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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
術負け病編

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158/258

第158話 備考欄に人生を押し込むな

 王都東区役所の朝は、結婚式の翌日に来る場所としては、あまりにも役所だった。

 石の床。

 番号札。

 窓口の小さな仕切り。

 待合椅子で眠そうにしている商人。

 泣きそうな子どもを抱えた母親。

 そして、どこかから漂う古い紙と墨の匂い。


 現実である。


 昨日、教会で誓いを立てた。

 今日、役所で札を書く。

 人間の人生は、だいたい感情と事務の二段構えで進む。


 最悪だ。


———

「ご結婚、おめでとうございます。では、こちらにお名前と住民番号を」


 窓口職員は、普通に祝福してくれた。

 笑顔も自然だった。

 問題は、その次である。


「住民番号が、ないんです」


「え?」


 職員の筆が止まった。

 リゼも私を見る。


「ユウ、住民番号ないの?」


「正式な住民としては、たぶんない」


「たぶん」


「王城と学校の特別扱いで暮らしてきたから」


 職員は困った顔で巻物をめくった。


「滞在許可は」


「あります」


「教会の婚姻証明は」


「あります」


「リゼさんの住民番号は」


「あります」


「ユウさんの出生地は」


「別の世界です」


 職員の筆が、完全に止まった。


 申し訳ない。

 だが、事実である。


———

 窓口職員は、法務担当と住民台帳担当を呼んだ。

 祝福の空気が、少しずつ業務判断の空気に変わっていく。

 見覚えがある。

 事故ではないが、事故に近い匂いである。


 法務担当は、巻物を確認して言った。


「異世界人との婚姻を禁じる法はありません」


「そうなんですか」


「そもそも、想定が少ないので」


「でしょうね」


「王国滞在許可は有効。教会の婚姻証明も有効。リゼさん本人の意思確認も問題ありません。したがって、制度上は婚姻可能です」


「はい」


 住民台帳担当が、非常に嫌そうな顔で続けた。


「ただ、記入欄がありません」


「記入欄」


「はい」


 嫌な予感が、確信に変わった。


 法律ではなく、札面が人間の人生を拒否している。


———

 奥の小部屋へ通された。

 私とリゼ、窓口職員、法務担当、住民台帳担当。

 途中で、王都術務室の政務術式支援班にも連絡が飛び、セシルとマリエまで来た。


 マリエは私を見るなり、深く息を吐いた。


「ご本人に聞くのもどうかと思ったのですが」


「まあ、いちばん詳しいのは本人かもしれませんね」


「ユウさん、自分の結婚手続きでも未解決事項を増やすんですね」


「好きで増やしているわけではありません」


 リゼが隣でこちらを見る。


「自分の結婚手続きを、自分で直すの?」


「そういうことになりそうです」


「結婚初日から?」


「結婚初日から」


 リゼは深く息を吐いた。

 怒ってはいない。

 ただし、少し不満そうだった。


———

 住民台帳担当が表示盤を出した。


「現在の人別台帳は、王国の標準的な住民を前提にしています」


 表示盤に、項目が並ぶ。


住民

住民番号

氏名

出生地

国籍

父住民番号

母住民番号

配偶者住民番号


「出生地は、王国または登録済みの国外地名から選びます。国籍は必須です。父母の住民番号も原則必須。婚姻関係は、住民番号同士で結びます」


「滞在者台帳は」


「別にあります」


「婚姻登録から参照できますか」


「できません」


「親の記録がない人は」


「備考欄と紙の証明で」


 来た。

 備考欄。

 人類が型に負けた時に作る、最初の逃げ道である。


 リゼが表示盤を見て、眉を寄せた。


「家の戸棚で言うと、全部の皿に『この棚の上段か下段にあること』って札が付いてるのに、外から持ってきた皿を置く場所がない感じ?」


「かなり近い」


「床に置くしかない」


「今の私です」


「床に置きたくない」


「ありがとう」


———

「これは、記入欄を一つ増やせば済む話ではありません」


 私は言った。


 部屋の空気が変わる。

 自分の婚姻登録なのに、私はいつの間にか現場分析を始めていた。

 たいへん嫌だ。

 しかし、放っておくと次の誰かが同じ床に置かれる。


「問題は、ユウという異世界人を入れる欄がないことではありません」


「では?」


「王国の標準的な人生から外れた人を、全部、備考欄と紙で押し込めてきたことです」


 住民台帳担当が、気まずそうに別の巻物を出した。


「実は、似たような相談は前からありました」


「前から?」


「北方諸侯から来た女性と、東方の留学生が結婚して、その後、夫が亡くなった件です。相続手続きの時、夫婦としての登録が台帳上でうまく引けず、何度も紙の証明を出していただいていました」


 法務担当も続ける。


「旧属州出身で、王都に長く住んでいるが国籍区分が曖昧な人。戦乱で出生記録を失った人。親子関係を証明する書類がない孤児。外国出身者と王国住民の婚姻。滞在者台帳にはいるのに、人別台帳とは結べない人」


