第16話 混乱は縮まない
呼び出しは、だいたい突然来る。
もっと言うと、突然来る呼び出しほど、ろくでもない。
王城の書記局の廊下を走りながら、私はその事実を噛みしめていた。
後ろからリゼが追いかけてくる。息が乱れていないのが怖い。
「ユウ! 今度は何!」
「縮まない地獄!」
「意味が分からない!」
意味が分からないまま走るのが現場だ。最悪だ。
扉を開けると、そこは紙と札とジェムの嵐だった。
「入らない! 入らないんです!」
「圧縮が効かない!」
「ジェムが足りない!」
「馬車が足りない!」
「時間が足りない!」
足りないものが増えると、人は叫ぶ。
叫ぶと現場が止まる。現場が止まると、さらに叫ぶ。
久しぶりに、郵便局の匂いがした。
局長ではない、書記局の長官らしい男が、こちらに突進してきた。
目が血走っている。手に紙束。汗でぐしゃぐしゃ。
「ユウ・サカモト殿! お前のせいだ!」
私は思わず足を止めた。
「は?」
長官は一瞬だけ口を噤み、喉を鳴らした。
そして、肩で息をしながら言い直す。
「……すまん。言い方が悪かった。だが現場は本当に燃えてる」
紙束を握り直し、今度は必死な声で続けた。
「お前が馬車で運べると示したせいで、“全部をジェムに詰めろ”という命令が降りた。
詰めようとした。全員でやった。だが詰まらない! 縮まらない! そして燃える!」
私は息を吐いた。
これでようやく“怒り”が“状況”になった。
「は?」
「馬車で運べると分かったから! 全てをジェムに詰めろという命令が降りた!
なのに詰まらない! 縮まらない! 燃える!」
私のせいではない。
いや、私が火種を作ったのは否定しないが。
ルドーが背後でぼそりと言った。
「ほらな。現場だ」
「先生、今日は黙っててください」
「無理だ。教師だからな」
最悪だ。
私は深呼吸して言った。
「何を詰めようとしてるんです?」
長官が紙束を振り上げた。
「これだ! 端末の“符丁表”対応表! 通訳表! 配布用の一覧!
全国の役所と郵便局に配る! 揃えないとまた燃える!」
……ああ。
確かに必要だ。
そして確かに、嫌な種類の必要だ。
机の上には、通訳表の束が積み上がっていた。
第一版↔第二版、第二版↔第三版(いつの間に)、地方独自表、役所独自表。
表が表を呼び、表が増殖している。
私は小さく呟いた。
「混乱の産物は縮まない、ってやつですね」
長官が叫ぶ。
「縮まないんだよ! 何とかしろ!」
私は机に置かれた圧縮用のジェムを手に取った。
淡い光。中に“詰める”術式が刻まれている。
これは魔法じゃない。
数え上げて、言い換えて、短くする。
ルドーが言っていた通りの仕組みだ。
そして――通訳表は、言い換えられない。
「※は“区”」
「■は“町”」
「◇は“王”」
全部ばらばら。規則がない。
“これがこう”が延々と続く。
縮まない。
縮まないものを無理に縮めると、どうなるか。
私は長官に言った。
「今、圧縮ジェムを使ってます?」
「使ってる! 全員使ってる! なのに減らない!」
「減らないのが正常です」
長官が固まった。
「……は?」
私は言った。
「壊れてない。効いてないわけでもない。
縮まないものは縮まないです。現実です」
「現実とか今いらん!」
「現実が原因です!」
私も声が大きくなった。いけない。現場に飲まれる。
リゼが横で小さく言った。
「ユウ、落ち着いて」
「……うん」
私は息を整えた。
まずは止血。まずは範囲。まずは原因の切り分け。
———
「長官。これ、何のために配るんです?」
「全国の端末の符丁表を揃えるためだ!」
「揃えるなら、表が必要になる。分かります。
でも、このまま全部を“表”で配るのはやめましょう」
長官が目を剥く。
「じゃあどうする!」
私は机の上の通訳表を一枚取った。
第一版→第二版。端末記号がずらりと並び、右に文字が書かれている。
私は言った。
「これ、表を“配る”前に、表を“減らす”必要があります」
「減らす?」
「はい」
私は続けた。
「今の地獄の原因は、“表が増えていること”です。
増えた表をさらに配ろうとして、縮まなくて詰まってる」
長官が呻く。
「だ、だから配るんだろ! 揃えれば増えない!」
「揃えるなら、まず一つに決める必要がある。
その“一つ”が決まってないから、表が増殖してる」
現場は、決めない。決められない。
だから増殖する。
ルドーが背後でぼそりと言った。
「ほらな。仕組みの前に意思決定だ」
黙れ。だが正しい。
———
私は、紙束の中から一番新しい符丁表を探した。
第三版。王城印。新しい端末に同梱されているらしい。
