第197話 遊戯は誰のものか
翌週、雲駆遊戯社のジルが、弾き直した算盤を持って戻ってきた。
術務室の会議室に、王都の地図が広げてある。
「王都の際に、小さな実行の場を置きます。ただし、うちだけでは建てません」
隣に、魔法網卸の担当が座っていた。これが答えらしい。
「夕刻の山のたび、王都と新大陸のあいだの文路が膨れます。膨れて困るのは、うちも同じです」
卸の担当が言った。
「王都の際で計算が済めば、遠くまで運ぶ文が減ります。それなら、建屋と文路はうちが持つ意味がある」
「雲座はうちが持ち込みます。場所と道は、卸から借りる。互いに、いちばん高いものを出し合わずに済みます」
いい形だと思った。遠くまで運んで困る者と、遠くで計算して困る者が、同じ場所を欲しがっている。
置き場が決まったところで、運びの中身を詰めた。
表示盤に、決めたことを並べていく。
一、王都の際に、小さな実行の場を置く。夕刻の山のぶんだけ
二、山を読む。夕刻、雨の日、休みの日、新しい遊戯の出る夜
三、大きな催しの夜は、一時術台を借りて席を増やし、朝に返す
四、席の用意は、部屋番台の形にする。空きの席を先に温めておき、来た人から順に割り当てる
五、待たせるなら、正直に待たせる。あと何人、あとどれくらいを、待機廊の形で見せる
六、絵の細かさを取るか、操作の速さを取るかを、遊び手に選ばせる
七、操作の文は、何より先に通す。絵は多少粗れても、操作は遅らせない
八、長く待たせた夜と、止まった夜の、銭の返しの決めを先に書いて、公にする
四番で、ジルが顔を上げた。
「部屋番台、というのは」
「烏賊飛散の祭典戦で、王都の彩墨工房が同じ崖から落ちかけています。席の用意と、割り当てと、片付けを人手でやって詰まった。いまは仕組みで回している。訪ねてみるといいです。たぶん、夕刻の山の読み表ごと見せてくれます」
「同業ですが」
「席の取り合いはしても、待機列の恨みは共通です」
ジルは笑って、書き付けた。
七番は、少し説明が要った。
「絵と操作を、同じ扱いで運んではだめなんです。絵は、一枚落ちても、次の絵で塗り替えられます。操作は、一つ落ちたら、その操作は世界から消える。曲がれなかった浮遊車だけが残る」
「操作の文だけ、早馬に乗せるようなものですか」
「そうです。絵は荷馬車でいい。操作は早馬で」
決め事が出そろって、会議は畳まれた。
その帰り道、リゼが言った。
「今日、ずっと、夕刻、夕刻って言ってたでしょ。世界って、だいたい夕刻に殺されかけてない?」
「人間が、一斉に暇になるからね」
竜騎士の最終回の夜も、湯沸かしの山も、遊戯の待機列も、全部同じ形をしている。人間の暇は、暦と鐘に縛られている。縛られた暇が、一斉に同じ扉を叩く。
「山が来ると分かってるなら、偉いのは、山を読んで席を敷いておく人ね」
「そういうことになる。地味だけど」
「地味ね」
「世界を支えてるのは、だいたい地味だ」
———
ひと月ほどで、王都の際の実行の場が動き始めた。
変化は、店頭がいちばん分かりやすかった。
玩具屋の前の試遊の列で、子どもが操り環を右へ傾ける。映像盤の中の浮遊車が、間を置かずに右へ寝る。歓声が上がる。
うちの居間でも、確かめた。操作してから曲がるまでの、あの瞬きひとつの間が、消えていた。壁には、まだ刺さる。それは操作である。
待たせ方も変わった。
混む夜は、正直にこう出る。
ただいま、混み合っています
あなたの順番まで、およそ四半刻
王都の席が空き次第、ご案内します
「二刻が四半刻になって、しかも、本当のことを言うようになったのね」
「読めない二刻より、本当の四半刻の方が、人は怒らない」
苦情魔文は、束から数枚になった。零にはならない。雨の休みの日の夕刻は、まだ混む。山は削れるが、消えはしない。
壊れにくくなった。それで良し、とする。
――と、思っていたところに、別の報せが来た。
———
その報せは、フィンが持ってきた。朝の術務室で、携帯術盤をこちらへ向けて、無言で立っていた。
画面に、告知の札面が出ていた。
『星海騎士団 遠隔版』は、来月の末日をもちまして、服務を終了いたします
