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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
術負け病編

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151/258

第151話 一日に十度、世界を変える工房

 翠路工房の朝は、前より少し静かになっていた。

 徹夜明けの目をした術師が減り、机の上の空の茶碗も減った。

 表示盤の片隅には、試験水路の緑灯が並んでいる。


 それでも、責任者の顔は晴れない。


「試験に通っているのは分かりました」


 責任者が言った。


「でも、顧客に出す瞬間が怖いんです」


 よく分かる。

 試験水路は、客前に出す前の恐怖を減らす。

 消しはしない。


「そこから先が、継続配備の話です」


 私は表示盤の前に立った。


———

 若い工房員が、噂話のように言う。


「新大陸には、一日に十回も術を配る工房があるらしいですよ」


 別の者が笑った。


「そんなに配ったら、十回壊れるだけだろ」


 私は少し懐かしい気分になった。

 向こうの世界にも、そういう話があった。

 初めて聞いた時は、私も同じように思った気がする。


「たくさん配るから壊れるんじゃありません」


 私は言った。


「小さく配るから、壊れにくくなるんです」


 工房員たちが黙る。


「大きな変更を月に一度、夜中にまとめて出すと、壊れた時に原因が広すぎます。小さな変更を、試験済みの状態で、戻せる形で出す。そうすれば、調べる範囲も、戻す範囲も小さくできます」


 表示盤に書く。


継続配備


「試験に通ったものを、いつでも客前に出せる状態にする。けれど、いきなり全員に見せる必要はありません」


———

 まず、双庭配備を説明した。


 表示盤に二つの庭を描く。

 いま客がいる旧庭。

 横に作った新庭。


「新しい術を、まず新庭へ置きます。そこで試す。問題なければ入口を新庭へ切り替える。問題があれば旧庭へ戻す」


 リゼが手を上げた。

 今日は工房の一角で、少し遠慮がちに聞いている。


「客を入れたまま店を改装するんじゃなくて、隣に新しい店を作って、よさそうなら看板を掛け替える感じ?」


「だいたいそんな感じだ」


「看板を戻せば、客も元の店に戻れる」


「そういうこと」


 責任者が少し息を吐いた。

 配備とは、崖から飛び降りることではない。

 橋を二本用意して、通す橋を切り替えることもできる。


———

 次に、先触れ配備を説明する。


「いきなり全員に出さず、まず一部の利用者だけに出します。異常がなければ少しずつ広げる。問題があれば止める」


 リゼが言った。


「危なそうな坑道に、小鳥を連れていくみたいなもの?」


 周囲が少し困惑する。

 私は少しだけ目を閉じた。


「……そのたとえ、向こうの世界だと、かなり近い」


「そうなの?」


「詳しくは、今度」


 今ここで説明すると、話が暗くなる。

 配備の話をしている時に、坑道の話を深掘りしたくはない。


 表示盤に、商店を十軒だけ光らせる。


「まず十軒。次に五十軒。問題がなければ百軒。広げるたびに、予約数、魔文到達、札面の崩れ、苦情を見ます」


 小さく出す。

 小さく見る。

 小さく止める。


———

 三つ目は、機能旗だった。


「術を置くことと、客に見せることを分けるんです」


 私は新しい予約札面の絵に、小さな旗を立てた。


「新しい術を客前庭に置いても、旗が立っている利用者にだけ見せる。問題があれば、旗を倒す。術札を夜中に差し替え直さなくても、見せる範囲を閉じられます」


 マルクが表示盤を見つめる。


「置くことと、公開することを分ける」


「はい。これだけで、かなり楽になります」


 責任者が腕を組んだ。


「全部を一度に自動にするのは、まだ怖いです」


「最初から全部自動にしなくていいです。まず、人が見ていた手順を、同じ順番で水路に流すところから始めましょう」


 私は工房員たちを見る。


「マルクさんは、今の手作業手順を洗い出してください。試験担当は、予約と通知の試験札を増やす。天地創造担当は、天地見立てを必ず水路に入れる。運用担当は、配備後に見る数字を決める。責任者は、どこまで自動で進めてよいかの承認を決めてください」


