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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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198/255

第198話 短い名は誰のものか

 朝食の卓の向かいで、リゼが携帯術盤を見て笑っていた。


 パンをちぎる手が、さっきから止まっている。


「何かあった?」


「西市場の八百屋のおじさんがね、囁で、届いたカブの山の絵を上げてるの。今日のカブは強い、って一言だけ付けて」


「強いカブ」


「見たら分かるわよ。強いのよ」


 携帯術盤をこちらへ向けてくる。


 カブの山の写し絵が出ていた。たしかに、強かった。


 囁、というのは、ここ半年ほどで王都に広まった短文投稿の服務である。ささやき、と読む。


 短い文を書いて、公開の札面に流す。他人の投稿を追い読みに登録すると、その人の囁が手元に届くようになる。返しも引き写しもできる。それだけの仕組みである。


 それだけの仕組みが、王都を覆いつつあった。


 若者は歩きながら囁を読み、商人は店先に囁の名を掲げ、新聞社は刷る前の報せを囁で流す。役所まで、災害の報せと手続きの案内に使い始めている。


 リゼは、八百屋と、菓子屋と、王都報導社と、あとは職場の告知を追い読みしているらしい。


「ユウは登録しないの?」


「読む専門でいい。書くことがない」


「書くことがないって言う人ほど、始めると長いのよね」


 人類への理解が深い。


———

 その囁で、朝から話題になっていたのが、蓮丘庭園区の話だった。


 蓮丘庭園区は、王都の北西にできた新しい住宅地である。れんきゅうていえんく、と読む。水路と蓮池を囲んで、同じ造りの立派な家が並ぶ。値段も立派で、普通に勤めて買える家ではない。


 その一区画が、このたび売りに出た。


 で、番地ごとに値が違った。


「ね、これ見て。七七七番地だけ、隣の倍よ」


「うん」


「同じ区画なのに、なんで七七七番地だけ高いの?」


「人間が、意味を見つけたからだ」


「雑な説明ね」


「雑だけど、そうなんだ」


 リゼは携帯術盤の上で書き付けを繰った。


 一番地、七番地、八十八番地、百番地。切りの良い数字と、縁起の良い数字。人気の番地は、どれも高い。家は同じである。土地の広さも同じである。違うのは、門柱に彫られる数字だけ。


「数字に、家賃が付くのね」


「覚えやすいものは、だいたい価値になる」


「ふうん」


 リゼはカブの絵に戻りかけて、手を止めた。


「じゃあ、囁の名前も?」


 いい質問だった。


 朝食の卓でする質問としては、少しばかり、良すぎた。


———

 その日の講堂は、いつもどおり満ちていた。


 高い窓から光の帯が落ちて、石段の席に学生が並んでいる。リゼの顔も、その中にある。


 ルドー先生は、教卓に手を置いて、開口一番こう訊いた。


「囁を使っている者」


 手が、半分以上挙がった。


「では訊く。@竜という名と、@竜七八三四という名。術盤にとって、違いは何か」


 名の頭の渦の印は、囁の名の印である。読むときは「あっと」と言う。誰が言い出したのかは、誰も知らない。


 学生たちが、順に答えた。


「短い方が、速く探せます」


「長さ」


 一語で切られた。


「短い方が、先に登録された古い名です」


「登録の話はしていない」


「あの……値打ちが、違うと思います」


「なぜだ」


「なぜ、と言われると……」


 誤答の梯子が、いつもの高さまで積み上がった。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


 一回しか言っていないが。


———

 私は表示盤の前に立った。


「まず、答えから言います。術盤にとって、違いはありません」


 表示盤に書く。


 名の空間


「囁の中では、名前はこういう決まりで扱われています」


  ・ある範囲の中で、名前をただ一人に割り当てる

  ・同じ範囲の中で、同じ名前を二人が使えない

  ・早い者勝ち


「この、名前を一意に割り当てる範囲のことを、名の空間と呼ぶことにします。囁は一つの名の空間です。蓮丘庭園区の番地も、一つの名の空間です。同じ区に七七七番地は二つ作れません」


「帳の中では、利用者はみんな、長い番号で扱われています。名前は、その番号に貼られた札にすぎません。だから術盤にとって、@竜も@竜七八三四も、ただの札です。長さが違うだけで、どちらも同じ働きをします」


 ルドーが顎で先を促した。


「では、なぜ値打ちが違うのか。それは、名前を読むのが術盤だけではないからです」


 表示盤に、続きを書く。


 人間にとっての名前

  ・覚えられる

  ・口で伝えられる

  ・見間違えにくい

  ・信用が乗る


「人の注意には、限りがあります。人が覚えていられる名前の数にも、限りがあります。だから、覚えやすい名前は、それだけで人を呼び込む力を持ちます。店先に@甘と書いてあれば、明日も思い出せる。@甘味処東市場三号支店では、思い出せません」


