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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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173/258

第173話 眠る札は速く並ぶか

 休みの日の朝は、パンの焼ける匂いで始まる。


 窓の外では、遠くで槌の音がしていた。

 国王生誕祭が近い。

 広場に屋台の骨組みが立ち始め、王都全体が、浮かれるための準備をしている。


 卓の隅で、携帯術盤が短く震えた。

 魔文が一通。

 差出人は、ルドー。

 本文は三行だった。


 面白い発表がある。

 午後、講堂へ来い。

 リゼもだ。


 盤面を覗き込んだリゼが、あきれた顔をした。


「相変わらず、用件しか書かないのね」


「用件が書いてあるだけ、機嫌がいい方だ」


 携帯術盤を伏せて、パンをちぎる。

 面白い発表、とルドーが書くのは珍しい。

 あの人の「面白い」は、だいたい面倒の前触れである。


「発表って、何の発表?」


「学生が、新しい整列術を考えたらしい」


「整列って、あれでしょ。番号とか大きさの順に、札を並べ直すやつ」


「そう。洗い終わった皿を、大きさの順に重ね直す、あれだ」


「私、それいつも適当」


「知ってる」


 リゼはお茶を注ぎながら、少しだけ首をかしげた。


「今日は、難しい会議じゃないんでしょう?」


「学校の発表だから、たぶん平和だ」


 この予想は、半分だけ当たることになる。


———

 午後の講堂は、休みの日にしては人が多かった。


 学生が二十人ほど。

 最前列に、発表者らしい学生が一人、札の束を抱えて座っている。

 得意げな顔だった。

 発表前に得意げな顔ができるのは、若さの特権である。


 リゼは学生たちの列に、自然に混ざって座った。

 この人は今も、この学校の正式な学生なのだ。

 私は壁際に立つ。

 教壇の脇で、ルドーが腕を組んでいた。


「始めろ」


 短い合図で、発表者が立ち上がった。


「従来の整列術は、札同士を何度も比べる必要がありました」


 学生は、札を二枚持ち上げてみせた。


「どちらが大きいか。比べて、入れ替えて、また比べる。札が増えるほど、比べる回数は膨れ上がります」


「しかし、この術は違います。比べません」


 講堂が、少しざわついた。


「札に書かれた数だけ、札を眠らせます。そして、目覚めた順に箱へ入れる。それだけです」


 学生は術名を、表示盤に大きく書いた。


 眠り整列


「実演します」


 机の上に、四枚の札が並べられた。

 三、一、四、二。


 学生が短い詠唱をすると、四枚の札がふわりと浮き、そのまま、ことりと机に伏せた。

 眠ったのだ。

 寝息のような、小さな明滅が札の縁に灯る。


 一拍。


 「一」の札が、ぱちりと起きて、机の端の細長い浅箱へ飛び込んだ。

 左端に、立ったまま収まる。

 数字の面は、こちらを向いていた。


 二拍。


 「二」の札が起きて、「一」の右隣へ。


 三拍で「三」が、四拍で「四」が、順に右へ右へと差し込まれていった。


 箱の中には、左から一、二、三、四。

 四枚の札が、本棚の本のように立って並び、重なりも隙間もない。

 誰が見ても、並んだと分かる形だった。


 講堂から、おお、と声が上がった。

 拍手をする学生もいる。


「ご覧のとおり、比較はしていません。術式も、これだけです」


 学生が掲げた術式列は、確かに短かった。

 黒板の半分にも満たない。


 隣の席で、リゼが小さく言った。


「札が寝て起きるの、ちょっとかわいい」


 ルドーが、顎を撫でた。


「怠惰王の整列術、か。名前だけは実に魅力的だな」


 教壇の視線が、こちらへ流れてきた。

 ルドーが私を呼んだ理由は、つまり、こういうことである。


———

「ユウさん、いかがでしょうか」


 発表者が、胸を張って聞いてきた。

 いい発表だった。

 実演は動いたし、説明は明快だった。

 だから、聞くべきことを聞くことにした。


「一つ、質問です。その札、眠っている間、どこにいます?」


「……机の上、ですが」


「札の実体ではなく、眠りの管理の話です。一拍後に起こす、四拍後に起こす。それを誰が数えていますか」


「術盤です。眠らせた札は、術盤の待機棚に載ります」


「待機棚の管理は、誰が?」


「術盤が……」


 学生の声が、少しずつ小さくなっていった。


「では、比較の仕事は消えていません。術盤の待機棚に移っています」


 私は表示盤の前に出た。


「これ、速いんじゃないです。待ってるだけです」


