第189話 光で喋る術盤
よく眠れなかった。
目を閉じると、白と黒の紋様が瞬きの裏でちらついた。
最悪だ。
仕事を夢に持ち込むなと、誰かが私を叱ってほしい。
翌朝の研究院には、魔安対の分析の術師たちが入っていた。
昨夜のうちに、机の上の撮影水晶と、その記録は保全されている。
小部屋の表示盤の前に、カナメと私が並んだ。
「始めます」
監視水晶の映像から、画面の明滅だけを、一枚ずつ抜き出していく。
白と黒の紋様が、順に並ぶ。
一枚ごとに、隅の角印は同じで、中の並びだけが違う。
「これを、読み取りの術に通します」
魔安対の術師が、紋様の列を別の術盤へ流し込んだ。
少しの間があって、盤の上に、文字が現れた。
人間の読める、文字である。
術式の記法。
注記。
頁の番号。
「……禁術式の断片と、照合します」
カナメの声が、わずかに硬くなった。
照合は、すぐに終わった。
「一致。闇市場に出た断片と、同じものです」
部屋の中の誰も、すぐには喋らなかった。
「つまり、こういうことです」
私は表示盤の前に立った。
「これは、人間が読む画面じゃありません。術盤に読ませる画面です」
「画面を、読ませる」
「はい。文字を思い出してください。私たちは、意味を形にして、紙に並べて、目で読みます。これは同じことを、術盤同士でやっています。意味を紋様にして、画面に並べて、水晶の目で読む。人間が読めないのは、人間に読ませる気がないからです」
AIエージェント:「観測:紋様一枚の切り替わりは、人間のまばたきの半分より短い間隔です。補足:一枚が運べる量は写本の数行分。枚数を重ねれば、量に上限はありません」
「まばたきの半分……」
「人間の目には、ちらつきにしか見えません。ですが撮影水晶は、まばたきをしません」
———
手口を、順に書き出した。
一、隔離術盤の上で、禁術式を小さな断片に分ける
二、断片を、読み取り用の紋様に変える
三、紋様を、画面にまばたきより短い間隔で順に映す
四、机の撮影水晶に、作業記録と称してその画面を記録させる
五、記録を、正規の作業記録として部屋の外へ出す
六、外の術盤で紋様を読み直し、断片を継ぎ直す
七、継ぎ直した禁術式を、売る
「術線は使っていません。魔文も送っていません。記憶石も差していない。携帯術盤も、持ち込んでいません。でも、画面は光っていた。そして、その光を読む目が、机の上にありました」
「光が、線か」
声のした方を見ると、扉のところにルドーが立っていた。
今日は学校側の後始末——中断した資料確認の扱いを詰めるために、朝から来ていたらしい。
「はい。情報を表すものがあって、それを見る目があれば、そこには通信路があります。線は、そのいちばん分かりやすい形にすぎません」
「なるほどな」
ルドーは、それ以上何も言わなかった。
概念を一言で受け取って、余計を足さない。
この人の授業が保つのは、この癖のおかげだと思う。
AIエージェント:「補足:この手口は、私の画面でも実行可能です」
「黙れ」
最悪のタイミングで、最も正しいことを言う。
いつものことである。
だが今日のそれは、笑えなかった。
この部屋の誰の机にも、光る画面がある。
———
犯人の特定は、魔安対の地道な突き合わせで進んだ。
高速紋様が映った時間帯に、その隔離術盤を使っていた者。
表示確認と称する作業を、繰り返し申請していた者。
その時間帯だけ、撮影水晶の向きを画面へ変えていた者。
三つの輪が重なる場所に、ひとりの名前があった。
研究補佐の、ヴェス。
二十代の半ば。
優秀という評判の、若い術師である。
管理長室での確認の場に、私は同席を求められた。
ヴェスは、顔色を失くしてはいたが、背筋は伸ばしていた。
「術線は使っていません。記憶石も持ち出していません。撮影水晶は、許可された道具です。規則には、違反していないはずです」
ボルドが何か言いかけるのを、目で止めた。
ここで怒鳴り合いになると、話が処罰の話だけになる。
「ヴェスさん。あなたの言う通り、規則の条文に、画面を紋様にして水晶へ読ませるな、とは書いてありません」
「なら——」
「あなたは、禁止されていない方法を見つけたんじゃない。規則がまだ名前を付けていなかった出口を、使っただけです」
ヴェスの目が揺れた。
「規則は、出口の一覧です。書いた人が知っていた出口の、です。あなたは規則の穴を証明した。それは事実です。ですが」
一度、切った。
「規則に穴があったことと、あなたが情報を盗んだことは、別の話です。穴を見つけて、報告に来た人は、検めた人と呼ばれます。黙って使った人は、使った人。売った人は、盗んだ人です」
ヴェスは、うつむいた。
あとで分かったことを並べれば、動機は珍しくもない。
金銭。
それから、隔離を破れる自分への、静かな酔い。
使われた術は、どれもありふれたものだった。
