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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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207/249

第207話 削除できない鍵

 王都警備局の会議室は、石と鉄の匂いがした。


 警備局は、街の詰所を束ねる局である。盗み、押し込み、市場の喧嘩。術盤の中の事件は魔安対、街の事件は警備局、というのが王都の住み分けで、私がこの建物に呼ばれたのは初めてだった。


 呼ばれた理由は、机の上に載っていた。


 小型の金庫がひとつ。


 その隣に、鍵が二本。


 一本は使い込まれて鈍く光っている。もう一本は、乳白色で、軽く、縁にうっすらと積み目が見える。


 造形錬成盤で作られた鍵である。


「触っても」


「どうぞ」


 持つと、拍子抜けするほど軽かった。おもちゃのようだった。


 おもちゃのような鍵で、机の上の金庫は、開いた。


———

 顔ぶれは多かった。


 警備局からは、詰め役のバッソという年かさの男。金庫を作った鉄函工房から、当主のガンド。造形錬成盤を作って売っている万形工房から、工房主のゼム。術務室から私。それから、なぜかルドーがいた。


「先生は、なぜ」


「学校に錬成盤を入れたばかりだ。入れた翌週にこれだ。見に来た」


 現場こそ授業だ、とこの人は言う。近ごろの現場は、会議室であることが多い。


 バッソが話を始めた。話し方が、疲れた人のそれだった。


「五日前だ。魔法仮想文書に、造形譜がひとつ上がった。題は——五号開き」


 鉄函工房の五号手金庫。商家の帳場に、宿の帳場に、だいたいひとつは置いてある小型金庫である。うちの近所のパン屋の釣り銭も、たしかあれに入っている。


「投稿の文には、守りの研究のため、とあった。名は伏せてあった」


「工房としては」


 ガンドは、腕を組んだまま言った。組んだ腕が太い。金槌を五十年握った腕である。


「悪質な偽物だ、と触れを出した。うちの錠は、絵に描いた程度で開くものか、と」


「それで」


「警備局が検めた」


 バッソが机の金庫を顎で指した。


「工房街の錬成盤で、上がっていた造形譜のとおりに作った。それが、その白い鍵だ。——三度試して、三度開いた」


 部屋が静かになった。


 ガンドは触れの文を撤回していない。撤回の言葉を、まだ探しているように見えた。


「偽物だと言ったのは」


 しばらくして、ガンドが言った。


「願いだ。偽物であってくれ、という」


———

 ここで、先に確かめておくべきことがあった。


「ガンドさん。五号の鍵は、一台ごとに違いますよね」


「違う」


 ガンドは即答した。


「錠ごとに山を変えてある。隣の店の鍵で、うちの金庫は開かん。そこは、どこのまともな錠でも同じだ」


「では、流れたのは、どの錠の鍵なんですか」


 ガンドは、すぐには答えなかった。答えたときは、机の白い鍵を見ていた。


「……どの錠の、でもない。全部だ」


「全部、とは」


「親鍵だ」


 部屋の空気が、一段沈んだ。


「五号にはな。客の鍵とは別に、親鍵が一本ある。どの五号でも開けられる、工房の合鍵だ」


「なぜ、そんな鍵を」


 バッソが訊いた。責める声ではなく、確かめる声だった。


「鍵をなくした客のためだ。錠ごと替えろ、と言うからには、まず金庫を壊さずに開けてやらねばならん。中身ごと鋸で挽くわけにはいかんのでな。——親鍵は、錠を替えるための道具だ」


「その形が、流れた」


「流れた。五十年、同じ形だ」


 私は、頭の中で、事件の大きさを測り直した。


「……普通の錠なら、鍵の形が一枚流れても、開くのは一つです。錠ごとに形が違うから、被害はその一軒で止まる。親鍵は、全部に効きます。だから、たった一枚の造形譜で、王都じゅうの五号が開くようになったんです」


「便利のための一本が、か」


 ルドーが言った。


「はい。錠を替えるための鍵が、全部の錠の弱みになりました」


———

「経緯を知りたい。なぜ、親鍵の形が外に出た」


 ルドーが訊いた。


「調べはついていない」


 バッソが答えた。


「親鍵の写しは、鉄函の本店の奥と、出入りの直し職人の分で、十と幾つあるそうだ。直しの出先で蝋に押されたか、よく写った絵姿から起こされたか。……絵姿からでも、形は起こせるそうだな」


