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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
術負け病編

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150/258

第150話 夜更けの配備係

 夕方の王都は、雨上がりの石畳が光っていた。

 店先の灯りが水たまりに揺れ、馬車の車輪が細い水を跳ねる。

 人が家へ帰る刻だ。


 だが、翠路工房の窓だけは、まだ明るすぎた。


 魔法仮想文書、商店向け予約管理、役所の申請受付。

 疫病期を境に、地味だが重要な術をいくつも抱えるようになった中堅工房である。

 急に大きくなった工房は、だいたいどこかに無理が出る。

 そして、無理は夜に光る。


———

 工房の奥では、術師たちが手順書を囲んでいた。


一、旧版の術札を退避する。

二、記憶晶を止める。

三、新版の術札を置く。

四、顧客記録の形を改める。

五、予約魔文を試す。

六、壊れたら戻す。


 最後の一行が雑すぎる。

 最悪だ。


 若い術師が、眠そうな目で記憶晶を抱えている。

 マルクという名らしい。

 子どもが生まれたばかりだと、責任者が小声で教えてくれた。


「妻に言われました」


 マルクが苦笑する。


「あなたの工房は、毎週世界を作り直しているの、って」


 笑いが起きた。

 疲れた笑いだった。

 誰も怠けていない。

 むしろ、真面目すぎるくらいだ。


 だが、真面目な個人の夜更かしで支えるには、工房の術はもう大きくなりすぎていた。


———

 翌朝、苦情の魔文が工房へ流れ込んだ。


 予約確認の魔文が届かない。

 一部の予約が二重に入る。

 管理用の札面が開かない。

 古い顧客記録だけ、表示の形が崩れる。


 工房の空気は、一晩でさらに悪くなっていた。


「その機能は君の担当だろう」


「いや、そっちの変更で呼び出し方が変わったんだ」


「昨日までは動いていたんだ」


 来た。

 たいへん見覚えがある。

 人間は、壊れた時ほど昨日を信じる。


「昨日動いていたことと、今日のみんなの変更を合わせても動くことは、別です」


 声が少し強く出た。

 工房員たちがこちらを見る。


 私は続けた。


「まず、配備の前に戻ります。問題は、夜に術を置くところだけではありません。変更を合わせる時点で、すでに危険が溜まっています」


———

 責任者は、王城の高官から私を紹介されたらしい。

 横にはリゼもいる。

 今日は手を動かす役ではなく、読者目線の顔をしている。

 かなり助かる。


「みんな、真面目に働いてるのに、どうしてこんなに壊れるの?」


 リゼが言った。


「真面目さで支えるには、もう大きくなりすぎたんだと思う」


 私は紙に三本の線を描く。


 予約一覧を直す者。

 通知魔文を直す者。

 顧客記録の形を変える者。


 それぞれの線は、手元ではまっすぐだった。

 だが、最後に一本に束ねると、絡まる。


「変更を溜めて、最後にまとめて合わせるから、どこで壊れたのか分からなくなる。だから、少し変えるたびに、全体に合わせて、試す」


 表示盤に書く。


継続統合


「最新の術が、常に試されている状態にするんです」


———

「でも、それを全部人が試したら、やっぱり大変じゃない?」


 リゼの質問は正しい。

 人間に全部試させると、人間が壊れる。


「だから、術に試させます」


 私は表示盤に試験札を並べる。


古い顧客記録を読めるか。

予約が二重に入らないか。

通知魔文が正しい相手へ届くか。

権限のない者が管理札面を開けないか。

過去に起きた不具合が戻っていないか。


「これを変更のたびに流します。通れば緑灯。壊れれば赤灯」


 マルクが眉を寄せる。


「毎回、赤くなりそうです」


「最初はそうなります」


「それは、失敗では」


「配備した後に分かるより、ずっといいです」


 赤い灯りは気分が悪い。

 だが、客前で燃えるよりましだ。


———

 若い工房員が手を上げた。


「最近の生成変換器なら、試験札も書いてくれるのでは」


 別の工房員が言う。


「それどころか、本体の術も生成変換器に書かせればよいのでは」


 部屋に期待と不安が混ざる。

 この話題は、どの世界でも人の目を光らせるらしい。


「どちらも、かなり役に立つと思います」


 私は言った。


「ただし、生成された術が正しいかどうかを確かめる仕組みは、ますます重要になります。作る速度が上がるほど、壊れていないことを確かめる仕組みも強くしないといけません」


 便利な道具は、確認を不要にするわけではない。

 確認されるべきものを増やすことがある。


 人類は速く作れるようになると、速く壊す。

 最悪だ。

 だから、先に水路を作る。


———

 翠路工房は、術座や保管庫の一部を天地創造の創世詩で管理し始めていた。

 そこはよい。

 ただし、創世詩も夜の配備日に人が見ていた。


「この詩も、試験水路へ流してください」


 私は言った。


 責任者が首を傾げる。


「世界を変える術を、ですか」


「実際に唱える前に、まず天地見立ての結果だけ見ればいいです。世界を変える前に、何が変わるかを報告させるんです」


 工房の天地創造担当が、水路へ天地見立てを組み込む。

 変更札を流す。

 組み上げ、試験札、天地見立て。


 表示盤に赤文字が浮かんだ。


西門保管庫を滅ぼす。

西門保管庫に属する記憶晶二百四十七個を破棄する。

新たに同名の保管庫を作成する。


 部屋が凍った。


 マルクの顔から血の気が引く。


「これ、昨夜唱えていたら」


「客の記録が消えていた可能性があります」


 私は赤文字を見たまま言った。


「よかったですね。まだ、予告で済みました」


———

 その日から、翠路工房の試験水路は赤くなり続けた。

 予約の重なり。

 古い顧客記録。

 通知魔文。

 権限の穴。

 天地創造の天地見立て。


 赤。

 赤。

 赤。


 工房員たちの顔は暗い。

 分かる。

 自分たちの術が毎日否定されているように見える。


「赤くなるのは、悪いことではありません」


 私は言った。


「壊れていることが、配備前に分かったということです」


 ルドーなら、短く言っただろう。

 見えたなら勝ちだ、と。


 数日後、赤は少しずつ減った。

 緑灯が増える。

 まだ全部ではない。

 だが、壊れる場所が名前を持ち始めた。


———

 次の配備前日。

 夕方の鐘が鳴った。


 マルクが外套を手に取る。

 同僚が驚いた顔をした。


「配備前なのに、帰るのか?」


 マルクは少しだけ迷い、表示盤を見た。

 緑灯が並んでいる。

 天地見立てにも赤い滅ぼすはない。


「試験、全部通ってますし」


 それから、照れたように笑う。


「今日は、子どもを風呂に入れる約束なので」


 部屋が少し静かになった。

 誰も笑わなかった。

 笑うより先に、みんな自分の家のことを思い出した顔をしていた。


「いいと思います」


 私は言った。


 良いものを作るだけでは足りない。

 良いものを、壊さず、疲弊せず、何度でも届けられる仕組みが必要なのだ。


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