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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
夫婦編

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第159話 幻獣は誰のものか

 王都の朝市は、いつもより少し柔らかい色をしていた。

 菓子屋の軒先に、丸い耳の幻獣をかたどった焼き菓子が並んでいる。

 玩具屋の棚には、同じ幻獣のぬいぐるみ。

 絵本屋の前では、子どもが小さな札絵を交換していた。


 小さき幻獣たち。

 今、王都でいちばん強い流行である。


 人類は小さくて丸いものに弱い。

 そこへ収集と交換を足すと、だいたい財布が負ける。


「ユウ、これ」


 リゼが屋台の前で足を止めた。

 手に取ったのは、水色の尾を持つ幻獣のぬいぐるみだった。

 名札には、ミズモコとある。


「かわいい」


「買う?」


「見るだけ」


 見るだけと言う人間の手つきではなかった。

 だが、妻の買い物に余計なことを言う夫は長生きしない。

 私は黙った。


 リゼは隣の菓子箱を見た。

 同じミズモコの絵が描かれている。

 説明には、辛い木の実が大好き、とある。


 さらに絵本。

 同じ幻獣が、甘い蜜を集めている。


 向かいの映像劇の貼り紙では、水辺を怖がって泣いていた。

 玩具屋の札には、水の力で大きく育つ、と書かれている。


 リゼの眉が、ゆっくり寄った。


「……ユウ、これ、同じ子?」


「同じ……であってほしいね」


「同じ子なら、好きなものが多すぎない?」


「食いしん坊という解釈もある」


「水が苦手なのに、水の力で育つの?」


「解釈の幅が広い」


「便利な言葉で逃げた」


 その通りだった。


———

 講堂に入ると、学生の机にも小さき幻獣たちの札絵が広がっていた。

 交換。

 自慢。

 だぶりの相談。

 学びの場とは、時々こういう市場になる。


 ルドーが講壇に立った。

 机の上の札絵を一瞥する。


「作品とは」


 短い。


 前列の学生が答える。


「作った人のものです」


「足りん」


 別の学生。


「買った人のものです」


「違う」


 さらに別の学生。


「広めた人のものです」


「近いが雑」


 ミナが手を挙げた。


「好きになった人のもの、では」


「詩だ」


 切り方が冷たい。

 だが、少し分かる。


 ルドーは私を見る。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


「今回は一回です」


「ならよい」


 私は表示盤に、四つの札を書いた。


原作工房

映像劇社

玩具工房

海外代理


「一つの作品が育つと、関わる人が増えます」


 学生たちの目が、少しこちらへ向いた。

 机の札絵を慌てて隠す者もいる。

 隠さなくていい。

 たぶん今日の教材である。


「最初に生み出した工房。物語を広めた映像劇社。子どもが手に取れる形にした玩具工房。別の国の言葉へ直した代理商会。どれも、作品の一部を支えています」


 表示盤の真ん中に、丸を書く。


小さき幻獣たち


「ただし、全員が別々に正しいことをすると、全体が壊れる場合があります」


「正しいのに壊れるんですか」


「壊れます。現場ではよくあります」


 最悪だ。

 正しさが複数ある時、人間はかなり簡単に揉める。


 私は朝市で見たミズモコの説明を書いた。


辛い木の実が好き

甘い蜜が好き

水が苦手

水の力で育つ


 講堂がざわついた。

 学生たちも気づいていたらしい。


「これは単なる誤字ではありません。正本となる幻獣の記録がなく、変更の窓口もなく、品質を守る役もいない。各社がそれぞれ写しを持ち、それぞれ直している状態です」


 リゼが手元のぬいぐるみを見て言った。


「家で言うと、家族全員が別々の献立表を持ってて、夕飯が全部違うものになる感じ?」


「かなり近い」


「鍋の日なのに、誰かは焼き魚を買ってくる」


「しかも全員、献立表に書いてあると言う」


「困る」


「困る」


 ルドーが頷いた。


「現場」


「え」


「商務院だ」


 またか。