 ゼムが、気まずそうに頷いた。


「起こせます。造形譜を作る術は、もう珍しいものではないので……。形が見えれば、形は写せます」


「つまり、出どころを一人に絞れるような話ではない」


「絞れたとしても、です」


 私は言った。


「絞って、その人を罰しても、出てしまった造形譜は戻りません。そちらの話を先にさせてください」


 バッソが片眉を上げた。


「消させればよかろう。札面の停止は、警備局から言える。詐欺の誘い札面では、いつもやっている」


「言いました、よね」


「言った。最初の置き場は、消えた」


「いま、写しはいくつありますか」


 バッソは手元の綴りを見た。見たくなさそうに見た。


「……分かっているだけで、札面が四つ。名を伏せて書ける札面がひとつ。国外の棚貸し工房に、ふたつ。それから、魔文の添え物として回っているのが、幾らあるか分からん」


 AIエージェント:「観測:昨夜から今朝までのあいだに、新しい置き場が二つ増えています。片方は、王都の外です」


 部屋じゅうの目が、こちらへ集まった。


「……続けて数えておいてください」


 私は言った。バッソが唸った。


「消すそばから増えるのか」


「消えたのを見て、写しておいてよかった、と思う人が増えるからです。消すこと自体が、値打ちの触れになってしまう」


「では、どうすればよいのだ」


 その問いに、まっすぐ答えられる人は、この部屋にいない。いないことを、まず全員で認めるところからだった。


「少なくとも——なかったことには、できません」


 私は言った。


「物なら、回収できます。売った樽を買い戻すことは、金があればできる。ですが、写しやすい形になった情報に、回収という言葉は効きません。去年、消せない台帳の一件で、王都はそれを一度学んでいます」


「学んだ覚えはないぞ」


「学んだのは、別の部署です」


 言ってから、これは嫌味に聞こえたなと思った。事実、少し嫌味だった。


———

「先に、事件の名前を直させてください」


 私は、備え付けの表示盤を借りた。警備局の表示盤は、縁が鉄で補強してあった。何に備えているのかは知らない。


「これは、鍵を盗まれた事件ではありません。鍵を作れる知識が、写せる形で流れた事件です」


 盤に書く。


 盗まれた鍵は、一本

 写された形は、数えられない


「鍵が一本盗まれたなら、話は簡単です。錠をひとつ替えて、終わりです。今回は、王都じゅうの五号手金庫の錠が、全部、同じ弱みを抱えました。一晩でです」


「弱みというのは」


 ガンドの声が硬くなった。職人の作った物の弱みの話である。硬くもなる。


「二枚、重なっています」


 盤に書いた。


 一、同じ形を差せば開く、という錠の当たり前

 二、一つの形が全部に効く、という親鍵の作り


「一枚目は、五号だけの話ではありません。同じ形を誰でも出せる世の中が来たので、形だけで守っている錠は、家の扉も役所の書庫も、これから同じ弱みを抱えます。——ただし、一枚目だけなら、形が流れても開くのは一軒です」


「二枚目が、うちか」


「はい。二枚目があったせいで、一軒の被害で済むはずのものが、王都じゅうの騒ぎになりました。次に流れるのは別の金庫か、家の扉か、役所の書庫でしょう。ですがそれが一軒の話で済むか、王都が一晩でまとめて危うくなるかは、親鍵のような作りがあるかどうかで決まります」


