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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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第174話 見えないところで誰が働いているか

 祭りの二日前の王都は、音が倍になる。


 槌の音。

 布を張る音。

 樽を転がす音。

 そのどれもが、浮かれた早口になっている。


 広場に近づくと、揚げ油と飴の匂いが先に届いた。

 屋台の骨組みはもう立ち並び、あとは看板を掛けて、店の場所が決まるのを待つだけ。


 その、場所が決まらないのだという。


 役所の出店窓口の前には、朝から人だかりができていた。


「うちの串焼き屋の場所は、まだ決まらないのか!」


「うちは番号が若いのに、なぜ隣の甘味屋が先に決まってるんだ!」


「祭りは明後日だぞ!」


 窓口の職員が、汗だくで頭を下げている。

 人々の顔には、困惑と諦め。

 ここは戦場ではない。

 だが、祭りの前の役所は、戦場と同じ顔になるらしい。


 私は人だかりの脇を抜けて、裏口へ回った。

 術務室からの依頼書には、短くこう書いてあった。


 出店割り当ての整列処理が終わりません。

 原因不明。処理は速いはずとのこと。


 速いはず。

 昨日の講堂の光景が、頭をよぎる。

 嫌な予感は、だいたい当たるから嫌な予感と呼ばれている。


———

 出店割り当ての作業部屋は、静かだった。


 窓口の喧噪が嘘のように、術盤が一台、涼しい顔で置いてある。

 その前で、若い術師が青い顔をしていた。


「ユウさん……ですよね。すみません、お忙しいところ」


「状況を教えてください」


「出店の申し込みが、千二百件です。抽選で番号を配って、番号の順に場所を割り当てます。並べ替え自体は、その、新しい整列術で……」


「眠り整列ですか」


「ご存じでしたか」


「昨日、学校で習いました」


 若い術師は、事情を話した。

 学校で評判の、新しくて速い整列術があると聞いた。

 試しに二十件で動かしたら、一瞬で並んだ。

 術式も短く、書き写しも簡単だった。

 祭り準備で人手が足りない中、上司に「新しい方法で効率化します」と言ったら、いいぞ、と言われた。


 人類は、また小さな試しを本番に入れたのである。


「責めているわけではありません。順番に見ましょう。記録札を出せますか」


 術盤の記録札を、手元に広げる。


AIエージェント:「観測:整列処理の本体は、開始から千分の三拍で完了しています」


「速いな」


AIエージェント:「補足:完了しているのは『札を眠らせる』処理のみです。以後の残り時間は、すべて待機です」


 記録札には、確かにそう出ていた。

 処理本体、千分の三拍。

 その後ろに、延々と続く待機の記録。


 これを見た担当者が「処理は速い」と思ったのは、無理もない。

 速く見える場所しか、測っていないのだから。


「待機棚を見せてください」


 術盤の待機棚を開いて、若い術師が息を呑んだ。


 眠っている札が、千百と少し。

 二日前から、ずっと積まれたままになっている。


「抽選番号は、いくつまであります?」


「受付の日付と刻から番号を作ったので……大きいものは、六桁です」


AIエージェント:「観測:待機中の札の最大値は四十七万三千二百六十一。この札が目覚めるのは、開始からおよそ五日半後です」


「……祭りが、終わってます」


「補足しておくと」


 私は待機棚の一覧を指した。


「五日半後に全部が起きて終わるなら、まだましなんです。実際はもっと悪い」


 若い術師は、まだ分かっていない顔をした。

 分かっていないのは、この人のせいではない。

 見えない場所で起きていることは、見えないのだ。


———

 私は表示盤を借りて、状況を整理した。


 起きていたこと


 一、番号の大きい出店者の処理が、そもそも終わらない

 二、近い番号の札が、順番を間違えて起きた

 三、同じ刻に申し込んで同じ下番号を持つ札が、日によって順を変えた

 四、眠る札が術座を占め、同じ術盤の他の仕事が遅れた

 五、遅れた仕事の中に、窓口の受付処理が入っていた


「一番は、昨日の授業のとおりです。この術の所要は、件数ではなく最大の番号で決まります。二十件の試しが一瞬だったのは、振った番号が二十までだったからです。番号が六桁なら、六桁の拍──日の単位で待ちます」


