社は、《神話》を一般には出しません。出す先を絞っています。新大陸の大銀行。魔力を配る網の運営者。国の土台になる大きな組織。信じられる守りの研究者。公の守りの機関」


「王都は」


 セシルが訊いた。


「入っていません」


 カナメは、即答した。


「基盤防衛会議から問い合わせは出しました。返事は丁寧でした。丁寧で、答えは無かった」


「大銀行には、ただで配っているとも聞きました」


 フィンが言った。


「それも確認済みです。値を下げるか、ただで渡して、《神話》が見つけた穴を急いで塞がせています。塞がる前に、他の者が同じ穴を見つけると困るからです」


 悪い話ではない。


 悪い話ではないのだが、部屋の空気は、少し曇った。


 向こうの銀行は守られる。こちらの銀行は、向こうの銀行が塞いだあとに、同じ穴が自分の盤にもあるかどうかを、自分で調べることになる。


「なぜ、出さないんですか」


 若い者が訊いた。


「守りの穴を見つける力が、強すぎます」


 カナメが言った。


「守る側にも効きます。攻める側にも効きます。同じ力です。頼んできた者が、塞ぐつもりなのか、入るつもりなのかを、模型の側からは見分けにくい」


「見分けられないなら、断ればいいのでは」


「断り方を覚えさせても、破る者が出ます」


 カナメは、外套の襟を直した。


「確認できていない話は、一つだけです。人間本位社は、この模型から危ない力だけを削った別の版を、近いうちに一般へ出すらしい」


「削った版」


「名前まで出ています。《寓話》」


 《神話》と、《寓話》。


 名付けた人間は、たぶん、あとで自分の首を絞めることになる名を選んだ。


 そのときの私は、まだそう思っていなかった。


———

 二日後、《寓話》が出た。


 人間本位社の札面に、長い触れが出ている。


 《神話》から、術盤の守りの穴を探す力を削った。それ以外は、《神話》とほぼ同じ。目的だけを渡した長い仕事を、自分で分けて、自分で進める。守りの穴を探す頼み、攻める頼み、それに模型の真似をさせる頼みには応じず、危ないと見た頼みは《詩篇》に肩代わりさせる。


 そして。


 出てから数週のあいだ、使い放題の契約者は、追加の払いなしで《寓話》を使える。


 そのあとは、出した字の数で払う。


 値も書いてあった。


 フィンが、その行を三度読んだ。


「……高い」


「高いですね」


 セシルが言った。


「使い放題が終わったら、《詩篇》の何倍ですか」


「桁が、一つ違います」


 部屋が、しばらく静かになった。


 術務室の《詩篇》の契約は、使い放題である。つまり今日から数週のあいだ、《寓話》が使える。


 ただである。


 ただの期間というのは、だいたい、あとで高くなるものの前に置かれている。


 最悪だ。


「試しましょう」


 私は言った。


 現場は待たない。流行も待たない。ただの期間も、待たない。


———

 まず、細かい頼みからやった。


「この術式の、この一行を直してください」


 フィンが打った。


 直った。


「この試験札を足してください」


 足された。


「この札面の見え方を、こう変えてください」


 変わった。


「この帳面を、こちらの形に写してください」


 写された。


 全部、正しい。全部、速い。


「……すごいですけど」


 フィンが言った。


「《詩篇》でもできるような」


「できますね」


 セシルが頷いた。


「速さは少し上です。でも、これで桁が一つ違うのは」


 そのとおりである。


 細かく頼めば、細かく返ってくる。そこは《詩篇》と同じで、同じなら、安い方でいい。


 私は、入力の欄の前に座った。


「一つ、私が頼みます」


 少し考えてから、打った。


   申請札受理盤から許可札発行窓口までの一群を、次の十年も大事故を起こしにくい形に直してください。ただし、止める時間はできるだけ短く。現場の職員の手順を、増やしすぎないでください。


