第160話 未来に責任を持つ窓口
商務院の会議室には、午後の光が斜めに入っていた。
卓上の菓子箱も、絵本も、ぬいぐるみも、少し疲れて見える。
疲れているのは物ではなく、人間のほうかもしれない。
人類は、かわいい幻獣を前にしても契約で揉める。
かわいさは万能ではない。
最悪だ。
原作工房の代表が、マリエを見た。
「所有と使い方を分ける、とは」
マリエは淡々と答える。
「権利を集める必要はありません」
会議室の空気が少し揺れた。
玩具工房の商人が眉を上げる。
映像劇社の責任者も、海外代理の女性も、黙って耳を傾けた。
「それぞれの持ち分は、それぞれが持つ。そのうえで、使い方、変更の決め方、品質の基準、収益の分け方を一つの窓口へ集めます」
私は思わず聞いた。
「マリエさん、進行管理役じゃなかったんですか」
マリエは、少しだけ笑った。
「ふっふふ。わたしは契約術務士の資格を持ってるのよっ」
リゼが小声で言う。
「強い」
「強いね」
進行管理ができて契約も読める人間は、現場ではかなり強い。
敵に回したくない。
———
マリエは表示盤に、三つの箱を書いた。
持ち分
使い方
守る約束
「まず、持ち分を奪わないことを明記します。原作工房は原作の持ち分を持つ。映像劇社は映像劇で作った表現の持ち分を持つ。玩具工房は玩具化の技法を持つ。海外代理は翻訳と販売の役割を持つ」
原作工房の代表が、少しだけ息を吐いた。
「そのうえで、利用許し札を結びます」
表示盤に新しい札が出る。
利用許し札
使える範囲
守る基準
収益の分け方
変更時の承認
監査記録
「権利そのものを移すのではありません。使い方を共同の窓口に委ねる札です」
私は頷いた。
「持っていることと、動かすことを分けるのか」
「そういうこと」
マリエは短く返した。
ルドーが壁際で腕を組んでいる。
「続けろ」
短い。
だが、たぶん気に入っている。
———
次に、私は幻獣正典という言葉を書いた。
「まず必要なのは、幻獣たちの正本です。姿、性質、成長形、食べ物、苦手なもの、使ってよい名、使ってはいけない名。これを幻獣正典として管理します」
映像劇社の責任者が渋い顔をする。
「映像劇の都合で、少し変えたい場合は」
「変更願いを出す。軽い演出、重要な性質の変更、世界観そのものに関わる変更で、審査の重さを分けます」
玩具工房の商人が手を上げる。
「子どもが持ちやすいよう、角を丸める程度でも審査ですか」
「軽い審査でいいです。毎回重くすると、現場が止まります」
海外代理の女性が続けた。
「土地ごとの名の調整は」
「商品化窓口で受け、幻獣正典へ戻す。戻さない翻訳は、後で別の土地とぶつかります」
私は表示盤に、さらに役割を書いた。
幻獣正典の管理
商品化窓口
品質印
変更承認
収益配分
監査記録
海外名の整理
「共同運用社の仕事は、全部を自分で作ることではありません。各社が作るものを、同じ前提に載せることです」
リゼが資料束を見ながら言った。
「家で言うと、台所を一つにするんじゃなくて、献立表と買い物帳を一つにする?」
「かなり近い」
「料理する人はそれぞれいても、塩を砂糖って呼ばないようにする」
「それは重要」
「かなり重要」
会議室の何人かが、少し笑った。
空気が、わずかに緩む。
———
反発は、当然あった。
「審査が増えれば、売る速度が落ちます」
玩具工房の商人が言った。
「すべて同じ審査にするから遅くなります」
マリエが答える。
「色替え、包装替え、小さな寸法変更は軽い審査。性質や成長形の変更は重要審査。物語の根に触れる変更は原作側の拒否権付き。段を分けます」
原作工房の代表が頷く。
「根に触れる変更を止められるなら、検討できます」
映像劇社は別の不安を出した。
「我々が広めた分の取り分は、どう記録します」
「統一した売上報告の形を作ります。商品化窓口を通ったものは、どこで、いつ、どの幻獣を使い、いくら売れたかを同じ形で記録する」
「ごまかしは」
「監査記録を残します」
マリエは即答した。
この人は本当に強い。
海外代理の女性が少し安心した顔で言う。
「では、各国の事情も、例外としてではなく正典の横に記録できますか」
「できます。ただし、元の性質を変えたのか、土地名を変えただけなのかは分けます」
私は補足した。
「写しを増やすこと自体は悪くありません。悪いのは、写しが戻らず、どれが元か分からなくなることです」
ルドーが短く言った。
「前回の続きだ」
「そうですね」
「現場は続く」
重い。
だが、その通りだった。
———
会議が少しまとまりかけた時、玩具工房の商人がぽつりと言った。
「しかし、子どもは細かい設定など気にしません」
その場の空気が、少し硬くなった。
リゼが、卓上のミズモコのぬいぐるみを手に取った。
柔らかい布を、指で整える。
