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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
はじまり

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第18話 鐘が鳴ったら、次へ行け

 王城の治療所は、静かだった。


 静かだからこそ、怖かった。


 怒鳴り声はない。

 紙の山もない。

 代わりにあるのは、低い呻き声と、薬草の匂いと、張りつめた空気。


 私は入口の前で一度だけ足を止めた。


「……郵便局より怖い」


 隣のリゼが小さく頷く。


「うん。失敗したときに、叫ぶ余裕がない感じ」


 正確だ。

 こっちは“燃える”前に、先に人が倒れる。


 ルドーが背後で言った。


「だから現場だ」


「先生、今日は本当に黙っててください」


「無理だ。教師だからな」


 この人、たぶん死ぬまでこれ言うな。


 私は深呼吸して、中へ入った。


———

 中は、思っていたより整っていた。


 整っている。

 だが、回ってはいない。


 寝台が五つ。

 それぞれに患者が寝ている。

 隅では薬湯が火にかかっている。

 壁際には容体を書き込む札。

 机の上には薬包みと濡れ布。

 そして、そのすべての中心に――一人の治療師がいた。


 若い女の人だった。

 額に汗。目の下に濃い隈。

 そして、目だけが鋭い。


 彼女は一人の患者に両手をかざし、必死に回復魔法を流し込んでいた。

 光が揺れる。呼吸が荒い。


 その間に、別の寝台の札が小さく赤く点滅している。

 さらに別の薬湯が、煮えすぎて泡立っている。


 でも、彼女は動かない。


 一人に張りついている。


 ルドーが小さく言った。


「ほらな」


 私は答えなかった。

 答えるまでもない。


 治療所の責任者らしい男が、こちらへ来た。

 年配。顔が疲れている。言葉は抑えているが、限界が近い。


「ユウ・サカモト殿ですね」


「はい」


「助けてください。

 ミナが、一人で全部見ています」


 全部見てない。

 全部を見ようとして、一人だけ見ている。


 私は頷いた。


「状況を教えてください」


 責任者は、言葉を選ぶ余裕もなく言った。


「重症が一人。中等症が二人。軽症が二人。

 重症者への回復を止めると危険です。

 だが張りついたままだと、他が落ちます」


 私は寝台を見る。


 確かに、一番奥の患者の顔色が悪い。

 ミナが見ているのはそこだ。


 でも、手前の患者の唇も乾いている。

 軽症側の札も、更新が止まっている。

 薬湯も危ない。


 全部が、じわじわ死にかけている。


 私は小さく言った。


「……優秀な人ほど、一つを完璧にしようとして全部を壊す」


 責任者が疲れた顔で苦笑した。


「それを本人に言うと泣きます」


「言いません」


 言ってる場合じゃない。


———

「ミナさん」


 私は声をかけた。


 反応がない。


「ミナさん」


 もう一度。


 ようやく彼女が、ほんの少しだけこちらを見た。

 目が怖い。集中しすぎて、周囲が見えていない目だ。


「今、話しかけないで」


 短い。硬い。


「重症者?」


「そう。あと少しなの」


 あと少し。

 授業で聞いたばかりだ。信用するな。


 私は寝台の横の札を見た。

 そこには、回復の途中記録がある。

 脈。熱。呼吸。魔力反応。


 途中の状態は残っている。

 つまり、ここはまだ助かる。


 私は責任者に言った。


「鐘ありますか」


 責任者が一瞬、まばたきした。


「鐘?」


「小さいのでいい。鳴るやつ」


 責任者が戸惑いながら、棚から卓上の鐘を持ってきた。

 食事の呼び出し用みたいな、小さなやつだ。


 それを見たミナが、ようやくはっきりとこちらを見た。


「……何する気」