表示の術。
記録の水晶。
読み取りの術。
新しいものは、ひとつもない。
組み合わせだけが新しく、その組み合わせに、規則がまだ名前を付けていなかった。
処分の判断は、研究院と王国に委ねられた。
技術者の仕事は、ここで終わる。
そのことに、少しだけ、ほっとする。
———
数日後、研究院の広間で、再発防止の場が持たれた。
研究員たち、魔安対、術務室。
それから学校側として、資料確認をやり直しに来ていたルドーと、記録係としてリゼ。
研究院側の案は、勢いがあった。
管理室の術盤から、画面を取り外すべきだ。
撮影水晶は、院内全面禁止にすべきだ。
研究員の作業を、常時ふたりで監視すべきだ。
いっそ、禁術管理室の作業をすべて手書きに戻すべきだ。
一巡して、静かになったところで、小さく手が挙がった。
「あの……素人の質問なんですけど」
リゼだった。
「でも、何もかも禁止したら、研究、できなくならない?」
広間の空気が、少しほどけた。
何人かの研究員が、うつむいて笑いを噛んだ。
全員、思っていて、言えなかったことである。
「なります」
私は即答した。
「画面のない術盤は、使えません。記録の残せない研究は、検証できません。全部を禁止した部屋で最後まで働けるのは、規則を破る人だけです」
「では、どうしろと」
「禁止ではなく、何を許すかを設計します」
表示盤に書いた。
一、携帯術盤、個人の撮影水晶、遠話鏡の類いは、これまでどおり門で預ける。作業記録は、院が据え付けた監査用の撮影水晶だけで行う。向きと映る範囲、保存先、閲覧の権限を、院が管理する
二、隔離術盤の画面を見張る。人間に読めない速さと密度の表示は、検知して止める。可視化の研究で本当に必要なときは、事前申請で許す
三、隔離術盤で実行できる術式を、許した型だけに絞る。閲覧、編集、検索、表示。自由な試しは、機密でない別環境で行う
四、画面に何を映したかの履歴を残す。履歴そのものも機密として、置き場所と閲覧権限を守る
五、一度に映せる量と速さに見張りを付ける。目的は禁止ではなく、異常な量と速さに気づくこと
「撮影を全部禁じるのではなく、管理された撮影だけを許します。表示を全部疑うのではなく、人間に読めない表示だけを止めます。仕事は壊さず、出口だけを数える」
「出口、ですか」
ボルドが繰り返した。
「はい。今回、私たちが学んだのはひとつだけです。線を切ったら終わり、ではない。線を切ったあと、何がまだ外へ出ているかを、見なければいけない」
表示盤の端に、書き足す。
画面の光
音
紙
持ち込みの道具
人間の記憶
人間の会話
「今日は光の話をしました。ですが、出口は光だけではありません。全部を今日ふさぐ必要はない。ただ、一覧にして、数えておく必要はあります」
「隔離室とは、何なのですかな。結局」
「外とつながっていない部屋——ではありません。外へ出るものを、ひとつずつ数える部屋です」
ボルドは長く息を吐いて、それから、初めて少しだけ笑った。
「数える仕事なら、研究者の得意分野だ」
最後に、教育の話を足した。
規則に書いていない、は免罪符ではないこと。
撮影の道具は、記録の道具であると同時に、持ち出しの道具でもあること。
穴を見つけたら、使う前に、報告する窓口があること。
窓口は、叱る場所と分けること。
散会の間際、カナメが近づいてきて、小声で言った。
「買い手の筋を追っています。銭の流れに、北方を経た跡がありました。その先は、まだ追えていません」
「……断定は、しないでおきましょう」
「はい。跡は跡として、王国基盤防衛会議に上げます」
それだけ言って、カナメは戻っていった。
跡は跡のまま、数えておく。
それでいい。
———
帰り際、禁術管理室の入口に、真新しい札が掲げられているのを見た。
この室における情報の出口は、術線、記憶石、紙、音、光、撮影水晶、人間の記憶を含む。
隣で足を止めたルドーが、札を見上げた。
「長い注意書きだな」
「短い注意書きで済む世界なら、私はもう少し寝ています」
「寝ろ。明日は授業だ」
はい、と答えた。
この人の指示は、いつも実行可能である。
———
夕食の席で、リゼがスープをよそいながら言った。
「ねえ。今回のって、結局、ひとことで言うと何が漏れたの?」
「光」
「光?」
「画面が喋ってた」
リゼは皿を置いて、少し考えた。
「……術盤って、黙らせるのも大変なのね」
「うん。人間と同じくらい」
「それ、わたしのこと言ってる?」
「言ってない」
言ってないったら、と妻は笑って、パンの籠を俺と皿の間に置いた。
食卓の上で、ランタンの灯りが静かに揺れている。
この光は、何も運ばない。
ただ、部屋を暖めて、スープの湯気を照らすだけである。
何も運ばない光の下で食べる飯は、うまい。
それを確かめるだけの一日だったと思えば、悪くない一日だった。




