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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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189/257

第189話 光で喋る術盤

 よく眠れなかった。

 目を閉じると、白と黒の紋様が瞬きの裏でちらついた。

 最悪だ。

 仕事を夢に持ち込むなと、誰かが私を叱ってほしい。


 翌朝の研究院には、魔安対の分析の術師たちが入っていた。

 昨夜のうちに、机の上の撮影水晶と、その記録は保全されている。

 小部屋の表示盤の前に、カナメと私が並んだ。


「始めます」


 監視水晶の映像から、画面の明滅だけを、一枚ずつ抜き出していく。

 白と黒の紋様が、順に並ぶ。

 一枚ごとに、隅の角印は同じで、中の並びだけが違う。


「これを、読み取りの術に通します」


 魔安対の術師が、紋様の列を別の術盤へ流し込んだ。

 少しの間があって、盤の上に、文字が現れた。


 人間の読める、文字である。

 術式の記法。

 注記。

 頁の番号。


「……禁術式の断片と、照合します」


 カナメの声が、わずかに硬くなった。

 照合は、すぐに終わった。


「一致。闇市場に出た断片と、同じものです」


 部屋の中の誰も、すぐには喋らなかった。


「つまり、こういうことです」


 私は表示盤の前に立った。


「これは、人間が読む画面じゃありません。術盤に読ませる画面です」


「画面を、読ませる」


「はい。文字を思い出してください。私たちは、意味を形にして、紙に並べて、目で読みます。これは同じことを、術盤同士でやっています。意味を紋様にして、画面に並べて、水晶の目で読む。人間が読めないのは、人間に読ませる気がないからです」


AIエージェント:「観測:紋様一枚の切り替わりは、人間のまばたきの半分より短い間隔です。補足:一枚が運べる量は写本の数行分。枚数を重ねれば、量に上限はありません」


「まばたきの半分……」


「人間の目には、ちらつきにしか見えません。ですが撮影水晶は、まばたきをしません」


———

 手口を、順に書き出した。


 一、隔離術盤の上で、禁術式を小さな断片に分ける

 二、断片を、読み取り用の紋様に変える

 三、紋様を、画面にまばたきより短い間隔で順に映す

 四、机の撮影水晶に、作業記録と称してその画面を記録させる

 五、記録を、正規の作業記録として部屋の外へ出す

 六、外の術盤で紋様を読み直し、断片を継ぎ直す

 七、継ぎ直した禁術式を、売る


「術線は使っていません。魔文も送っていません。記憶石も差していない。携帯術盤も、持ち込んでいません。でも、画面は光っていた。そして、その光を読む目が、机の上にありました」


「光が、線か」


 声のした方を見ると、扉のところにルドーが立っていた。

 今日は学校側の後始末——中断した資料確認の扱いを詰めるために、朝から来ていたらしい。


「はい。情報を表すものがあって、それを見る目があれば、そこには通信路があります。線は、そのいちばん分かりやすい形にすぎません」


「なるほどな」


 ルドーは、それ以上何も言わなかった。

 概念を一言で受け取って、余計を足さない。

 この人の授業が保つのは、この癖のおかげだと思う。


AIエージェント:「補足:この手口は、私の画面でも実行可能です」


「黙れ」


 最悪のタイミングで、最も正しいことを言う。

 いつものことである。

 だが今日のそれは、笑えなかった。

 この部屋の誰の机にも、光る画面がある。


———

 犯人の特定は、魔安対の地道な突き合わせで進んだ。


 高速紋様が映った時間帯に、その隔離術盤を使っていた者。

 表示確認と称する作業を、繰り返し申請していた者。

 その時間帯だけ、撮影水晶の向きを画面へ変えていた者。


 三つの輪が重なる場所に、ひとりの名前があった。


 研究補佐の、ヴェス。

 二十代の半ば。

 優秀という評判の、若い術師である。


 管理長室での確認の場に、私は同席を求められた。

 ヴェスは、顔色を失くしてはいたが、背筋は伸ばしていた。


「術線は使っていません。記憶石も持ち出していません。撮影水晶は、許可された道具です。規則には、違反していないはずです」


 ボルドが何か言いかけるのを、目で止めた。

 ここで怒鳴り合いになると、話が処罰の話だけになる。


「ヴェスさん。あなたの言う通り、規則の条文に、画面を紋様にして水晶へ読ませるな、とは書いてありません」


「なら——」


「あなたは、禁止されていない方法を見つけたんじゃない。規則がまだ名前を付けていなかった出口を、使っただけです」


 ヴェスの目が揺れた。


「規則は、出口の一覧です。書いた人が知っていた出口の、です。あなたは規則の穴を証明した。それは事実です。ですが」


 一度、切った。


「規則に穴があったことと、あなたが情報を盗んだことは、別の話です。穴を見つけて、報告に来た人は、検めた人と呼ばれます。黙って使った人は、使った人。売った人は、盗んだ人です」


