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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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197/256

第197話 遊戯は誰のものか

 翌週、雲駆遊戯社のジルが、弾き直した算盤を持って戻ってきた。


 術務室の会議室に、王都の地図が広げてある。


「王都の際に、小さな実行の場を置きます。ただし、うちだけでは建てません」


 隣に、魔法網卸の担当が座っていた。これが答えらしい。


「夕刻の山のたび、王都と新大陸のあいだの文路が膨れます。膨れて困るのは、うちも同じです」


 卸の担当が言った。


「王都の際で計算が済めば、遠くまで運ぶ文が減ります。それなら、建屋と文路はうちが持つ意味がある」


「雲座はうちが持ち込みます。場所と道は、卸から借りる。互いに、いちばん高いものを出し合わずに済みます」


 いい形だと思った。遠くまで運んで困る者と、遠くで計算して困る者が、同じ場所を欲しがっている。


 置き場が決まったところで、運びの中身を詰めた。


 表示盤に、決めたことを並べていく。


 一、王都の際に、小さな実行の場を置く。夕刻の山のぶんだけ

 二、山を読む。夕刻、雨の日、休みの日、新しい遊戯の出る夜

 三、大きな催しの夜は、一時術台を借りて席を増やし、朝に返す

 四、席の用意は、部屋番台の形にする。空きの席を先に温めておき、来た人から順に割り当てる

 五、待たせるなら、正直に待たせる。あと何人、あとどれくらいを、待機廊の形で見せる

 六、絵の細かさを取るか、操作の速さを取るかを、遊び手に選ばせる

 七、操作の文は、何より先に通す。絵は多少粗れても、操作は遅らせない

 八、長く待たせた夜と、止まった夜の、銭の返しの決めを先に書いて、公にする


 四番で、ジルが顔を上げた。


「部屋番台、というのは」


「烏賊飛散の祭典戦で、王都の彩墨工房が同じ崖から落ちかけています。席の用意と、割り当てと、片付けを人手でやって詰まった。いまは仕組みで回している。訪ねてみるといいです。たぶん、夕刻の山の読み表ごと見せてくれます」


「同業ですが」


「席の取り合いはしても、待機列の恨みは共通です」


 ジルは笑って、書き付けた。


 七番は、少し説明が要った。


「絵と操作を、同じ扱いで運んではだめなんです。絵は、一枚落ちても、次の絵で塗り替えられます。操作は、一つ落ちたら、その操作は世界から消える。曲がれなかった浮遊車だけが残る」


「操作の文だけ、早馬に乗せるようなものですか」


「そうです。絵は荷馬車でいい。操作は早馬で」


 決め事が出そろって、会議は畳まれた。


 その帰り道、リゼが言った。


「今日、ずっと、夕刻、夕刻って言ってたでしょ。世界って、だいたい夕刻に殺されかけてない?」


「人間が、一斉に暇になるからね」


 竜騎士の最終回の夜も、湯沸かしの山も、遊戯の待機列も、全部同じ形をしている。人間の暇は、暦と鐘に縛られている。縛られた暇が、一斉に同じ扉を叩く。


「山が来ると分かってるなら、偉いのは、山を読んで席を敷いておく人ね」


「そういうことになる。地味だけど」


「地味ね」


「世界を支えてるのは、だいたい地味だ」


———

 ひと月ほどで、王都の際の実行の場が動き始めた。


 変化は、店頭がいちばん分かりやすかった。


 玩具屋の前の試遊の列で、子どもが操り環を右へ傾ける。映像盤の中の浮遊車が、間を置かずに右へ寝る。歓声が上がる。


 うちの居間でも、確かめた。操作してから曲がるまでの、あの瞬きひとつの間が、消えていた。壁には、まだ刺さる。それは操作である。


 待たせ方も変わった。


 混む夜は、正直にこう出る。


 ただいま、混み合っています

 あなたの順番まで、およそ四半刻

 王都の席が空き次第、ご案内します


「二刻が四半刻になって、しかも、本当のことを言うようになったのね」


「読めない二刻より、本当の四半刻の方が、人は怒らない」


 苦情魔文は、束から数枚になった。零にはならない。雨の休みの日の夕刻は、まだ混む。山は削れるが、消えはしない。


 壊れにくくなった。それで良し、とする。


 ――と、思っていたところに、別の報せが来た。


———

 その報せは、フィンが持ってきた。朝の術務室で、携帯術盤をこちらへ向けて、無言で立っていた。


 画面に、告知の札面が出ていた。


 『星海騎士団 遠隔版』は、来月の末日をもちまして、服務を終了いたします

 終了ののちは、遊戯を起動できません

 長年のご愛顧、まことにありがとうございました


「……星海騎士団」


「六年、遊びました」


 フィンの声が、朝の連絡の声ではなかった。


 星海騎士団は、雲上遊戯の先駆けだった。何年も前、文路がまだ細いころに、それでも遠くの席で騎士団の世界を動かした、物好きたちの遊戯である。絵は粗く、操作は遅れた。それでも、手元の古い術盤から大きな世界に入れる、最初の扉だった。


