↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
204/246

第204話 設置一回につき銅貨二枚

 冬の術務室は、朝がいちばん静かだ。


 炭が熾るまでのあいだ、部屋は昨夜の冷えを抱えたままでいる。窓の内側に霜が薄く張って、外の通りが白く滲んで見える。誰も口を開かない。開くと、寒い。


 その静けさを、受け取り盤が壊した。


 遠くから届いた魔文は、受け取り盤の縁に薄い札になって落ちる。着信札という。誰かが何かを言ってきた、という報せが、紙の形をして積まれていく。


 その着信札が、続けて落ちた。三枚。五枚。十枚を超えたあたりで、誰かが数えるのをやめた。


「……なにかあったの?」


 リゼが外套を着たまま入ってきた。今日は術務室の手伝いの日である。学生で、術務室で、家でも術盤を使う。三つ兼ねているというのが、ルドーの言い分だった。


「まだ分からない。ただ、朝いちばんに着信札が二十枚来る日で、良かった日は一度もない」


 人類には、悪い報せをまとめて送る癖がある。


 セシルが受け取り盤の前に立って、一枚ずつ開いていった。基盤魔術班の技術まとめ役は、朝でも要点から読む人である。


「……全部、同じ件です」


「同じ」


「白帆商会の告知です。写しが、王都じゅうから回ってきています」


 私はその名を頭の中で置き直した。


 西方新大陸の商会。統一幻景機関を作って、配っているところ。


 嫌な予感がした。予感というのは、たいてい少し遅れて当たる。


———

 告知文は、きれいな言葉で始まっていた。


 表示盤に写す。


 利用の実態に応じた、公平で、長く続けられる料金へ改めます


「ここまでは、いい話に読めますね」


 フィンが言った。調達先の台帳をいつも抱えている人である。


「ここまでは、そうですね」


 私は続きを写した。


 一、統一幻景機関で組んだ術式が、使う者の術盤へ設置されるたび、料金を頂きます

 二、料金は、設置一回につき銅貨二枚から

 三、設置の数は、当商会の方式で数えます

 四、数え方は明かしません

 五、新しい定めは、春の初めから始めます


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 炭が、ぱち、と鳴った。


「……三と四が、まずいです」


「二ではなく」


 セシルが訊いた。


「二も痛いです。ですが、二は数え直せます。三と四は、数え直せません」


———

「先に、言葉を揃えます」


 私は表示盤の隅を空けた。


 統一幻景機関


「幻影を組み合わせて、動く景色を作るための道具の一そろいです。遊戯にも、教材にも、市民向けの案内にも使います」


「道具の一そろい、というのは」


 フィンが訊いた。


「一つずつ自分で書かなくていい、ということです」


 私は下に並べた。


  ・幻影の描き出し

  ・指の触れの受け取り

  ・音

  ・通信

  ・記録の出し入れ

  ・絵と音の素材の束ね方


「これを全部自分で書くと、術式を一つ出すのに何年もかかります。しかも、書いた本人にしか直せません」


「それを、皆が借りている」


「借りています。しかも、一度組めば、携帯術盤でも、家庭用術盤でも、学校の教材術盤でも、王城の大きな盤でも動きます。作り直さずに、そのまま」


「便利ね」


「便利です。ただ、便利なのは、いま言ったところではありません」


 リゼが顔を上げた。


「違うの?」


「もっと地味で、もっと逃れにくい理由があります」


 私は表示盤の下に、一行書いた。


 盤の改め


「携帯術盤も、家庭用術盤も、作っている商会が年に何度か新しい型を出します。型が変わるたび、盤の側の作法が少しずつ変わります。画面の形。指の触れの拾い方。音の出し方。記録のしまい場所」


