第196話 手元にない遊戯
冬の入りの市場通りは、音で季節が分かる。
炙り栗の屋台の、殻の爆ぜる音。外套の店の呼び込み。息が白くなり始めると、通りの音は、少しずつ屋内へ寄っていく。
なのに今日は、通りの真ん中に人だかりができていた。
玩具屋の前である。
「なにかしら」
リゼと買い物の帰りだった。人だかりは子どもが中心で、その後ろに、足を止めた大人の輪がある。
人垣の隙間から、店頭が見えた。
映像盤が一枚、外へ向けて置いてある。
その中を、浮遊車が走っていた。
草原だった。丈の高い草が、風で銀色に倒れる。その中を、見たこともない形の浮遊車が、ありえない速さで駆け抜けていく。浅瀬に入ると、車体の起こす風が水面を割って、しぶきが陽を受けて散った。砂地に入ると、後ろに砂埃が長く伸びた。
絵だと分かっているのに、しぶきの一粒まで見えた。
「きれい……」
リゼが素直な声を出した。
映像盤の脇に、売り文句の板が立ててある。
『地平線疾走祭 六』
浮遊車で、大陸のはてまで
家庭用術盤は要りません
古い映像盤で、そのまま動きます
月々の使用料で、最新遊戯が遊び放題
「家庭用術盤は要りません、って」
リゼが板を二度読んだ。
「じゃあ、何で動いてるのよ」
店主が、待ってましたという顔で寄ってきた。玩具屋の店主は、子ども相手の商売のせいか、種明かしの好きな人が多い。
「これですよ、奥さん」
店主が摘まんで見せたのは、小指ほどの水晶だった。
片端が平たく削られていて、そこを映像盤の脇の差し口へ挿すのだという。
「差し込み水晶。これを映像盤に挿して、あとは操り環を握るだけ。発売は五日後です」
「これ、本当にこの小さい水晶で動いてるの?」
リゼが、店主とこちらを交互に見た。
私は人垣の後ろから、もう一度、映像盤の中の草原を見た。
「動いてる、というより……映してるだけだね」
「どういうこと?」
「帰りに話す」
子どもの夢の前でする種明かしではない。
———
週明けの王都術務室で、机に着く前に捕まった。
「ユウさん、あれ、予約しました?」
フィンである。資料の写しと魔文の整理を任せると早くて正確な、若い術務担当である。休みの日の話をするときだけ、早口になる。
今日は、月曜の朝から早口だった。
「疾走祭ですか」
「疾走祭です。差し込み水晶、もう買いました。うち、術盤が古いんですよ。買い替えたいんですけど、ほら、いま記憶晶が高いじゃないですか」
「高いですね」
半年で倍になった値札を、術務室の調達で散々見た。
「新しい個人術盤なんて、いまはとても手が出ません。でも雲上遊戯なら、水晶ひとつと月々の使用料で、最新のが動くんです。いい時代です」
雲上遊戯。
売り文句の板にも書いてあった呼び名である。遊戯は雲域で動き、映像だけが手元へ降りてくるから、雲の上、らしい。
「実は、私も一つ買いました」
「え」
フィンの目が輝いた。仲間を見つけた顔である。
「技術検証です」
「はいはい」
セシルが資料を抱えて、通りすがりに言った。この人の「はいはい」は、ルドー先生の「はいは一回だ」より容赦がない。
———
数日後、魔法学校の講堂に呼ばれた。
ルドー先生が月に何度か持っている、いまの術と仕組みを解く枠である。決まった教科の進みとは別に、街でいま出回っているものを持ち込んで、仕組みから見る。試験は無い。単位にもならない。それなのに、普段の授業より席が埋まる。
人間は、習えと言われた仕組みには眠くなり、流行りの仕組みには身を乗り出す生き物である。
今回の題は、決まったようなものだった。
教卓の上に、借り物の映像盤と、差し込み水晶が置いてある。
「街で、これが売れている」
ルドーは水晶を摘まみ上げた。
「問う。この水晶の中で、遊戯は動いているか」
学生が順に手を挙げる。
「動いています。小さくて強い術盤だと思います」
「思うな。調べろ」
「圧縮した映像が入っていて、順に流して……」
「操作できる映像があるか」
「中に、小さい遊戯の世界が……」
「入らん」
三人が短く切られて、講堂が静かになった。
「ユウ」
「はい」
「はいは一回だ。前へ」
一回しか言っていない。
教卓の横で、表示盤に書いた。
これまでの遊戯
・手元の術盤が、操作を受ける
・手元の術盤が、遊戯の世界を計算する
・手元の術盤が、映像を作る
・手元の映像盤に映す
「これまでの術盤遊戯は、全部が手元で起きていました。だから、術盤の性能で遊べる遊戯が決まった」
その横に、もう一つ書く。
雲上遊戯
・手元の水晶が、操作を受ける
・操作を、遠くの雲域へ送る
・雲域の術盤が、世界を計算する
・雲域の術盤が、映像を作る
・映像だけを、手元へ送り返す
・手元の水晶は、届いた映像を映像盤に映す