 講堂が静かになった。

 発表者の得意げな顔が、ゆっくりと不安げな顔に変わっていく。

 いじめたいわけではないので、先を続ける。


「誤解しないでください。発想は面白いんです。ただ、この術の費用がどこに隠れているかを、順番に見ていきましょう」


 表示盤に書く。


 眠り整列の隠れた費用


 一、数の大きさのぶんだけ、待つ

 二、札の枚数のぶんだけ、待機棚が膨らむ

 三、術盤が忙しいと、起きる刻がずれる

 四、同じ数の札は、同時に起きて順番が乱れる

 五、起きた札を受け取って記す側が、詰まる


「まず一番。この術の速さは、比べる回数ではなく、一番大きな数で決まります。三、一、四、二なら四拍。ですが、札の中に千があれば、千拍待ちます」


「二番。眠っている札は、消えているわけではありません。待機棚に千枚並べば、千枚ぶんの寝床の管理が要ります」


「三番。起こす仕事をするのは術盤です。術盤が他の仕事で忙しければ、一拍後に起こすはずの札が、一拍半後に起きる。近い数の札は、順番が入れ替わります」


「四番。同じ数の札が二枚あれば、同時に起きます。どちらを先に箱へ入れるかは、運です」


「五番。起きた札は、誰かが受け取って順に記録します。千枚が近い刻に一斉に起きたら、受け取る側が詰まります」


 書き終えて、発表者を見た。


「実演では、この五つが全部、見えませんでした。なぜだと思いますか」


「……札が、四枚だったから」


「そうです。小さな試しなら動きます。小さな試しなら、だいたい何でも動きます」


 リゼが学生たちの間から、あきれた声を出した。


「夢も希望もない言い方ね」


「夢と希望は、本番の障害を直してくれないので」


 講堂に、笑いが起きた。

 発表者も、少しだけ笑った。

 よかった。

 術式を潰しても、学生を潰してはいけない。


———

「あの……でしたら、こうするのはどうでしょう」


 手を挙げたのは、後ろの方の学生だった。


「待機棚が重いのは、術盤に眠りを管理させるからです。なら、術盤の外へ出せばいい。札を一枚ずつ、鐘霊に持たせるんです」


 鐘霊(しょうれい)。

 時を数えて鳴る、小さな精霊だ。

 王都の時計塔にも、台所の砂時計の代わりにも棲んでいる。

 受ける頼みは「これだけ数えたら、鳴け」の一つきり。

 ただし、何かを持たせておくと、鳴く前にまず両手を空ける。

 鳴くのに手が塞がっていては困るらしい。


「鐘霊は、札に書かれた数の拍だけ、札を抱えたまま数えます。数え終わると、鳴くために札を放す。放された札が、箱へ落ちる。術盤は、何も待たなくて済みます」


「やってみてもいいですか」


 ルドーが頷いた。

 この学校の、こういうところは好きだ。


 学生二人が机に札を並べ直す。

 三、一、四、二。

 小指の先ほどの鐘霊が四体呼び出され、浅箱の上で、それぞれ一枚ずつ、自分より大きな札を両腕で抱えて浮かんだ。


「始めます」


 四体の鐘霊が、札を抱えたまま、一斉に拍を数え始めた。


 一拍。

 ちりん。

 「一」を抱えていた鐘霊が手を放して鳴き、札が箱の左端へ落ちた。


 ちりん。

 ちりん。

 ちりん。


 放された順に、札は右へ右へと落ちていく。

 箱の中に、左から一、二、三、四。


 講堂が、今度は別の意味でざわついた。

 術盤の待機棚は、確かに空のままだった。


「かわいいけど、教室が鐘だらけになってる」


 リゼの言うとおり、机の上には役目を終えた鐘霊が四体、満足げに並んでいる。

 千枚の札なら、千体の鐘霊が並ぶことになる。


「名は」


 ルドーが聞いた。


「し……鐘霊式眠り整列、です」


 私は、少しの間、黙って箱を見ていた。


「……それは、面白いです」


 正直に言った。

 発案した学生が、ぱっと顔を明るくする。


「世界そのものを、整列器にするのか」


 ルドーが言った。


「はい。術盤に数えさせる代わりに、世界そのものに数えさせています。ただし──」


 私は表示盤に戻った。


「計算が消えたわけでは、ありません。比べる手間を、時間と、場所と、耳の良さに変換しただけです」


「鐘霊は数を数えます。それは待機棚の仕事と同じです。千体の鐘霊は、千枚の待機棚と同じ場所を食います。そして、近い刻に鳴った二つの鐘の、どちらが先だったか。それを聞き分ける耳が、今度は要ります」


———

「もう一歩だけ、この術の正体を見ておきましょう」


 私は表示盤に、箱の絵を並べて描いた。


「整列には、比べる以外のやり方も、もともとあります。たとえば、数の範囲が一から十までと分かっているなら、一の箱、二の箱、三の箱と、箱を十個並べておいて、札を読んだ順に箱へ放り込む。最後に箱の順に取り出せば、並んでいます」


