第20話 本物だと分からなければ、従えない
郵便局は、今日も郵便局らしく忙しかった。
つまり、だいぶ騒がしい。
だが前みたいに、最初から燃えているわけではない。
怒鳴り声は区画の中で止まり、門番は門番らしく立っている。
人間は慣れる。仕組みにも、地獄にも。
私は入口の前で、その“だいぶマシになった騒がしさ”を聞いて、少しだけ安心しかけた。
「……今日は平和かも」
隣のリゼが即答する。
「それ、絶対違うやつ」
「だよな」
ルドーが背後で鼻を鳴らした。
「現場の前で平和を期待するな。現場に失礼だ」
「その理屈は嫌いです」
「知っている」
最悪だ。
そのとき、中から聞き覚えのある悲鳴が上がった。
「だから! この命令書、本当に王城からなんですかって聞いてるんです!」
あ、駄目だ。
これはもう平和じゃない。
私は扉を押し開けた。
———
中は、爆発の一歩手前だった。
門番の机の上に、一枚の命令書。
その前で、局長と若い仕分け係が言い争っている。
横には荷受け担当、奥には倉庫係。全員顔色が悪い。
「王城印があるだろ!」
「でも真印がないんです!」
「そんなもの待ってたら荷が動かない!」
「動かしたあとで違ってたらどうするんですか!」
いい感じに地獄だ。
現場が育ってきたな、と思いたくはない。
局長が私に気づいた。
「ユウ殿!」
助かった、という顔をしている。
その顔、毎回ちょっと重い。
「ちょうどいい! 見てください! 王城命令が来たんですが、真印がないんです!」
私は命令書を受け取った。
紙質は悪くない。
王城の印章も押してある。
文面もそれっぽい。
『本日より西門倉庫の封を解け。
到着済みの資材は、確認を待たず先に搬出せよ。
王城書記局』
もっともらしい。
すごくもっともらしい。
そして、こういう“もっともらしい”やつが一番危ない。
リゼが横から覗き込む。
「……普通に見えるね」
「うん。だから危ない」
ルドーが後ろで言う。
「授業だな」
「先生、今日はその台詞禁止で」
「無理だ。教師だからな」
最悪。
———
私はまず、命令書そのものを見た。
王城印はある。
だが、授業で聞いた“真印”がない。
局長が言う。
「印章だけなら、前から使ってたんです。
でも先生……じゃない、ルドー殿が、真印のない重要命令は止めろと」
「正しいです」
私は頷いた。
「止めてください」
若い仕分け係が青い顔で言った。
「でも、もし本物だったら……?
止めたせいで遅れたら、こっちの責任です」
ああ。そこだ。
現場は、間違った命令よりも、本物を止める責任の方を怖がる。
だから偽物に弱い。
私はできるだけ静かに言った。
「読めることと、本物であることは別です。
印章があることと、王城が本当に出したことも別です」
仕分け係は唇を噛んだ。
「でも、じゃあ……どう見分けるんです」
「見る場所を変えます」
私は命令書を机に置いた。
———
まず一つ目。
「真印がない」
局長がうんうんと頷く。
ここはもう理解している。
だがそれだけだと、現場の若い人間はまだ不安だ。
「真印を押し忘れた本物かもしれない」と思ってしまう。
だから二つ目を見る。
私は文面を指でなぞった。
「これ、“確認を待たず先に搬出せよ”って書いてありますよね」
「はい」
「王城の命令文としては、妙に現場寄りです」
局長が眉をひそめる。
「現場寄り?」
「はい。
王城の命令は、だいたいもっと責任逃れが上手いです」
リゼが小さく吹き出した。
ルドーも少しだけ口元を歪めた。そこ笑うところか。まあ分かるけど。
私は続けた。
「普通なら、“書記局の確認後に搬出せよ”とか、“所定の手続を経よ”とか、余計な逃げ道を書きます。
でもこれは、雑に急がせすぎている」
局長が命令書を見直す。
「……言われてみれば」
若い仕分け係が、少しだけ目を泳がせた。
おや。
———
三つ目を見る。
封だ。
私は机の上の封筒を持ち上げた。
王城の封蝋は割れている。命令書は中から出されたあとだ。
だが、封の端にあるはずの細い補助札がない。
「局長、これ、誰が開けました?」
「私です」
「開けたとき、補助札はついてましたか」
局長が固まる。
「……補助札?」
私は頷いた。
「王城書記局の正式文書は、印章だけじゃなく補助札が一本つくはずです。
封を開けるときにそれが切れる。だから“開けられたか”が分かる」
局長が青ざめる。
「ついて……いなかった、と思います」
若い仕分け係の顔色が、さらに悪くなった。
あ、これだ。
私はその若い仕分け係を見た。
「あなた、これ、どこで受け取りました?」
「……え」
「誰から?」
「……配達袋に、入ってました」
「どの袋」
「そ、その……西区の、急ぎ袋で……」
答えが雑だ。
雑すぎる答えは、だいたい現場の嘘だ。
私は一歩だけ近づいた。
「差出票は?」
「……」
「受付印は?」
「……」
「門番は誰を通した?」
沈黙。
局長が、ゆっくりとその仕分け係を見た。
空気が変わる。
「……お前か?」
若い仕分け係は、見事なくらい分かりやすく崩れた。
「い、いや……その……」
リゼが小さく息を呑む。
ルドーは、まったく驚いていない。
仕分け係はとうとう両手で頭を抱えた。
「だって仕方なかったんです!」
来た。
人間が一番よく使う説明。
———
「何が仕方なかったんですか」
私が聞くと、彼は半泣きでまくしたてた。
「西門倉庫の資材、確認が止まってたんです!
