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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
術負け病編

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第140話 世界は少しだけ壊れやすい

 翌朝、王都翼竜管制塔の上層は、昨日よりも空が近く見えた。

 雲が薄い。

 光が硬い。

 遠くを飛ぶ乗合翼竜の影が、ゆっくり塔の壁を横切る。


 空は美しい。

 だが、原因候補として見る空は、あまり美しくない。


———

 私は記録札をもう一度並べた。


 異常が出た術盤。

 古い記憶盤。

 高所。

 再現しない一印化け。

 新しい高級機では出ていない。


 術務員たちは、ほとんど眠っていない顔をしている。


「部品交換、術式修正、配線見直し。どれも決め手になりませんでした」


「はい」


「通信の乱れでも説明しにくい」


「はい」


「人の操作記録にも、改ざんの痕跡にも合わない」


「……はい」


 私は表示盤に、空から細い線が降る図を描いた。


「星の彼方から降る見えない乱れが、記憶盤の印を一つだけ揺らした。そう考えると、かなり説明がつきます」


 部屋が静かになった。


———

「断定できますか」


 交通局の会計担当が、硬い声で聞いた。

 彼は昨夜から呼ばれている。

 高級な部品の話になると、必ず会計が来る。

 正しい。

 そして面倒だ。


「完全な断定は難しいです」


「なら、高い記憶盤へ替える根拠として弱いのでは」


 来た。

 当然の問いだ。


「この手の乱れは、再現が難しい。起きる刻も場所も選べません。だから、犯人を捕まえるような証明には向きません」


「では」


「条件の偏りと、対策の効き方で判断します」


 会計担当は眉を寄せた。


「滅多にないことのために、高い盤を入れるのですか」


「滅多にないから厄介なんです」


 私は記録札を一枚掲げた。


「毎日壊れるなら、すぐ見つかります。ごくまれに、一印だけ化けるから、部品も術式も人も疑われる。再現せず、責任だけが現場に残る」


 部屋の術務員たちが、少しだけ顔を上げた。


———

 私は表示盤に二つの記憶盤を描いた。


普通の記憶盤

訂正印付き記憶盤


「普通の記憶盤は、覚えた印が一つ化けると、そのまま読まれます」


 左の記憶盤で、一つの印を変える。


「術盤は、それを本物として扱う」


 次に、右の記憶盤に余分な小さな印を添える。


「訂正印付き記憶盤は、記憶に余分な印を添えます。読む時に、印の並びが合っているかを見ます」


「余分な印」


 リゼが言った。


「写本の余白に、行ごとの確かめ書きをつける感じ?」


「かなり近い」


「一文字だけ変でも、前後と確かめ書きで、ここがおかしいって分かる」


「そういうことだ」


「少しなら直せる」


「はい」


 リゼは頷いた。


「大きく破れたら」


「直せません。ただ、異常だとは知らせられる」


 そこが大事だ。

 万能ではない。

 少しの乱れなら自力で正す。

 正せない乱れなら、少なくとも黙って嘘を返さない。


———

 ルドーが腕を組んで聞いた。


「完全には防げん」


「防げません」


「だが気づく」


「はい」


「少しは直す」


「はい」


「なら強い」


「強いです」


 会計担当はまだ渋い顔をしている。


「全ての術盤を替えるのは無理です」


「替えなくていいです」


 私はすぐ答えた。


「重要で、高所にあり、古い記憶盤を使い、一瞬の誤値が他へ流れる場所から優先します」


 管制塔上層。

 山沿い中継塔。

 翼竜場の見張り台。


「優先順位を付けます。全部を高級にする話ではありません」


 会計担当の顔が少し変わった。

 全部買えと言われると思っていたらしい。

 そんなことは言わない。

 言ったら予算が死ぬ。


———

 対策は三つにした。


 一つ。

 問題が出やすい術盤の記憶盤を、訂正印付き記憶盤へ替える。