 打ってから、手を離した。


「……それだけですか」


 フィンが言った。


「それだけです」


「何を直すか、書いてませんけど」


「書いていません」


 《寓話》は、すぐには返してこなかった。


 欄の脇に、いま何をしているかが、短く出る。


 仕様の綴りを読んでいる。


 作業板の案件札を読んでいる。三年ぶん。


 どの術式が、どの術式に頼っているかを洗っている。


 止めると何が止まるかを数えている。


 部屋の誰も、口を開かなかった。


 炭が、ぱち、と鳴った。


———

 半刻かかった。


 出てきたものは、長かった。長かったが、頭に、短い目次があった。


   いま直すこと 四つ

   三年のうちに直すこと 七つ

   直さないと決めたこと 二つ。理由つき

   止める時間 最長で一刻。夜に二度

   現場の手順が増える所 二か所。どちらも三月で消える

   残る危うさ 三つ


 セシルが、目次の三行目を指で押さえた。


「……直さない、と」


「書いてありますね」


「直さない理由が、書いてあります」


 読んだ。


 一つは、受付の番の振り方で、これは法の定めだから触らない、とあった。もう一つは、直せるが、直すと窓口の職員が三月のあいだ二重の手順を持つことになり、その三月に起きる間違いの方が、直さないままの十年より重い、とあった。


 誰も何も言わなかった。


 フィンが、最初に息を吐いた。


「……これ、うちが去年、半年かけて出した案と、だいたい同じです」


「だいたい?」


「うちの案には、直さないと決めたこと、の欄はありませんでした」


 部屋の空気が、変わった。


 感心している空気ではない。もっと静かな、少し寒い空気である。


———

「賢い、という話ではありません」


 私は、皆の方を向いて言った。


「賢いだけなら、《詩篇》も賢いです。違うのは、頼みの粗さを、粗いまま受け取ったことです」


「粗いまま」


「私は、何を直すか言いませんでした。言わなかったぶんを、《寓話》が自分で細かくした。仕様を読み、事故の札を読み、頼りの筋を洗い、止めると何が止まるかを数えた。そのうえで、直すことと、直さないことを分けた」


