第203話 封じられた思考房
三日後、トルガさんのほうが学校まで来た。
講堂裏の小部屋である。狭くて、卓が一つと椅子が四つしかない。窓が北向きで、冬は昼でも薄暗い。
ルドーと、リゼと、私と、トルガさん。四人でちょうど埋まった。
「窯の手入れを変えました」
トルガさんは、座るなり本題に入った。
「塵の落とし方と、母晶の縁の使い方です。秋の初めからです」
「それで」
「四つとも動く玉が、半分から、七割になりました」
「……七割」
立派な数字である。工房の看板になる。
その数字を口にしたトルガさんの顔が、まったく晴れていない。
———
「豆粒級が、出ません」
当たり前だった。
豆粒級は、欠けた玉から作られている。欠けが減れば、豆粒級も減る。
「王都の学校の卓も、役所の卓も、家の術盤も、大半が豆粒級です」
トルガさんが指を折った。
「そこへ出す玉が足りません。値がもう上がり始めています。冬のうちに、二割」
私は表示盤を借りて、順に書いた。
母晶の出来が良くなった
王冠級が増えた
豆粒級が減った
豆粒級の値が上がった
学校と役所と家の術盤が、値上がりする
「良い話が四行目まで来て、五行目で悪い話になっています」
「そうなのです」
「全部を王冠級として売るのは」
「買える者が限られます。うちは、数で回している工房ですので」
高い品ばかりが並んだ市場は、豊かに見えて、実際には狭い。
———
「それで、工房で出ている案が、ひとつありまして」
トルガさんが、言いにくそうにした。
「四つとも動く玉の、房を一つ封じます。拍も、低いところで止めます。それで、豆粒級として出す」
リゼが顔を上げた。
「わざわざ性能を落とすの?」
「落とします」
私が答えた。
「というより、市場では、わりとよく起きます」
「なんで?」
説明しないといけない。ここは、雑に肯定してはいけないところである。
表示盤を消して、線を一本引いた。左と右に分けた。
「まず、言えることのほうから書きます」
封じた範囲を札に書いて売るなら、嘘はついていない
買った人は、書いてある範囲では必ず動く品を、安く手に入れる
工房は数を出せるので、値を抑えられる
王冠級で取った利ぶんで、窯の手入れも、次の母晶の工夫も進む
「王冠級を高く買う人が、豆粒級を安くしています」
「……そうなの?」
「乗合翼竜と同じです。同じ便に載っていても、荷を急がせる商人は、旅の客よりずっと高い額を払っています。あの便が毎日飛ぶのは、その人たちがいるからです」
ルドーが、腕を組んだまま言った。
「急ぐ者が、急がぬ者の運賃を下げているわけか」
「そうです。腹の立つ話ですが、構造としては、あります」
———
「では、言えないほうを書きます」
右側に移った。
封を解けば上の品になると知れたら、買った人は必ず腹を立てる
値の差の理由を説明できないと、ただの値のつり上げに見える
封じた房が本当は動くことを、工房だけが知っている状態になる
良いものを作れるのに、わざと落としている——そう言われたときの返しが、工房には無い
「四つ目が、いちばん重いです」
私は右側の下を指した。
「工房の理屈は正しいです。ただ、正しさと、買った人の気分は、別に数えたほうがいい。ここを混ぜると、必ず火が出ます」
「わたしは、やっぱり気持ち悪いと思うけど」
リゼが言った。
「気持ち悪いです」
私は認めた。
「気持ち悪さと、悪事は、別に数えます。気持ち悪いから止めろ、では工房が潰れます。悪事ではないから黙っていろ、では買った人が怒ります。どちらも、あとで効きます」
「……面倒くさい話ね」
「面倒くさい話です」
トルガさんが、湯呑みを両手で持ったまま黙っていた。
この人は、たぶん最初から気が進んでいない。気が進まないまま、数字に押されて来ている。
そういう顔を、私は現世でも何度か見た。だいたい、そのあとに事故が起きる。
———
五日後の夜だった。
リゼが夕食のあとに携帯術盤を出して、こちらへ向けた。
「これ、あなたの話じゃない?」
囁の画面だった。
同じ話が、いくつも流れていた。
豆粒三百型、封を外すと化ける
三百型だけ拍が伸びる。うちのは倍まで行った
横丁で外し方が売ってる。銅貨三枚
三百外し、やった人いる?
