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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
術負け病編

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第141話 共有を守るために縛る

 朝の台所には、焼いたパンの匂いと、温めた果実煮の甘い匂いが混ざっていた。

 リゼは小皿を並べながら、私の顔を見た。


「今日は難しい顔してる」


「難しい話をする予定だからな」


「また壊れた術盤?」


「今日は、術盤というより約束だ」


 リゼが匙を止める。


「約束?」


「術をどう配るか。誰が使っていいか。直していいか。分けていいか。金をどう取るか」


「家の鍋を貸す時の約束みたいね」


「近い」


「ただで貸してもいいけど、焦がして返されたら困る。勝手に近所へ回されても困る」


「かなり近い」


 朝からいい比喩が出た。

 私はパンをかじった。


「ただ、術式契約は鍋より揉める」


「鍋でも揉めるわよ」


「それはそう」


 人類は鍋でも揉める。

 術ならもっと揉める。

 最悪だ。


———

 講堂はいつもより少し騒がしかった。

 学生たちが、授業前から言い合っている。


「便利な共通術なんだから、みんなが自由に使えるようにすべきだ」


「それを作った工房は何で食べるんだ」


「開かれた術式なら、皆で直せる」


「共有義務が強すぎる契約は、商売術に混ぜられない」


 机の上には、写し札、継ぎ札、術式列の控え。

 内容は技術の話に見える。

 だが、実際は契約の話だ。


 ルドーが教卓に立った。


「静かに」


 講堂が静まる。


「術とは何だ」


 学生が手を上げた。


「術式です」


「浅い」


「道具です」


「足りん」


「商売です」


「偏る」


「思想です」


「近い」


 ルドーはこちらを見た。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


「はい」


 理不尽だ。

 だが、いつものことだ。


———

 私は表示盤に、三つの言葉を書いた。


配る

縛る

売る


「術は、作って終わりではありません」


 学生たちがこちらを見る。


「どう配るか。どこまで使わせるか。直したものをどう扱うか。金をどう取るか。それで術の運命は変わります」


 ルドーが短く言った。


「術の後か」


「はい。世に出した後の約束です」


 私は古い写本を一冊掲げた。

 術式列を読める形で記した本だ。


「昔、ある思想家術師がいました。その人は、人の使う術は、学び、直し、分け合えるべきだと唱えました」


「無料で配れ、という意味ですか」


「違います」


 そこは大事だ。

 無料と自由は、同じ顔をして近づいてくるが、別物だ。


「彼が重んじたのは、読めること、直せること、分けられること、そして直したものも閉じずに分けられることです」


 表示盤に書く。


読める

直せる

分けられる

改良版も開く


「これを守るために、強い共有義務契約が生まれました」


———

 リゼが手を上げた。

 学校では正式な学生なので、ちゃんと手を上げる。


「善意で開いた術が、じゃあお前のも全部開けって迫ってくるの?」


「深く組み込めば、そうなり得ます」


 講堂がざわついた。


「怖い契約では」


「怖いというより、思想が強い契約です」


 私は首を振った。


「共有の恩恵を受けるなら、あなたも共有を返しなさい。そういう筋です」


「筋は通っている」


「はい」


「だが嫌う者もいる」


「本気で嫌います」


 ルドーが頷く。


「理由は」


「閉じた工房術と混ぜる時に相性が最悪になりやすいからです」


 私は二つの箱を描いた。


開示術

閉じた工房術


 その間に太い矢印を引く。


「開示術を軽く参考にするだけならまだしも、核心部に深く継いだ場合、閉じておきたい術式列まで開く義務が及びかねません」


 若い術師が顔をしかめた。


「便利だから使う、では済まないんですね」


「済みません。契約は術の部品です」


 AIエージェント:「補足:契約違反は実行時障害ではなく社会的障害として発火します」


「黙れ」


 正しい。

 だが言い方が嫌だ。


———

 次に、私は工匠術具の絵を描いた。

 絵図、幻影、書物、音楽。

 職人が使う制作のための術具だ。


「王都や新大陸には、高機能な工匠術具があります。絵図を整える。幻影を編む。書物を組む。音楽を刻む」


 学生たちの何人かが頷いた。

 身近な話らしい。


「昔、こういう術具は高額な買い切りで売られることが多かった」


「職人の道具ですから」


「はい。堂々たる道具です。ただ、高すぎる」


 表示盤に大きな金額を書いた。

 講堂が低く唸る。