 表示盤に、二つ書いた。


   手順で頼む

   目的で頼む


「《詩篇》には、上で頼みます。この一行を直せ。この試験を足せ。上手にやります」


「《寓話》は」


「下で頼めます。下で頼んで、壊れない」


 私は、下の行を叩いた。


「これは、短く頼めばいい、という話ではありません」


「粗く頼んでも壊れない頼み方を、こちらが作れるか、という話です」


 セシルが、腕を組んだ。


「作れるか、というのは」


「さっきの私の頼みには、四つ入っています」


 表示盤に足した。


   何を解くのか     大事故を起こしにくくする

   何を守るのか     止める時間。現場の手順

   どこまで任せるか   直す中身は任せる。直す順は任せる

   どこを任せないか   直さないと決めたことは、こちらが読む


「四つのうち一つでも抜けていたら、《寓話》は遠くまで走って、遠くで間違えます」


「たとえば」


「守るものを書かなければ、窓口を三月止める案が出てきます。正しい案です。正しくて、使えません」


 フィンが、ゆっくり頷いた。


「……細かい手順しか頼めない人は」


「《寓話》を使っても、《詩篇》との差を引き出せません」


 私は言った。


「強い模型ほど、頼む側の腕を隠してくれません」


 人類は、道具が強くなるたびに、自分の腕が問われなくなると思う。


 だいたい逆である。


———

 その夜、家で、久しぶりに机に向かった。


 リゼは、台所で茶を淹れている。


「今日、《寓話》を使った」


「札面で騒いでたやつ」


「そう」


「どうだった」


「すごかった」


「ふーん」


 リゼは、茶を二つ持ってきた。


「すごかった、って言うときの顔じゃないけど」


 そのとおりである。


「使い放題が、数週で終わる。終わったら、字の数で払う。高い。桁が一つ違う」


「じゃあ、使えなくなるの」


「予算が取れれば、使える」


「取れるの」


「取るには、《寓話》でなければできない仕事がある、と言わないといけない」


 リゼが、茶を置いた。


「あるの?」


「今日、一つ見た。だが、一つでは足りない。それに、あれは術務室が半年かけて出せたものでもある。半年が半刻になった、というだけでは、通らないかもしれない」


「じゃあ」


「今のうちに、《寓話》級でないとできない仕事を、見つけないと」


 言ってから、自分の茶を持った。


 リゼは、少し黙っていた。


「……仕事をするために、仕事を見つける仕事をしてるの?」


「やめて」


 私は言った。


「言葉にすると、滑稽だから」


「高い包丁を買う理由を作るために、硬い野菜を探してるのね」


「やめて」


 AIエージェント:「観測:使い放題の残りは、二十六日です。補足:本日、あなたが《寓話》に頼んだ件数は一件です」


「……知ってる」


 リゼは笑わなかった。少しだけ、心配そうな顔をしていた。


「それ、《寓話》が無い間は、やらなくていい仕事だったんじゃないの」


「そうだ」


「じゃあ、《寓話》のせいで増えた仕事ね」


「……そうなる」


 私は茶を飲んだ。


「あの会社、名前からして、かなり思想が重い会社だな」


「人間本位、って」


「人を真ん中に置く、という意味らしい。人の長い目で見た利益に従うべきだ、とか。強さだけでなく、止められることを重んじる、とか」


「立派ね」


「立派だ。立派な名前の会社の道具のせいで、俺は硬い野菜を探している」


 リゼは、今度は少し笑った。


———

 数日、札面が騒がしかった。


 《寓話》に何を頼んだか、という自慢と、驚きと、少しの怖さが、あちこちに流れている。


 術務室でいちばん早口になっていたのは、やはりフィンだった。


「これ、見ました?」


 卓に、携帯術盤を置いた。


「『紅霧館異変』、知ってます?」


「知りません」


「極東島国の、古い遊戯です。画面いっぱいに魔弾が降ってきて、隙間を縫って避け続けるやつで。名作なんですけど、島国の古い型の個人用術盤でしか動かないんです」


「それで」


「《寓話》に頼んだ人がいて。そうしたら、勝手に術式を読み解いて、知恵之実社の術盤で動く版を作ってくれたって」