 二つ。

 記憶の乱れを訂正した時は、乱れ検めの記録札を残す。


 三つ。

 正せない乱れが出た時は、値を流さず外見張りへ知らせる。


「値を止めるんですか」


 術務員が聞いた。


「嘘の値を流すよりましです」


「現場が一瞬困ります」


「嘘で動くよりましです」


 そこは譲れない。

 静かに止まる方が、間違って動くよりずっといい。


 ルドーが短く言った。


「黙って嘘をつくな」


「はい」


「良い規則だ」


「本当に」


———

 交換作業は地味だった。


 管制塔上層の術盤を止める。

 控え盤へ切り替える。

 古い記憶盤を抜く。

 訂正印付き記憶盤を挿す。

 試し読みをする。

 乱れ検めの記録先をつなぐ。

 通常の運行記録へ戻す。


 一つずつ。

 焦らず。

 順に。


 会計担当は、横で帳面を握っていた。

 高い部品は、差し込むたびに彼の眉を動かす。


「高いですね」


「高いです」


「本当に必要ですか」


「必要な場所には」


「全部ではなく」


「全部ではなく」


 同じ会話を何度もした。

 重要な投資は、だいたい同じ説明を何度もする。

 最悪だが、必要だ。


———

 三日目の朝、乱れ検めの記録札が鳴った。


 部屋の空気が止まる。


「出ました」


 術務員が声を抑えて言った。


 管制塔上層の三番術盤。

 高度補助記録の一印。

 訂正印付き記憶盤が乱れを検出。

 自動訂正。

 外へ流した値は正常。


 記録札には、短く残っていた。


一印訂正済み


 誰もすぐには喋らなかった。


「本当に」


 術務員が呟く。


「空の向こうが原因だったのか」


「少なくとも、そう考えないと説明しにくい記録です」


 私は言った。


 完全な勝利ではない。

 自然現象を倒したわけではない。

 ただ、今度は壊れなかった。

 壊れかけたところで、記憶盤が自分で直した。


———

 会計担当も記録札を見ていた。

 しばらく黙ってから、深く息を吐く。


「高い理由は、分かりました」


「ありがとうございます」


「全部には入れません」


「入れなくていいです」


「ですが、優先箇所には入れましょう」


 術務員たちの肩が、少しだけ下がった。

 安堵だ。


 リゼが小さく言った。


「一文字だけ直して、みんなを助けたんだ」


「そうだな」


「地味だけど、すごい」


「かなりすごい」


 地味だ。

 だが、こういう地味なすごさが、重要な術務を支える。


———

 夕方、管制塔を出ると、空は淡い紫色だった。

 翼竜たちが、遠くの寝床へ戻っていく。

 塔の上の術盤は、今日も静かに記憶を読み書きしている。


 リゼが空を見上げた。


「原因が空の向こうから来るなんて、なんだかずるいね」


「ずるいな」


「誰も悪くないのに壊れる」


「そういうことはある」


「でも、備えられる」


「備えられる」


 世界は、人間の都合に合わせて完全にはできていない。

 熱があり、揺れがあり、空の彼方から微かな乱れも降る。

 正しく作ったつもりでも、何かが一印だけ化けることがある。


 リゼがこちらを見た。


「世界は、最初から少し壊れやすいのね」


「そうだと思う」


「だから、壊れにくく作る」


「そういうことだ」


———

 完全な術盤はない。

 完全な記憶もない。

 世界そのものが、わずかな揺らぎを持っている。


 だから、重要な場所では、壊れないことを祈るだけでは足りない。

 壊れたら気づく。

 少しなら直す。

 直せないなら止める。

 そのための余分な印と、記録と、運用を持つ。


 術務の知恵は、世界が静かで従順だと信じることではない。

 世界が少しだけ壊れやすいと知ったうえで、それでも人の仕事が続くように形を整えることだ。


 今日、空から降った見えない乱れは、一つの印を揺らした。

 だが、翼竜の運行は揺れなかった。

 それでいい。


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