「二番と三番。術盤は祭り準備で忙しい。起こす仕事が遅れて、近い番号は順番がずれます。窓口に来ていた『番号が若いのに隣が先に決まった』という苦情は、これです」


「四番と五番が、一番たちが悪い。眠っている札は千枚を超えていて、それが術座と待機棚を占めたままです。同じ術盤に載っている窓口の受付まで遅くなって、苦情の列がさらに伸びました」


 若い術師は、表示盤を見つめたまま動かなかった。


「処理そのものは、千分の三拍でした。それは嘘ではありません。でも、処理を待つ仕事、起こす仕事、眠りを管理する仕事、割を食った隣の仕事。全部を足すと、この術盤は二日間、王都で一番働いていました」


「……速いと思っていたのは」


「速く見える場所だけを、測っていたからです。術式が短いことと、仕組み全体が軽いことは違います」


 若い術師は、長く息を吐いた。


「僕は、処理を速くしたつもりで……」


「処理を消したのではなく、見えない場所へ移しただけです。そして、見えない場所で誰かが働いているとき、その誰かの名前は、報告書に出てきません」


———

 直すのは、簡単だった。

 簡単であることが、この事故の一番の皮肉である。


「眠り整列を止めます。眠っている札を全部起こして、値を回収してください。それから、普通の整列術で並べ直します」


「普通ので、間に合いますか。千二百件ありますが」


「千二百件は、整列の世界では『小さい』に入ります。比べて並べる普通の術で、瞬きの間に終わります」


 実際、終わった。


 眠っていた千百枚の札は起こされ、値だけが写し取られ、比べる整列術が一呼吸で千二百件を並べた。

 二日間終わらなかった仕事が、詠唱一つで終わる。

 部屋の空気が、間の抜けた静けさになった。


「……二日間は、何だったんでしょう」


「待っていたんです。誰も頼んでいない律儀さで」


 付け加えるなら、番号で並べるだけなら、比べない方法も本当はある。

 番号の範囲が決まっているなら、範囲のぶんだけ箱を用意して放り込む、箱分け整列で足りる。

 だがそれは、今日やることではない。

 今日必要なのは、新しい工夫ではなく、普通に壊れない方法である。


 午後には、割り当ての一覧が窓口に貼り出された。

 串焼き屋の主人は自分の区画を三回確かめて帰り、甘味屋と揉めていた出店者は、隣同士の区画になっていて、気まずそうに一緒に帰っていった。


———

 夕方、報告のついでに、再発防止の覚え書きを作った。

 若い術師と、その上司を並べて座らせてである。


 表示盤に書く。


 新しい術式を本番に入れる前に


 一、本番と同じ規模、同じ範囲の数で試す

 二、処理本体だけでなく、待機、術座、隣の仕事への影響を測る

 三、何を資源として使う術なのかを、言葉にして書く

 四、まず影響の小さい仕事で試し、それから広げる

 五、教材として面白い術式と、本番で使う術式を分ける


「二十件の試しは、悪くないんです。試しとしては」


 私は言った。


「悪かったのは、二十件と千二百件の間に何があるかを、誰も見なかったことです。それから──」


 上司の方を見る。


「『新技術で効率化しろ』と言うだけ言って、何がどう変わるのかを聞かなかったことです」


 上司は、居心地悪そうに頷いた。

 雑に許可を出した側の顔である。

 だが、責め立てても仕方がない。

 祭りの前の王都で、人手の足りない部署が近道を探すのは、毎年の風物詩のようなものだ。


 覚え書きの最後に、若い術師が自分から一行を足した。


 六、速いと言う前に、どこを測ったかを言う


「それが書けるなら、大丈夫です」


 本心だった。

 二日間の障害は、この一行を書ける術師を一人作った。

 高い授業料だが、払った甲斐はあったことにしたい。


———

 祭りの当日は、よく晴れた。


 王都の大通りには屋台がぎっしりと並び、揚げ油と飴と、焼けた醤の匂いが層になって流れてくる。