「これが“標準”なんですね?」
長官が頷いた。
「……そうだ。王城は第三版に統一すると決めた」
「決めたなら、話は早い」
私は通訳表の山を指した。
「必要なのは、全国の全端末が第三版になるまでの“暫定”です。
でも暫定を全部載せたら縮まない。だから分けます」
長官が眉をひそめる。
「分ける?」
「混ぜるな危険、です」
私は言った。
「まず、通訳表を“端末ごと”にばらしてるから縮まない。
でも現場で必要なのは、端末ごとの表じゃない。
現場で必要なのは、“この役所の端末が今どの版か”という情報です」
長官が首を傾げる。
「……何を言っている」
私は、机の上の地図を引き寄せた。
王国の区画図。町と役所と郵便局の位置。
「端末を置いた場所は記録されてますよね?」
「当然だ」
「じゃあ、場所ごとに“版”を決めて、そこだけに必要な通訳表を送ればいい」
長官が固まった。
「……場所ごと?」
「はい。
全国に同じ巨大な通訳表を配るから重い。縮まない。
必要な場所に、必要な分だけ送る」
つまり、ブロードキャストをやめる。
また同じ話だ。
リゼが小さく言った。
「ユウ、それ、郵便局と同じだね」
「うん。全館呼びをやめるだけ」
ルドーが嬉しそうに言った。
「授業だな」
黙れ。
———
私はさらに続けた。
「それと、通訳表そのものも、構造を変えられます」
「構造?」
「はい」
私は通訳表の紙をめくった。
「今の表は、“記号→文字”を全部並べてる。
でも、記号のうち多くは共通部分がある。
例えば“区”“町”“王”みたいな定型語はどの書類でも同じです」
長官が言う。
「同じだからこそ、必要なんだ」
「同じなら、同じものは一回だけ配ればいい」
私は言った。
「定型語の一覧は“共通辞書”として一枚にまとめる。
各現場には、その辞書番号だけ送る。
個別の例外だけ、別紙で送る」
長官が目を見開く。
「……辞書?」
「言い換えです。
同じものが多いほど縮む。だから同じものを集める」
これなら縮む。
通訳表を“混乱の塊”のまま運ばない。
混乱を、共通と例外に分ける。
共通は薄い。例外は濃い。濃いものは縮まないが、量を減らせる。
———
「やります」
私は言った。
「今から、通訳表を三つに分けます」
長官が呆然とする。
「三つ?」
「はい」
私は指を折った。
「一つ目。第三版の“共通辞書”。定型語の一覧。
二つ目。各地域の“版の現状”一覧。どこが第一でどこが第二か。
三つ目。どうしても残る“例外”だけの通訳表」
長官が、やっと現場の顔になった。
「……それなら、軽くなるのか?」
「軽くなります。少なくとも縮みます。
そして縮まない部分は、縮まないまま運びます」
現実を受け入れるのが最短だ。
———
現場は動いた。
書記官たちを集めて、作業を分ける。
誰が辞書を作る。誰が地域一覧を作る。誰が例外を抽出する。
私が指示を出すと、現場は静かになった。
叫び声が消え、紙の擦れる音が戻る。
“仕事の音”が帰ってくると、世界が少しまともに見える。
いつも通りだ。
圧縮ジェムを使う。
辞書は縮む。地域一覧も縮む。
例外は縮まないが、束が小さい。
「入った……!」
誰かが叫んだ。
「入ったぞ!」
「ジェムが足りる!」
「馬車が一台で済む!」
長官が、椅子に崩れ落ちた。
「……縮んだ……混乱が……」
私は言った。
「混乱そのものは縮んでません。
混乱を“扱える形”にしただけです」
ルドーが背後でぼそりと言った。
「それを縮んだと言う」
「先生、黙って」
「無理だ。教師だからな」
最悪だ。
———
夕方。
馬車が出る準備が整っていた。
箱は少ない。縄も軽い。護衛の顔が明るい。
長官が私に頭を下げた。
「ユウ殿……助かった。
王城の恥を晒さずに済んだ」
「恥は晒してますよ」
私は正直に言った。
「ただ、燃え切らなかっただけです」
長官が苦笑した。
「……それで十分だ」
現場はそれでいい。完璧は存在しない。
リゼが私の袖を掴む。
「ユウ、今日も……かっこよかった」
「どこが」
「燃える前に止めた」
私は小さく笑った。
「居候の仕事だよ」
「便利な言葉だね」
「普通って便利な言葉よりはマシ」
リゼが笑う。
私も少しだけ笑った。
ルドーが最後に言った。
「覚えておけ。
縮まないものは壊れているのではない。
そういう情報だ。混乱だ」
私は息を吐いた。
「……混乱は縮まない」
「そうだ」
ルドーが頷いた。
「だから混乱を増やすな。増やしたら、仕組みで扱え」
嫌なほど筋が通っている。
そして現場は、また次の混乱を作るだろう。
たぶん明日だ。最悪だ。