 講堂に小さな笑いが起きた。


「短い名。辞書に載っている言葉。地名。職業の名。こういう名前は、名の空間の中で、数が限られています。竜、という一文字の名は、囁にひとつしかありません。限られたものに人が価値を見つけると、何が起きるか。蓮丘庭園区で起きていることが、起きます」


「地価か」


 ルドーが言った。


「はい。名前に、地価が付きます。囁の帳の中では、ただの札なのに、です」


「本当の識別は長い番号で、名前は人間が覚えるための表札だと言ったな」


「言いました」


「では、表札は奪えるのか」


 教卓の上で、ルドー先生は実に楽しそうだった。この人は、構造が軋む場所を見つけると楽しそうになる。


「奪えます」


 私は正直に答えた。


「家はそのまま残っているのに、表札と、そこへ至る道案内だけを、そっくり持っていかれる。名の空間では、そういう奪われ方をします」


 石段の中ほどで、リゼが手を挙げた。


「奪われたら、どうなるんですか。家は残ってるんですよね」


「残っています。でも、訪ねてくる人は、表札を頼りに来ます。表札を持っていった者の家に、あなた宛ての客と、あなた宛ての信用が、全部届くようになります」


 講堂が、少しだけ静かになった。


「今日はここまでにします。名の空間は、便利な仕組みです。ただし、便利な名前に価値が生まれたとき、その価値を守る仕組みは、まだ誰も作っていません」


 この「ただし」を、私はその週のうちに悔やむことになる。


———

 三日後の朝、術務室に着くと、フィンが携帯術盤を持って立っていた。


 この立ち方は、知っている。


「また遊戯の服務が終わりましたか」


「違います。今度は仕事の顔で来てます」


 差し出された画面には、囁の投稿が並んでいた。


 @竜、という名の投稿である。


 竜の力を宿した霊薬、いまだけ半値。竜髄の腕輪、残りわずか。買うなら早く。効いた人の声、続々。


「……これは」


「ひどいでしょう。で、これが昨日まで」


 フィンが画面を繰ると、同じ@竜の、昨日までの投稿が出た。


 竜の絵だった。


 雨の日の竜。市場の屋根で丸くなる竜。パンをくわえた竜。短い詩が添えてある。下手ではない。上手いというのとも違う。ただ、長く続けてきた者の絵だった。


「六年ぶん、あります。囁が始まった月からずっと。それが昨日の昼から、急にこれです」


 霊薬の宣伝が、六年の絵の上に積もっていた。


「投稿の主は」


「締め出されています。いま、下で待ってもらってます」


 最悪だ。


 朝の器に、口を付ける間もなかった。


———

 ピノという若い職人だった。


 応接の椅子に、置き忘れられた荷物のように座っていた。


 東市場の裏通りで、竜のぬいぐるみを作る小さな工房をやっているという。膝の上の袋から、握り拳ほどのぬいぐるみが覗いていた。緑の竜である。目の位置が少しずれていて、そのせいで、ひどく人が良さそうに見えた。


「囁は、始まった月から使っています。そのころは、好きな名前が全部空いていて」


 ピノは、ぽつぽつと話した。


「竜が好きなので、竜にしました。それだけなんです」


「投稿は、ずっと絵を?」


「絵と、詩を少し。店の宣伝も、たまに。追い読みしてくれる人が、少しずつ増えて。竜の絵の人、って呼ばれて」


 それで、と私は先を促した。


「五日前に、魔文が来たんです」


 ピノは、写しを持ってきていた。卓の上に広げる。


 囁運営より、大切なお知らせ

 短い名をお持ちの利用者の皆さまへ

 このたび、名の乗っ取りが相次いでいるため、短い名の利用者に本人検めをお願いしています

 下の案内から、三日以内にお手続きください

 お手続きのない場合、名は一時回収となります


「囁の運営の名前で、囁の印まで入っていて。本物だと思いました」


「思いますよ、これは」


 本物そっくりに作ってある。そして、脅しの形も正しい。名は一時回収となります――大事なものを取り上げると脅して、急がせる。偽案内の魔文の、教科書どおりの作りだった。


「案内の先で、合言葉を入れました。それから、いつもの、あの、その場限りの数字も」


「一時符号ですね。合言葉のあとに、登録した魔文へ届く」


「はい。検めだと言うから、両方とも」


 それで、終わりだった。


 合言葉と一時符号を入れた、その直後である。本物の囁で、ピノの名に誰かが入った。登録魔文先が変えられ、復旧用の答えが変えられ、紐づく術盤が付け替えられた。朝になって、ピノが自分の名に入ろうとしたときには、もう、どの扉も開かなかった。