「払える工房は買う。払えない職人は諦める。あるいは、禁じ写しへ流れる」


「無断転写ですか」


「はい」


 作り手は起動印や所持印で守ろうとする。

 だが、それを破る者が出る。

 また守る。

 また破る。


 終わらない追いかけ合いだ。

 この世界にも、あの世界にも、似たものはある。


「そこで、ある工房は売り方を変えました。高額買い切りではなく、月々の使用料制にした」


 リゼが眉を寄せる。


「毎月払うの、嫌われそう」


「嫌われます」


「言い切った」


「でも、使い始めやすくなる利点もあります」


———

 私は二つの道を描いた。


高額買い切り

月々の使用料制


「高額買い切りは、払えば自分の道具になる感じが強い。職人の矜持にも合います」


「月々の使用料制は」


「入口が低い。小工房でも始めやすい。作り手側も収入が安定しやすい」


「ずっと払うのは嫌だ」


「それも正しい」


 どちらにも理がある。

 だから揉める。


「売り方を変えると、同じ術具でも世界が変わります」


 学生が呟いた。


「術式は同じなのに」


「はい。誰が使えるか、どれくらい広まるか、作り手が続けられるかが変わる」


 リゼが言った。


「高すぎる鍋は、料理人を減らすのね」


「そうだな」


「でも安すぎると、鍋屋が潰れる」


「それもそう」


 比喩がだんだん商売の匂いを帯びてきた。

 良い。


———

 最後に、私は携帯音楽術具の話をした。


「ある名門工房が、携帯できる音楽術具を出しました」


 学生たちの顔が少し明るくなる。

 音楽の話は強い。


「ところが、その工房は権利保護を重く見ました。買った曲を他の術具へ移しにくい。正規に買ったのに扱いづらい。起動印の照合が厳しく、少しでも条件が違うと使えない」


「禁じ写しを防ぐためでは」


「そうです。理由はあります」


 私は表示盤に、鎖でぐるぐる巻きにされた音符を描いた。


「ただし、縛りすぎると正規客が一番苦しみます」


 講堂が静かになる。


「禁じ写しを使う者は、そもそも封じを外そうとします。正規客だけが、まじめに縛られる」


 リゼが小さく言った。


「ちゃんと買った人ほど、不便になるのは変ね」


「変です。でもよく起きます」


「最悪」


「最悪だ」


 守るために縛る。

 それは分かる。

 だが、守ることが使われることを壊したら、本末転倒だ。


———

 私は表示盤に三つの線を引いた。


自由

商売

保護


「自由に学び、直し、分け合えるべきだという思想には力があります」


 一つ目の線を指す。


「作り手が食べていける売り方も必要です」


 二つ目の線を指す。


「無断転写や禁じ写しから守る工夫も必要です」


 三つ目の線を指す。


「ただし、この三つを全部最大にしようとすると、だいたい揉めます」


 学生の一人が腕を組む。


「では、何が正解ですか」


「先に、何を守る術式契約なのかを決めることです」


「契約が先」


「少なくとも、後回しにしてはいけません」


 術式列だけを見ていると、契約は紙の外にあるように見える。

 違う。

 契約は、術が世に出た後の動きを決める。

 つまり、術の一部だ。


———

 ルドーが教卓の縁を指で叩いた。


「まとめろ」


「術の善し悪しだけでは世に残れません。どう分け、どう縛り、どう金を取るかまで含めて、術の運命です」


 ルドーは頷いた。


「術の運命か」


「はい」


「重いな」


「重いです」


 そこで、講堂の扉が叩かれた。

 王都の商工組合の使いが、少し困った顔で入ってくる。


「授業中に失礼します。彩筆工房から相談です」


 嫌な予感がした。

 こういう時の相談は、だいたい授業の内容と同じ顔をしている。


「新しい工匠術具を出すにあたり、便利な共通術を取り込みたいそうです。ですが契約が強すぎる。売り方も決まらない。複製防止をどこまでかけるかでも揉めています」


 講堂の学生たちが、一斉にこちらを見る。


 ルドーが短く言った。


「現場だな」


「早すぎませんか」


「現場は待たん」


 責任は誰が取るのか。

 聞くまでもない。

 たぶん王城である。


———

 授業は、そこで終わった。

 終わったというより、現場へ移った。


 術式契約。

 開示術。

 閉じた工房術。

 月々の使用料制。

 利用制御術。


 どれも、術式列の中だけには収まらない。

 人の思想、工房の食い扶持、客の使い勝手、権利の守り方。

 全部が絡む。


 術を世に出すというのは、術を作ることより簡単ではない。

 むしろ、作った後の方が長い。


 共有を守るために縛ることがある。

 商売を続けるために売り方を変えることがある。

 守りすぎて、使われなくなることもある。


 技術は、術式だけでできていない。

 どう渡すかまで含めて、術なのだ。


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