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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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185/257

第185話 魔王軍は門から来ない

 王城の大会議室に、これだけの顔ぶれが並んだのは、初めてだと思う。


 王国防衛局の高官たち。

 国軍の指揮官たち。

 魔安対のカナメと担当者たち。

 王都術務室の面々。

 共通札保管庫のオルソ。

 端の方に、私。


 卓の上には、地図が広げてあった。

 軍が持ち込んだ、王国全土の地図である。

 国境線と、関門と、砦の位置が描き込まれている。


 その隣に、魔安対が持ち込んだ図が並べてあった。

 共通札の依存の図である。

 どの札がどの札に依存し、どの術盤がどの札を取り込んでいるか。


 二枚の図は、同じ王国を描いているはずだった。

 だが、似ても似つかなかった。


 この会議は、その二枚のあいだで始まった。


———

 軍側の問いは、明快だった。


「敵は、どこにいるのか」


「どの部隊が攻撃したのか」


「反撃はできるのか」


「防衛線は、どこに引くのか」


「次は、いつ攻めてくるのか」


 どれも、戦の問いとして正しい。

 二百年、王国を守ってきた問いである。


 術務側の答えは、こうなった。


「侵入口は、保守者の秘鍵か、配布儀式の権限。どちらかは、まだ確定していません」


「どの部隊が、という問いには答えられません。分かっているのは、手口の癖だけです」


「反撃する先の場所が、ありません。外部指令結界は、盗まれた術盤を踏み台に、何段も継がれています」


「防衛線は、国境ではありません。強いて言えば、王国中の術盤の中です」


「いつ、という問いには、こう答えるしかありません。数年前から、すでに来ています」


 会議室に、重い沈黙が落ちた。


 軍人たちの顔に浮かんでいたのは、無理解ではなかった。

 もっとたちの悪いものだった。

 理解した上での、途方に暮れである。


 ラドゥルが、口を開いた。


「敵がどこにいるのかも分からず、攻撃された、と言うのか」


 苛立ちを隠さない声だった。

 この人が会議で声を尖らせるのを、私は初めて見た。


「はい。残念ながら、そういう戦場です」


 私は言った。

 慰めを足さなかった。

 この部屋に必要なのは、慰めではなく、正確な絵だからである。


———

 私は、表示盤の前に立った。


「魔王軍の攻め方を、二つ並べます」


 左に書く。


これまで

・魔獣の襲撃

・国境の突破

・王都への進軍


 右に書く。


この数年、疑われるもの

・合言葉の大量漏洩

・転職の面接を装った仕込み術式

・共通札の汚染と、署名付きの悪性版

・作り手の秘鍵の窃取

・民間工房と行政基盤への横断の侵入


「左は、門から来ます。右は、門から来ません」


 国軍の年配の指揮官が、地図を見たまま言った。


「なぜ、攻め方を変えた」


「推測ですが」


 私は依存の図を指した。


「城壁を破るより、城壁を作る人間の道具を汚染した方が早い。そう気づいたのかもしれません」


「道具を」


「はい。今の王国は、術盤の上に載っています。税も、台帳も、水路の制御も、軍の兵站の帳面も。そして王国中の術盤が、毎朝、同じ保管庫から同じ共通札を取り込んでいる。ここを一箇所汚染できれば、門を破らずに、王国全部の床下に入れます」


「便利にした結果が、これか」


 責める声ではなかった。

 確かめる声だった。

 だから私も、正確に答えた。


「王国が便利になったぶん、攻撃面も広がりました。これは、発展の失敗ではありません。発展した社会が必ず背負う、税金みたいなものです」


「税金は、払わされるものだな」


「はい。ただ、いくら払うかは、こちらで決められます」


———

 議論が対策に移ると、防衛局の一人が、避けて通れないことを言った。


「率直に聞く。署名だの封蝋だの、あの仕組みは役に立ったのか。署名付きの毒が配られたのだろう。ならば、あれに掛けた費用は無駄だったのではないか」


 もっともな問いである。

 そして、いちばん間違えてはいけない問いだった。


「違います」


 私は、はっきり言った。


「署名があったから、どの版が、いつ、どの工程を通ったのか、一日で追えました。署名がなければ、私たちは今も、王国中の術盤を一台ずつ検めています。役に立たなかったのではありません。署名だけで足りると思ったのが、間違いです」