 疾走祭の華やかな流行の裏で、先駆けは、静かに客を減らしていたらしい。


「買ったんです。遠隔版の始まりのころに、買い切りで。月々の使用料の形になったのは、途中からです」


「手元には」


「何も。差し込み水晶と同じです。手元にあるのは、繋ぐための札だけです。騎士団の世界も、私の騎士も、六年の冒険の記録も、全部、向こうの雲座にあります」


 来月の末日に、その雲座は消える。


 フィンの六年も、一緒に消える。


 昼には、苦情魔文の束が、また商務院に積まれ始めたと聞いた。今度の束は、前のと質が違った。


 銭を返せ、ではなかった。


 俺の青春を返せ、だった。


 最悪なのは、その一文に、返す言葉がすぐに見つからないことだった。


———

 その夜、家でこの話をしたら、リゼは操り環を置いて、真顔になった。


「待って。それ、疾走祭も同じってこと?」


「同じ仕組みだね」


「わたしたちが買ったのは」


「遊ぶ権利。雲駆社が服務を続けているあいだの、ね」


「これ、買ったんじゃなくて、借りてただけなの?」


「約定の上では、たぶん、そう」


「約定の上では、って言い方が、いちばん腹立つわね」


「わかる」


 リゼは、映像盤の脇の差し込み水晶を見た。小指ほどの水晶である。


「この中には、何も入ってないのよね」


「入ってない。窓だから」


「窓の外の世界を畳まれたら、窓は、ただの壁ね」


 妻は、たまに、こちらが三日かけて言おうとしていることを一言で畳む。


 父の倉の話になったのは、その流れだった。


「父さんの倉の遊戯、あれ、ぜんぶまだ動くのよ」


「九千八百式の」


「そう。三十年前の記憶石を挿すと、三十年前の遊戯が、そのまま立ち上がるの。作った工房なんて、とっくに無いのに」


「手元にある物は、作り手が消えても、終わらないから」


 四十年前の記憶石が、いまも変わらず立ち上がるのを、私は見たことがある。訳そうとした本人は、もういない。それでも物語は、記憶石の中で消えずに、読む者を待ち続けている。


 手元に残るというのは、そういうことである。


「便利さと引き換えに、手元に残るものが、減ってるんだ」


「気づかないうちにね」


「気づかないうちに、が、いちばん効くんだ」


———

 商務院から、改めて相談が来た。


 星海騎士団の件は、定めの上では、服務側に大きな落ち度がない。約定の書には、服務は終了することがあります、と小さく書いてある。銭の返しの義務も、限られている。


「定めに反していないことは、分かっているんです」


 消費者保護部門の担当は、苦情の束を前に、疲れた顔で言った。


「ただ、約定の書に小さく書いてあったから終わり、で、この束が引くとは思えません。それに、これから雲上遊戯は増えます。終わり方の形が無いまま増えると、この束は、毎年届きます」


 だから、終わり方の作法を作りたい、という相談だった。


 いい相談である。


 術務室の会議室に、関わる顔が集まった。セシル、フィン、リゼ。ジルも呼んだ。星海騎士団の運営元の、疲れ切った担当も来た。ルドー先生もいた。学校の術盤買い替えの件が、まだ終わっていないのである。この景気だと、納期が読めない。


 表示盤に、論点を二つに割って書いた。


 一、席と遅れの話

  席の数、置き場、山の読み、操作の優先、待たせ方

  → ここまでで、だいたい形になった


 二、持ち物と終わりの話

  遊び手は、何を買ったのか

  服務が終わるとき、何が残るのか


「一は、銭で解けます。二は、銭だけでは解けません。約束の設計が要ります」


 星海騎士団の担当が、力なく言った。


「終わらせたくて終わらせる服務は、無いんです。客は減り、雲座の借り賃は減らず、記憶晶の値上がりで席の費えは上がり……続けるほど、傷が深くなる。それでも、と思って、三年延ばしました」