「運営には」


「行きました。窓口で、合言葉を他人に教えましたね、と言われました」


 ピノは、膝の上の竜を、袋へ押し込んだ。


「教えました。教えたのは、そうなんです。でも」


 しばらく黙って、それから言った。


「ただ、昔から使っていただけなんです。売るつもりなんて、なかった。竜の絵を上げる場所だったんです、あそこは」


 返す言葉を、私はすぐには持っていなかった。


———

 昼までに、分かったことを並べた。


 術務室の小会議室である。フィンが囁の側の記録を集め、私が魔文と偽の受け取り札面の写しを検めた。


 表示盤に書く。


 一、偽の魔文は、少なくとも十七人に届いている

 二、届いた先は、全員が短い名の持ち主

 三、@竜のほかに、@塩、@鍵、@西門が奪われている

 四、偽の受け取り札面は、棚貸し工房の借り棚に三日だけ置かれ、もう消えている

 五、@竜は昨日から、竜恵商会なる商会の霊薬の宣伝をしている


「短い名だけ、狙い撃ちです」


 フィンが言った。


「合言葉の漏れなら、当たった者から漏れます。長い名も短い名も、均等に。これは違う。先に名の一覧を眺めて、値打ちのある名を選んでから、その持ち主にだけ魔文を撃っている」


「魔安対には」


「朝のうちに報せました。カナメさんが、囁の運営と話す席を作るそうです。それと――」


 フィンは、少し言いにくそうにした。


「裏の市の話が出ています。囁の短い名が、名指しで売り買いされている札面があると。@竜は、奪われる前の月に、売り物の一覧に載っていたそうです」


 売り物の一覧に、載っていた。


 持ち主は、売るつもりなどなかったのにである。


 AIエージェント:「観測:当該の名は、一覧上で家一軒分に相当する値が付けられていました」


「……家一軒」


 思わず、繰り返した。フィンも黙った。


 六年、竜の絵を上げるだけの場所だったものに、持ち主の知らないところで、家一軒分の値札が下がっていた。


———

 夕方、囁の運営の責任者が術務室へ来た。


 ダリアという、よく喋る、疲れた顔の女性だった。囁は始めて六年ほどの服務だが、この半年の利用者の増え方に、中の人数がまるで追いついていないという。


「まず、こちらの言い分を先に言います。合言葉と一時符号を、自分で入れてしまっているんです。錠は破られていません。鍵を、渡してしまっている」


「そうですね」


「利用の定めにも、合言葉の管理は利用者の責めと書いてあります。これを運営の落ち度と言われると、正直、つらい」


「それも、そうです」


 ダリアは、拍子抜けした顔をした。


「……責めに来たのではないんですか」


「事実の並べ方を変えに来ました」


 私は表示盤を、彼女の方へ向けた。


「一人が騙されたのなら、その人の不注意です。でも、短い名の持ち主だけが十七人選ばれて、同じ魔文で釣られて、四人が奪われて、奪われた名が裏の市で売られている。ここまで並ぶと、これは不注意の話ではありません。狙われているのは人ではなくて、名です」


「名……」


「囁の名の空間に、地価が生まれているんです。皆さんが早い者勝ちで配った札に、あとから、家一軒分の値が付いた。値が付いたのに、守りは昔のまま、ただの札の守りです。価値があると分かっているものを、価値がないものと同じ守り方で置いている。攻める側から見れば、これほど良い的はありません」


 ダリアは長いこと表示盤を見ていた。


 それから、疲れた顔のまま言った。


「うちは、短文の置き場を作ったつもりだったんです。土地を配ったつもりは、ないんです」


「みんな、そうなんです」


 私は、少しだけ言葉を選んだ。


「名の空間を作る人は、いつも、ただの札を配っているつもりで始めます。人が集まってから、札が土地になる。囁が悪いのではなくて、囁が育ったんです」


「育ったら、どうすればいいんですか」


 その問いへの答えは、一晩では並ばない。


 明日、魔安対と、術務室と、囁とで席を作ることになった。ピノの名を取り戻す道筋と、次の@塩と@鍵を出さない仕組みと、その両方を。


———

 帰り道、リゼと市場通りを歩いた。


 夕方の店先に、囁の名を書いた札が、あちこちに掛かっている。@甘。@靴。@夕刊。どれも短い。どれも、覚えやすい。


「あの札、全部、狙われ得るのよね」


「価値の分だけね」


「授業で聞いたときは、面白い話だと思ったけど」


 リゼは、店先の札をひとつずつ見ながら歩いた。


「普通の人は、自分の名前が資産だなんて思って使ってないわよ。ピノさんだって、ただ竜が好きだっただけでしょう」


「そこが、この話のいちばん嫌なところなんだ」


 空が暮れて、店々の灯りが点き始める。


「土地なら、高くなれば売って引っ越せる。でも名前は、その人が六年住んだ場所そのものだから。値が付いた瞬間に、住んでいる人が、いちばん危なくなる」


「……守れるの?」


「守り方を、明日から設計する」


 私は、市場の札をもう一度見た。


 @甘の菓子屋から、焼き菓子の匂いがしていた。店主は、自分の店の札に家一軒分の値が付き得ることを、たぶんまだ知らない。


 知らないままでいられる世界の方が、よかったのだけれど。


 名の空間に、もう地価は生まれてしまった。生まれた地価は、消えない。


 だったら、やることは一つである。


 最悪だ、と一応言っておく。言ってから、明日の席次を考え始めた。


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