 私は作らない。

 作るのは、ここで毎日術を守っている人たちだ。


———

 最初の先触れ配備は、新しい予約札面だった。

 十軒の商店だけに機能旗を立てる。

 試験水路は緑。

 天地見立ても問題なし。

 双庭配備の新庭も動いている。


 配備水路が静かに流れた。


組み上げ。

試験札。

天地見立て。

新庭配備。

機能旗。

先触れ公開。


 最初の一刻は、何も起きなかった。

 次の一刻も、予約は入った。

 魔文も届いた。


 そして、古い術盤を使う小さな菓子店から魔文が来た。


「予約札面の右側が欠けます」


 工房の空気が一瞬で固くなる。


 以前なら、ここから全商店の苦情が来ていた。

 今日は十軒だ。


「機能旗を倒してください」


 私は言った。


 マルクがすぐ旗を倒す。

 新しい予約札面は、その十軒から引っ込んだ。

 旧札面へ戻る。


 責任者の額に汗が浮かぶ。


「これ、全員に出していたら」


「今日の失敗は、成功です」


 私は言った。


「小さく失敗できましたから」


———

 それから数週間、翠路工房は少しずつ変わった。


 予約一覧の並びが見やすくなった。

 商店主が、朝の仕込み前にその日の予約を確認しやすくなった。

 以前から頼まれていた、常連客の苦手な食材を小さく表示する機能が入った。

 役所向け申請受付では、紙で二度確認していた欄が一つ減った。

 不具合の修正は翌月ではなく、翌日に届くことが増えた。


 利用者は、工房の試験水路を知らない。

 配備水路も、緑灯も、天地見立ても見ない。

 ただ、少し楽になる。

 それでいい。


 よい仕組みの成果は、時々、誰にも気づかれない形をしている。


———

 配備日。

 夕方の鐘が鳴った。


 試験水路は緑。

 天地見立てに危険な赤文字はない。

 先触れ配備の対象は十軒。

 見る数字も決まっている。

 問題があれば機能旗を倒せる。


 マルクは外套を着た。

 今度は、誰も驚かなかった。


 翌朝、マルクが私に頭を下げた。


「ありがとうございました。昨日、初めて配備の日に、子どもが起きている時間に帰れました」


「私は、仕組みの話をしただけです」


 私は答えた。


「作ったのは、みなさんです」


 マルクは少し困ったように笑った。

 責任者も、工房員たちも、どこか照れた顔をしている。


 よい顔だ。

 徹夜明けの顔より、ずっとよい。


———

 その夜、リゼの家で夕食を食べた。

 卓の上には、根菜の煮込みと焼いたパン。

 窓の外では、夕方の雨がまた静かに降り始めている。


「一日に十度、世界を変える工房って、すごい言い方ね」


 リゼが言った。


「神話なら傲慢だな」


「術務なら?」


「勤勉、かな」


 リゼは少し笑った。


「でも、世界を変えるたびに帰れなくなるのは嫌だよね」


「だから、帰れるように世界の変え方を整えるんだと思う」


「それは大事」


「かなり大事」


 温かい煮込みを口に運ぶ。

 今日は、配備日に帰る人の話をしている。

 それだけで、少し勝った気がした。


———

 後日、ルドーに報告すると、彼は表示盤の緑灯を眺めて短く言った。


「一日に十度」


「はい」


「神話なら傲慢」


「そうですね」


「術務なら勤勉」


 やはり、同じ結論だった。


 最新の術は、今日も試されている。

 そして、必要な人のもとへ、少しずつ届いていく。


 配備水路は静かに流れる。

 緑の印が、一つ灯った。


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