第213話 来ない人を数える
翌朝、蒼穹空路社から使いが来た。
運行管制室へ来てほしい、という文である。
文の下に、王都交通局の判が押してあった。トーレの手だ。判を押すだけなら押せます、と二年前に言った人が、今度は自分から押している。
「行くの」
リゼが玄関で言った。
「行く」
「わたしも」
「呼ばれていない」
「呼ばれてなくても、昨日、あそこにいたのはわたしも」
それは、そうである。
結局、二人で出た。
あとで分かったのだが、交通局は最初から市民の席をひとつ置いていた。リゼがそこに座ることになったので、私が断らなくて正解だった。
———
運行管制室は、塔の四階にあった。
昨日の部屋の、ひとつ上である。
入って、まず思ったのは、静かだということだった。
人はいる。十四、五人が卓に着いている。だが、誰も大きな声を出していない。全員が、壁の図を見ている。
壁の図には、線と札のほかに、細い紙が何本も垂れていた。
路線。船の名。席の数。予約の数。来る見込み。協力を頼む人の数。振り替えの先。宿の空き。協力金の額。風の向き。塔の枠。乗り継ぎ。
その全部が、刻ごとに書き換わる。
書き換えているのは、人だった。
「盤が出すのは数です」
マイスが言った。
「札を差し替えるのは、うちの者です」
「なぜ、盤に差させないんですか」
「差させたことがあります」
マイスは、少し苦い顔をした。
「間違えたときに、誰も気がつきませんでした」
———
卓には、ルドーもいた。
昨日の便を譲ったので、この人はまだ王都にいる。今朝の便で発つ予定だという。
トーレは、いちばん端に座っていた。書付を膝に載せている。
マリエは、もう表示盤の脇に立っていた。この人は、部屋に入った瞬間に立つ場所を決める。
「昨日のことを、順に話します」
マイスが立った。
「朝の三番。席が百五十。予約が百五十八。来られたのが百五十八。乗れなかった方が八人。振り替えにご協力いただいたのが七人。残る一人は」
マイスは、言葉を切った。
「北方学都の入りの試験を受ける方でした」
部屋が、静かになった。
「その方は」
「昼の一番に、お乗りいただきました」
マイスは言った。
「昼の一番は、四刻遅れて着きます。試験は明日の朝でしたので、間に合いました」
私は、少し息を吐いた。
「では、間に合ったんですね」
「間に合いました」
マイスは、そこで頭を下げた。
「ですが、うちが間に合わせたのではありません。たまたま、昼の便に一席空いていただけです」
この人が悪い会社の人でないことは、これで分かった。
悪い会社の人は、間に合ったところで話を止める。
———
「まず、伺いたいことがあります」
私は言った。
「席より多く受けるのを、やめる気はありますか」
マイスが、まっすぐこちらを見た。
「ありません」
「理由を」
「空席で飛ばせば、次の便の値段が上がります」
マイスは言った。
「値段を下げるには、席を埋めるしかありません。今、北方学都まで、いちばん安い乗船券で銀貨九枚です。二年前は、翼竜を四回乗り継いで銀貨四十枚でした」
「九枚」
リゼが小さく言った。
「……安いのね」
「安くしました」
マイスは言った。
「安くしたから、学生が乗ります。安くしたから、身内の葬式に間に合う人がいます。空席を十ずつ持ったまま飛ばしていたら、この値段にはなりません」
私は頷いた。
「過剰予約そのものは、悪意だけでやっていることではありません」
私は言った。
「そこは、私も認めます」
マイスが、少し肩の力を抜いた。
抜いたところで、私は続けた。
「ですが、外れたときに、誰に負担を押しつけるかは、別に決めないといけません」
———
私は、表示盤を借りた。
二行、書いた。
何人あふれるか
誰に降りてもらうか
「上は、見立て術の仕事です」
私は言った。
「路線と、曜日と、刻と、値段の種別と、荷と、乗り継ぎを見て、来ない人が何人いそうかを見積もる。数を出す仕事です」
「下は」
マイスが訊いた。
「下は、数の仕事ではありません」
私は言った。
「誰に頼むか。誰を先に守るか。いくら払うか。どこまでを人が決めるか。これは、見立て術には出せません」
「なぜです。盤のほうが、公平では」
若い管制の者が言った。
いい問いだった。私も、昔は同じことを思っていた。
「盤は、過去の見本札から手掛かりを拾います」
私は言った。