終了ののちは、遊戯を起動できません
長年のご愛顧、まことにありがとうございました
「……星海騎士団」
「六年、遊びました」
フィンの声が、朝の連絡の声ではなかった。
星海騎士団は、雲上遊戯の先駆けだった。何年も前、文路がまだ細いころに、それでも遠くの席で騎士団の世界を動かした、物好きたちの遊戯である。絵は粗く、操作は遅れた。それでも、手元の古い術盤から大きな世界に入れる、最初の扉だった。
疾走祭の華やかな流行の裏で、先駆けは、静かに客を減らしていたらしい。
「買ったんです。遠隔版の始まりのころに、買い切りで。月々の使用料の形になったのは、途中からです」
「手元には」
「何も。差し込み水晶と同じです。手元にあるのは、繋ぐための札だけです。騎士団の世界も、私の騎士も、六年の冒険の記録も、全部、向こうの雲座にあります」
来月の末日に、その雲座は消える。
フィンの六年も、一緒に消える。
昼には、苦情魔文の束が、また商務院に積まれ始めたと聞いた。今度の束は、前のと質が違った。
銭を返せ、ではなかった。
俺の青春を返せ、だった。
最悪なのは、その一文に、返す言葉がすぐに見つからないことだった。
———
その夜、家でこの話をしたら、リゼは操り環を置いて、真顔になった。
「待って。それ、疾走祭も同じってこと?」
「同じ仕組みだね」
「わたしたちが買ったのは」
「遊ぶ権利。雲駆社が服務を続けているあいだの、ね」
「これ、買ったんじゃなくて、借りてただけなの?」
「約定の上では、たぶん、そう」
「約定の上では、って言い方が、いちばん腹立つわね」
「わかる」
リゼは、映像盤の脇の差し込み水晶を見た。小指ほどの水晶である。
「この中には、何も入ってないのよね」
「入ってない。窓だから」
「窓の外の世界を畳まれたら、窓は、ただの壁ね」
妻は、たまに、こちらが三日かけて言おうとしていることを一言で畳む。
父の倉の話になったのは、その流れだった。
「父さんの倉の遊戯、あれ、ぜんぶまだ動くのよ」
「九千八百式の」
「そう。三十年前の記憶石を挿すと、三十年前の遊戯が、そのまま立ち上がるの。作った工房なんて、とっくに無いのに」
「手元にある物は、作り手が消えても、終わらないから」
四十年前の記憶石が、いまも変わらず立ち上がるのを、私は見たことがある。訳そうとした本人は、もういない。それでも物語は、記憶石の中で消えずに、読む者を待ち続けている。
手元に残るというのは、そういうことである。
「便利さと引き換えに、手元に残るものが、減ってるんだ」
「気づかないうちにね」
「気づかないうちに、が、いちばん効くんだ」
———
商務院から、改めて相談が来た。
星海騎士団の件は、定めの上では、服務側に大きな落ち度がない。約定の書には、服務は終了することがあります、と小さく書いてある。銭の返しの義務も、限られている。
「定めに反していないことは、分かっているんです」
消費者保護部門の担当は、苦情の束を前に、疲れた顔で言った。
「ただ、約定の書に小さく書いてあったから終わり、で、この束が引くとは思えません。それに、これから雲上遊戯は増えます。終わり方の形が無いまま増えると、この束は、毎年届きます」
だから、終わり方の作法を作りたい、という相談だった。
いい相談である。
術務室の会議室に、関わる顔が集まった。セシル、フィン、リゼ。ジルも呼んだ。星海騎士団の運営元の、疲れ切った担当も来た。ルドー先生もいた。学校の術盤買い替えの件が、まだ終わっていないのである。この景気だと、納期が読めない。
表示盤に、論点を二つに割って書いた。
一、席と遅れの話
席の数、置き場、山の読み、操作の優先、待たせ方
→ ここまでで、だいたい形になった
二、持ち物と終わりの話
遊び手は、何を買ったのか
服務が終わるとき、何が残るのか
「一は、銭で解けます。二は、銭だけでは解けません。約束の設計が要ります」
星海騎士団の担当が、力なく言った。
「終わらせたくて終わらせる服務は、無いんです。客は減り、雲座の借り賃は減らず、記憶晶の値上がりで席の費えは上がり……続けるほど、傷が深くなる。それでも、と思って、三年延ばしました」