「止めないようにします」


「無理よ」


「無理でもやります」


「今、この人から手を離せない」


「分かってます」


 私は落ち着いて言った。


「だから、手を離す前に“途中”を残します」


 ミナが眉をひそめる。


「途中……?」


「どこまで回復したか。次に戻る場所。

 それが残ってれば、途中で移っても戻れます」


 彼女は少しだけ黙った。

 理解はしている。だが感情が拒否している顔だ。


「……そんなことしてる間に、他が落ちる」


「もう落ちかけてます」


 きつい言い方になった。

 でも、ここは嘘をつけない。


 リゼが小さく前に出た。


「ミナさん」


 ミナがそちらを見る。


「一人で全部守ろうとしてるの、すごいです。

 でも……今、全部を一人で抱えてるから、全部が苦しい」


 リゼは、現場の人に言うべき言葉をちゃんと選ぶ。

 こういうとき、強い。


 ミナが唇を噛んだ。


「……じゃあ、どうしろっていうの」


 私は鐘を持ち上げた。


「鐘が鳴ったら、移るんです」


 ミナの顔が、あからさまに嫌そうになる。


「今いいところなのに?」


「そこを信用しない」


「あと少しなのに?」


「そこも信用しない」


 私は淡々と言った。


「途中でも移る。失礼でも移る。

 そうしないと、他が止まる」


 ルドーが背後で、小さく言う。


「授業だな」


 黙れ。


———

 最初の仕事は、“途中”を残すことだった。


 私は寝台ごとに札を一枚置かせた。

 そこに最低限だけ書く。


今の状態


次にやること


危険の兆候


 長文は書かない。読む暇がない。


 ミナに言う。


「回復の途中を一行で」


「一行で足りるわけない」


「足りる形にしてください」


「無茶言わないで」


「無茶でも、読めないよりマシです」


 ミナが嫌そうな顔のまま、札に書き始めた。


『呼吸浅い/回復継続中/次:熱を下げる』

『熱高い/水分不足/次:薬湯』

『痛み強い/出血止まる/次:眠り札更新』


 短い。

 でも、戻る場所にはなる。


 責任者にも動いてもらう。


「薬湯は誰が見てます?」


「今は……誰も」


「じゃあ責任者が見て。

 沸きすぎたら止めて、札を更新してください」


「私が?」


「今から全員が何かやります。

 見てるだけの人はいません」


 責任者が少しだけ姿勢を正した。

 現場は役割を渡すと生き返る。


———

 私は鐘を鳴らした。


 チン。


 治療所の空気が、一瞬だけ止まる。


「今の患者から手を離して」


 ミナが顔をしかめる。


「無理」


「離して」


「まだ――」


 チン。


 私はもう一度鳴らした。


 ミナが、歯を食いしばって手を離した。

 その瞬間、私は札を指した。


「次に戻る場所は書いてある。

 今は二番目へ」


 ミナが隣の寝台へ移る。

 水分不足の患者に触れ、短い回復を流す。


 チン。


「次」


「早い!」


「速さじゃない。止めないためです」


 ミナは三人目へ。

 痛みの強い患者。眠り札を更新。呼吸の確認。


 チン。


「戻って」


「どこへ!」


「札見て!」


 彼女は最初の寝台へ戻る。

 札を見る。

 呼吸浅い。次:熱を下げる。


 そこでようやく、彼女の目の色が少し変わった。

 “戻れる”と分かった目だ。


 何も覚えていなくていいわけじゃない。

 でも、全部を頭だけで持たなくてよくなる。


 それだけで、人はずいぶん楽になる。


———

 最初の十分は、ぎこちなかった。


 鐘が鳴るたびに、ミナは嫌そうな顔をする。

 途中で止めるのは、治療師として不誠実に感じるのだろう。


 すごく分かる。


 でも、止めないと他が止まる。


 責任者が薬湯札を更新する。

 リゼが濡れ布を交換する。

 私は札の書き方を直し、順番を少し変える。


 重症者は二回に一回。

 軽症者は一回飛ばしてもいい。