 バッソが天井を仰いだ。


「物を追いかける決まりなら、警備局は山ほど持っている。刃物の長さ。毒の売り買い。夜の荷車の検め。全部、物を押さえる決まりだ」


「それが今回、効かないんです」


 私は続けた。


「これからは、物を作れる情報が流れます。物の決まりだけでは、届きません。かといって——」


 言いかけたところで、ゼムが手を挙げた。


———

「あの。それなら、うちの盤で止められないでしょうか」


 万形工房のゼムは、若い。そして、自分の売り物が押し込みの道具になったことに、朝から顔色がない。


「危ない造形譜を、盤が読まないようにするんです。五号開きの照合印を配ってもらえれば、うちの盤は今日からでも読むのを断れます」


「それは、やる価値があります」


 私は先に言った。


「ただし、それで解決だと思うと、外します。理由を並べます」


 盤に書いた。


 盤で止めることの限界


  ・形を少し変えれば、照合印は別物になる

  ・鍵を三つの部品に割って、別々に作って、組めば済む

  ・日用品の形に見せかけられる。柄の中に鍵が仕込んである杖、など

  ・危ない形と要る形は、見た目で分けられない。研究にも、錠の修理にも、鍵の形は要る

  ・盤ごと改造されれば、そもそも従わない

  ・全部の造形譜を先に検めれば止まるが、それをやると、試し作りと創作が死ぬ


「四つ目が、いちばん効きます。錠前屋の修業には、鍵の形が要ります。守りの研究には、破れ方の知識が要ります。危ないから全部駄目、とやると、直す人と守る人から先にいなくなります」


 ルドーが腕を組んだ。


「棒は杖にもなり、武器にもなる、という話か」


「はい。しかも形が情報になると、それがさらに厄介になります。棒なら、持って歩けば見えます。形は、見えないまま国境を越えます」


 ゼムは、書き取った限界の一覧を、じっと見ていた。


「……やります。やりますが、これは、網なんですね。壁じゃなくて」


「いい言い方です」


 壁ではなく網。どこかの銀行の一件のあとにも、同じことを言った覚えがある。守りの話は、いつも同じところへ帰ってくる。


———

 昼過ぎに、マリエが来た。


 契約術務士の顔で、羊皮紙を三枚だけ持って。


「三枚なの。今日は論点だけ置いて帰るわ。決めるのは、この部屋の仕事じゃないもの」


 マリエは表示盤の端を借りた。


「物を禁じる法律と、情報を禁じる法律は、効き方が違うわ」


  物の決まり …… 持っている者を検められる。数えられる。国の境で止まる

  情報の決まり …… 持っている者が見えない。数えられない。境で止まらない


「だから、情報のほうへ同じ強さの禁止を書くとね、二つのことが起きるの。ひとつ。悪い人には効かない。写しは名を伏せて動くから。ふたつ。まっとうな人にだけ効く。錠前屋の修業と、守りの研究と、学校の教材が先に止まる」


「禁止を書くな、という話ですか」


 バッソが訊いた。


「書き方の話よ。禁止を強くしすぎると、修理や研究や学びまで巻き込む。弱すぎると、ただのお願いになる。——だから、何もかもをひとつの法で解こうとしないこと。造形の物そのもの。造形譜の売り買い。盤を作る側の義務。商いでやる者と、家でやる者の区別。記録をどれだけ残すか。それぞれ別の道具よ。別の道具は、別の場所で研ぐの」


 マリエは羊皮紙を一枚、卓に置いた。


「論点は書いておいたわ。術務室と商務院と警備局で、順番に埋めなさい。それから——」


 帰りかけて、振り向いた。


「法律はね、出てしまった形を消してはくれないわよ。法律にできるのは、次に出にくくすることと、出たあとの責めの置き場を決めることだけ。消える、と思って条文を書くと、いちばん質の悪いお願いになるの」