「変わると、どうなるの」


「上に乗っている術式が、そのままでは動かなくなります。動くこともありますが、確かめるまで分かりません」


「……全部、直しに行くの?」


「自前で組んでいたら、そうです。新しい型が出るたび、六十一の術式を全部見に行きます。直すのは一つ二つでも、見に行くのは全部です」


 術務室が、少し静かになった。


 フィンが、台帳から顔を上げた。


「それ、毎年ですか」


「毎年です。というより、終わりません。盤を作る側が止まらないので」


「統一幻景機関は、そこを」


「引き受けています。盤の側の作法が変わっても、機関の側が吸います。上に乗っている術式は、たいてい書き直さなくていい」


 セシルが小さく息を吐いた。


「……それは、払う価値がありますね」


「あります。むしろ、皆が本当に払っていたのは、そこです」


 私は表示盤の一覧を指した。


「幻影の描き出しも、音も、頑張れば自分で書けます。一度書けば、それで済む。けれど盤の改めへの追いかけは、頑張っても終わりません。毎年来るので」


「終わらないものを、代わりにやってくれる」


「そうです。だから離れられないんです」


 言ってから、これが今日いちばん大事な一行だと気づいた。


 便利だから離れられないのではない。やめたら、自分で毎年やることになるから離れられない。


「小さな工房には、ただ同然で配られていました」


「ただ」


「使い始めるまでは、ただでした」


「……使い始めるまでは?」


「ただで使えることと、ただで使い続けられることは、別のことです」


 言ってから、自分で少し嫌になった。


 こういう文は、たいてい誰かが泣いたあとにしか思いつかない。


———

 リゼの今日の仕事は、もともと別だった。


 王都の術式のうち、統一幻景機関で組まれたものを一覧にしておけ、と先月から言われていたらしい。誰も急いでいなかった仕事である。急いでいない仕事は、だいたい急に必要になる。


「まだ途中だけど」


 リゼが壁に札を貼っていく。


  ・避難の道案内

  ・子ども向けの学びの術式

  ・窓口の順番取り

  ・公の施設の案内

  ・見物案内

  ・祭りの道案内

  ・魔法学校の教材術式

  ・手続きの説明

  ・水路の工事の告知

  ・治癒院の待ち刻の表示


「三十二です。今のところ」


「今のところ」


「まだ出てきます。各班に訊いて回ってるので」


 壁の札は、貼るそばから増えていった。


「思ったより深いですね」


 便利なものは、便利であるうちは誰も数えない。数え始めるのは、たいてい値段が変わってからだ。


———

「ねえ」


 リゼが札を貼る手を止めた。


「高くなるなら、別のに移せばいいんじゃないの? こういうのを作る道具、ほかにもあるんでしょ」


「あります」


「じゃあ」


「移せます。ただし、思っているより十倍かかります」


 私は表示盤に書いた。


 なぜ移せないか


  ・呼び方が違う。幻影を出す一行が、機関ごとに違う言葉で書いてある

  ・素材の形が違う。絵も音も、あの機関の形に直してある

  ・記録の入れ物の形が違う。使う者の遊んだ跡が、そのまま移らない

  ・確かめ直しが要る。携帯術盤でも教材術盤でも同じように動くか、全部見る

  ・書いた者が、もういない


 最後の一行で、フィンが小さく唸った。


「五年前の避難案内、誰が組んだんでしたっけ」


「外の工房です。その工房は、三年前に畳んでいます」


「……最悪だ」


「はい。最悪です」


 リゼが札を見上げたまま言った。


「じゃあ、便利だから使ったのに、便利だったせいで動けないの?」


「そうです」


「なんか、ずるくない?」


「ずるくはありません。誰も嘘はついていない。ただ、選ぶときに、いくつか数え忘れているだけです」


「なにを」


「基盤を選ぶというのは、その先どれだけ動きにくくなるかを、一緒に選ぶことなんです。入るときの安さは値札に書いてあります。出るときの高さは、どこにも書いてありません」