「責めていません。服務は、いつか終わります。問題は、終わるかどうかではなくて、終わり方です」
表示盤に、続きを書いた。
服務の終わり方の作法
一、告知は長く。少なくとも半年。できれば一年
二、遊びの記録は、遊び手に返す。冒険の記録、育てた騎士、選んだ道筋。写しにして、手元へ
三、できるなら、縮小版を残す。雲座の世界は畳んでも、手元の術盤で動く小さな写しを
四、記録映像と、設定の資料を残す。遊べなくなっても、あったことは消さない
五、大図書館の納本のように、遊戯を納める蔵を考える。百年後の誰かが、今日の遊戯を調べられるように
「三は、できるものですか」
ジルが訊いた。
「遊戯によります。皆で集う仕組みを畳んで、一人歩きの形に組み直すのは、安くない。でも、零か全部か、ではないんです。世界を一人で歩けるだけでもいい。騎士の姿と、冒険の記録を眺められるだけでもいい」
「五は、大ごとですね」
「大ごとです。今日は、考える、とだけ書きます。ただ、先例はあるんです。書物は、とっくにやっています。書いた人が亡くなっても、版元が畳まれても、大図書館に一冊残っていれば、百年後の人が読める。遊戯だけ、それが無い」
ルドーが、表示盤を眺めて言った。
「魔法は、形ある物を消したがるな」
「服務も、似たようなものです。形を持たないことが、便利の正体なので」
「消した形の責めは、誰が持つ」
「消した者が持つべきです。だから、これは」
表示盤の題の下に、一行書き足した。
服務の終わり方の作法
――手元から遠ざけた者の、責任の設計
「雲上遊戯は、悪い仕組みじゃないです。むしろ、すごくいい。高い術盤の壁を消して、遊びを広げた。でも、遊戯が手元から遠ざかるなら、遠ざけた分だけ、責任を設計しないといけない。便利の分だけ、約束を書く。それだけの話です」
最後に、先例をもう一つ挙げた。
「星詠みの庭を思い出してください。旧い庭を畳むとき、あの人たちは終庭祭をやりました。止めるのではなく、見届けさせた。終わりまで設計された服務は、恨まれずに終われるんです。あの庭の客は、いまも新しい庭にいます」
星海騎士団の担当が、初めて顔を上げた。
「……最後の夜に、祭を」
「六年遊んだ人が、ちゃんと別れを言える夜を。それと、記録の返しを。恨みと思い出は、別にできます」
———
服務終了の告知は、ひと月後に改められた。
終了は半年延ばされ、遊びの記録の写しの返しと、最後のひと月の祭が告知された。縮小版は、検討中、とだけ書いてあった。全部は取れない。それでも、苦情の束は引き始めたと聞く。
フィンは、週末ごとに騎士団へ通っている。
「あと五月で終わると思うと、景色が違って見えるんです」
それは少し、分かる気がした。
———
休みの日の夜、リゼと疾走祭を走った。
王都の際に席が来てから、うちの居間の草原は、いつも銀色である。
リゼの浮遊車が、砂漠の丘を毎刻二百歩里で飛んで、着地で回って、遺跡の柱に刺さった。
私は笑いをこらえた。こらえきれなかった。
「今笑った?」
「通信の遅れかな」
AIエージェント:「補足:現在の操作の遅れは、瞬き一つの十分の一以下です」
「だそうよ」
「便利な言い訳が、一つ減った」
リゼは浮遊車を柱から引き剥がして、また走り出した。外の路でこの速さを出したら、添え手どころの騒ぎではない。遊戯の中の大陸には、検分会も答申も無い。誰も傷つかない世界でだけ、人は安心して壁に刺さりに行ける。
夜も更けて、リゼが操り環を置いた。
「ね。今日の走り、楽しかったけど」
「うん」
「手元に何も残らない遊戯って、少し寂しいわね」
窓の外を、少し見てから言った。
「うん。便利になるほど、失くしたときに、何を失くしたのか分かりにくくなる」
「じゃあ、今日の疾走祭は?」
「あれは……もう一回やりたい」
「結局はまってるじゃない」
「技術検証です」
「便利な言い訳、その二ね」
操り環は二つとも、卓の上にある。
水晶の窓の向こうで、誰かの草原が、まだ銀色に揺れている。