「では、何を足す」


「正規の工程そのものを、見張ります」


 表示盤に、保管庫までの工程の絵を描く。

 作り手、変更、試験、封蝋、配布。


「これまで守ってきたのは、この工程の出口です。出てきた札に封蝋があるか。これからは、工程の中を守ります」


 配布儀式の術盤を、他から隔離する。

 保守者の権限を棚卸しし、限定印で最小に絞る。

 広く使われる札の変更には、複数人の検めと、人の手による承認を挟む。

 変更の差分に、異常の印を付ける。急な依存札の追加、成果札の急な膨らみ、読みにくく崩された術式列、外へ喋る先の増加。

 保守者の秘鍵を、日々の作業場から分ける。

 新札冷却期間を置く。

 王国の重要な術盤は、許可札一覧の方式へ移す。


「昨日までに術務室と魔安対で詰めた案です。細目は文書で回します」


 防衛局の高官は、一覧を眺めて言った。


「壁を高くするのではなく、門番を増やすのだな」


「門番を増やして、門番を見張る門番も置きます。今回腐ったのは、壁ではなく門番の側なので」


———

 対策の一覧の中で、一つだけ、技術の話ではないものがあった。


 私はそれを、最後に回していた。

 技術の話に混ぜると、流されてしまうからである。


「小径案内札の保守が、平時、何人で回っていたか、調べました」


 会議室を見回す。


「一人です」


 誰かが、聞き間違いかという顔をした。


「王国中の役所と工房が依存している札を、民間の術師が一人、仕事の合間に直してきました。礼金は、ほとんど受け取っていません。善意です」


「その者が、裏切ったのか」


「いいえ。今のところ、その方も被害者と見ています。秘鍵を盗まれた側です。ですが、問題はそこではありません」


 私は、言葉を切った。

 この一言は、流されたくなかった。


「善意の個人が、王国中の基盤を支えている。それ自体が、もう守りの穴なんです」


 会議室が静かになった。


「一人しかいない保守者は、狙えば一人で済む的です。疲れていれば検めは甘くなる。生活に困っていれば、金で釣れる。病で倒れれば、札は直されないまま王国中で動き続ける。悪意が要らないんです。人が一人であることが、そのまま穴になる」