 フィンは、うれしそうだった。


 うれしそうなのは分かるが、私は少し黙った。


「……それ、権利は」


 セシルが、向かいの卓から言った。


「そこは、札面でも揉めてます」


「揉めるでしょう」


「でも、あの遊戯の術式契約に、読み解きを禁じる条が無かったらしいんです」


「無ければ、何でもいいの」


 声がした。


 マリエが、扉のところに立っていた。今朝は王城からまっすぐ来たらしい。


「はっきり禁じられていないことと、何でも許されていることは、同じではないわ」


 フィンが、少し縮んだ。


「作った人が、二十年前に、模型が術式を読み解く世の中を考えて契約を書いたと思う?」


「……思いません」


「書いていないのは、許したからではなくて、思いつかなかったから。そこを突くのは、法ではなくて、行儀の話よ」


 マリエは、それだけ言って、自分の卓へ行った。


 できてしまうことと、やってよいことは、別である。


 道具が強くなると、その二つの間の距離が、急に広がる。


———

 揉め事は、もう一つ来た。


 こちらは、人間本位社の側の話である。


「《寓話》の答えが、急に悪くなることがある、と」


 セシルが、札面の報せを読み上げた。


「決まった頼みをすると、そうなる。模型の真似をさせようとする頼み。問いと答えを大量に集めて、別の模型を育てようとする頼み」


「問答写し、ですね」


 私は言った。


「強い模型に大量に問いを投げて、答えを集めて、それを見本札にして別の模型に真似させる。模型そのものは盗めなくても、振る舞いは写せる」


「それを、人間本位社は嫌がっているんですね」


「嫌がるでしょう。自分の売り物の写しが出回るのだから」


「それで、そういう頼みが来ると、《寓話》ではなく《詩篇》に答えさせていたそうです」


 セシルは、そこで少し顔をしかめた。


「黙って」


「黙って」


「利用者は、《寓話》に頼んだつもりです。答えているのは《詩篇》です。答えの質が落ちて、それでようやく気づいた人がいて、今、かなり責められています」


 私は、少し考えた。


「安全のための肩代わり自体は、分かります」


「分かりますか」


「分かります。危ない頼みに、いちばん強い模型が答える必要はない。弱い方に回すのは、筋の通った守りです」


「では」


「でも、黙ってやると、信頼を失います」


 マリエが、卓から顔を上げた。


「契約している相手と、実際に仕事をした相手が違う、ということね」


「そうです」


「大工を頼んで銭を払ったら、来たのは弟子で、しかも誰も弟子だと言わなかった」


「弟子の腕が良ければ、気づかないかもしれません」


「気づかないから、いいの?」


「よくないです」


 私は言った。


「気づいたときに、今までの答えの全部が、疑わしくなります。どれが《寓話》で、どれが《詩篇》だったか、もう分からない。分からないものは、信じられません」


 人間本位社は、十日ほどして、直した。


 肩代わりが起きたときは、答えの頭にその印を出す。


 最初からそうしておけばよかった話である。最初からそうしておけばよかった話は、だいたい、あとから直る。


———

 王城の会議は、ひとつ余計な議題を持って終わった。


 王国基盤防衛会議の定例で、終わりかけたところで、ラドゥルが手を挙げた。


「防衛局から聞いた話がある。噂の段だ。確認は取れていない」


 カナメが、頷いた。噂の段、と言ってから話す人間を、この人は信用する。


「魔王軍が、《寓話》と《神話》に、大量の問いを投げているらしい」


 部屋が、静かになった。


「答えを集めて、何をする」


 議長が訊いた。


「真似をする模型を育てる。育てたものの重みを、公開するかもしれない、とも聞いた」


 ラドゥルは、私の方を見た。


「重み、というのが、よく分からん」


「模型の中身です」


 私は言った。


「言葉の模型は、膨大な数の重みでできています。どの言葉がどの言葉を強く見るか、その強さの数が、何千億と並んでいる。それが、模型の能力そのものです。重みを持っている者は、模型を持っています」