 マリエが静かに言った。


「相続、扶養、後見手続きで、紙証明を何度も求めてきたわけですね」


 部屋が静かになった。


 私の結婚が止まったのは、たまたま目立ったからだ。

 その前から、同じ穴に落ちていた人たちがいた。


———

 私は表示盤に、今の形を書いた。


婚姻関係

住民番号A

住民番号B


「この形だと、住民番号を持たない人は、婚姻関係の主体になれません」


 次に、新しい形を書く。


人物

人物根

名前

状態


住民資格

人物根

資格種別

開始日

終了日


婚姻関係

人物根A

人物根B

開始日

根拠資料


「まず、住民ではなく人物を表す根を作ります。ここでは人物根と呼びます。王国住民、滞在者、外国人、身元未確定者、異世界由来。どれも、まず人物として扱う」


 セシルが頷いた。


「住民番号は、人物根に結びつく住民資格として扱う」


「はい。国籍、滞在許可、所属諸侯、在留の根拠は別に履歴として持つ。婚姻や相続は、住民番号同士ではなく人物根同士の関係として持つ」


 法務担当が巻物に書き込む。


「出生地や親子関係は」


「必須にしすぎない。不明、未確認、後日確定を扱えるようにする。根拠資料を結びつける」


 リゼが言った。


「家で言うと、家族の棚に置く前に、まず『これは皿です』って札をつける?」


「そう。どの棚に置くかは、その後」


「皿なのに、棚が決まらないから皿じゃない、って言ってたのね」


「かなり近い」


———

 マリエが表示盤の端に、実施順を書いた。


一、紙の特例控えを止めない。

二、人物根を新設する。

三、住民番号を住民資格として人物根へ結ぶ。

四、婚姻関係は人物根同士で持つ。

五、国籍、滞在許可、所属諸侯、親子関係、出生地は根拠資料付きで別に扱う。

六、既存の人別台帳から、通常住民は自動で人物根を作る。

七、特例控えの人は法務確認後に段階登録する。

八、当面は従来の人別台帳向けに見せ板を用意する。


「いきなり全部作り直すと壊れます」


 マリエが言った。


「婚姻登録、相続、扶養、後見の順で、影響の大きい手続きから段階対応します。既存の窓口札面は、当面は見せ板を通して同じ顔に見せる」


「正しいです」


「結婚手続きなのに、設計見直しになっています」


「私もそう思います」


 リゼが小さくため息をついた。


「わたしたちの手続きが止まったのは、嫌だったけど」


「うん」


「でも、それで他の人の手続きも楽になるなら、少しだけ許す」


「少しだけ」


「結婚初日から役所の設計見直ししてることは、まだ許してない」


「申し訳ない」


「あとで埋め合わせ」


「はい」


「はいは一回でいい」


 ルドーがいないのに言われた。


———

 その日の婚姻登録は、暫定の受理控えとして受け付けられた。

 教会の婚姻証明。

 法務担当の確認。

 リゼ本人の意思確認。

 私の滞在許可。

 それらを束ねて、正式登録待ちの札が付けられる。


「ご不便をおかけします」


 窓口職員が頭を下げた。


「いえ。止めずに受け付けてもらえただけ助かります」


「正式登録まで少しお時間を」


「分かっています」


 リゼは受理控えを両手で持っていた。

 紙一枚。

 まだ人別台帳には入っていない。

 それでも、昨日の教会の証明と並ぶ、大事な一枚だった。


「紙だけど」


 リゼが言った。


「うん」


「ちゃんと受け付けられたんだよね」


「受け付けられた」


「なら、今日はそれでいい」


 完璧な登録ではない。

 だが、止まっていない。

 止めずに直すための入口ができた。


———

 三日後、試験台帳で人物根と住民資格の型が動いた。

 セシルが基盤側を確認し、マリエが移行順を管理し、法務担当が特例控えを一件ずつ照合する。


 その日の夕方、窓口職員がほっとした顔で言った。


「ユウさん、リゼさん。婚姻登録を受理しました」


 リゼが、新しい写しを受け取る。


「これで、法的にも夫婦ですね」


「うん」


 私は深く息を吐いた。


 リゼが写しを見ながら言う。


「でも、ユウ」


「なに」


「あなた、自分の婚姻登録で障害票を切った人として、役所に記録が残るんじゃない?」


「そこは忘れてほしい」


「たぶん残るよ」


「最悪だ」


 リゼは笑った。

 その笑いを見て、ようやく少しだけ結婚した実感が来た。


———

 数週間後、術務室に小さな報告が届いた。

 北方諸侯出身の女性が、何度も差し戻されていた亡夫の相続手続きを、初めて一度で通せたという。


 別の窓口では、外国出身者との婚姻登録が、紙の例外扱いなしで受理された。

 戦乱で出生地記録を失った老人にも、正式な人物根が作られた。


 自分たちのために直した穴は、自分たちだけの穴ではなかった。


 私は報告を読んで、少しだけ救われた気持ちになった。


 例外は、珍しいから例外なのではない。

 型が狭いから、そこから落ちただけの人もいる。


———

 夜、リゼの家に戻ると、台所には温かい汁物の匂いがしていた。

 結婚式の翌日から役所の小部屋に通っていたせいで、祝いの余韻はだいぶ行政に吸われた。

 たいへん王都らしい。


 リゼは婚姻登録の写しを机の上に置いた。

 何度も見る。


「ねえ、ユウ」


「はい」


「次は、仕事じゃない新婚生活の話をしようね」


「努力します」


「努力じゃなくて、約束」


「……約束します」


 リゼは満足そうに頷いた。


 それから、婚姻登録の写しをそっと撫でる。


「家で言うと、棚に入らなかった皿のために、棚の作り方を少し変えた」


「そう」


「でも、その皿だけじゃなくて、今まで床に置かれてた皿も棚に入った」


「かなり近い」


「なら、よかった」


 ただの紙だ。

 ただの記録だ。

 だが、人間はただの紙に人生を載せる。


 制度は、人を守るためにある。

 だが、制度を写す台帳の型が狭いと、人は型の外へ落ちる。

 型の外へ落ちた人を、備考欄や紙の端に追いやるのは簡単だ。

 だが、例外が人生なら、それは設計の問題である。


 結婚式の翌日に学ぶことではない。

 けれど、私たちらしいとも思った。


 私はこの世界で、リゼと夫婦になった。

 そしてそのついでに、王都の台帳は少しだけ、人を広く扱えるようになった。


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