第14話 馬車の方が速い日
リゼの家の玄関で私を急かした王城職員は、王城に着いてからも急かした。
「こちらです! 急いでください! 本当に時間がありません!」
「時間がないって言葉、便利すぎません?」
「便利だから使うんです!」
論理が強い。腹立つ。
通されたのは書記局の一室だった。
机が並び、紙が山になり、目の下に影がある人間が大量にいる。
ここだけ現世の職場みたいだ。嫌だ。
宰相補佐らしい男が、紙束を抱えたまま私を見た。
「ユウ・サカモト殿。助けてほしい」
「今度は何が燃えてるんですか」
「燃えてはいない。……まだな」
“まだ”が一番怖い。
男は机の上を指さした。
そこには、端末が置かれている。王国端末。緑の文字がちらついている。
『送信中……』
下には、細い進み具合の線がある。
ほとんど動いていない。
「これを、今夜までに港に届けたい」
「これって……」
私は机の上の紙の山を見た。
紙が多い。多すぎる。郵便局より多いかもしれない。
「荷受け一覧と、割り当て表と、関税の計算表と……」
宰相補佐は早口で言った。
「港に入る船が増えた。倉庫が足りない。仕分けを間違えると混乱する。
今夜の潮で次の船団が来る。遅れたら港が止まる」
港が止まる。
止まるのはだいたい現場だ。現場は止まると叫ぶ。叫ぶと燃える。
私は端末を見た。
「端末で送ればいいんじゃ?」
「送っている! 送っているのに終わらない!」
通信担当の男が叫んだ。髪が乱れている。
この人も寝ていない。
「王国線はつながっている! 全国どこでも文字が届く!
なのに……なのに……!」
私は息を吐いた。
「……まず、確認します」
宰相補佐が頷く。
「何でも言ってくれ」
私は指を一本立てた。
「今夜までに必要なのは、全部ですか。
それとも、最初の一枚でもいいから、今すぐ必要ですか」
部屋が静かになった。
質問が地味すぎて、みんな固まった顔だ。
宰相補佐は一拍置いて答えた。
「……両方だ。最初の指示がないと港の責任者が動けない。
でも全部が揃わないと、仕分けができない」
私は頷いた。
「じゃあ分けましょう。急ぐ種類が違う」
「種類……?」
通信担当が眉をひそめる。
この世界の人間は、急ぎを一種類だと思いがちだ。
私は言った。
「今すぐ必要なのは“最初の一歩”。
今夜までに必要なのは“全部揃うこと”。
――同じ『速い』じゃない」
宰相補佐が口を開いた。
「……で、どうする?」
「まず、端末はそのまま使います。でも送るのは全部じゃない」
通信担当が目を剥く。
「送らない? ここまでやって送らないのか!?」
「送ります。要約だけ」
私は机の上の山を指した。
「港の責任者が動くための“最初の一枚”は、文字で十分です。
港に『どの船をどの倉庫へ』『優先順位はこれ』――それだけ今すぐ送る」
宰相補佐が頷いた。
「確かに、それがあれば動ける」
「次に、全部。全部は……」
私は紙の山を見て、言った。
「馬車で運びます」
部屋の空気が止まった。
通信担当が笑いかけて、顔が固まる。
「……馬車?」
宰相補佐が半笑いで言う。
「冗談だろ。王国線があるのに?」
「王国線は細いんです」
私は淡々と言った。
「細い線で、紙の山を運ぶのは無理です。
文字は通る。でも山は通らない」
通信担当が反論する。
「でも、つながってる! 全国どこでも届く!」
「つながってるのと、運べるのは別です」
私は机の上の紙を一枚持ち上げた。
「この紙一枚なら、端末で送れる。
でもこの山を、端末で送ったら今夜までに終わらない。
――なら、山は袋に入れて馬で運ぶ」
宰相補佐が、少しだけ顔をしかめた。
「馬車は遅い」
「何に比べて?」
私は端末の進捗を指した。
『送信中……』
動いていない線。
「今のこれより遅いですか」
部屋が黙った。
現場は数字より黙りの方が早い。
通信担当が弱々しく言った。
「……でも紙を運ぶって……情報が古くならないか?」
「古くなるのは、運ばない場合です。届かない情報は常に古い」
宰相補佐が苦笑した。