「三百型」
豆粒級の型の一つである。低い拍で売られている、いちばん安い玉だ。
……なるほど、と思った。窯の手入れを変えたのは秋の初め。ちょうどそのころに焼かれた玉が、いま出回っている。
欠けが減ったのだから、豆粒級として出た玉の中にも、本当は高い拍まで回るものが混ざっている。
「化けるっていうのは?」
「封を読まないようにして、拍を上げると、王冠級くらい出るってことだよ」
「そんなことできるの?」
「できるものもある。できないものもある。……それが、いちばん質が悪い」
俺は椀を置いた。
「全部できないなら、誰もやらない。全部できるなら、それはただの仕様だ。一部だけできるから、始末が悪い」
「どういうこと?」
「安い部品で高い性能が出ると聞いた人間は、だいたい考えるのをやめて走り出す」
「最悪ね」
「最悪だ」
———
次の日、魔法横丁へ行った。
二本の大通りの間に残った細い道が、いつの間にか市になった場所である。建物が上へせり出しているので、昼でも空がほとんど見えない。
記憶石屋の戸を開けると、サイさんが帳簿から顔を上げた。
「これは。……ユウ様」
「三百外し、と呼ばれているものを探しています」
サイさんは、少し嫌な顔をした。
「うちは扱いません」
この人は、扱わないものを扱わないと言う。前に一度、それで助かったことがある。
「どういう品ですか」
「記憶石です。銅貨三枚。中身は、術盤の起動巻物の差し替えだそうで」
サイさんは、通りの向こうを顎で示した。
「封止印を読まない巻物に替えて、拍を上げる。……らしい、というだけです。中身は見ておりません」
「うちで買った石で術盤が焦げた、と言われても、私には何も言えませんので」
それが扱わない理由だった。まっとうである。
「買っていく人は、多いですか」
「若い方が。この十日ほどで、ずいぶん」
外へ出た。
通りの奥の台に、小さな籠が置いてあって、白い記憶石が山になっていた。値札には「三百」とだけ書いてある。
人が並んでいた。
最悪だ。
AIエージェント:「観測:当該手順の実行後、選別札に記された保証はすべて無効になります」
「知ってる」
AIエージェント:「補足:並んでいる者の大半は、選別札を読んでいません」
「黙れ」
正しいことしか言っていないのが、いちばん腹立たしい。
私だって、二十歳の自分がこの列にいなかったとは言い切れない。むしろ、たぶん並んでいた。
———
翌々日、学校から魔文が来た。
昼前である。文は短かった。
一年の実技。教材術盤、多数不調。課題が消えた。至急。
講堂へ着くと、暗いままの卓が三つあった。
動いている術盤も、何台かは画面がわずかに震えていた。字が読める程度には映っているが、見ているうちに目が疲れる震え方である。
卓のあいだに、若い人がしゃがみ込んでいた。学校の術盤の面倒を見ているロタさんである。線を一本ずつ抜いては、また挿している。
「ロタさん」
「……ユウさん」
顔を上げたロタさんは、泣きそうな顔をしていた。正確には、もう一度泣いたあとの顔だった。
「昨日の夕方には、全部動いていたんです」
———
カヤ先生が来た。
顔が白い。
「三十台のうち、十四台の封止印が外されていました」
「一晩で」
「一晩でです」
内訳を聞いた。
六台 速くなった。いまも動いている
五台 動くが、重いものを開くと乱れる
三台 起き上がらない
「三分の一ずつ、といったところですね」
「……それ、分かっていたんですか」
「分かってはいません。ただ、そうなるだろうとは思っていました」
封じてある房が、本当に動く房なのか、初めから死んでいる房なのかは、外からは分からない。封止印は「ここは使うな」としか言っていない。理由までは書いていない。
当たりを引けば速くなる。外れを引けば起きなくなる。その間に、いちばん厄介な「動くけれど乱れる」がいる。
「それだけなら、まだよかったんですが」
ロタさんが立ち上がった。
「触っていない卓まで、落ちました」
———
そこが、いちばん見なければいけないところだった。
講堂の卓は、列ごとに一本の術線から術勢を取っている。
封を外した術盤は、高い拍で回る。高い拍で回る術盤は、余計に魔力を食う。同じ列に何台もあると、列の術勢が下がる。