「雲上遊戯で手元に残っている仕事は、最初と最後だけです。操作を受けることと、映すこと。計算は全部、遠くの雲域にある大きな術盤がやっています。手元の水晶は、ほとんど目と耳と指だけです。頭と筋肉は、遠くにある」
「遠話鏡と、何が違うのですか」
前の方の学生が訊いた。いい問いである。
「遠話鏡は、向こうにあるものを見る道具です。雲上遊戯は、向こうにある世界を、こちらの指で動かす仕組みです。映像が降りてくるのは同じでも、その逆向きに、操作が上っていく」
仕組みそのものは、新しくない。そのことも言っておいた。
「実は、これと同じ形は、何年も前からありました。ただ、文路が細くて、絵は粗く、操作は遅れて、物好きの遊びと言われていた。文路が太くなって、やっと、当たり前の遊びの顔になったんです」
リゼが手を挙げた。支援班の見習いになっても、講義では学生の顔で座っている。
「台所が遠くの雲域にあって、うちには窓と、長いお玉だけがあるのね」
「そのお玉、長さが王都から新大陸まであるけど……だいたい合ってます」
講堂に、少し笑いが起きた。
ルドーが腕を組んだ。
「人間で言えば、体だけここにあって、脳が新大陸にあるようなものか」
「嫌な言い方ですけど、だいたい合ってます」
それから、利点を並べた。これは、言っておきたかった。
・高い術盤を買えない家でも、最新の遊戯が遊べる
・熱を出す演算晶を、家に置かなくていい
・術盤の性能の差が、遊びの差にならない
・遊戯の改めは、雲域側で一度に済む
・不正な改造が、やりにくい
「とくに一つ目です。いま、記憶晶の値が上がって、個人術盤がどんどん高くなっています。性能の良い術盤を持つ家の子だけが最新の遊戯で遊ぶ、という形を、この仕組みは崩せる」
「高い術盤を買えない子でも、同じ遊戯で遊べるのは、いいわね」
リゼが言った。
「そこは、本当にいいんです。手元の差を、かなり縮められます」
「ただし、だろう」
ルドーが先を促した。この先生は、便利の話を便利のまま終わらせてくれない。
「ただし。操作は王都から雲域へ上って、映像になって、降りてきます。文の往復には、必ず刻がかかる。近ければ短く、遠ければ長い」
表示盤の端に、小さく書いた。
操作してから、曲がるまでの遅れ
「映像を見るだけなら、少しくらい遅れても構いません。でも遊戯は、こちらの操作で世界が変わります。曲がれと念じてから曲がるまでが遅れると――」
「遅れると?」
「壁に刺さります」
———
発売の日は、よく晴れた冬の夜だった。
夕食を済ませて、居間の映像盤に差し込み水晶を挿した。技術検証である。
「技術検証なのに、操り環が二つあるのは、どうして?」
「検証には対照が要る」
「ふうん」
リゼは笑って、操り環を取った。輪の内側に手を入れて、傾けて、握りに力を入れて操る。玩具屋いわく、子どもは半日で覚えるという。
映像盤に、雲駆遊戯社の紋が出た。
それから、こう出た。
ただいま、雲座がたいへん混み合っています
あなたの順番まで、およそ二刻
「二刻」
「二刻」
リゼが操り環を持ったまま、こちらを見た。
「王都中が、同じ夜に挿したんだと思う」
「買ったのに、遊べないの?」
「買ったというより、遊ぶ権利を買ったんだろうね」
「急に冷たくなったわね」
「仕組みが冷たいから……」
人類は、新しい遊びのためなら、同じ夜の同じ刻に、同じ扉へ殺到する。学ばないのではない。楽しみの前では、学ぶ間もないだけだ。
待つあいだに、フィンから魔文が届いた。開くと、悲鳴だけが書いてあった。続けてもう一通。こちらは待ち順の数字を写した絵で、四千と少しだった。
AIエージェント:「観測:あなたは現在、四千百二十番目です。提案:先に湯を浴び、寝間着に着替えることを推奨します」
「黙れ」
提案どおりに湯を浴びて、戻って、茶を淹れたあたりで、順番が来た。
草原は、映像盤の中で、たしかにきれいだった。
ただ、操り環を右へ傾けてから、浮遊車が右を向くまでに、明らかな間があった。
瞬きひとつぶんの遅れである。たったそれだけで、手が覚えた速さと、世界の速さがずれる。
最初の曲がり角で、リゼの浮遊車は壁に刺さった。
「いまの、わたしのせいじゃないわよね?」
「半分は、遅れのせい」
「もう半分は?」
「操作」
「言ったわね」
二度目の角も刺さった。三度目で曲がれた。曲がれたときには、草原の草が、遠目に四角い塊になっていた。混んでくると、絵が粗くなるらしい。
「銀色の草原は、どこへ行ったの」
「王都中で、取り合いになってる」
夜半、寝る前に窓の外を見た。
どの家の窓にも、映像盤の明かりが揺れていた。あの一枚一枚の向こうで、いま、遠い雲域の術盤が世界を計算している。
遊戯を買ったはずの夜に、誰の手元にも、遊戯がない。