「昨日まで、いちばん降りてもらいやすかったのは、いちばん安い乗船券の人です。盤はそれを覚えます。覚えたら、明日も安い券の人から降ろします」
「……それは」
「安い券の人が、いちばん降りやすかったのではありません。いちばん断りにくかったんです」
部屋が、静かになった。
「盤は、その二つを区別できません」
私は言った。
「区別するのは、こちらの仕事です」
———
マリエが、表示盤の脇から言った。
「そこは、契約の話でもあるわ」
部屋の全員が、そちらを見た。
「乗船券を売るというのは、席を売っているのではありません。約束を売っています」
マリエは言った。
「その便で運ぶ、という約束です」
「約定の書には、席を確約するものではない、と書いてあります」
空路社の書記が言った。
「書いてあるでしょうね」
マリエは頷いた。
「書いてあるから、あなた方は昨日、法を破っていません。そこは、私が保証します」
書記が、少しほっとした顔をした。
ほっとするのが早い。
「ですが」
マリエは続けた。
「書いてあるから揉めない、ということには、なりません」
「……はい」
「安い乗船券だからといって、約束が消えるわけではないわ」
マリエは言った。
「値段が安いのは、いつ乗れるかを縛らない代わりです。乗せない代わりではありません。そこを混ぜると、次に来るのは苦情ではなくて、監督の側からの問い合わせです」
トーレが、膝の上の書付を持ち上げた。
「……もう、来ています」
「ふっふふ」
マリエが笑った。
「では、話が早いですね」
———
「補償のことを、整理させてください」
マリエは、表示盤に三つ書いた。
客の都合で乗らなかったとき
客が自分から譲ったとき
社の都合で乗せられなかったとき
「この三つは、別のものです」
マリエは言った。
「一つ目は、客の側の話です。返す返さないは、値段の種別で決まっています」
「二つ目は、頼みごとです。頼んだのはこちらですから、こちらが礼をします。それが協力金です」
「三つ目は」
マリエは、三行目を丸で囲った。
「これが、いちばん厄介です」
「昨日、乗れなかった八人のうち、七人は二つ目でした。自分から手を挙げています」
「残りの一人は」
「三つ目です」
マリエは言った。
「あの方は、自分から譲っていません。譲ってくれる人が足りなかったので、あの方が残りました」
マイスが、目を伏せた。
「二つ目と三つ目を、同じ帳面で扱ってはいけません」
マリエは言った。
「同じ帳面にすると、頼んだのか、押しつけたのかが、後から分からなくなります」
———
「補償って」
リゼが手を挙げた。市民の席から、きちんと挙げていた。
「謝るために出すお金じゃないの」
「違うわ」
マリエは、はっきり言った。
「補償は、詫びではなく、調整の道具です」
「調整」
「予定を動かせる人に、動いてもらうためのものよ」
リゼは、少し考えた。
「……お金で、予定を買い取るの?」
「乱暴に言えば、そう」
マリエは頷いた。
「でも、売れる予定と、売れない予定があるわ」
「売れない予定」
「昨日の、あの子の試験」
マリエは言った。
「観光なら、明日にできる。会いに行くだけなら、夕方でもいい。そこは売れる。試験は売れない。売れないものに値段をつけようとすると、制度のほうが先に信用を失うわ」
———
「順番の話をします」
私は、表示盤の二行目を指した。
「誰に降りてもらうか。ここに、決め方が要ります」
「今は、どうなっていますか」
「値段の安い順です」
マイスが正直に答えた。
「安い券の方から、順に声をおかけしています」
「それは、やめてください」
私は言った。
「安い券の人が先に不利になる決め方は、どこかで必ず表に出ます。出たときに、説明できません」
「では、何で決めます」
「見るものを挙げます」
私は表示盤を消して、書いた。
自分から譲ってくださる方がいるか
その用に、代わりがきくか
乗り継ぎがあるか
連れがいるか。小さい子か、年寄りか、手助けの要る方か
いつ着かなければいけないか
いつ受付を済ませたか
「多いですね」
マイスが言った。
「多いです」
私は言った。
「これを全部、盤に入れて、点をつけて、合計の低い人から降ろす。そういう作りにできます。たぶん、正しく動きます」
「では、そうしましょう」
「駄目です」
私は言った。
「正しいけれど説明できない配座は、現場で炎上します」
「昨日、あの塔の下で頭を下げていたのは、ノナさんです。点の合計が低かったので、あなたに降りていただきます、とは言えません」