「責めていません。服務は、いつか終わります。問題は、終わるかどうかではなくて、終わり方です」


 表示盤に、続きを書いた。


 服務の終わり方の作法


 一、告知は長く。少なくとも半年。できれば一年

 二、遊びの記録は、遊び手に返す。冒険の記録、育てた騎士、選んだ道筋。写しにして、手元へ

 三、できるなら、縮小版を残す。雲座の世界は畳んでも、手元の術盤で動く小さな写しを

 四、記録映像と、設定の資料を残す。遊べなくなっても、あったことは消さない

 五、大図書館の納本のように、遊戯を納める蔵を考える。百年後の誰かが、今日の遊戯を調べられるように


「三は、できるものですか」


 ジルが訊いた。


「遊戯によります。皆で集う仕組みを畳んで、一人歩きの形に組み直すのは、安くない。でも、零か全部か、ではないんです。世界を一人で歩けるだけでもいい。騎士の姿と、冒険の記録を眺められるだけでもいい」


「五は、大ごとですね」


「大ごとです。今日は、考える、とだけ書きます。ただ、先例はあるんです。書物は、とっくにやっています。書いた人が亡くなっても、版元が畳まれても、大図書館に一冊残っていれば、百年後の人が読める。遊戯だけ、それが無い」


 ルドーが、表示盤を眺めて言った。


「魔法は、形ある物を消したがるな」


「服務も、似たようなものです。形を持たないことが、便利の正体なので」


「消した形の責めは、誰が持つ」


「消した者が持つべきです。だから、これは」


 表示盤の題の下に、一行書き足した。


 服務の終わり方の作法

 ――手元から遠ざけた者の、責任の設計


「雲上遊戯は、悪い仕組みじゃないです。むしろ、すごくいい。高い術盤の壁を消して、遊びを広げた。でも、遊戯が手元から遠ざかるなら、遠ざけた分だけ、責任を設計しないといけない。便利の分だけ、約束を書く。それだけの話です」


 最後に、先例をもう一つ挙げた。


「星詠みの庭を思い出してください。旧い庭を畳むとき、あの人たちは終庭祭をやりました。止めるのではなく、見届けさせた。終わりまで設計された服務は、恨まれずに終われるんです。あの庭の客は、いまも新しい庭にいます」


 星海騎士団の担当が、初めて顔を上げた。


「……最後の夜に、祭を」


「六年遊んだ人が、ちゃんと別れを言える夜を。それと、記録の返しを。恨みと思い出は、別にできます」


———

 服務終了の告知は、ひと月後に改められた。


 終了は半年延ばされ、遊びの記録の写しの返しと、最後のひと月の祭が告知された。縮小版は、検討中、とだけ書いてあった。全部は取れない。それでも、苦情の束は引き始めたと聞く。


 フィンは、週末ごとに騎士団へ通っている。


「あと五月で終わると思うと、景色が違って見えるんです」


 それは少し、分かる気がした。


———

 休みの日の夜、リゼと疾走祭を走った。


 王都の際に席が来てから、うちの居間の草原は、いつも銀色である。


 リゼの浮遊車が、砂漠の丘を毎刻二百歩里で飛んで、着地で回って、遺跡の柱に刺さった。


 私は笑いをこらえた。こらえきれなかった。


「今笑った?」


「通信の遅れかな」


AIエージェント:「補足:現在の操作の遅れは、瞬き一つの十分の一以下です」


「だそうよ」


「便利な言い訳が、一つ減った」


 リゼは浮遊車を柱から引き剥がして、また走り出した。外の路でこの速さを出したら、添え手どころの騒ぎではない。遊戯の中の大陸には、検分会も答申も無い。誰も傷つかない世界でだけ、人は安心して壁に刺さりに行ける。


 夜も更けて、リゼが操り環を置いた。


「ね。今日の走り、楽しかったけど」


「うん」


「手元に何も残らない遊戯って、少し寂しいわね」


 窓の外を、少し見てから言った。


「うん。便利になるほど、失くしたときに、何を失くしたのか分かりにくくなる」


「じゃあ、今日の疾走祭は?」


「あれは……もう一回やりたい」


「結局はまってるじゃない」


「技術検証です」


「便利な言い訳、その二ね」


 操り環は二つとも、卓の上にある。


 水晶の窓の向こうで、誰かの草原が、まだ銀色に揺れている。


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