「子どもたちは会社じゃなくて、この子たちが好きなんだよ」
声は大きくなかった。
だが、よく通った。
「今日好きになった子が、明日ぜんぜん違う子みたいになっていたら、子どもは言葉にできなくても分かる。好きなものを雑に扱われたって、分かる」
玩具工房の商人は黙った。
リゼは続ける。
「大人の持ち分の話は大事。でも、この子たちを好きでいる人が安心できることも、大事だと思う」
会議室が静かになった。
法でもない。
術でもない。
だが、いちばん大事な前提だった。
利用者は、所有関係を好きになるわけではない。
目の前の幻獣を好きになる。
その好きが壊れると、文化は静かに痩せる。
———
合意は、一気には進まなかった。
当たり前だ。
人間の利害は、かわいいぬいぐるみを置いても消えない。
マリエは進行帳に、決めたことと未決のことを分けて書いた。
一、共同運用社を作る。
二、名称は小さき幻獣社とする。
三、各社の持ち分は移さない。
四、利用許し札で使い方を一つの窓口へ集める。
五、幻獣正典を作る。
六、商品化窓口と品質印を置く。
七、審査は軽微、重要、根本変更に分ける。
八、収益配分と監査記録は別途詰める。
「揉め事はなくなりません」
マリエが言った。
「でも、同じ前提で話せるようにはなります」
原作工房の代表が、長く息を吐いた。
「奪われないなら、話せます」
映像劇社の責任者も頷く。
「止められるだけでないなら」
玩具工房の商人は、ミズモコのぬいぐるみを見た。
「品質印は、売り場で分かる形にしたい」
海外代理の女性が言う。
「海外名も、早めに窓口へ出します」
完全な解決ではない。
だが、同じ机に載った。
ルドーが短く締めた。
「よし」
「それだけですか」
「十分だ」
たしかに、十分だった。
———
数か月後、王都の朝市には、小さき幻獣社の認証印が付いた商品が並ぶようになった。
菓子箱。
絵本。
ぬいぐるみ。
映像劇の案内札。
ミズモコは、甘い蜜が好きで、水辺で遊ぶのが得意な幻獣になっていた。
辛い木の実は、別の幻獣の好物として整理されたらしい。
水が苦手という映像劇の話は、幼い頃の一時的な弱点として扱われ、成長後の水の力と矛盾しないように直された。
大人たちは、それでも時々揉めていた。
新しい成長形を出すか。
海外版の名をどうするか。
玩具の色違いを限定品にしてよいか。
揉め事はなくならない。
ただ、揉める場所と、見るべき記録ができた。
それだけで、ずいぶん違う。
子どもたちは、相変わらず札絵を交換している。
彼らにとっては、認証印より、好きな幻獣がちゃんと好きな姿でいることのほうが大事なのだろう。
それでいい。
———
夕方、魔法学校へ戻る道で、ルドーが隣を歩いていた。
リゼは少し前で、ミナと幻獣札を見比べている。
どう見ても交換している。
見るだけではなかったらしい。
ルドーが言った。
「文化の運用か」
「言い方が重いです」
「重い話だ」
「否定できません」
「君の仕事だ」
「増やさないでください」
「現場が増やす」
責任を現場に投げた。
だが、まあ、そういうものでもある。
リゼが戻ってきた。
手には新しいミズモコの札絵がある。
「ユウ、また世界を少し便利にしたね」
「便利にしたというより、壊れにくくしただけかな」
「それ、便利って言うんじゃない?」
「そうかもしれない」
リゼは少し笑った。
———
夜、家に戻ると、台所には温かい香草焼きの匂いがあった。
結婚してから、私はようやくこの場所を家と呼ぶことに慣れ始めている。
まだ少し照れる。
だが、帰る場所としては、もう十分すぎるほど馴染んでいた。
リゼは食卓に、朝市で買ったミズモコの小さなぬいぐるみを置いた。
「買ってたんだ」
「見るだけのつもりだった」
「つもりは大事」
「買ったことも大事」
「そうだね」
リゼはぬいぐるみの耳を整えた。
「今日の話、家で言うと、誰の台所かで喧嘩してたけど、本当は毎日ご飯を出せるようにする話だったんだね」
「かなり近い」
「鍋を誰が買ったか、皿を誰が焼いたか、献立を誰が考えたかは大事」
「うん」
「でも、食べる人に変なものを出さないことも大事」
「そう」
私は椀を受け取った。
所有は大事だ。
作った人の権利も、広めた人の努力も、売る人の工夫も、訳す人の判断も、軽く扱ってはいけない。
だが、それだけでは長く続かない。
文化は、誰か一人の手の中に収まらない。
広がるほど、写しが増え、解釈が増え、利害が増える。
だからこそ、未来に責任を持つ窓口が必要になる。
それは、作品を縛るためではない。
好きでいる人が、明日も安心して好きでいられるようにするためだ。
人間は、好きなものを作る。
そして、好きなものを守る仕組みも作らなければならない。
魔法でも、契約でも、幻獣でも。
そこはたぶん、私のいた世界と同じだった。