 置いていかれた三枚は、その日のうちに写しが取られ、綴りになった。マリエの仕事は、いつも紙の枚数より重い。


———

 午後、いちばん静かだったガンドが、口を開いた。


「うちはな、鍵をなくした客には、五十年、同じことを言ってきた」


 全員が職人を見た。


「錠ごと替えろ、だ。なくした鍵がどこで誰の手に渡ったか、分からんのだから。鍵を作り直して済ませるのは、気休めだと」


「はい」


「今度なくしたのは、うちだ」


 ガンドは、机の白い鍵を取り上げた。


「王都じゅうの五号の錠を、替える。うちの持ち出しでやる。全部は無理でも、帳場に金を置く店から先にやる」


「……数は」


 バッソが訊いた。


「分からん。売った数の帳面はあるが、いま生きている数は分からん。分からんまま、始める」


 ガンドは、そこで一度、言葉を切った。


「それからな。新しい五号に、親鍵は作らん」


 言ってから、苦い顔をした。


「鍵をなくした客のところへは、職人が出向いて、刻をかけて開ける。手間は増える。増やすことに決めた。——全部の錠を開けられる一本というのは、あれは、便利すぎた」


 それから、ガンドは私を見た。


「若いの。ひとつ訊く。次の錠は、どう作ればいい。同じことは、二度と御免だ」


 訊かれると思っていた。そして、この問いに答えるために、昨夜考えてきたことがひとつあった。


「鍵の形だけで開く作りを、やめることです」


 表示盤に書く。


 形は、写せる

 だから、形だけに守らせない


「同じ形を差せば開く、という作りは、形が写せなかった時代の作りです。これからの錠は、形と、もうひとつ、写せないものを組み合わせる。たとえば、持ち主の魔力の癖を覚えさせて、鍵と両方そろったときだけ開く。術盤の検めで使っている、問い札と応答印の作りを、錠に入れてもいい」


「形と、形でないもの。二枚の守りか」


「はい。二枚あれば、片方が写されても、まだ開きません」


 それから、もうひとつ付け足した。


「どうしても合鍵の仕組みが要る場では、全部に効く一本、をやめることです。地区ごと、年式ごとに親鍵を分ける。一枚漏れても、開く範囲が、そこで止まります」


「漏れる前提で、漏れたあとの広がりを、先に区切っておくわけか」


 ルドーが言った。起きる前提、と誰かが言い出してから、王都の守りの話は、だいたいこの形に収まるようになった。


「——それに、これは金庫だけの話ではないと思います」


 私は、少しためらってから、続けた。


「出てしまった五号開きは、消せません。追いかけて、減らすことはできても、ゼロにはできない。だったら、方向を変えるべきです。消す努力より、五号開きが効かない王都に作り変える努力のほうが、先に終わります」


 盤の真ん中に、大きく書いた。


 漏れた情報を消すより、

 その情報が効かない世界に変える方が、現実的


「……悔しいが」


 バッソが言った。


「消す側の俺より、錠を替える職人のほうが、根本を直しとるわけだ」


「両方要ります。消す努力は、時間稼ぎとして要る。稼いだ時間で、錠を替えるんです」


———

 夕方までに、決めごとを一枚にまとめた。


 守りは、一枚では張らない。


 一、報せと共有

  ・五号開きと、その変わり種の照合印を、警備局・鉄函工房・盤の作り手で共有する

  ・札面の運営へは、停止を求め続ける。ただし、全部は消えないと文書に書いておく

  ・危ない造形譜を見つけた者の届け先を、警備局にひとつ作る


 二、盤の側

  ・家で使う盤は、硬い素材を断る作りを標準にする

  ・商いで使う盤は、何を、いつ、どの素材で出したかの記録札を残す

  ・危ない形に似ているときは、止めずに、まず問い直す。網であって、壁ではないので

  ・学校の盤には、素材と大きさの枠を先に決めておく


 三、物の側

  ・五号手金庫の錠を、順に替える

  ・新しい錠は、形だけで開く作りをやめる

  ・全部に効く親鍵という作りを、新しい型では持たない。合鍵が要る場では、効く範囲を区切る

  ・王城と記録庫の扉から、鍵一本で開く場所をなくしていく


 四、公の造形譜

  ・公務で使う造形譜は、登録して、真正印を付ける

  ・誰が作り、誰が直したか、来歴を残す

  ・出どころの分からない野良の造形譜を、公務の盤に読ませない

  ・出てきた部品は、使う前に検める。造形譜が正しくても、出来上がりが正しいとは限らないので


 四つ目を書いているとき、ゼムがぽつりと言った。


「共通札の保管庫と、同じ作りですね」


「同じです。札の中身が、術式から形に変わっただけで、悩みは同じなんです。出どころ、来歴、検め。——それから、これも同じです」


 私は、隅に小さく書き足した。


 造形譜を作る道具も、出はじめている


「生成変換器に頼めば、それらしい造形譜が出てくる世の中が、もう始まっています。だから、公開された造形譜を消せば終わり、では、二重にありません。形は、外から来るだけではなく、その場で生まれるようになります」