 人の波。

 楽隊の音。

 どの店も、貼り出されたとおりの場所に収まっている。


 場所が決まっている、というだけのことが、こんなに祭りらしい。

 決まらなかった二日間を知っているのは、役所と、私と、あの術盤だけである。


「ユウ、こっち。串焼き」


 リゼが人混みの先で手を振っていた。

 例の、窓口で一番大きな声を出していた店である。

 主人は上機嫌で、肉を焼いていた。


 二本買って、一本をリゼに渡す。


「結局、眠り整列は使わなかったのね」


「教材としては使える。でも祭りの場所決めは、普通に並べた方が早い」


「二日待って終わらなかったのが、一瞬で終わったんでしょう? なんだか不思議」


「不思議じゃないんだ。あの術は、仕事をしていなかったわけじゃない。見えないところで、術盤がずっと働かされていた」


 リゼは串を片手に、少し考えた。


「なんか、家事をしてないって言いながら、全部誰かに頼んでる人みたいね」


「かなり近い。しかも、頼まれた側の名前が、報告書に出てこない」


「それは駄目ね。うちなら喧嘩になる」


「うちでは、しないようにする」


 人混みの向こうから、見知った顔が歩いてきた。

 ルドーである。

 その後ろに、昨日の発表者と、鐘霊の学生がついてきていた。


「先生。学生と祭りですか」


「視察だ」


 ルドーは短く言って、屋台の並びを眺めた。


「聞いたぞ。二日止まって、一呼吸で終わったそうだな」


「はい。速さは、どこを測るかで決まるという、いい実例でした」


「技術にも、見えない労働があるわけか」


「そこを見ないまま速くなったと言い始めると、だいたい後で燃えます」


 発表者の学生が、おずおずと前へ出た。


「あの、ユウさん。眠り整列、学校の教材になることが決まりました。同時に走らせることと、待機の管理を教える教材として」


「いいと思います。あれは、失敗のしかたが教育的なので」


「それで、その、教材札がこれなんですが」


 学生が差し出した札には、術式列と説明が丁寧に書かれていた。

 そして一番上に、朱色の大きな字で、こう入っていた。


 本番使用禁止


「ルドー先生が、これを一番大きく書けと」


「当然だ」


 ルドーは真顔だった。


 リゼが札を覗き込んで、吹き出した。


「本番使用禁止って、教材に書く言葉なの?」


「書いておかないと、使う人がいるから」


 現に一人いたのだ、とは言わなかった。

 その一人は今ごろ、役所で覚え書きの六番を清書している。


———

 日が落ちて、屋台に灯りが入った。


 広場の端で、どこかの屋台が土産物の鐘霊を売っていた。

 小さな籠の中で、豆粒ほどの鐘霊たちが、思い思いの拍で、ちりん、ちりんと鳴っている。


「あ、あれ、昨日の授業の」


「土産物は、数を数えなくていいから気楽そうだ」


 リゼは籠を眺めて、一体だけ買った。

 台所の砂時計の代わりにするのだという。


「茹で卵の時間、いつも忘れるから」


「八拍で頼むと言えば、八拍で鳴ってくれる」


「便利ね。──ね、ユウ。これも、誰かが数えてくれてるってことなんだよね」


 リゼは手のひらの鐘霊を見た。

 鐘霊は、ちりん、と一つ鳴いた。


「そう。数える仕事が消えたわけじゃない。この子が引き受けてくれてるだけだ」


「じゃあ、たまには労わないとね」


 リゼは鐘霊に、飴のかけらを一つやった。

 鐘霊に口があるのかは知らないが、鐘霊は嬉しそうに、ちりちりと鳴った。


 見えないところで働いているものは、家の台所にもいる。

 せめて名前を呼んで、飴の一つもやれる距離にいるうちは、忘れずにいたいものだ。


 祭りの夜空に、生誕祭の花火が上がった。

 歓声。

 拍手。

 その足元で、屋台の列は今夜も、決められた順に、静かに並んでいる。


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