書記局からの返事が遅いし、倉庫係はうるさいし、荷受けは詰まるし、このままだとまた現場が止まるって思って……!」
「だから王城命令を作った?」
「……どうせ後で同じ命令が来ると思って……!」
局長が頭を抱えた。
倉庫係も頭を抱えた。
私もちょっと抱えたかった。
ルドーが、実に冷静に言った。
「ほらな。陰謀ではない。雑な現場判断だ」
「先生、今それ言います?」
「今だから言う」
最悪だが、正しい。
私は仕分け係に聞いた。
「印章はどうしたんです」
「古い写しを見て、真似しました……。
でも真印は無理で……」
「だから印章だけ」
「……はい」
「文面が雑なのは」
「早く通したかったからです……」
局長が深く長いため息を吐いた。
「お前……」
怒るより先に疲れている声だった。
現場の管理者はだいたいそうなる。
———
私は机の上の命令書を指で叩いた。
「これが今日の結論です」
全員がこちらを見る。
「読める。
内容ももっともらしい。
印章もある。
でも本物ではない」
私は一つずつ指を折った。
「真印がない。
封の形式が違う。
文面が王城書式ではない。
そして経路の記録もない」
局長が、ゆっくりと頷いた。
「……本物だと分からないものには、従えない」
「そうです」
私は言った。
「秘密かどうかの前に、そこです。
隠されていても、本物じゃなければ意味がない」
仕分け係は、顔を真っ青にして俯いていた。
「すみません……」
リゼが小さく言う。
「悪いことだけど、ちょっと気持ちは分かるね」
私は頷いた。
「うん。分かる。
でも、分かるのと許せるのは別」
リゼも頷いた。
そこを分けるの、大事だ。
———
問題は、ここで終わりじゃなかった。
偽命令書は見破れた。
犯人もすぐ見つかった。
だが、現場がまた同じことをしないようにする必要がある。
私は局長に言った。
「ルールを貼りましょう」
「ルール?」
「はい。短く」
私は紙を一枚引き寄せて書いた。
重要命令は、真印があるものだけ有効
経路記録のない命令は保留
急いでいても、確認を飛ばすな
局長がその紙を見て、少しだけ笑った。
「……最後の一行が、一番難しいな」
「知ってます」
私は答えた。
「でも、そこを飛ばすと現場は燃えます」
ルドーが横から言う。
「ようやく授業になったな」
「先生、その台詞ほんと好きですね」
「気に入っている」
最悪だ。
局長はその紙を受け取り、門番机の横に貼った。
札は強い。
人類は文章を忘れるが、札はわりと見る。
若い仕分け係は、しばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「……二度とやりません」
局長が冷たく返す。
「当たり前だ。
だが“お前だけが悪い”で済ませる気もない。
確認を待てない現場を放置したこちらも悪い」
私は少しだけ、局長を見直した。
ちゃんと管理者の台詞だ。
ルドーが小さく鼻を鳴らす。
「成長したな」
「先生が上から言うの、腹立ちますね」
「教師だからな」
もういい、その自己紹介は。
———
帰り道。
夕方の空は薄く赤く、郵便局の屋根の上で鳥が鳴いていた。
地獄も夕方には少し静かになる。自然は無責任だ。
リゼが私の袖を掴む。
「ユウ」
「うん」
「今日のは、なんか地味だったね」
「うん。地味だった」
「でも、嫌いじゃない」
私は少し笑った。
「俺も」
リゼが首を傾げる。
「なんで?」
「悪い大悪党がいたわけじゃなくて、ただ現場が焦って雑になっただけだったから」
「そっちの方が好き?」
「物語としては地味だなって思う。
でも、現実としてはその方が安心する」
リゼが少し考えてから、頷いた。
「なるほど。
雑な人間の方が、修理しやすいもんね」
「そう。陰謀より保守しやすい」
「言い方」
リゼが笑う。
私も少しだけ笑った。
後ろからルドーが歩いてくる。
「覚えておけ」
また始まった。
「隠せることと、本物であることは別だ。
そして現場は、読めるものより、本物らしいものに騙される」
私は頷いた。
「はい」
「はいは一回だ」
「……はい」
リゼが吹き出した。
郵便局の門番机の横には、新しい札が揺れているはずだ。
本物だと分からなければ、従えない。
たぶん、それだけで今日の現場は少しマシになる。
たぶん。