妙な夜だった。
———
三日後、商務院の消費者保護部門から、術務室に相談が来た。
苦情魔文の束と、一緒にである。
買ったのに二刻待たされた。操作が遅れて壁に刺さる。草原が四角い。子どもが泣いている。約束の絵と違う。銭を返せ。
「三日で、この厚さです」
消費者保護部門の担当が、束を机に置いた。前にも似た置き方を見た。蒼帯通信社の件のときである。
最悪だ。
もう一方の相手は、魔法網卸だった。夕刻から夜半にかけて、王都魔法網の外へ向かう文の量が、放送の山場の比ではないという。
「それから、当の会社が、自分から相談に来ています」
通されたのは、若い男だった。ジルと名乗った。雲駆遊戯社の、運営の責任者だという。目の下の隈が、先日どこかで見た誰かに似ていた。景気のいい商いの中の人は、だいたい同じ顔になるらしい。
「隠さずに申し上げます。読みが、外れました」
ジルは、数字の束を自分から出した。好感の持てる外し方だった。
「発売の夜、繋ぎに来た数は、読みの三倍でした。雲座は、新大陸の雲域に用意してあります。夕刻の山の刻には席が足りず、待機の列が二刻を超えました」
「席を増やせないのですか」
セシルが訊いた。
「増やしました。それでも、夕刻だけ足りません。山に合わせて席を敷けば、昼のあいだ、誰も座らない席に銭を払い続けることになります。それから――」
ジルは、言いにくそうに続けた。
「席を増やしても、直らない苦情があります。操作の遅れです。絵の粗さは、席で直ります。遅れは、直らない」
「拝見します」
記録の束を繰った。
繋ぎの記録。待機の列の記録。文の往復の刻の記録。
読んでいくと、苦情は二種類に割れた。
待たされた、という苦情。これは席の数の話である。
操作が遅れる、という苦情。こちらは、席をいくら増やしても消えない。王都と新大陸のあいだを、操作と映像が往復している。その道のりそのものが、遅れの底になっている。
「これは、遊戯の不具合ではないですね」
顔を上げて言った。
「映像配信なら、少しくらい遅れてもいいんです。届いた順に流すだけですから。でもこれは、映像配信じゃなくて、遠隔操作なんです。遅れが、遊びそのものを壊す」
「配信の備えは、してあるんです」
ジルが言った。
「雲焔です。遊戯の絵の素材や、改めの札は、王都の近くの雲焔に写しを置いています。竜騎士の放送の夜の件に、学びました。素材の配りで詰まったことは、一度もありません」
「それは正しい備えです。ただ、雲焔で配れるのは、誰が読んでも同じものだけです」
表示盤に描いた。
誰にとっても同じもの → 写しを近くに置ける
絵の素材、音、地形、改めの札
遊び手ごとに違うもの → 写しでは済まない
いま、その人の浮遊車が、どこを走っているか
「映像を見るだけなら、近くに写しを置けばいい。でも遊戯は、こちらの操作で世界が変わります。あなたの草原と、フィンの草原は、もう別の草原なんです。だから、世界そのものを計算する席を、ある程度、遊び手の近くに置かないといけない」
「つまり」
セシルが要点に畳んだ。
「遊戯の話をしていたはずが、席の置き場所と、数の読みの話になったわけですね」
「またいつものやつ、というやつです」
リゼが記録を取りながら言った。ルドー先生の口癖が、支援班にまで移っている。
「王都の近くに、小さくてもいいから、実行の席を置くことです。全部を移す必要はありません。夕刻の山のぶんだけでいい」
ジルは、頷いてから、止まった。
「王都の近くに雲座の場を置けば、遅れは削れます。うちでも出た案です。ただ、費用が」
出た。
この仕事をしていると、あらゆる正しい案は、最後にこの一言と衝突する。
「一つ、確かめさせてください。差し込み水晶は、なぜあんなに安いんですか」
「手元で計算をしないからです。水晶の中身は、操作の受けと、映像の出入りだけですから」
「そうです。高価な術盤を、各家庭に置かずに済ませた。でも、そのぶんの計算は、消えたわけじゃありません。遠くの雲域に、集めて積んであるだけです」
表示盤の前で、ジルに向き直った。
「便利は、計算の置き場所を変えただけなんです。家々から消えた費用は、どこかで、誰かが払う必要があります」
ジルは、長いこと表示盤を見ていた。
載っているのは、王都の地図と、新大陸までの遠さと、夕刻の山の高さである。
「持ち帰ります。算盤を、弾き直してきます」
一礼して、帰っていった。
AIエージェント:「補足:本日の夕刻、あなたの待機順は三千番台に改善しています。観測:改善の主因は、諦めた遊び手の離脱です」
「その改善は、嬉しくないんだよ」
人が去って空いた席のことを、世間は改善と呼ばない。呼んではいけない。
最悪だ、と小さく言って、記録の束を閉じた。