———

 昼前に、マリエが来た。


 抱えていたのは羊皮紙の束で、その抱え方に見覚えがあった。長居する人の抱え方である。


「呼ばれる前に来たわよ。王都じゅうから同じ話が来てるから」


「助かります」


「今日は契約術務士の顔ね。契約の話しかしないわよ」


 リゼが、束を覗き込んだ。


「マリエさん、こういうのも見るんですか」


「見るわよ」


 マリエは羊皮紙を卓に置いた。


「仕事はね、術式で死ぬより、契約で死ぬほうが多いの」


 術務室が、少し静かになった。


「はい、暗くしない。整理するわよ」


———

 マリエが表示盤の反対側を使った。


 先に見るところ


  ・王都が結んでいる利用許し札の種類

  ・公の機関向けの特約があるか

  ・片方の都合だけで条件を変えられる条文があるか

  ・変えるときの報せは、何日前に来る決まりか

  ・今までの版を、そのまま使い続ける権利があるか

  ・料金の対象が、何をもって一回と数えられているか

  ・数え方を、こちらが確かめられるか

  ・数え違いのときに、異を申し立てる道があるか

  ・料金が変わったとき、こちらから抜ける権利があるか

  ・抜けるとき、記録と素材を持ち出せるか


「十個ね。多く見える?」


「多く見えます」


 フィンが正直に言った。


「これ、全部、結ぶときに書いておけば一行ずつなの。揉めてから書こうとすると、一行につき半年かかるわ」


 マリエは束の一枚を抜いて、目を細めた。


「王都の分は……ああ、駄目ね。三年前の、大きいほうの許し札。片方の都合で条件を変えられる文が、そのまま入ってる」


「報せの刻は」


「三十日前。三十日って、公の術式を組み替えるには、何もできない長さよ」


 私は書き足した。


 三十日で移せるものは、初めから移す必要のないもの


「そこよ」


 マリエが指した。


「でね。私がいちばん嫌なのは、料金の高い安いじゃないの」


「はい」


「相手が数えた数を、こっちが確かめられないこと」


「技術の側でも、まったく同じです」


 私は三と四の行を丸で囲んだ。


「見えない数で払わされるのは、怖いです。多いと思っても、多いと言えません。合っていると思っても、合っていると確かめられません。払う側に、何もできることがない」


「財務も同じことを言うわよ。来年いくら要るのか書けない支出は、通らないの」


 AIエージェント:「観測:告知文のうち、数について述べた文は五つ。そのうち四つが『当商会が』で始まっています」


 私は表示盤に向き直った。


「……それ、そのまま書いておいてください」


———

「一つだけ、数えてみます」


 セシルが算盤を引き寄せた。


「子ども向けの学びの術式です。王都の学校の教材術盤に、去年入れたのが千八百台。家の術盤に入れている子が、届け出のあるぶんで一万二千」


「入れ直しは」


「術盤を替えたとき。壊れて戻したとき。学年が上がって配り直したとき」


「年に、一台あたり何回になりますか」


「二回から三回です」


「多いほうで」


 算盤の玉が鳴った。短く、乾いた音だった。


「……年に、四万一千四百回。銅貨で八万二千八百枚です」


 誰も口を開かなかった。


「それは、多いの?」


 リゼが訊いた。


「基盤魔術班の、一年ぶんの給金より多いです」


 セシルは即答した。調達の台帳を毎日見ているフィンのほうが、先に息を吐いた。


「……最悪だ」


 言ったのは、私ではなかった。リゼだった。


 妻は、たまに私の口癖を持っていく。


「あの術式、お金取ってないわよね」


「取っていません。学校に配っているものです」


「一枚も貰ってないものに、そんなに払うの?」


「払うことになります。しかも、たくさん使われるほど増えます」


「……使われたら困る術式って、なに?」


 いい問いだった。


 答えは、たぶん、この件のいちばん短い要約である。


「使われるほど困る形にしてしまうと、作る人は、使われないように作り始めます」


———

 午後は、外から来た。


 琥珀工房のザナという人だった。王都の遊戯工房で、幻獣招きを出しているところである。


 幻獣招きは、携帯術盤で遊ぶ小さな遊戯だ。始めるときに幻獣が一体だけ手元に来て、それを育てて競わせる。市場通りの子どもは、たいてい何かしらの幻獣を連れている。リゼが工房の名を聞いた瞬間に姿勢を正したので、たぶん、うちの術盤にも入っている。