 ヴェスは、うつむいた。

 あとで分かったことを並べれば、動機は珍しくもない。

 金銭。

 それから、隔離を破れる自分への、静かな酔い。

 使われた術は、どれもありふれたものだった。

 表示の術。

 記録の水晶。

 読み取りの術。

 新しいものは、ひとつもない。

 組み合わせだけが新しく、その組み合わせに、規則がまだ名前を付けていなかった。


 処分の判断は、研究院と王国に委ねられた。

 技術者の仕事は、ここで終わる。

 そのことに、少しだけ、ほっとする。


———

 数日後、研究院の広間で、再発防止の場が持たれた。


 研究員たち、魔安対、術務室。

 それから学校側として、資料確認をやり直しに来ていたルドーと、記録係としてリゼ。


 研究院側の案は、勢いがあった。


 管理室の術盤から、画面を取り外すべきだ。

 撮影水晶は、院内全面禁止にすべきだ。

 研究員の作業を、常時ふたりで監視すべきだ。

 いっそ、禁術管理室の作業をすべて手書きに戻すべきだ。


 一巡して、静かになったところで、小さく手が挙がった。


「あの……素人の質問なんですけど」


 リゼだった。


「でも、何もかも禁止したら、研究、できなくならない?」


 広間の空気が、少しほどけた。

 何人かの研究員が、うつむいて笑いを噛んだ。

 全員、思っていて、言えなかったことである。


「なります」


 私は即答した。


「画面のない術盤は、使えません。記録の残せない研究は、検証できません。全部を禁止した部屋で最後まで働けるのは、規則を破る人だけです」


「では、どうしろと」


「禁止ではなく、何を許すかを設計します」


 表示盤に書いた。


 一、携帯術盤、個人の撮影水晶、遠話鏡の類いは、これまでどおり門で預ける。作業記録は、院が据え付けた監査用の撮影水晶だけで行う。向きと映る範囲、保存先、閲覧の権限を、院が管理する

 二、隔離術盤の画面を見張る。人間に読めない速さと密度の表示は、検知して止める。可視化の研究で本当に必要なときは、事前申請で許す

 三、隔離術盤で実行できる術式を、許した型だけに絞る。閲覧、編集、検索、表示。自由な試しは、機密でない別環境で行う

 四、画面に何を映したかの履歴を残す。履歴そのものも機密として、置き場所と閲覧権限を守る

 五、一度に映せる量と速さに見張りを付ける。目的は禁止ではなく、異常な量と速さに気づくこと


「撮影を全部禁じるのではなく、管理された撮影だけを許します。表示を全部疑うのではなく、人間に読めない表示だけを止めます。仕事は壊さず、出口だけを数える」


「出口、ですか」


 ボルドが繰り返した。


「はい。今回、私たちが学んだのはひとつだけです。線を切ったら終わり、ではない。線を切ったあと、何がまだ外へ出ているかを、見なければいけない」


 表示盤の端に、書き足す。


 画面の光

 音

 紙

 持ち込みの道具

 人間の記憶

 人間の会話


「今日は光の話をしました。ですが、出口は光だけではありません。全部を今日ふさぐ必要はない。ただ、一覧にして、数えておく必要はあります」


「隔離室とは、何なのですかな。結局」


「外とつながっていない部屋——ではありません。外へ出るものを、ひとつずつ数える部屋です」


 ボルドは長く息を吐いて、それから、初めて少しだけ笑った。


「数える仕事なら、研究者の得意分野だ」


 最後に、教育の話を足した。

 規則に書いていない、は免罪符ではないこと。

 撮影の道具は、記録の道具であると同時に、持ち出しの道具でもあること。

 穴を見つけたら、使う前に、報告する窓口があること。

 窓口は、叱る場所と分けること。


 散会の間際、カナメが近づいてきて、小声で言った。


「買い手の筋を追っています。銭の流れに、北方を経た跡がありました。その先は、まだ追えていません」


「……断定は、しないでおきましょう」


「はい。跡は跡として、王国基盤防衛会議に上げます」


 それだけ言って、カナメは戻っていった。

 跡は跡のまま、数えておく。

 それでいい。


———

 帰り際、禁術管理室の入口に、真新しい札が掲げられているのを見た。


 この室における情報の出口は、術線、記憶石、紙、音、光、撮影水晶、人間の記憶を含む。


 隣で足を止めたルドーが、札を見上げた。


「長い注意書きだな」


「短い注意書きで済む世界なら、私はもう少し寝ています」


「寝ろ。明日は授業だ」


 はい、と答えた。

 この人の指示は、いつも実行可能である。


———

 夕食の席で、リゼがスープをよそいながら言った。


「ねえ。今回のって、結局、ひとことで言うと何が漏れたの?」


「光」


「光?」


「画面が喋ってた」


 リゼは皿を置いて、少し考えた。


「……術盤って、黙らせるのも大変なのね」


「うん。人間と同じくらい」


「それ、わたしのこと言ってる?」


「言ってない」


 言ってないったら、と妻は笑って、パンの籠を俺と皿の間に置いた。


 食卓の上で、ランタンの灯りが静かに揺れている。

 この光は、何も運ばない。

 ただ、部屋を暖めて、スープの湯気を照らすだけである。


 何も運ばない光の下で食べる飯は、うまい。

 それを確かめるだけの一日だったと思えば、悪くない一日だった。


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