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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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第188話 画面は喋る

 朝食の席で、リゼは薄い綴りを鞄へ入れながら言った。


「今日はね、王国魔術研究院に行くの」


「研究院?」


「学校の展示資料の確認。研究院が子ども向けの展示を作り直すんだって。それを学校の教材に使えるか、学校側の目で見てほしいって」


「それで、リゼが」


「ルドー先生と、わたし。支援班で資料整理をやってるからって、先生が名前を出してくれたの」


 妻は少し得意げだった。

 このところ、この顔を見る回数が増えている。

 良いことである。


「研究院って、禁術も置いてあるんでしょ?」


「置いてあるというより、閉じ込めてある」


「見られるのかな」


「見られない仕組みのほうが有名だと思う」


 禁術管理室。

 名前だけは、術務室でも時々出る。

 外の術線を一本も引かず、魔文もつながらず、記憶石も携帯術盤も持ち込めない。

 入るだけで記録が残り、写本も書き写しも許されない。

 王国でいちばん閉じた部屋、と呼ばれている。


「安心して。わたしたちが見るのは、表側の安全な展示だけ」


「そのはずだな」


 このやりとりを、昼過ぎには後悔することになる。


———

 王都術務室。

 午前の書類を半分ほど片づけたところで、来客があった。


 魔安対のカナメである。

 この人が前触れなく歩いてくる日は、経験上、良くない日だ。


「相談です。まだ、内々の」


 小さな会議室に移った。

 カナメは前置きをしない。


「王国魔術研究院の禁術管理室で扱われていた禁術式の、断片が出回っています。闇市場に」


「本物ですか」


「研究院が確認しました。管理室の隔離術盤でしか閲覧できないものと、一致しています」


「持ち出しの痕跡は」


「ありません。それが問題です」


 カナメは指を折りながら並べた。


 外への術線は、ない。

 魔文の送信は、そもそもできない。

 記憶石の持ち込み記録は、ない。

 携帯術盤と遠話鏡は、門で預ける決まりで、預かりと返しの記録がそろっている。

 写本や印刷の記録も、ない。

 入退室の記録に、不審な出入りは見当たらない。


「つまり、出られないはずの部屋から、記録だけが出ています」


「密室ですね」


「はい。密室の中身だけが、市場に並んでいます」


 嫌な事件である。

 そして、思い出したくないことを思い出した。

 今日、妻がその研究院にいる。


「最悪だ」


「心当たりが?」


「いえ。家庭の事情です」


———

 研究院は、王都の北の外れにあった。


 高い塀。

 狭い門。

 塀の内側は意外なほど静かで、庭木の匂いがした。

 建物の中に入ると、静けさの質が変わる。

 物音を吸う静けさではなく、物音を許さない静けさである。


 事件はまだ公にされていない。

 だが、研究院の中はすでに戦場の顔をしていた。

 廊下を行き交う研究員たちの顔に、困惑と諦め。

 どの職場でも、壊れた日の顔は同じになる。


 禁術管理室を預かる管理長は、ボルドという年配の術師だった。

 私たちを迎えるなり、堰が切れた。


「あの術盤は外につながっていない。記憶石も持ち込めない。紙も出せない。それなのに、なぜ外に出る」


「その質問が、今回のすべてです」


「答えになっていない」


「はい。まだ答えがないので、質問を整えています」


 ボルドの後ろでは、研究員たちが対策を言い合っていた。


 入室した者を全員尋問すべきだ。

 あの術盤を焼却すべきだ。

 管理室そのものを閉鎖すべきだ。

 監視水晶の記録を全部消して、一から管理し直すべきだ。


 最後のひとつで、私とカナメの声が重なった。


「消さないでください」


「消さないでください」


 部屋が静まった。

 私は続けた。


「燃やすのも、閉めるのも、調べ終わってからでもできます。調べる前に燃やすと、犯人に感謝されます」


「……では、何から」


「残すことからです」


 カナメが表示盤に書いた。


 入退室の記録

 監視水晶の映像

 隔離術盤の画面表示の履歴

 操作の記録札

 実行された術式の一覧

 撮影水晶の使用記録

 作業申請の綴り


「ここにあるものを、今の状態のまま保全します。魔安対が手順を出します」


 ボルドは、まだ納得しきれない顔で頷いた。

 納得より先に手を動かしてくれるのは、管理者として良い性質である。


———

「ところで」


 カナメが綴りをめくった。


「本日、院内にいた外部の方には、確認が済むまで待機をお願いしています。学校関係の見学が二名——」


「その二名、たぶん知り合いです」


 待機室の扉を開けると、リゼが振り向いた。


「ユウ!?」


「やっぱり」


「なんでここにいるの」


「仕事。そっちは」


「見学が終わったところで、急に、外に出る前に確認をって言われて。もう二刻もここにいるの」


 リゼの隣で、ルドーが茶を飲んでいた。