「言い方が強いな」
「現場が燃えるよりマシです」
私は言った。
「馬車で運ぶのは紙じゃない。確実さです」
———
私はジェムを取り出した。
宰相補佐が目を見開く。
「また、そのジェムか」
「今日はインヴォークしません」
私は言った。
「魔法じゃなくて、ただの入れ物にします」
ジェムは魔法を呼ぶ道具だ。
でも同時に、この世界では“記録”の媒体でもある。
ジェムに情報を書き込めば、それは紙の山より軽く、濡れず、壊れにくい。
私は書記局の職員に言った。
「この荷受け一覧、全部をジェムに写せますか」
職員が青ざめる。
「全部……?」
「はい。写すのが仕事です。あなたたちは書記局です」
ひどいことを言っている自覚はある。
でも時間がない。
宰相補佐が叫んだ。
「写せ! 今すぐだ! こっちは港が止まる!」
職員たちが一斉に動き出した。
紙をめくる音。印章の音。呪文の小声。
その間に、私は端末の前に座った。
「要約、作ります」
通信担当が言った。
「要約って、誰が……」
「俺が作る。現場のために」
私は端末に文字を打つ。遅い。
でも短い文なら耐えられる。
『港責任者へ:今夜の船団、優先は赤印の3隻。
倉庫割当は仮で良い。まずA倉庫を空けろ。
関税は後で詳細送付。今は混乱防止を最優先』
私は送信した。
端末がちかちか光る。
数十秒後、返事が出た。
『了解。動く』
短い。強い。
現場が動く音がする気がした。
宰相補佐が息を吐いた。
「よし……最初の一歩は届いた」
「これが必要だったんです」
私は言った。
「最初の一歩が届かないと、現場は止まる。
でも最初の一歩だけ届いても、全部が揃わないと最後は詰まる。
――だから両方やる」
通信担当がぼそりと言った。
「……速いって、何だ」
ルドーの声が背後から飛んできた。
「状況次第だ」
いつの間に入ってきたんだこの人。
「先生、暇なんですか」
「授業は現場だ」
「便利な言葉ですね」
「便利だから使う」
さっきの職員と同じ論理を使うな。
———
夕方前、記録ジェムが完成した。
小さな布袋に入ったジェムが三つ。
紙の山が、手のひらサイズに圧縮されたような感覚がある。
宰相補佐がその袋を受け取り、私に言った。
「護衛を付ける。馬車を出す。最短で港へ」
リゼがいつの間にか部屋の隅にいて、手を挙げた。
「私、手配します」
「え?」
宰相補佐が驚く。
リゼは当たり前の顔で言った。
「郵便局で門番やってた人たち、馬車の手配早いです。
あと、港方面の道、近道知ってる人がいます」
現場ネットワークが強い。
魔法より強い。
宰相補佐が頷いた。
「頼む」
リゼが走っていく。
この子の行動力、チートだろ。
私は椅子に座り直した。
疲れが一気に来る。
ルドーが言った。
「お前、魔法より馬車を選ぶとはな」
「現場の勝ち方が違うだけです」
「それが分かったなら、今日は合格だ」
「先生、採点するの好きですね」
「教師だからな」
最悪だ。
———
夜。
港から返事が届いた。
『要約で動けた。倉庫確保完了。船団受け入れ準備済』
少し遅れて、馬車が港に到着したという報告も来た。
『記録ジェム受領。詳細照合開始。
この方法、次からも使いたい』
宰相補佐が、椅子に崩れ落ちた。
「……助かった」
私は息を吐いた。
「助かったのは港です。
ここが燃えなかっただけです」
ルドーがぼそりと言った。
「燃えなかったのは偉い」
「先生、褒め方が陰湿です」
「現場は陰湿だからな」
なんなんだこの世界。
リゼが戻ってきて、私の袖を掴んだ。
「ユウ、今日は休みじゃなかったね」
「……なかったね」
私は苦笑した。
「でも、ちょっとだけ分かった。
速いって、ひとつじゃない」
リゼが首を傾げる。
「速いの、種類あるの?」
「ある。最初の一歩が速いのと、全部揃うのが速いの」
リゼは少し考えてから、笑った。
「……ユウ、やっぱり変」
「知ってる」
私はジェムを握り直した。
今日はインヴォークしなかった。
でも確かに、世界を動かした。
魔法じゃなくて、運び方で。