「比べていないのに、並ぶんですか」


「並びます。比べる代わりに、数を『場所』に写しているからです。一という数を、一番目の箱という場所に写す。数そのものが、行き先になっています」


 私は、箱の絵の下に、横へ延びる線を引いた。


「眠り整列は、これと同じことをしています。ただし、箱を場所に並べる代わりに──時間に並べています。一という数を、一拍後という刻に写す。数そのものが、目覚めの刻になっています」


 リゼが手を挙げた。

 学生としてのリゼは、遠慮なく質問をする。


「つまり、箱を置く場所がないから、時間の中に箱を置いたの?」


「かなり近いです。ただ、時間の中に置いた箱は、その刻まで待たないと開きません」


 場所に置いた箱なら、歩いて取りに行ける。

 時間に置いた箱は、待つしかない。


「最大の数が百なら、百拍で済みます。最大が百万なら、百万拍──日に直すと、十一日半です。整列に十一日半かける術を、速いとは呼びません」


「百万拍って、整列というより留守番ね」


 講堂が笑った。


「値の範囲が狭いなら、箱を並べて数える方が現実的です。範囲が広すぎるなら、桁ごとに分けて考える方法もあります。ただ、今日はそこまで行くと授業が別物になるので、やめておきます」


「世界は無料の計算機ではない、ということか」


 ルドーが言った。


「はい。世界は気前よく見えて、請求はきっちり来ます」


———

「では、締めに実験だ」


 ルドーが教壇から降りてきて、白紙の札を四枚取った。

 何かを書きつけて、机に伏せる。


「並べてみせろ。眠り整列で」


 発表者が札をめくった。

 めくって、固まった。


 一。

 二。

 九十九万九千九百九十九。

 百万。


「先生」


「どうした。術式は短いのだろう」


 ルドーは、いい笑顔だった。

 教育者の顔で、意地の悪いことをする人である。


 学生は覚悟を決めて、詠唱した。

 四枚の札が眠る。


 一拍。

 「一」が起きて、箱へ。


 二拍。

 「二」が起きて、箱へ。


 三拍。


 何も起きない。


 四拍。

 五拍。

 十拍。


 講堂の全員が、伏せたままの二枚の札を見つめていた。

 札は、すやすやと眠っている。

 次にどちらかが起きるのは、九十九万九千九百九十九拍後。

 日に直せば、十一日半後である。


 リゼが、隣の学生にささやいた声が、静かな講堂にはっきり聞こえた。


「……これ、次の札が起きるの、十一日半後よね。生誕祭どころか、片付けまで終わってるじゃない」


「そこまで待って手に入るものが、並び終えた四枚の札だ、というのが一番つらいところです」


 私は箱の中の二枚を指した。


「しかも、答えの半分は、もう見えているんです。残りの二枚がどう並ぶかも、めくれば分かる。それでも術は、律儀に待ち続けます」


 ルドーが手を振ると、二枚の札は眠りから解かれた。

 起こされた札は、少し不服そうに見えた。


「今日の授業はここまでだ。発表者は前へ。──良い題材だった」


 ルドーは短くそう言って、発表者の肩を一つ叩いた。

 学生たちが片付けを始め、講堂に休日の空気が戻ってくる。


 いい授業だった。

 このまま終われば、いい休日でもあった。


———

「ところでユウ」


 帰り支度をする私の横で、ルドーが言った。


「はい」


「王都の祭りの、出店割りの話は聞いているか」


「屋台の場所決めですか。抽選だと聞いていますが」


「その抽選番号の並べ替えに、この術が使われているという話を聞いた」


 私は、上着に通しかけた腕を止めた。


「……使われている、とは。まさか、本番でですか」


「若い術師が持ち込んだそうだ。新しくて速い整列術がある、とな。生誕祭の準備は、どこも人手が足りん」


 最悪だ。


 小さな試しなら動く。

 小さな試しなら、だいたい何でも動く。

 そして人類は、小さな試しがうまくいくと、本番に入れたくなる生き物である。


「先生。それは、授業では終わらないやつですね」


「だろうな」


 ルドーは、壁の外の槌の音へ目をやった。

 広場では今日も、屋台の骨組みが増え続けている。


「祭りは待ってくれんぞ。──現場は待たん」


 休日の講堂を出ると、西日が長かった。

 リゼが振り返って、私の顔を見て、全部を察した顔をした。


「難しい会議じゃないって、言ったのに」


「言った。半分は当たってた」


「残りの半分は?」


「明日から、祭りの裏方だ」


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