 この状況で、湯気の立つ茶が似合う人は多くない。


「来たか」


「お待たせしました」


「長い見学だ」


 それだけ言って、ルドーは茶を置いた。

 事情を聞かない。

 聞けば私が答えねばならず、答えられないことを知っているからである。


「二人とも、もう少しだけ残ってもらえますか。帰り道が同じになりそうなので」


「それ、仕事の顔で言うことじゃないと思う」


 リゼの言う通りである。


———

 保全が終わるまでのあいだに、私は考えられる経路を並べた。

 会議室の表示盤に書く。


 一、記憶石で持ち出した

 二、魔文で送った

 三、携帯術盤を隠して持ち込み、外へ飛ばした

 四、紙に書き写して持ち出した

 五、画面をそのまま撮影した

 六、暗記して、外で書き起こした

 七、術盤の中に残った一時写しが、外へ漏れた

 八、研究の補助術が、外へつながっていた


「多いですね」


「多く見えて、ほとんど消えます」


 一。記憶石は、門で必ず検められる。持ち込みの記録も検出の記録もない。

 二。隔離術盤に送信の術はない。管理室に魔文の線もない。

 三。携帯術盤や遠話鏡なら、線がなくても外へ飛ばせる。だがあの類いは門で必ず預ける決まりで、預かりと返しの記録がそろっている。そのうえで、管理室の壁と扉は、魔文を通さない造りになっている。検めのために中から一通飛ばしてもらったが、外へは届かなかった。

 四。紙の持ち出しは、退出のたびに検められている。

 七と八。術盤の中身と補助術は、保全のうえ検めたが、外へつながる口がなかった。


「残るのは、五と六ですか」


 カナメの問いに、頷きかけて、止まった。

 五にも六にも、引っかかりがある。


「六は、量が合いません」


AIエージェント:「観測:流出が確認された断片は、写本に換算しておよそ八十頁。補足:人間の暗記の記録としては、王国記録の四倍です」


「だそうです。暗記の名人が犯人なら、まず記録院に届け出るべきですね」


「五は」


「五も、時間が合いません。八十頁を一枚ずつ撮影すれば、画面をめくり続けて半刻はかかる。監視水晶の前で、そんなに長く画面をめくり続けた者はいない。……ですよね?」


「映像の上では、いません。作業はどれも、申請どおりの短いものでした」


 量が多すぎて、人間には運べない。

 時間が足りなくて、撮影でも運べない。

 消去法が、最後の二つまで消してしまった。

 最悪だ。


 この二つを並べたとき、嫌な形の考えが浮かんだ。


「漏れた量が多い。人間が目で読んで覚えたというより——何かに、読ませた」


「何か、とは」


「それを、映像で確かめたいんです」


———

 監視水晶の記録は、管理室の隣の小部屋で映された。


 その場に、私はリゼとルドーを呼んだ。

 ボルドが渋い顔をした。


「外部の者に見せるのですか」


「映っているのは、作業する人の背中と、画面の明滅だけです。禁術は映りません。確認済みです」


 カナメが先に答えてくれた。

 私は理由を足す。


「それに、見慣れた目は、見慣れたものしか見ません。この映像は研究院の方が何度も見て、何もないとされたものです。なら次に必要なのは、術盤に慣れていない目です」


「わたし、思いっきり素人だけど」


「今日は、それが一番の資格」


 映像が始まった。


 隔離術盤の前に、研究補佐がひとり座っている。

 禁術式の頁を開き、読み、閉じる。

 研究の覚え書きを確かめる。

 表示の具合を検めるように、画面を何度か切り替える。

 どこにでもある、作業の背中である。


 しばらくして、画面の様子が変わった。


 白と黒。

 細かい何かが画面いっぱいに現れて、瞬きするたびに、別の何かに入れ替わる。

 ちら、ちら、と。

 小さな稲妻のような明滅が、続く。


「これは?」


「表示試験です」


 ボルドが答えた。


「画面の映りを検める作業で、申請も出ています。映像を検めた者も、そう判断しました」


 なるほど、そう見える。

 画面の乱れ。

 あるいは検査の点滅。

 流して見れば、それで終わる。


 そのとき、隣で小さな声がした。


「ねえ」


 リゼだった。


「この画面、何か、模様みたいなのが出てない?」


「模様?」


「乱れてるんじゃなくて。ちゃんと、並んでる感じがする。ほら、機織りの柄を近くで見たときみたいな」


 映像を止めてもらった。


「今の一枚、拡大できますか」


 水晶の映像が、画面の部分だけ大きくなる。


 白と黒の細かい区画が、格子に並んでいた。

 乱れではない。

 隅には必ず同じ形の角印があり、中の並びだけが、一枚ごとに変わっていく。

 規則があり、繰り返しがあり、意味の密度がある。


 人間の文字ではない。

 だが、でたらめでもない。


 背中を、冷たいものが走った。


 八十頁という量。

 短い作業時間。

 人間には読めない、規則正しい紋様。

 そして、この部屋で唯一、条件付きで許されていた道具——机の上の、作業記録用の撮影水晶。


 画面は、ずっと喋っていたのだ。

 人間にではなく。


「……線じゃない」


「線ではない?」


 カナメが振り向く。


「光です」


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