「では、重みを盗まれなければよいのか」


「盗まれなくても、写せます」


 私は、表示盤に書いた。


   重みを盗む   できない。人間本位社の術盤の中にある

   答えを集める  できる。頼めば返ってくる

   答えで育てる  できる。似たものができる


「問答写し、と呼んでいます。人間本位社が、《寓話》に真似をさせる頼みを嫌がったのは、これのためです」


 ラドゥルは、腕を組んだ。


「《神話》そのものを盗めなくても、その答えを集めれば、似たものを作れるのか」


「まったく同じにはならないでしょう」


 私は言った。


「でも、十分に危ないものは、作れるかもしれません」


「弟子は、師匠にはなれん」


 ラドゥルが言った。


「だが、師匠の型を三つ盗めば、勝てる相手はいる」


「そういうことです」


 カナメが、口を開いた。


「一つ足します。同じことを考えているのは、魔王軍だけではありません。新大陸の新興の商会にも、同じ動きがあるという話が、こちらにも来ています」


「確認は」


「取れていません。噂の段です」


 議長が、書記に何か書かせた。


 噂の段、という欄が、王城の記録に増えた。


———

 学校へ行くと、講堂が《寓話》の話で埋まっていた。


 冬の講堂は、人の息で窓が曇る。


 ルドーは教卓に肘を置いて、学生が騒ぐのを、黙って見ていた。


「ユウ」


「はい」


「話せ」


 何を、とは言わない。


 私は、術務室でやったことを、そのまま話した。手順で頼む。目的で頼む。四つの欄。


 学生の一人が、手を挙げた。


「目的で頼んで、外れたら、どうなりますか」


「遠くで間違えます」


 私は言った。


「手順で頼めば、間違いは一行の中に収まります。目的で頼めば、間違いは計画の中に収まります。大きい」


 ルドーが、そこで口を開いた。


「課題と同じだな」


 学生が、そちらを見た。


「問いが悪ければ、優秀な者ほど、遠くまで間違える」


 短い。短いが、講堂が静かになった。


 優秀な学生ほど、ずれた問いに真面目に答えて、真面目に外れる。この人は、それを何十年も見てきたのだろう。


「かなり似ています」


 私は言った。


 別の学生が、遠慮がちに手を挙げた。


「札面で、こういう冗談が流れていて」


「言ってみろ」


「重みを全部、紙に刷って、本にして新大陸から持ち出せばいいのでは、と」


 講堂が、笑った。


 私は、笑わなかった。


 何年か前の、外務院の会議室が浮かんだ。対外封印規定。札に封じれば駄目で、本に綴じればよい。法は容れ物を見る。


 あの規定は、まだ生きている。


「……昔、同じ話がありました」


 私は言った。


「秘匿術の話です。冗談ではなく、本気で本を輸入して、王国で読み解きました」


「動いたんですか」


「動きました。ひどい回り道でしたが」


 ルドーが言った。


「本は持ち出せる。賢さは持ち出せん。面倒な線引きだな」


「面倒です」


 私は言った。


「線引きの方が、技術より先に壊れることがあります」


 冗談で言った学生が、笑うのをやめていた。


 やめる必要はなかった。あの時点では、まだ冗談だった。


———

「全部刷ったら、何冊になるの」


 夕食のあと、リゼが訊いた。学校の話をしたからである。


「数えたことはない」


「数えて」


 私は、少し考えた。


「持ち出す前に、運ぶ人の腰が終わるくらい」


「答えになってない」


「それくらい、という答えだ」


 リゼは納得していない顔で、皿を下げた。


 私は、携帯術盤で、人間本位社の代表が数日前に出した書き物を読み返していた。長い。長いが、言っていることは、いくつかに絞れる。


 安全を確かめられない模型は、危ない。


 それを会社の自主だけに任せてはいけない。


 必要なら、政府が動きを止められる制度が要る。


 模型を作る会社にも、外からの目が要る。


「何、読んでるの」


「人間本位社の、代表の書き物」


「立派なこと、書いてある?」


「書いてある。しかも、筋が通っている」


 私は術盤を置いた。


「自分の会社の模型も、止められることになるのに」


「止められる側が言うから、重いんだ」


 そのときは、そう思っていた。


 言った人間は、たぶん、自分が言ったことの意味を分かっていた。


 分かっていて、それでも、順番までは決めていなかった。


———

 翌朝の術務室は、また、朝から暖かかった。


 今度は、うれしい暖かさではなかった。


「ユウさん」


 フィンの声が、早口ではなかった。


 表示盤に、新大陸の触れが出ている。政府の触れである。


 《神話》と《寓話》を、対外封印規定の対象に指定する。


 両模型は、国の守りに関わる重要な生成変換器である。


 国民以外に使わせることを禁じる。国の内外を問わない。他国の生まれの人間本位社の社員も同じ。


 破れば、会社に重い罰。


「……対外封印」


 セシルが言った。


「秘匿術の、あれですか」


「あれです」


 私は、触れを読み直した。


 理由は、短かった。安全の封じを破る方法が見つかった、とある。人間本位社は同じ日に返しの触れを出していて、それは小さな穴で、他社の模型にも同じ穴がある、と書いていた。


 どちらが正しいかは、ここからは分からない。


 分かるのは、次の一行だった。


 人間本位社は、利用者の国籍をすぐには見分けられない。


 住んでいる場所は分かる。契約している組織は分かる。払いの先も分かる。国籍は、集めていない。


 だから。


 《神話》と《寓話》を、全世界で止める。


「全世界」


 フィンが言った。


「うちも」


「うちも、です」


 部屋が、騒然となった。


 半年かけた案が半刻で出た話をしていた卓で、誰かが、まだ《寓話》に頼んでいた長い仕事が途中で切れた、と言った。別の卓で、誰かが、使い放題の期間はまだ二週あるはずだ、と言った。あるはずの期間は、あった。使えるものが、無くなった。


 私は、表示盤の前で、しばらく動かなかった。


 《寓話》が、寓話みたいな止まり方をした。


 名付けた人間は、たぶん、ここまでは考えていなかった。


 最悪だ。


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