 だが“飛ばした”ことは札に残す。


 治療所全体が、一つの仕事になっていく。


 ミナが小さく言った。


「……これ、失礼ね」


「はい」


「患者に悪い気がする」


「はい」


「でも……落ちない」


 私は頷いた。


「全部を完璧には救えない。

 でも、全部を止めないことはできる」


 チン。


 ミナが、今度は自分から移った。


 その一歩で、現場の空気が変わった。


———

 一番大きかったのは、重症者の呼吸が安定したときだった。


 ミナは、そこに張りつきたかったはずだ。

 でも、鐘が鳴る。移る。

 戻る。札を見る。次をやる。


 そして気づく。


 他の患者も、落ちていない。


 薬湯も吹きこぼれていない。

 眠り札も切れていない。

 濡れ布も乾いていない。


 全部が、ぎりぎり回っている。


 完璧じゃない。

 でも、死なない。


 責任者がぽつりと言った。


「……静かだ」


 確かに、さっきまで感じていた“止まりそうな怖さ”が少し薄れていた。

 治療所の音が、“壊れる音”から“働いている音”に変わっている。


 チン。

 チン。

 チン。


 鐘の音だけが、規則正しく響く。


 リゼが小声で言った。


「これ、変な感じ。

 忙しいのに、前より怖くない」


「そういうことです」


 私は答えた。


「忙しさは減ってない。

 でも、止まらなくなった」


———

 一時間後。


 重症者の札には、こう書かれていた。


『呼吸安定/熱少し下がる/次:維持』


 中等症の札も、赤い印が消えていた。

 軽症者は眠っている。薬湯も静かだ。


 ミナが、ようやく大きく息を吐いた。


「……助かった」


 それは自分に言ったのか、患者に言ったのか、分からなかった。


 私は鐘を机に置いた。


 責任者が、深く頭を下げた。


「ユウ殿。治療魔法を強くしたわけではないのですね」


「してません」


「なのに、回った」


「順番を決めただけです」


 ルドーが背後で言った。


「割り込みは失礼だが、現場を救う」


「先生、その台詞ずるいですね」


「教師だからな」


 最悪だ。


 ミナが、疲れた顔で私を見る。


「……途中で止めるの、嫌い」


「僕もです」


「でも、今日はそれで助かった」


「はい」


 彼女は少しだけ笑った。


「はいは一回、って言われそうね」


 私は思わず吹き出しそうになった。

 ルドーが本気で頷いた。


「そうだ。二回目からは言い訳になる」


 責任者が一瞬きょとんとしてから、苦笑した。

 治療所でそれをやるのか。やるんだな。


———

 帰り道。


 空はもう赤くなっていた。

 治療所の窓から漏れる灯りが、やけに落ち着いて見える。


 リゼが私の袖を掴んだ。


「ユウ」


「うん」


「今日のは、好きかも」


「何が」


「鐘が鳴ったら移るやつ」


「現場が?」


「違う。考え方」


 リゼは少し考えてから言った。


「ちゃんと見てるから、途中で離れても戻れるんだよね」


 私は頷いた。


「途中を残してるからね」


「それ、なんか……優しい」


 意外な言葉だった。


「優しい?」


「うん。

 “忘れる前提”で作るって、人に優しい」


 私は少し黙った。


 たしかに。

 人は忘れる。迷う。張りつく。

 だから仕組みがいる。


 ルドーが後ろで言う。


「ようやく分かったか。

 優秀な者ほど仕組みに縛られろ。そうしないと全部壊す」


「先生、言い方がひどいです」


「事実だ」


 ひどい。

 でも、今日ばかりは否定しにくかった。


 私は小さく息を吐いた。


「……止めないと、全部止まる」


 リゼが頷く。


「うん。だから、鐘が鳴ったら次へ行け」


 その言い方が妙に気に入って、私は少しだけ笑った。

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