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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
術負け病編

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153/258

第153話 直参りをやめる日

 王都政府の次期記録基盤は、恒河沙極社の「板手」に決まった。


 採用結果は、その日のうちに各商会と運用工房へ伝えられた。

 神託社には謝意と不採用の通知が、御器齧運用工房には将来的な協力可能性を残した丁寧な返答が、恒河沙極社には採用の内示が送られた。


 そして翌朝、王都術務室には、板手移行に関する巻物が山のように届いた。


 巻物の表題は、どれも似ていた。


我が問合せ用記録問合せ詠唱一覧

板手移行時の非相性候補

直参り術式棚卸し

記録仲介路 初期窓口案

移行影響調査 担当者一覧


 リゼはそれを見て、ぽつりと言った。


「昨日、決まったんだよね?」


「うん」


「決まったのに、なんで増えてるの?」


「決まったから増えるんだよ」


 リゼは、魔法技術というものを少し嫌いになったようだった。


———

 板手に移すと決めた以上、まずやることは、新しい記録庫の自慢話を聞くことではない。


 古い記録庫に、何がどれだけ絡みついているかを、数えることだ。


 基盤魔術班のセシルが、直参り術式の棚卸しを始めた。


 王都中の政務術式のうち、記録庫へ直接読み書きしているものを、一つずつ拾い出す。

 住民照会、税の集計、許可札の発行、給付の判定、施設予約、役所間の照会。


 拾えば拾うほど、線が増える。


 誰も全体像を持っていなかったものを、初めて全部紙の上に並べる作業だった。

 そして、紙の上に並べて初めて、人は自分たちが何の上に立っていたかを知る。


 たいてい、思っていたより薄い板の上に立っている。


———

 棚卸しの現場で、リゼが一つの詠唱の前で止まった。


「この詠唱、何をしているんですか」


 担当者は胸を張った。


「動いています」


「意味を聞いています」


「十年前から動いています」


 リゼは、会議記録用の筆を握りしめた。


 世の中には、答えになっていない答えがある。

 そして、その答えは、たいてい一番こわい答えだ。


 誰も意味を覚えていない詠唱が、住民の記録を毎日触っている。

 それでも今まで動いていたのは、誰かが偉かったからではない。

 ただ、壊れる入力がたまたま来なかっただけだ。


———

 セシルが洗い出していった非相性は、地味で、しかし厄介なものばかりだった。


 同じつもりの問合せ詠唱が、板手では少しだけ違う並びで返ってくる。

 空値の扱いが違う。

 番号の振られ方が違う。

 一括確定の途中で他の術が割り込んだときの見え方が違う。


 とくに多かったのが、主記録庫と従記録庫の構成に寄りかかった癖だった。


「書いた直後に、すぐ読みに行く詠唱が多いんです」


 セシルが、疲れた顔で言った。


「我が問合せでは、たまたまそれが間に合っていました。板手では、書いた結果が読み側に見えるまで、ほんの少し遅れることがあります」


「『たまたま間に合っていた』に乗っている術が、どれくらいある?」


 私が聞くと、彼女は巻物の束を持ち上げた。


「数えたくないくらいです」


「数えてもらうことになると思う」


「分かっています。だから、今、嫌な顔をしておきました」


———

 移行計画を担当するマリエは、日に日に静かになっていった。


 彼女がやっていたのは、反対でも絶望でもない。

 日程と、未解決事項と、関係者の間を、ひたすら行き来する仕事だ。


 作り手に「いつまでに直せるか」を聞き、基盤班に「いつまでに試せるか」を聞き、業務部門に「いつなら切替に付き合えるか」を聞く。

 誰もが、自分の都合のいい日付を言う。

 その日付は、決して重ならない。


「みんな、忙しいのは本当なんです」


 マリエは、未解決事項の一覧を抱えたまま言った。


「忙しい人たちの予定を、無理やり一本の線にするのが、私の仕事です」


 胃のあたりを押さえていた。

 私は、温かい茶を一杯だけ差し入れた。

 それくらいしか、できることがなかった。


———

 同時に、記録仲介路の初期設計も始まった。


 いきなり全部を仲介路の向こうへ隠すのではない。

 まず、よく使われる照会と更新から、窓口を一つずつ用意していく。


「政務術式は、記録庫の名前も場所も知らなくていい。仲介路の窓口に『これがほしい』と言う。記録庫の違いは、できるだけここで吸収する」


 私の説明に、作り手の一人が渋い顔をした。


「直接書いたほうが速いんですけどね」


「速い。今は速い」


 私はうなずいた。


「でも、次に記録庫を替えるとき、その『直接』が全部、君の後輩を殴りに来る」


 その作り手は、少し黙ってから、自分の書いた詠唱の山を見た。

 そして、もっと黙った。


———

 順調ではなかったが、進んではいた。

 棚卸しが進み、窓口が増え、試験札が少しずつ整っていく。


 このまま、地味に泥臭く、切替まで持っていけるかもしれない。


 そう思い始めた、切替の二週間前だった。


 福祉給付の担当者が、青い顔で会議室に飛び込んできた。


「給付の術式で、板手と我が問合せの結果が、合いません」


———

 調べると、福祉給付の術式は、旧い「我が問合せ」の主従構成と一括確定の挙動に、深く寄りかかっていた。


 板手では、同じ順番、同じ見え方には、ならない。


 その結果、特定の条件で、給付済みの扱いがずれる。

 同じ受給者に二重に給付が出かねないし、逆に、本来出すべき相手に出ないこともあり得る。


 会議室の空気が、重くなった。


 誰かが言った。


「では、板手でも、我が問合せと完全に同じ動きを再現させましょう」


 もっともな提案に聞こえた。

 だが、私は首を横に振った。


「それは、たぶん、間違った方向です」


 全員が私を見る。


「我が問合せの『たまたまの挙動』を、板手の上で必死に真似し続けると、王都はこの先ずっと、二度と捨てられない癖を一つ抱えることになります」


 セシルが、ゆっくりとうなずいた。

 マリエは、新しい巻物に手を伸ばした。

 また、仕事が増える顔だった。


「同じに動かすんじゃない」


 私は言った。


「給付として、守らなければならない約束のほうを、ちゃんと決め直すんです」


 二週間。

 猶予は、二週間しかなかった。


 最悪だ。

 だが、最悪のものほど、先に名前をつけたほうがいい。


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