術勢が下がると、その列の術盤は、全部そろって拍が乱れる。
封を外していない術盤もである。
「後ろから三列目の学生が、四人」
カヤ先生が、綴りを見ながら言った。
「提出の途中で落ちました。書き上げたものが、全部消えています」
「その四人は、封を外していないんですね」
「触ってもいません。……一人は、外し方の噂も知らなかったと言っています」
それだ、と思った。
自分の道具を壊すのは、自分の勝手である。だが、この話はそこで止まっていない。
術勢は、卓の下で全部つながっている。
———
その日の午後、講堂に学生を集めた。
封を外した学生が十四人。落とされた側の学生が、後ろの列に固まって座っていた。
立ち上がったのは、背の高い学生だった。
「ラウです」
名乗った時点で、この学生はまともだと思った。
「でも、動いてるやつもあるじゃないですか」
声が震えていた。怒っているのではなく、自分の言い分がどこで折れるのかを、自分でも分かっていない声である。
「六台は、今も速く動いています。それは、事実です」
「事実です」
私は認めた。
「そのうえで、一つだけ言います」
表示盤に書いた。
動くことと、保証できることは違う
講堂が、静かになった。
———
「一度動いた、は商品仕様ではありません」
私は、書いた行の下に足していった。
いま動いた
→ 明日も動くとは、誰も言っていない
いま動いた
→ 夏の講堂で動くとは、誰も言っていない
いま動いた
→ 術勢が揺れた日に耐えるとは、誰も言っていない
いま動いた
→ 壊れたとき誰が持つかは、決まっていない
「商品というのは、たまたま動くものではありません。条件を書いて、その条件の中では動くと約束したものです」
「約束を、書いたのが選別札です」
私は札を一枚、掲げた。工房で見せてもらった見本である。
動く思考房の数
短憶晶の大きさ
保証する拍の幅
食う魔力
向いている用途
「みなさんが外したのは、この四行目です」
ラウが、口を開けたまま黙った。
「保証する拍の幅というのは、工房が『ここまでは責任を持つ』と言った線です。その線の外へ出た瞬間に、責任を持つ人がいなくなります」
「……工房は、なんて」
「怒っています」
正直に言った。
「保証外です、と。当たり前です」
———
「もう一つ、言わないといけないことがあります」
私は後ろの列を見た。
「後ろの四人は、何もしていません」
講堂が、また静かになった。さっきとは違う静かさだった。
「術勢は、卓の下でつながっています。自分の卓だけの話だと思っていた人は、そこを間違えました」
「……知りませんでした」
ラウが言った。嘘ではないと思った。
「知らなかったことは、責めません。知らないまま触れる場所に置いてあったのが、そもそもの問題です」
言ってから、自分でも少し驚いた。
これは、水番所で言ったのと同じことである。壊れかけの板を、危ない卓に置き続けたのは誰か、という話だ。
結局、いつもそこに戻る。
———
その日のうちに、五つ書いた。
工房と学校の両方に出すつもりで、順に並べた。
一、札に、封じた理由まで書く
・その房は、初めから動かないのか
・それとも、売り分けのために封じたのか
・封を外した場合、保証はどうなるのか
「隠すのをやめる、というだけです。工房の理屈は正しいので、正しいまま書けば済みます」
トルガさんが、書きながら小さく唸った。
「……書くと、外す者が増えませんか」
「増えます」
私は言った。
「増えますが、隠したまま知られるより、ずっとましです。人は、騙されたと思ったときにいちばん怒ります。落とされた性能そのものには、案外、怒りません」
二、教材の術盤では、封止破りを禁じる
・教材の術盤は、みんなが毎日使うもの
・術勢が卓の下でつながっている以上、自分だけの話にならない
三、壊してよい場所を作る
ルドーが、ここで初めて口を開いた。
「つまり、壊してよい場所を作ればいいのだな」
「はい。壊すなと言っても壊します。だったら、壊していい場所を用意したほうが、教育としては上です」
書いた。
壊し場
・古い術盤と、廃棄に回す演算晶だけを置く
・術線は、その部屋だけ別に引く
・封止破りも、拍上げも、ここでは許す