マイスが、黙った。
「言えないので、現場は結局、言いやすい理由を自分で探します。そのとき、いちばん言いやすいのは、また、安い券です」
「……戻ってしまう」
「戻ります」
私は言った。
「決め方は、現場の人が口に出せる形にしてください。三つか、四つまでです」
マリエが、横から言った。
「説明できない不利益は、契約より先に信頼を壊すわ」
私は表示盤に、四つだけ書き直した。
一、自分から譲ってくださる方に、先に頼む
二、着かなければいけない刻が決まっている方は、頼まない
三、乗り継ぎのある方と、手助けの要る方は、頼まない
四、それでも足りないときは、受付の遅い方から順に頼む
「四つ目が、雑では」
管制の者が言った。
「雑です」
私は認めた。
「ですが、四つ目まで来る日は、めったにありません。めったに来ない場面のために三つ目までを複雑にすると、毎日が回らなくなります」
———
「二つ目のことで、伺います」
マイスが言った。
「着かなければいけない刻が決まっている方、というのは、どうやって分かりますか」
「分かりません」
私は言った。
「分からないので、申し出ていただくことになります」
「では、皆さん申し出ます」
マイスは言った。
「乗船券を買うときに、私の用は動かせません、と書く欄があれば、全員がそこに印を付けます」
そのとおりである。
「付けます。ですから、その欄は、うまくいきません」
「……作らないのですか」
「作ります。うまくいかないことを承知で作ります」
私は言った。
「試験の日付。診療の予約。葬式。乗り継ぎの乗船券の番号。裏の取れるものだけを、書ける欄にしてください。裏の取れないものは、書いても効きません」
「それでも、嘘を書く人は」
「います。嘘を潰す仕組みを作ると、正直な人が十枚の書付を用意する羽目になります。そちらのほうが、たぶん高くつきます」
「では、どうするんです」
「一つ目を、厚くします」
私は、表示盤の一行目を叩いた。
「自分から譲る人を、先に、たくさん見つけます。そこが足りている日は、二つ目から下は使われません」
———
「そこで、昨日のあの方の話です」
マイスが、少し言いにくそうに言った。
「バドさんです」
部屋の何人かが、小さく笑った。
この部屋では、顔が知られているらしい。
「あの方は、混みそうな便を狙って、直前に来られます」
マイスは言った。
「そして、必ず譲ってくださいます」
「ずるくない?」
リゼが言った。昨日と同じことを、同じ顔で言った。
「ずるいです」
マイスは、昨日と同じように答えた。
「ですが、助かっています」
「昨日、あの方が手を挙げてくださらなかったら、七人は集まりませんでした」
私は、そこで口を挟んだ。
「一つ、確かめさせてください」
「はい」
「あの方のような人が、五十人に増えたら、どうなりますか」
マイスが、口を開けたまま止まった。
しばらくして、答えた。
「……予約が、もっと読めなくなります」
「そうです」
私は言った。
「今の見立ては、あのような方々が少数だから当たっています。増えると、混む便に、混むことを当てにした人が集まります。混むから集まり、集まるからもっと混む」
「協力金を下げれば」
「下げれば来なくなります。来なくなった日に足りないのは、こちらです」
私は言った。
「もう一つ、悪いことが起きます。譲ってくれる人が必ずいると分かると、席をもっと多く受けたくなります。詰め物があるほど、荷を強く詰めたくなる」
「……それは」
「詰め物も、入れすぎると荷物になります」
私は言った。
「あの方々は、今の数だから効いています。数を数えておいてください。増え始めたら、それは見立てを直す合図です」
———
ルドーが、そこで初めて口を開いた。
「学校でも、同じ話がある」
部屋の全員が、そちらを見た。
「魔法学校の術式科は、定員が百二十だ」
ルドーは言った。
「入りの試験を受ける者は、毎年千を超える。合格を出すのは、百二十ではない」
「何人ですか」
管制の者が訊いた。
「四百ほどだ」
部屋が、ざわついた。
「三倍以上ですか」
「上の者が来んからだ」
ルドーは言った。
「上位で受かる者は、たいてい王立研究院の見習いに取られる。こちらが受からせても、あちらへ行く」
「……それは、席より多く売っているのと」
「同じだ」
ルドーは短く言った。
「一昨年は、読み違えた」