 講義の途中で現場に連れていかれる文化は、いつ定着したのだろう。


「現場は待たん」


 待ってほしい。

 しかし、王都の流行は待たない。


———

 商務院の会議室は、紙と怒りの匂いがした。

 大きな卓の上に、菓子箱、絵本、ぬいぐるみ、映像劇の台本、海外語版の札絵が並んでいる。

 どれも同じ幻獣のはずだった。

 だが、少しずつ違う。


 困惑と諦め。


 こういう顔は、役所でも工房でも同じである。


 商務院の役人が説明した。


「映像劇の最新話で、公式図鑑とは異なる成長形が出ました」


「公式図鑑はあるんですか」


「原作工房の小冊子があります。ただ、映像劇社は映像劇用の設定帳を持っています」


 嫌な予感がした。


「玩具工房は、さらに玩具用の進化表を持っています。海外代理は、翻訳時に土地の事情へ合わせた名称表を作っています」


「正本が四つある」


「正本というより、それぞれの正本です」


 最悪だ。

 それは正本ではない。

 強めの写しである。


 会議室の端には、低品質な便乗玩具も置かれていた。

 塗料が剥がれ、角が硬い。

 子どもが指を切ったらしい。

 大事故ではない。

 だが、親が怒るには十分だった。


 魔文と新聞では、すでに炎上しているという。

 火を使わない炎上は、この世界にもある。

 人間の怒りは通信手段を選ばない。


———

 会議が始まると、各社は見事に正しいことを言った。


 原作小工房の代表が、机を軽く叩く。


「最初にあの子たちを生み出したのは我々です。勝手に変えられては困ります」


 映像劇社の責任者が返す。


「今の子どもたちが幻獣を知ったのは、我々の映像劇です。動いて喋る姿を作ったのは我々です」


 玩具工房の商人も引かない。


「売れる形に整えるのが商売です。手に取れる形にしなければ、流行は続きません」


 海外代理の女性は、翻訳札を広げた。


「そのままの名では、南方では別の悪い意味になります。土地に合わせなければ売れません」


 全員、部分的に正しい。

 そして全体として壊れている。


 正しい部品を雑に並べると、正しい機械にはならない。

 これは人類が何度も忘れる。


 リゼは利用者代表として呼ばれていた。

 正式には、学校の学生で、実際に札絵や玩具に触れる生活者の声を聞くためらしい。

 妻だから連れてきたわけではない。

 たぶん。


 リゼは卓上のぬいぐるみを見ていた。

 怒っているというより、残念そうだった。


———

 資料を読みながら、私は表示盤に整理した。


原典がそろっていない

変更を知らせる道がない

商品化の窓口が分かれている

品質を守る印がない

収益の分け方が見えない

海外名が後から戻らない


 商務院の役人が眉を寄せる。


「では、この幻獣は誰のものなのです?」


 会議室が静かになった。

 全員が、その問いを待っていた顔をしていた。


 私は少し息を吐いた。


「その問いでは解けません」


 原作工房の代表が顔を上げる。


「どういう意味です」


「誰のものか、だけを決めても、明日の新しい玩具、来月の映像劇、来年の海外版、十年後の子どもたちの記憶は守れません」


 表示盤の真ん中に、もう一つ書く。


百年続く文化


「この幻獣たちを百年続く文化にするには、誰が何を決め、誰が品質を守り、誰が未来に責任を持つのか。そちらを設計する話です」


 リゼが、小さく頷いた。


 商人たちは黙っている。

 納得したのではない。

 反発の言葉を探している顔だった。


「提案があります」


 私は言った。


「共同で運用する社を作るべきです」


 玩具工房の商人がすぐに身を乗り出した。


「権利を奪う気か」


「逆です」


 私は首を横に振る。


「このままだと、全員の権利が少しずつ価値を失います」


 会議室に、重い沈黙が落ちた。


 そこで、マリエが初めて口を開いた。

 いつもの落ち着いた声だった。


「可能です」


 全員が、そちらを見た。


 マリエは資料束を閉じる。


「ただし、所有の話と、使い方の話を分ける必要があります」


 その一言で、会議室の空気が変わった。

 混乱はまだ終わっていない。

 だが、少なくとも、解くべき形が見え始めた。


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