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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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186/257

第186話 間に差し込むための名前

 朝、食卓の上で、リゼが皿を動かしていた。


 スープの椀を真ん中へ。

 パンの籠を俺の側へ。

 それから少し考えて、椀と籠の間に、塩の壺をすっと差し込んだ。


「はい、朝ごはん」


「今、いいものを見た」


「何が?」


「間に差し込むところ」


 リゼは自分の椀を持ったまま、変な顔をした。


「塩を置いただけよ」


「置くとき、他の皿を一枚も動かさなかった」


「動かす必要がないもの。隙間があるんだから」


「今日の授業、それをやる」


 久しぶりに、学校から呼ばれていた。

 ルドーの授業に、一枠。

 題目は、順番の話だと伝えてある。


「皿の並べ方を教えるの? 魔法学校で?」


「食器棚に皿を一枚増やすとき、棚の皿を全部出して並べ直す人はいない。でも術盤の中では、うっかりするとそれをやることになる。今日はその話」


「ふうん」


 リゼは椀に口をつけてから、思い出したように言った。


「わたしも聴きに行く日だ、今日」


「知ってる。変な質問をしないでくれ」


「変じゃない質問ならいいのね」


 それが一番怖いのだ、とは言わなかった。


———

 講堂は、変わっていなかった。


 石段の座席。

 高い窓から差す光の帯。

 人の数だけ、羊皮紙と筆の音がする。


 この数か月、王都術務室と王城の間を往復するばかりで、学校からは足が遠のいていた。

 教壇の脇に立つと、懐かしさより先に、背筋が伸びる。

 学生たちの視線の中に、リゼの顔もある。

 妻は素知らぬ顔で、他の学生と同じように筆を構えていた。


 ルドーは、教卓の上に札を並べていた。


 五枚。

 どれも、どこかで見たような案件の名前が書いてある。


 東門の照明術が暗い

 公衆浴場の湯温が揺れる

 学校食堂の会計術が遅い

 住民票写しの窓口が詰まる

 清掃ゴーレムが同じ角を回り続ける


「王都術務室には、こういう相談が毎日届く」


 ルドーが言った。


「届いた札は、大事なものから順に並べる。今日は、この並べるという話だ」


 指が、二枚目の札を突いた。


「この二枚目を、四枚目と五枚目の間に移したい。どうする」


 学生の一人が、素直に手を挙げた。


「番号を振り直します。移した後の並びで、全部の札に新しい番号を付けます」


「そうだ。それで正しい」


 ルドーは頷いた。

 珍しいことである。

 いつもの授業なら、この人は挙がった答えを一言で切る。

 浅い。足りん。偏る。

 切られた答えが三つ四つ転がったあたりで、こちらへ振るのが型である。

 今日は、最初の答えを切らなかった。

 切られなかった答えに、講堂が小さくざわついた。答えた本人が、いちばん戸惑った顔をしている。

 切れないのだ。番号を振り直すという答えは、五枚の世界では満点である。

 ルドーは、正しい答えを立たせたまま、問いを広げた。


「では、札が五枚ではなく、五百万枚あったら?」


 講堂が、静かになった。


「五百万枚に、新しい番号を配るのか。誰が。いつ。配っている間、札は使えるのか」


 誰も答えない。

 ルドーは教卓から一歩引いて、私を見た。


「ユウ、頼む」


「はい」


———

 私は表示盤の前に立った。


 一 二 三 四 五


「いちばん素直な持ち方です。並び順を、そのまま番号で持つ。五枚なら、これで何の問題もありません」


 三と四の間を指す。


「ここに一枚差し込むと、新しい札が四番。いままでの四番が五番、五番が六番。後ろの札、全部に書き直しが要ります」


「五枚なら、番号を書き直せばいいです。五百万枚でも、理屈の上では同じです。ただし、理屈の上で同じことと、現場で許されることは、だいたい別です」


 王都術務室の話をする。


「術務室には、作業板という共有の板があります。届いた案件が案件札になって列に並び、指でつまんで動かせます。未着手、調査中、対応中、確認待ち、完了。同じ板が、地方の分室にも映ります。溜まった札は、完了ぶんまで含めれば数十万。それを、王都と分室の何百人かが、同時に触っています」


「一枚差し込むたびに数十万枚を書き直すと、どうなるか。書き直している最中に、分室の誰かが別の札を差し込みます。書き直しと書き直しがぶつかって、板の上では、動かした札が戻ったり、二枚に見えたりし始めます」