「どうなりました」
「百六十入った」
ルドーは、表情を変えずに言った。
「講堂の席が足りん。実習の術具が足りん。教える者が足りん。王城の支え金は、定員で決まる。四十人ぶんは、学校が持った」
「では、翌年は」
「締めた」
「締めたら」
「九十二人だ」
部屋の誰かが、呻いた。
「……減りすぎでは」
「減りすぎだ」
ルドーは言った。
「その年の九十二人には、何の落ち度もない。教える者は余り、講堂は空き、翌年の支え金が減った」
———
「浮遊船と学校が、同じなの」
リゼが訊いた。
「構造は、かなり近いです」
私は、部屋のほうへ言った。
表示盤に、並べて書いた。
席の数が決まっている
申し込んだ人が、全員来るわけではない
来る人数を見立てて、多めに受ける
外れると、あふれるか、空くか
「四つとも、同じです」
私は言った。
「違うのは、一つだけです」
「なんだ」
ルドーが訊いた。
「学校は、あふれても、詰めれば入ります」
私は言った。
「講堂の後ろに立たせることができます。苦しいですが、入ります」
「浮遊船は」
「入れられません」
私は言った。
「定員を超えて乗せることは、禁じられています」
———
「そこは、伺っておきたいです」
トーレが、膝の書付から顔を上げた。
「うちの局が判を押している決まりです。ですが、なぜ乗せてはいけないのかを、私は説明できません」
マイスが答えた。
「四つあります。一つは浮力です。船を浮かせている石の量は決まっています。重くなれば、釣り合う高さが下がる。低いところは空気が濃いので、押し環が食う魔力が増えます」
「二つ。止まる力です。船は地面を掴んでいません。止めるには逆向きに注ぐしかなく、注げる量には環の口の上限がある。重い船ほど、止まるのが遅くなります」
「進める力より、止める力が大きくなることはない」
私は言った。
「浮遊車のときに、同じ話をしました」
「三つ。保護術式です。高いところは寒くて、空気が薄い。客室は術式で守っていますが、あれは何人ぶんという形で組んであります。人数を増やして足りなくなるのは、空気です」
「四つ。逃げ道です。何かあったとき、渡し廊下まで人が動きます。通路の幅と扉の数で、通れる人数が決まっています」
トーレは、書付に書き取っていた。
書き取り終えて、顔を上げた。
「……つまり、席は、椅子の数ではないのですね」
「そうです」
私は言った。
「席は、樽の余りと、術式の口数と、扉の幅で決まっています。椅子は、それを人に見せるための形です」
「では、立たせることはできない」
「できません」
私は言った。
「あふれたぶんは、必ず、降りてもらうしかありません」
———
「学校のほうは、詰められる」
ルドーが言った。
「詰められるから、詰めた。詰めた年に、いちばん困ったのは学生だ」
「……それも、押しつけですね」
「押しつけだ」
ルドーは言った。
「読み違えたのは学校で、狭い講堂に座ったのは学生だ」
私は、表示盤に一行書いた。
定員を持つ仕組みは、だいたい、来ない人を数えている
「学校も、船も、宿も、催しも」
私は言った。
「席の数が決まっていて、申し込みが席より多くて、全員は来ない。そういう場所は、どこも、来ない人を数えています」
「数えなければ」
マイスが言った。
「空けて回すことになります」
「はい」
私は言った。
「数えないという選び方は、あります。ただし、そのぶんの費えは、必ず誰かが払います」
———
「では、直すところを挙げます」
私は、表示盤を消した。
五つ書いた。
一、見立てを直す
二、頼むのを早くする
三、動かせない用を、先に守る
四、順番を、口で説明できる形にする
五、外れたぶんは、社が持つ
「一つ目です」
私は、タリのほうを見た。
「昨日、盤を先月入れ替えたと伺いました」
「……はい」
タリが、卓の端で身を固くした。
「見本札は引き継いだが、値段の種別の分け方が違う、と」
「違います」
「では、前の二年の見本札は、今の盤では、少しずつ嘘をついています」
タリが、うなだれた。
「……申し訳ありません」
「謝る話ではありません」
私は言った。
「入れ替えたら、こうなります。誰がやってもこうなります。問題は、入れ替えたあとも、盤が今までと同じ顔で数を出していたことです」
「同じ顔、というのは」
マイスが訊いた。
「八、とだけ書いてありました」
私は言った。
