第194話 記憶晶の外套
休みの日の市場通りは、平日と音の種類が違う。
荷車の軋みが少なくて、呼び売りの声が多い。急ぐ足音の代わりに、立ち止まる靴音がある。
風が冷たくなってきたので、リゼと冬支度の買い物に出ていた。
外套を見て回るのは、思ったより楽しい。着るのはどうせ毎年同じような灰色なのだが、選んでいる間だけは、別の色の人生も検討できる。
「ユウ、これ」
リゼが、古着屋の店先で足を止めていた。
衣紋掛けに、外套が一着、他より一段高いところに吊るしてある。
「これ、中古なのに新品の冬外套より高いわよ?」
見ると、灰色の外套だった。
仕立ては悪くない。だが、どう見ても仕事着である。厚手で、袖口が絞ってあって、裾に泥よけの当て布がある。
胸元に、歯車と六層の石を組んだ社紋が刺繍してあった。
「作業着だよね、これ」
「値札、二度見しちゃった」
店主が、滑るように寄ってきた。商機の匂いに反応する型の人だ。
「お客さん、知らないのかい。いま、千層記憶晶社の外套は縁談で効くんだよ」
「縁談」
「縁談」
店主は胸の社紋を、誇らしげに指で叩いた。自分の外套ではないのに。
「縁結びの会で千層記憶晶社勤めと名乗ると、相手の目の色が変わるって話だよ。この外套を着て高い料理屋に入ると、店の者の腰が低くなるとも言うね」
「本人じゃなくても?」
「着てれば分かりゃしないよ」
堂々と言うことではないと思う。
「親御さんの受けもいいんだ。手堅くて、先がある。いまどきの若い者の勤め先で言やあ、王都術務室、役所、それから記憶晶の大手。この三つが並びだね」
「羽振りがいいのは会社であって、外套ではないのでは」
「お客さん、それを言ったら縁談の九割は成り立たないよ」
妙に含蓄のあることを言われてしまった。
———
店を出て、通りを歩いた。
言われてみれば、あの社紋を胸に着けた人と、ときどきすれ違う。いままで気にも留めていなかった。
「ユウも王都術務室って言えば、少しはもてたんじゃない?」
「既婚者にその情報いる?」
「いらないけど、ちょっと面白い」
リゼは実に楽しそうだった。
「そっちだって王都術務室だろ」
「わたしは見習いだもの。それに」
リゼは少し歩いてから、続けた。
「もう、要らないし」
……そうか。
「そうか、じゃなくて」
「いや。……ありがとう」
「うん」
この話はここまでにした。これ以上どちらかが喋ると、どちらかが照れて事故になる。
「でも、なんで急に記憶晶なの?」
リゼが話を戻してくれた。助かる。
「賢い術の会社とか、演算の会社なら分かるのよ。でも記憶晶って、あれでしょう。覚えておく石でしょう。地味じゃない?」
「地味だよ。地味なまま、いちばん足りなくなった」
「なんで?」
「生成変換器のせいだ」
通りの先の茶屋が空いていたので、入った。歩きながらする話ではない。
「生成変換器って、賢そうな返事をしてるけど、裏では膨大な記録を読み続けてるんだ。言葉の模型が大きくなるほど、読む量が増える。読み書きが遅いと、いくら演算が速くても詰まる」
「詰まる」
「演算晶がどれだけ速くても、記憶晶から届くのを待ってる間は、何もしてない。速い料理人でも、材料が棚から届かなきゃ手が止まるだろ」
「棚が遠い台所ね」
「そう。だから棚を竈のすぐ横に置く。速い記憶晶を薄く何層も積んで、層の間を太い道で繋ぐ。積層高速記憶晶という」
「積むと速いの?」
「近いと速い。積むのは、近くに置ける量を増やすためだ」
リゼは頷いて、茶を一口飲んだ。台所の話として理解したようだった。だいたい合っている。
「で、その積んだやつを、いま世界中の術場が欲しがってる。生成変換器を動かすにも、育てるにも要るから。雲域の大商会が、値を訊かずに買っていく」
「値を訊かずに」
「訊かずに。作れる工房は世界に数えるほどしかない。千層記憶晶社はその一つだ」
「それで、外套が縁談に効くのね」
「効いてほしくはないけどね」
社名が、急に金看板になった。会社は同じ仕事をしているのに、世間の目の色だけが変わった。
人類は、階級の印を見つけるのが本当に速い。
———
家に戻って、夕食のあとだった。
「そういえば、丸市にも出てたわよ」
リゼが携帯術盤を出した。
丸市は、市民同士が要らない品を売り買いする札面だ。皿でも椅子でも古着でも、品の写し絵を載せて値をつけると、欲しい人が声を掛けてくる。妻は掘り出し物の茶器をここで探す名人である。
検めると、あった。というより、並んでいた。
千層記憶晶社 社紋入り外套
晶片焼成所 安全靴
演算晶工房 勤続十年の記念鞄
非売品 入社の記念筆記具
煽り文句もついている。
生成変換器景気に乗る男の外套!