 昔、アマネの宿で、客の一組ごとに小さな札を作ったことを思い出す。

 あの宿は札が二十枚で、動かすのは主人一人だった。

 だから、何の工夫も要らなかった。

 工夫が要るかどうかは、数と人数が決める。


———

 別の学生が手を挙げた。


「では、三番と四番の間に入れたいなら、三・五番にすればいいのでは」


「その発想は正しいです。そして、その発想で人類はしばらく幸せになりました」


 表示盤に書く。


 三

 三・五

 四


「新しい札には、前後の番号の間に入る番号を付ける。他の札は、一枚も書き直さない。差し込みが、一枚ぶんの書き込みで済みます」


 便利さを認める。

 認めてから、落とす。

 この順番は、授業でも現場でも変わらない。


「ただし。同じ隙間に、もう一枚差し込むと」


 三

 三・二五

 三・五

 四


「もう一枚」


 三

 三・一二五

 三・二五

 三・五

 四


 学生たちの何人かが、気づいた顔になった。


「桁が、増えていきます」


「はい。同じ隙間を使い続けると、番号はどんどん細かくなります。札に書ける桁には限りがあるので、いつか書き切れなくなる。便利なものは、だいたいどこかに帳尻を押し込んでいます」


———

「そこで、数の代わりに、字を使います」


 表示盤に書く。


 あ

 さ

 な


「王国語の字には、決まった並びがあります。字引の並びです。『あ』と『な』の間には『さ』が入る。『さ』と『な』の間なら『た』」


 あ

 さ

 た

 な


「では、並びが隣り合っていて、間に入る一字が無いときは? 『す』と『せ』の間には、どの一字も入りません」


 少しの間のあと、前の席の学生が言った。


「字を、足す……?」


「足します」


 す

 すな

 せ


「『す』より後で、『せ』より前。字引なら、この順に載ります。一字で足りなければ二字、二字で足りなければ三字。名前は長くなりますが、間は、必ず作れます」


 ルドーが、教卓の端から言った。


「書庫の巻物と同じだな。『狼の巻』と『鹿の巻』の間に『狐の巻』を差す。棚の番号は振り直さん。名の並びが、順を決める」


「はい。それと同じです」


 私は、今日の芯になる一文を、ゆっくり言った。


「大事なのは、"何番目か"を直接持つのではなく、比べたときにどちらが先か分かる名前を持つことです」


「作業板では、案件札の一枚一枚が、裏にこういう名前の札を持っています。間に差し込むための名前なので、間名札と呼びます。表には出ません。使う人は、札をつまんで動かすだけです。その裏で、間名札が一枚、書き換わっています」


———

 最初に手を挙げた学生が、確かめるように言った。


「では、一枚の札を動かすだけなら、その札の間名を書き換えるだけで済むのですね」


「多くの場合は、そうです。だから、使っている人からは、一瞬で動いたように見えます」


「すごい」


「すごいです。ただし、"多くの場合"という言葉を聞き逃すと、後で術務室の床で寝ることになります」


 講堂に、小さな笑いが起きた。

 笑いごとではないのだが、笑ってもらえるうちが華である。


 その笑いの中で、手が一つ挙がった。


 リゼだった。


「でも、みんなが同じ場所に差し込み続けたら、そこだけ苦しくならない?」


 変じゃない質問だった。

 そして、今日の授業でいちばん怖い質問だった。


「なります。そこに気づける人は、運用で生き残れます」


 リゼは少し照れて、筆を持ち直した。

 ルドーが、面白そうにこちらを見た。

 家で聞かれなくてよかった、と思うことにする。


———

「いまの質問の通りです。同じ隙間に差し込み続けると、そこの間名だけが伸びていきます。『すな』の次は『すなの』、その次は『すなのは』。名前が長くなるほど、書くのも比べるのも重くなる」


「なので、どこかで、名前を配り直します。全体を見渡して、間隔に余裕ができるように、間名を振り直す。これを再均しと呼びます」


 表示盤に書く。


 普段の移動  札一枚の書き換えで済む

 再均し    全部の札の間名を振り直す


「普段は一枚だけ動かせば済みます。でも、隙間が詰まったら、どこかで大掃除が必要になります」


 ルドーが言った。


「便利な術にも、掃除の日は必要ということか」


「はい。掃除を後回しにすると、だいたい本番中に掃除することになります」


「掃除の日を決めるのは、誰だ」


「決め忘れた組織から順に、痛い目を見ます」


 講堂に、今度は乾いた笑いが起きた。

 働いたことのある学生だけが笑う笑いである。


 最後に、表示盤へ書き足した。


 差し込みの手間は、消えていない

 普段の一枚と、ときどきの大掃除に、分けられただけ


「今日、覚えて帰ってほしいのは、これだけです。軽く見える操作の裏には、たいてい、後払いの掃除が積んであります。掃除ごと設計して、初めて仕組みです」


———

 授業を締めようとしたとき、懐の携帯術盤が震えた。


 王都術務室からの魔文である。

 差出しは、基盤魔術班。


 開く。


 作業板の札が、全部同じ位置に並んでいます


 未着手も、対応中も、完了も、先頭に重なっています


 再均し儀式が、止まりません


 私は、しばらく無言になった。


AIエージェント:「観測:本日の講義内容と、極めて関連の深い障害です」


「黙れ」


 ルドーが、教卓の向こうから言った。


「どうした」


 私は携帯術盤を懐へ戻し、講堂を見た。

 学生たちと、リゼが、こちらを見ている。


「今日の授業、実践編が来ました」


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