「……その話は、深追いすると夜が明けるな」


 バッソが言った。しない、という宣言だった。正しい判断である。


———

 三日後、魔法学校に警備局から注意の触れが届いた。


 造形錬成盤を置く部屋の入り口に、新しい貼り紙がされた。使ってよい素材。出してよい大きさ。造形の記録札を残すこと。出どころの分からない造形譜を持ち込まないこと。


 貼り紙の前で、学生たちが少しざわつき、それから、いつもどおり順番に並んだ。


 盤は、今日も教材の部品を作っている。今日のは、天秤の受け皿の割れた縁だそうである。


「並んでる」


 様子を見に来た私の隣で、ルドーが言った。


「並んでいますね」


「触るなと言えば、触る。決まりを貼って使わせれば、並ぶ。学生とは、そういうものだ」


 盤の中で、線が輪になり、輪が面になっていくのを、前の列の学生が飽きずに覗き込んでいる。その目は、先週の授業の日と同じように輝いていた。まずい話を三日ぶん聞いたあとだと、この目は、ずいぶん効く。


「便利なものほど、危険な使い方も増えるな」


 ルドーが言った。


「はい。でも、危険だから止める、だけでは、たぶん無理です」


「では」


「危険を前提に、壊れにくい使い方を作るしかありません。守りを重ねて、それでも破られたら、破られた場所を直して、また使う。——錠前と同じです。錠前は、破られた歴史のぶんだけ、よくなってきた道具なので」


「金庫屋の受け売りか」


「半分は」


 ルドーは、ふん、と鼻を鳴らした。


「いい半分だ」


———

 その晩、家に帰ると、リゼが天秤の話を知っていた。学校というのは、報せの速い場所である。


「受け皿、直ったんでしょ。友だちが見てた」


「直ったらしい」


「金庫の話も、聞いた。詰所に貼り紙が出てたって」


「そうか」


「あれって、どのお店の金庫も、同じ鍵で開くんでしょ。怖くない?」


「客の鍵は、店ごとに違う。全部を開けられるのは、工房の親鍵だけだ。——その親鍵の形が、流れた」


「なんで、そんな鍵があるの」


「鍵をなくした客の金庫を、壊さずに開けるためだ。開けてから、錠を替える」


「……助けるための鍵なんだ」


「そうだ。助けるための鍵が、いちばん危ない鍵だった」


 夕食のあと、リゼは卓に頬杖をついて、しばらく黙っていた。それから言った。


「ねえ。物まで魔文みたいに送れるようになったら、世界は便利になるのかな」


「便利にはなるよ」


「怖くもなる?」


「かなり」


「じゃあ、また忙しくなるね」


「それはあまり嬉しくないな」


「でも、放っておけないんでしょ」


「……まあね」


 リゼは笑って、それから、ふと真顔になった。


「でもさ。今日の話、要するに、鍵をなくしたら錠を替えるって話でしょ」


「そうだ」


「それ、うちでも同じじゃない。鍵なくしたら、錠替えるもの。泥棒を絶対に入れない家は作れない、って、前にユウが言ってたし」


「言ったのは君だ」


「そうだっけ」


「そうだ。俺は、いい言葉だと思って覚えてる」


 今日いちばん強かったのは、私の整理でも、マリエの論点でもない。鍵をなくした客には錠ごと替えろと五十年言い続けて、その言葉を自分にも向けた、職人の当たり前だった。


 当たり前を、自分に向けられる人は、実はそんなに多くない。


「王都じゅうの錠、替わるの?」


「順番にね。何年もかかる。その間に、別の何かの形が、また流れると思う」


「そのたびに呼ばれるの?」


「たぶん」


「最悪ね」


 妻は、たまに私の口癖を持っていく。しかも、私より使い方がうまい。


 窓の外で、王都の灯が点いている。


 あの灯の下に、五号手金庫が何千とある。そのいくつかは、もう新しい錠に替わった。ほとんどは、まだである。そして、五号開きの写しは、今夜もどこかの記憶石の中で、静かに順番を待っている。


 消せない形と、替えられる錠。


 世界を守るのは、たいてい、消す力ではなく、作り直す力のほうである。


 金庫はこれからも破られるだろう。錠前は、そのたびに少しよくなるだろう。この世界は今日、その長い追いかけっこの、新しい一周目に入った。


 ……そして私は、たぶんその全部の周回に呼ばれる。


 最悪だ。


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