第195話 つるはしを売る者
調べ物には、二日かかった。
旨素社。
王都の台所に一つはある、旨味粉の会社である。煮出しの旨味を粉に閉じ込める製法で大きくなった。創業は古く、商いは手堅く、話題になることは、まず無い。
その会社の商いが、記憶晶の工房と並んで伸びている。
二日調べて、理由は分かった。分かってから、誰かに話したくなった。
———
夕方の講堂は、窓の色が変わるのが早い。
ルドーは教卓で、次の講義の札を並べていた。学校の術盤の買い替えの相談で術務室に来たついでに、こちらの調べ物を聞いていった。正確には、聞いてやると言われた。
「旨素社の名は、味しか知らん」
「私もそうでした」
教卓の端を借りて、書き付けを広げた。
「旨味粉の技術の芯は、四つです。発酵。結晶。細かく均一な粉。それから、薄い膜」
「膜」
「粉を湿気から守ったり、味を閉じ込めたりするのに、薄い膜を作って被せる技術を、ずっと磨いてきたんです。台所のためにです」
「それが、記憶晶と何の関わりがある」
「積層高速記憶晶は、速い記憶晶を薄く何層も積みます。ただ、積めば速くなるわけではないんです」
指を三本立てた。
「層と層の間で、魔力が漏れます。信号が濁ります。熱が逃げずに、隣の層を焼きます」
「積むほど悪くなるな」
「はい。だから、層の間を、薄く、均一に、強く隔てる膜が要ります。薄く伸びて、熱に強く、魔力を通しにくく、加工しやすい膜が」
ルドーが顔を上げた。
「粉の会社の膜か」
「旨素社の隔て膜です。いまの積層高速記憶晶は、ほぼ全部、この膜で層を隔てています。台所のために磨いた技術が、そのまま効いたんです」
ルドーは、しばらく黙って書き付けを見ていた。
「料理の粉の会社が、世界の生成変換器を支えているのか」
「現実も、だいたいそんな感じなんですよね」
言ってから、引っかかった。
「……いや、現実って何だ」
このごろ、この言葉を使うたびに足元を確かめる癖がついた。私のいた世界のことか、いま立っているこの世界のことか。どちらも現実で、どちらも、ときどき現実離れしている。
ルドーは何も訊かなかった。札を一枚、揃えただけだった。
———
数日後、セヴァがまた術務室へ来た。納期の詰めである。
話が昼をまたいだので、近くの食堂に誘った。リゼも来た。支援班の昼休みと重なったからで、他意はないと本人は言っていた。半分くらいは他意だと思う。
セヴァは、今日も例の外套を着ていた。
「脱いで歩けばいいんですけどね。寒いので」
「着てると、何かあるんですか」
リゼが訊いた。
「話しかけられます」
セヴァは、匙を置いた。
「外套を着て歩くと、急に話しかけられるんです。でも私が持ってるのは会社の出資証じゃなくて、夜勤明けの眠気です」
「出資証を持っている人は」
「儲かっています。景気の前から持っていた人は、たぶん、家が建ちます。役員の功労金も、聞こえてくる話では、すごい」
それから、少し笑った。
「会社は儲かってますよ。会社は。私の財布に入ってくるのは、食堂の割引券と、少し厚くなった功労金くらいです」
「厚くはなったんだ」
「なりました。ありがたいです。ただ、縁結びの会で噂されているほどでは、全然」
縁結びの会、という言葉が本人の口から出たので、つい訊いてしまった。丸市の外套の件を知ってからずっと、気になってはいた。
「実際、効くんですか」
「同僚が一人、職業の欄に社名を書いたら、急に相手が増えたそうです」
セヴァは、遠い目をした。
「当人は窯の番です。夜勤が月の半分で、会えるのは月に二度。相手の方は、どうも景気と結婚するつもりだったみたいで、三度目に揉めたと聞きました」
景気と結婚。
人類は、ほうっておくと何とでも結婚しようとする。最悪だ。
「増産で儲けた銭は、どこへ行くんですか」
リゼが訊いた。いい問いだった。
「次の窯です」
セヴァは即答した。
「儲けは、次の窯に化けるんです。窯に化けなかった端数が、功労金です」
私は、リゼに小声で言った。
「世間は、会社の利益と社員の可処分所得を混同しがちなんだよな」
「夢がないわね」
「夢で家賃は払えない」
セヴァが深く頷いた。頷きが深すぎて、少し心配になった。
———
午後、術務室の表示盤の前で、景気の形を整理した。
セシルとフィンがいて、リゼが記録を取り、ルドーが壁際にいた。術盤の買い替えの件が、まだ終わっていない。この景気だと、学校の買い物も納期が読めない。
表示盤に書いた。
生成変換器景気で儲かる者
一、生成変換器を作り、売る者
二、それを人に貸す、服務的魔術の商会
三、演算晶の工房
四、積層高速記憶晶の工房
五、晶片焼成所
六、接続板、隔て膜、冷却の材を作る工房
七、窯と製造の装置を作る工房
八、術勢を売る者
九、術場の建屋と冷却を建てる者
十、保守と運用の人
「言葉の術のはずが、ずいぶん下まで続くんですね」
フィンが言った。
「生成変換器は、言葉の術に見える。でも実際には、石と膜と熱と魔力の塊です」
ルドーが表示盤を眺めて言った。
「詩のような顔をした鉱業なのだな」