「乗ってるのは外套じゃなくて会社では」
「細かいことはいいのよ、きっと」
外套の出品には、買い手の書き込みが並ぶ評の欄がある。
荒れていた。
本物ですか?
社紋の縫い目が違います
これは去年の式典の外套ではありません
袖の型が違う。贋外套では?
社員証は付属しますか?
社員証を売るな
「評の欄で、真贋の検めが始まってる……」
「人って、何でも身分札にするのね」
「ほんとにね。文明、もう少し恥じてほしい」
AIエージェント:「観測:当該外套の値は、同等の新品の冬外套の二倍です。補足:勤め先の名は、外套の保温を向上させません」
「黙れ」
正しいことしか言っていないのが、いちばん腹立たしい。
———
数日後の朝食の席で、リゼが携帯術盤をこちらへ向けた。
「消えてる」
例の出品が、消えていた。
「運営に焼かれたか」
「言い方」
評の欄を遡ると、消える前の数日で、検めが進んでいたらしい。
出品者の評判がもともと悪かったこと。前にも社紋入りの品を何度も出していたこと。社員らしい人が、これは社内で配られた品ではありません、と書き込んでいたこと。最後は、丸市の運営が定めに反するとして止めたこと。
「偽物だったの?」
「たぶんね」
俺は麦粥の椀を置いた。
「社紋が金看板になった瞬間に、偽の社紋が湧く。印の値打ちが上がると、印の偽造が商売になる。毎回そうだ」
王城印の偽造でも、共通札の真正印でも、見てきた形である。
人類は学ばないのではない。学ぶより速く、儲け口を見つけるだけだ。
「その外套、着て縁結びの会に行った人、いるのかしら」
「いない方に賭けたいが、賭けたら負ける気がする」
最悪だ。
———
週明け、王都術務室に呼ばれた。
王都政府が、生成変換器の基盤を広げる計画を立てている。政務文書の下書きの補助、訳しの補助、市民相談の仕分けの下支え。使い道の議論は進んでいる。
揉めているのは、その足元だった。
セシルが資料を差し出した。基盤魔術班の技術まとめ役は、今日も要点から話す人である。
「積層高速記憶晶の値が、半年で倍になりました」
「倍」
「値が倍なのは、まだいいんです。買えるので」
「納期は」
「先週の返事で、十四月です」
「……十四月」
「返事が来るたびに延びます」
最悪だ。
資料をめくった。演算晶も高い。だが、演算晶は待てば来る。記憶晶は、待つ期限が読めない。
「計画の書き付けには、どの言葉の模型を使うか、というところまでしか書いてありません」
セシルが言った。
「動かす石の話が、一行もないんです」
———
昼過ぎに、千層記憶晶社から納期の説明の者が来た。
入ってきたのは、例の外套を着た若い社員だった。セヴァと名乗った。歳は私より少し下だろう。目の下に、疲れが半月ぶんほど溜まっている。
説明は、率直だった。
「正直に申し上げます。窯を全部回しても、いま受けている注文の列は、来年のぶんまで埋まっています」
「増やせないのですか」
セシルが訊いた。
「窯は、銭を積んでも明日は増えません。建てるのに三年かかります。いま建て始めた窯が焼き始めるころ、この景気が続いているかは、誰にも分かりません」
順番を繰り上げる裏道はありますか、とは誰も訊かなかった。訊いても、無いと言われるだけの顔をしていた。
帰り際、つい、外套に目が行った。丸市で偽物に高値がつく、あれである。
「その外套、いま街で有名ですよ」
言ってから、少し後悔した。
セヴァは、疲れた顔のまま笑った。
「らしいですね。外では景気がいい会社って言われますけどね。中では寝不足の人間が、歩留まりの数字を見て祈ってるだけですよ」
「祈り」
「祈りです。焼き上がりの検め札が出る朝が、いちばん胃に悪い」
一礼して、帰っていった。
景気のいい会社の外套は、着ている本人の肩で、ただの重い作業着に見えた。
———
夕方、資料の残りを検めた。
術務室が集めた、生成変換器景気の調べである。どの商いが伸び、どこが詰まっているか。
記憶晶の工房が伸びている。演算晶の工房も伸びている。晶片焼成所は言うまでもない。窯の装置を作る工房、術場の建屋を建てる者、術勢を売る者。景気は、下へ下へと染みている。
その並びに、一つ、妙な名前があった。
旨素社。
商いの伸び方だけを見れば、記憶晶の工房と肩を並べている。
家に持ち帰って、夕食のあとも資料を眺めていたら、リゼが覗き込んだ。
「旨素社って、台所の粉の会社じゃなかった?」
「そのはずなんだ」
リゼは台所の棚から小さな瓶を持ってきて、資料の横に置いた。旨素社の旨味粉である。うちの煮込みにも入っている。どこの家の棚にも、たぶん入っている。
「……なんで調味料会社が、生成変換器景気のど真ん中にいるんだ?」
瓶は、答えなかった。