「昨日、壁の札に出ていたのは、百五十と、百五十八です。この八が、確からしい八なのか、あやしい八なのかが、どこにも書いてありません」
「……はい」
「数だけ出す盤は、危ないです」
私は言った。
「自信のある見立てなのか、あやしい見立てなのかを、一緒に出してください」
「どう出せば」
「今日は読みにくい日です、と書ければ、それで足ります」
私は言った。
「入れ替えた直後。入りの試験の前日。祭の前。天気の報せが外れた朝。他社が欠航した日。そういう日は、当たらないと分かっています。分かっている日は、席を多く受けないでください」
タリが、顔を上げた。
「……多く受けないと、空きます」
「空きます」
私は言った。
「読みにくい日に多く受けて外すのと、読みにくい日に空けて飛ばすのと、どちらが安いかを、あなた方が数えてください。私は、数えられません」
マイスが、ゆっくり頷いた。
「数えます」
———
「二つ目です」
私は言った。
「頼むのが、遅すぎます」
「遅い、というのは」
「昨日、ノナさんが頼み始めたのは、渡し廊下の手前でした」
私は言った。
「あそこには、もう鞄を持って並んでいる人しかいません。全員が、今日そこへ行くつもりで来ています」
「では、いつ頼めば」
「前の日です」
私は言った。
「前の日の夕方に、この便は混みそうです、譲っていただける方はいませんか、と魔文で聞いてください。その刻なら、まだ予定を動かせる人がいます。協力金も安くて済みます」
「安く、ですか」
「前の日なら、宿を取り直すだけです。当日の朝なら、もう宿を出ています。夕方なら、その日一日が消えます」
マリエが、横で言った。
「お願いは、早いほど安く、丁寧にできます」
マリエは言った。
「遅いお願いは、だいたい高くつくわ」
「額を、三段にしてください」
私は言った。
「前の日。当日の朝。渡し廊下の手前。後になるほど、上げる。上げると決めて、先に書いて出してください」
「後で上がると分かったら、皆さん、待つのでは」
マイスが訊いた。
いい問いだった。この人は、ちゃんと自分の客を分かっている。
「待ちます」
私は言った。
「ですから、前の日に募る枠は、人数を切ってください。先の五人まで、と決める。五人埋まったら閉じる」
「……早い者勝ちですか」
「早い者勝ちです」
私は言った。
「待った人が損をする形にしないと、誰も早く手を挙げません」
———
「三つ目と、四つ目は、さっき話しました」
私は言った。
「五つ目です」
私は、表示盤の最後の行を丸で囲った。
外れたぶんは、社が持つ
「席より多く受けて当たった日、その利は、社に入ります」
私は言った。
「値段が下がり、便が増え、空席が減る。それは客にも回りますが、まず社に入ります」
「はい」
「外れた日の費えも、社が持ってください」
私は言った。
「見立てで利を得るなら、見立てが外れたときの費えも、社が持つべきです」
部屋が、静かになった。
マリエが、そこへ一言だけ足した。
「外れたときだけ客に押しつけるなら、それは見立てではなく、賭けだわ」
マイスは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「……賭けの胴元は、負けを客に払わせません」
「そうです」
私は言った。
「胴元が負けを客に払わせたら、それは賭けですらありません」
———
「一つ、確かめておきたい」
ルドーが言った。
「今日の話で、乗れん者は、いなくなるのか」
「いなくなりません」
私は言った。
「減らせます。ですが、ゼロにはなりません。席は百五十しかありません。百五十八人が来る日は、これからもあります。今日決めたのは、その八人をどう選ぶかと、選ばれた人に何を渡すかです」
ルドーは、腕を組んだ。
「不十分だな」
「不十分です」
私は言った。
「不十分だと、こちらが分かったうえで回します」
ルドーは、それ以上何も言わなかった。
この人が何も言わないときは、たいてい、通っている。
———
トーレが、最後に手を挙げた。
「うちの局の話を、ひとつ」
トーレは言った。
「昨日まで、うちには浮遊船の予約の仕組みを読める者がいませんでした。今日も、いません」
「はい」
「今日の話を、私は書き取りました」
トーレは、膝の書付を持ち上げた。
「書き取りましたが、来年、私が別の部署へ移ったら、この紙は誰も読みません」
正直な人である。
二年前に、路の局で同じことを言った人だ。