「急に嫌な詩になりましたね」
それから、表の脇に、西方新大陸の昔話を書き添えた。
昔、西の山で金が出た。人が押し寄せた。金を掘りに行った者の多くは、金持ちになれなかった。彼らに、つるはしと天幕と丈夫な靴を売った商人は、堅く儲けた。
「金鉱熱の時代、いちばん堅く儲けたのは、金を掘った者ではなく、つるはしを売った者だった。そういう話です」
「いまの金鉱は、生成変換器」
リゼが筆を止めて言った。
「そう。掘りに行く者が増えるほど、つるはしが売れる。記憶晶も、演算晶も、つるはしの側だ」
「じゃあ旨素社は、つるはしを作る鉄を売ってるみたいなもの?」
「かなり近い」
妻は、たまにこうやって、二日かけた調べ物を一言に畳む。
———
書いているうちに、表の六番から、目が離せなくなった。
「ほぼ全部、というのが気になっています」
セシルが言った。さっき、隔て膜の説明でそう言ったのを、聞き逃さない人である。
「そのままの意味です。他の工房の膜でも作れなくはない。ただ、歩留まりが桁で落ちるそうです。だから世界中の積層高速記憶晶が、実質、一社の膜の上に立っています」
AIエージェント:「補足:当該社の隔て膜の納入が三月止まった場合、王都で調達できる積層高速記憶晶は、在庫かぎりとなります」
黙れ、とは言えなかった。
順に考えていくと、嫌な形が並んだ。
供給が止まれば、世界中の記憶晶の増産が止まる。
値の交渉では、強く出られる。
災いや大きな事故が一社に落ちるだけで、王都どころか、諸国の生成変換器の基盤が揺れる。
そして、偽の隔て膜が紛れ込んだら。贋外套は笑い話で済んだが、贋の膜は、済まない。
「急所というのは、こういう顔もするんだな」
思わず、素で言った。
ルドーが腕を組んだまま言った。
「料理の粉の会社が、魔王軍に狙われるのか?」
「言葉にすると馬鹿みたいですけど、あり得ます」
誰も笑わなかった。
共通札の件からこちら、狙われるのは、いちばん硬い門ではない。皆が頼っているのに、誰も見張っていない場所である。
数え上げてみるまで、台所の瓶の会社が王国の急所の隣にいるとは、誰も思っていなかった。
最悪だ。
———
ついでに、釘を一本刺しておいた。会社を責める話にしないためである。
「言っておくと、千層記憶晶社がしぶいわけでも、旨素社が謎の会社なわけでもないです」
表示盤の端に書いた。
記憶晶の製造は、桁外れの設備が要る
新しい窯は、王都の橋より高い
景気がいつまで続くかは、誰にも読めない
いま投じなければ、三年後に負ける
「だから、儲けの全部が社員に戻ることはありません。次の窯に投じるのは、正しいんです」
「戻らないのは、仕方がない、で終わり?」
リゼが訊いた。
「戻し方の話です。窯に投じるのは正しい。ただ、それを理由に現場をすり潰すと、結局どこかで事故ります。歩留まりの数字は、寝不足の人の集中で保たれているので」
セヴァの、目の下の隈を思い出していた。
技術の景気は、上澄みが騒がしい。だが負荷は、いちばん下の、人の体に乗る。
———
締めに、王都政府の導入計画への申し送りをまとめた。
生成変換器基盤の計画で、模型の他に確かめること
演算晶の調達先
積層高速記憶晶の調達先
隔て膜と接続板の供給元
術勢の当て
冷却の当て
保守と運用の人の当て
代わりの調達路があるか
特定の商会に依りすぎていないか
災いのとき、どう戻すか
供給の路が攻められたとき、どうするか
「生成変換器の導入計画に、どの模型を使うかしか書いてないのは危ないです。それを動かす石が、どこから来るのか。それも基盤の一部です」
セシルは頷いて、もう表を写し始めていた。フィンは調達先の台帳を引きに立った。マリエに回す前に、形が整ってしまいそうである。
指示を待たずに動く術務室を見るのは、悪くない気分だった。
———
帰り道、市場通りで、例の外套とすれ違った。
千層記憶晶社の社紋を胸に着けた若者が、通りを歩いてくる。周りの人が、ちらちらと見る。
本人は眠そうだった。視線には気づきもせず、携帯術盤で次の勤務表を検めながら、歩いていった。
「あの外套、本人には重そうね」
「世間が勝手に価値を縫いつけたからね」
リゼは、若者の背中を見送った。
「生成変換器って、言葉を作る術なのに、外套の値段まで変えるのね」
「言葉どころか、石と膜と人間の見栄まで動かしてる」
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夕食は煮込みだった。
リゼが棚から旨素社の瓶を取って、鍋に一振りした。
「これも、世界を動かしてるの?」
「たぶん、少しだけ」
「じゃあ、多めに入れたら?」
「料理は、積んでも速くならない」
リゼは笑って、瓶を棚に戻した。
「記憶晶は積むのにね」
鍋が、静かに煮えている。
金を掘る者がいて、つるはしを売る者がいて、つるはしの鉄を掘る者がいる。
景気は、上澄みの話ばかりが聞こえてくる。だが世界は、もっと下の方で支えられている。
たとえば、台所の棚の、小さな瓶のあたりで。