「では、どうする」


「保守者を、孤立させないことです」


 重要な共通札には、複数人の検めを義務にする。

 代わりに、王国が保守者へ支援を返す。専用の隔離術盤、秘鍵の管理、そして休める体制。

 一人が倒れても札が直る形を、札の側ではなく、人の側に作る。


「敵はもう、札ではなく人を狙っています。守る側も、札だけ守っていては足りません」


———

 制度の細目になると、マリエが前へ出た。


 届け出の制度である。


「今回、感染に自分で気づいて届け出た工房が、十七ありました。この十七を、どう扱うかで、次の事件の景色が決まります」


 マリエは、条を三つに整理した。


 事故を隠した工房への罰則は、残す。

 ただし、定められた刻限内の自発的な届け出には、減免を設ける。

 届け出の窓口は一本化し、王国側も検めの結果と手口の情報を、届け出た側へ返す。


「罰だけの制度は、静かになります。静かなのは、安全になったからではありません。全員が黙ったからです」


 防衛局の高官が、条文の言い回しを二度突いた。

 マリエは二度とも、その場で直した。

 直した文の方が、元より強かった。


 会議の切れ目に、私は小声で言った。


「マリエさん、やっぱり進行管理役というより、制度を動かす人ですね」


「ふっふふ。言ったでしょう。わたし、契約術務士の資格も持ってるのよっ」


 声をひそめる気が、あまりない小声だった。

 隣の席のオルソが、少し笑った。

 この三日で、あの人が笑ったのを初めて見た。


———

 会議の終わりが近づいたころ、ラドゥルが挙手した。


 午前のあいだ、この人はほとんど喋らなかった。

 二枚の図を、交互に見続けていた。


「確認したい。今回の件で、影響を受けたものを、もう一度並べてくれ」


 カナメが読み上げた。


「民間工房、百二十余。王国行政の術盤の一部。共通札保管庫。作り手の開発環境。重要術盤のうち三系統。それから、今後数年の基盤更新の計画全体です」


「軍の兵站の帳面は」


「間接的に。兵站の帳面が載る術盤も、小径案内札を使っています」


 ラドゥルは、しばらく黙った。


 それから、地図の方を、自分の手で畳んだ。


「城壁の外に敵がいないなら安全、という時代は、終わったのだな」


「はい」


 私は言った。


「今は、城壁の中に持ち込まれる札と、毎朝更新される共通札が戦場です」


「ならば、戦場に指揮所が要る」


 ラドゥルは、防衛局の高官たちの方を向いた。


「軍だけでは戦えん。術務だけでも守り切れん。分かれたままなら、次も後手に回る」


———

 王国基盤防衛会議の設置が決まったのは、その日の夕刻である。


 新しい役所を建てるのではない。

 まず、定例の会議体から始める。


 集まるのは、魔安対、王都術務室、国軍、王国防衛局、監督の官庁、民間の重要基盤の事業者、契約術務士、魔法学校の研究者。


 行うのは、事故情報の共有。

 共通札保管庫の保護。

 重要基盤の依存の管理。

 攻撃の手口の追跡。

 民間への注意喚起。

 魔王軍の関与の分析。

 届け出制度の運用。


 議長には、王国防衛局の高官が就いた。

 実務の要は、カナメが引き受けた。


 私は、助言役である。


 役目を打診された時、正式の役職を、と言われたが、断った。

 異界から来た一人の男が王国の防衛の要になる、という絵は、物語としては格好がいいが、制度としては最悪である。

 一人に依存する仕組みが穴になることを、まさに今回、王国中で学んだところだ。


 問題の構造を整理し、線を引き、あとは王国の人々が回す。

 それでいい。

 それがいい。


———

 事件は、ひと月ほどかけて、収束していった。


 感染版の除去が終わり、秘鍵の再発行が済んだ。

 外部指令結界への文路は塞がれた。

 保管庫は、工程の隔離と複数人の検めを入れて、再開した。

 新札冷却期間が定められ、最初は文句を言っていた工房も、二度目の通達のころには従っていた。

 届け出の窓口には、細かい報せが日に数件、届くようになった。

 細かい報せが来るうちは、制度は生きている。


 小径案内札は、保守者が三人になった。

 王国から支援を受けた、最初の共通札である。


 収束、と報告書には書いた。


 解決、とは書かなかった。


 盗まれた秘鍵のうち、使われた形跡のないものが、まだ残っている。

 溜めた者には、目的がある。

 その目的は、まだどこかで、静かに続いている。


———

 夜、家に帰ると、リゼが茶を淹れていた。


 湯気の向こうで、この人はしばらく、私の顔を見ていた。

 疲れの残り方を測る目である。

 結婚してから、この目は精度を上げ続けている。


「長かったね、今回」


「長かった」


 茶を受け取る。

 温かい。


 リゼは向かいに座って、自分の椀を両手で包んだ。


「ねえ」


「うん」


「魔王軍、また攻めてきたの?」


 素朴な問いだった。

 そして、この一件で開かれたどの会議より、正確な問いだった。


 私は、少し考えた。

 考えて、正直に答えることにした。

 この人には、そう決めている。


「たぶん、もう攻めてきてる」


 リゼは、黙った。


 怖がらせたいわけではない。

 だが、嘘の安心を渡したいわけでもない。

 リゼは椀を包んだまま、窓の方を見た。


 窓の外に、王都の夜がある。


 家々の窓で、魔法仮想文書が光っている。

 どこかで携帯術盤が鳴り、誰かが返事を打っている。

 通りの角では、寝る時間を過ぎた子どもたちが、幻獣札を交換している。

 服務的魔術が、灯りと水と帳面を、音もなく支えている。


 便利になった世界である。

 この便利さの床下に、今朝も王国中の術盤が取り込んだ共通札が、静かに敷かれている。


 守るものが、増えた世界である。


「……お茶、冷める」


「うん」


「飲んで、寝て。続きは明日でしょ」


「そうする」


 私は茶を飲んだ。

 リゼの言う通り、続きは明日である。

 明日も、たぶんその先も、ずっと続きなのだ。


 魔王軍の旗は、城門の前にはなかった。


 それでも王都はもう、戦場の中にあった。


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