・入る前に、保証外であることを読ませる
・壊したら、何をどうして壊れたかを書いて出す
「最後の一行が、いちばん大事です」
私は下を指した。
「壊した記録が残ると、次の人が同じ壊し方をしなくて済みます。壊すのは、それ自体は悪いことではありません。何も残らない壊し方が悪いだけです」
四、工房は、封じ方の決まりを内で持つ
・どこまでを封じるか
・封じた品と、初めから欠けた品を、帳簿の上で分ける
・値の差の理由を、外に説明できる形で持っておく
・安い品を出し続ける責めは、工房が負う
五、買う側は、用途で選ぶ
・その用途に足りる性能
・食う魔力
・直しやすさ
・値
・手に入りやすさ
・長く作り続けてもらえるか
・壊れたとき替えが利くか
・使う人の数に対する台数
「高いものを買うのが、いつも贅沢とは限りません」
私は書き終えて、筆を置いた。
「逆に、安いものを買うのが、いつも賢いとも限りません。用途で決めます」
———
「一つ、伺ってよろしいですか」
トルガさんが言った。
「良い玉を封じて安く売るのは、いつまで続けるべきでしょうか」
いい問いだった。
「当座しのぎです」
私は答えた。
「ずっと続けるなら、初めから小さい母晶を別に焼いたほうが、工房も安く済みます。房を四つ作って一つ封じるより、初めから二つで焼いたほうが、母晶一枚から取れる数が増えますので」
「……新しい母晶を起こすには、三年かかります」
「では、三年は当座しのぎが要ります」
トルガさんは、しばらく考えて、それから頷いた。
「三年、と決めて封じるのと、なんとなく封じ続けるのとでは、違いますな」
「まるで違います」
期限を書いていない当座しのぎは、だいたい十年続く。私は、その十年を何度か見ている。
———
春先に、新しい教材術盤が入った。
大半は豆粒級である。講堂の後ろに、王冠級の共用術盤が四台だけ置かれた。重い演習の日は、そこを先に取る。もっと重いものは、服務的魔術を借りる。
術線は、この機会に引き直された。列ごとではなく、卓ごとに分けたそうである。工事の金は、王冠級を九十六台買わなかったぶんから出た。
新しい卓に座った学生が、画面を叩きながら言った。
「魔文と課題くらいなら、これで十分ですね」
その隣で、別の学生が小声で言った。
「でも、封を外したら速くなるって……」
背後にルドーが立っていた。
「壊し場でやれ」
学生が飛び上がった。
「それはそれで、許可するんですね」
私が言うと、ルドーはこちらを見もしなかった。
「壊して学ぶこともある」
「壊す場所を間違えなければ、です」
ルドーは、頷きもせずに歩いていった。この人は、同意するときほど返事をしない。
———
壊し場は、講堂の地下の物置を空けて作られた。
古い術盤が六台と、廃棄に回るはずだった演算晶が籠一杯。壁に紙が貼ってある。
ここで壊れたものは、誰も直しません
壊したら、書いて出すこと
ラウが、最初の一枚を出した。
豆粒三百型を、拍を上げきったまま回して、四半刻で焦がした記録である。どこで匂いが変わり、どこで字が乱れ、どこで止まったかが、細かく書いてあった。
読みながら、私は少し笑ってしまった。
この学生は、たぶん向いている。
———
その晩、家で豆を煮ながら、リゼが言った。
「豆粒級、かわいそうな名前だけど、ちゃんと役に立つのね」
「役に立つよ」
「名前で損してるわ」
「してるな」
俺は椀を出した。
「人も演算晶も、だいたい用途を見ないで格を付けられる」
「嫌な話ね」
「嫌な話だ」
湯気が上がった。工房へ行った朝と、同じ匂いだった。
「でも、用途が合えばちゃんと働く。……それは、たぶん人も同じだ」
リゼは、しばらく鍋を混ぜていた。
「じゃあ、うちの術盤は?」
「豆粒級でいい。ただし、短憶晶の大きいやつ」
「なんで大きいのがいるの」
「君が重いものを開くからだ」
リゼが笑った。
封じられた房のことを、少し考えた。
封の内側で、動けたはずの区画が黙っている。工房の帳簿の上では、それは欠けと同じ扱いになっている。
……まあ、いい。
書いてある範囲では、ちゃんと動く。約束はそこまでで、そこまでは守られる。
世の中の道具は、たいていそうやってできている。
最悪だ、と言うほどのことでもなかった。