「一人、置いてください」
私は言った。
「盤を組める人でなくていいです。盤が出した数を見て、それが確からしいかを訊ける人でいいです」
「訊ける人」
「はい」
私は言った。
「許すかどうかを決める側が、許す中身を読めないままだと、二年後にまた同じ部屋で同じ話をします」
トーレが、書付にそれを書き足した。
この人は、いつも、いちばん困ることを自分の紙に書く。
———
試験の運用は、その月の終わりから始まった。
混みそうな便には、前の日の夕方に魔文が出る。
この便は混みそうです。夕の便へお移りいただける方に、協力金と、宿と、食事をご用意します。先の五名まで。
額が書いてある。移る先の刻も書いてある。宿の名も書いてある。
書いてあるものは、書いていないものより、ずっと信用される。
私は、始まって十日ほどしてから、もう一度浮遊港へ行った。
リゼが、また付いてきた。
塔の下は、相変わらず混んでいた。混んでいたが、列の脇に、もうひとつ列ができていた。
協力者の列である。
先頭に、見覚えのある擦り切れた外套があった。
「またいる」
リゼが言った。
「いるな」
バドは、こちらに気がついて、片手を挙げた。悪びれる様子は、まったく無い。
ノナが、その列を捌いていた。
あの日より、声が出ている。
「バドさん、夕の三番でよろしいですか」
「いいですよ」
「上席になります」
「え」
「夕の三番、下の席がもう埋まっておりまして。上席にお移しします。差額は頂きません」
バドは、しばらく黙った。
それから、拳を握った。
「……やった」
声に出ていた。
列に並んでいた他の人が、笑った。
———
渡し廊下のほうで、荷を預けている一団があった。
北方学都行きの、朝の三番である。
その列の中に、見覚えのある子がいた。
あの日の子だった。
今日は、鞄を抱えていない。肩に掛けている。
「受かったのかな」
リゼが言った。
「受かったんじゃないか」
私は言った。
「あの日の顔じゃない」
リゼが、私の袖を引いた。
「ねえ」
「ん」
「あの人、ちょっと得してない?」
リゼが指したのは、バドのほうだった。上席の券を受け取って、まだにやにやしている。
「してる」
「してるんだ」
「予定を動かせる人が、動かせない人のために動いたんだ」
私は言った。
「得をしてもいいと思う」
リゼは、しばらくバドを見ていた。
「……そうね」
「そう思う」
「うん」
リゼは頷いて、それから小さく言った。
「じゃあ、わたしも、いつか譲る側になろ」
「その日は、たぶん、急いでいないときだ」
「急いでる日は?」
「そのときは、遠慮なく乗ってくれ」
———
その夜、家で皿を拭きながら、私は今日のことを考えていた。
人類は、席の数を決めた瞬間から、来ない人を数え始める。
学校も、船も、宿も、催しも。数えなかった仕組みは、たいてい、空けて回すか、詰めて壊れる。
数えること自体は、悪くない。
悪いのは、数えた結果が外れたときに、その外れを人の一日へ押しつけて済ませることだ。
「ねえ」
リゼが、鍋を洗いながら言った。
「あの盤って、結局、何をしてるの」
「来ない人を数えてる」
「来てない人を、どうやって数えるのよ」
私は、手を止めた。
いい問いだった。今日いちばんの問いかもしれない。
「昨日まで来なかった人を数えて、明日も同じくらい来ないだろう、と決めている」
「それだけ?」
「それだけだ」
リゼが、鍋を置いた。
「……ずいぶん、雑ね」
「雑だ」
私は言った。
「雑なのに、たいてい当たる。人は、思っているよりずっと同じことをする」
「じゃあ、外れるのは」
「同じことをしない日だ」
私は言った。
「試験の日とか、祭の前の日とか。みんなが、いつもと違うことをする日」
リゼは、しばらく考えていた。
「その日って」
「ん」
「その日って、みんなにとって、大事な日じゃない?」
私は、皿を落としかけた。
そのとおりである。
見立てがいちばん外れる日は、乗る側にとって、いちばん譲れない日だ。
「……君は、たまに、こわいことを言う」
「褒めてる?」
「褒めてる」
AIエージェント:「観測:本日あなたが表示盤に書いた五行に、この指摘は含まれていません」
「黙れ」
AIエージェント:「提案:明朝、蒼穹空路社へ魔文を」
「……送る」
リゼが笑った。
「送るんだ」
「送る」
私は言った。
「明日の朝いちばんだ。最悪だ、今から書く」
鍋の湯が、また沸きはじめていた。