 ザナは椅子に座る前から話し始めた。


「うちは、初めに引ける幻獣が一体だけなんです」


「はい」


「気に入らなければ、消して、入れ直して、また引く。……そういう遊び方が、もう根付いてるんです」


「工房も、それを見込んで作っている」


「見込んで作ってます。入れ直しの数まで数えて、初めの一体の出方を決めています。あれは、遊びの一部なんです」


 ザナは、そこで両手で顔を覆った。


「……使う人がたくさん入れたら赤字になる遊戯って、何なんですか!」


「……作った人も、つらいでしょうね」


 本気で言った。


 工房の側からすれば、入れ直しは客が遊んでくれている証である。それが春から、一回ごとに銅貨二枚の借金に変わる。


「消して入れ直すのを止めさせればいいんじゃ」


 フィンが言いかけて、途中でやめた。


「……止めさせても、数えているのは向こうですね」


「そうです。しかも、数え方は明かされていません。止めたつもりで止まっているかどうかも、こちらには分かりません」


 夕方、雲駆遊戯社のジルからも短い魔文が来た。


 うちは手元に設置しませんので、たぶん外側です

 たぶん、というのが、いちばん怖いところですが


 この人は、この人で、冬の入りにひどい目に遭っている。


———

 日が落ちるころ、壁の札は五十を超えていた。


 リゼが赤い紙を細く切って、札の端に貼っていく。


  ・移すのが難しい

  ・使う者が多い

  ・公の度合いが高い

  ・代わりが見つからない

  ・許し札の確認中

  ・料金の当たりが大きい


 赤が増えていく。壁が、だんだん祭りの飾りみたいになった。祭りではない。


「これ、貼りながら腹が立ってきた」


「分かります」


「分かるって顔じゃないわよ」


「腹は立っています。ただ、腹を立てながら数えると、数え間違えます」


 マリエが羊皮紙から顔を上げた。


「そう。まずは、怒る前に棚卸しよ。怒るのはそのあとでもできるわ」


「怒りながら棚卸しすることも、できます」


「それが一番よくないの」


 マリエは、笑わずに言った。


「怒っている人が作った一覧はね、いつも、いちばん腹の立つものが上に来て、いちばん危ないものが下に沈むの」


 私は黙って、赤い札を数え直した。


———

 その夜、白帆商会から追加の告知が出た。


 術務室に残っていた全員が、受け取り盤の前に集まった。追加の説明である。悪いようにはならないだろう、と誰かが言った。


 写した。


 入れ直しは、原則として料金の対象としません

 ただし、当商会が濫用と判断した場合は、この限りではありません


 誰も、何も言わなかった。


 炭は、もう落ちていた。


「……誰が判断するんですか」


 リゼが訊いた。


 マリエが、羊皮紙を静かに重ねた。


「向こうね」


「最悪です」


 私は言った。


 AIエージェント:「補足:あなたの脈は、平常時より一分あたり十四回速いです」


「黙れ」


 窓の外は、もう暗い。霜の張った硝子の向こうで、王都の灯が、いつもどおりに点いていた。


 あの灯の下の術盤の何割かは、今夜も統一幻景機関で組んだ術式を動かしている。誰も、それを知らずに使っている。


 便利なものは、社会の底に沈む。沈んでから値札が変わる。


 人類は、たぶん、これを何度もやる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。