第13話 居候の休日
目が覚めたとき、もう光が高かった。
障子みたいな薄い窓から、白い日差しが部屋の床に四角く落ちている。
鳥の声。遠くで子どもの笑い声。鍋のふたが当たる乾いた音。
……ああ、ここはリゼの家だ。
私は客間のベッドの上で、しばらく動かなかった。
起きて手伝うべきだ、という思考が一瞬だけ浮かぶ。居候としては当然だ。
でも今日は――休む。
枕元で端末が、ぴくりと震えた。圏外のくせに生意気だ。
AIエージェント:「観測:あなたは他人の家で寝坊しています」
「言うな」
AIエージェント:「補足:罪悪感の増幅は非推奨です」
「罪悪感を増幅しないで済む方法を教えてくれ」
AIエージェント:「提案:起床し、家事を手伝ってください」
「……それはそれで腹立つ」
私は天井を見上げて、ため息を吐いた。
異世界でも、結局は家事が最強なのか。
机の上を見た。
紙の束。授業のメモ。郵便局の門番用に書いた札の切れ端。
ジェムが二つ、適当に置かれている。
そして、その横に、薄い札が一枚。
どこから紛れたのか分からない赤い札が、ふてぶてしく居座っていた。
「混ぜるな危険……」
AIエージェント:「観測:あなたは自分の生活空間でも整理が不得意です」
「ここは俺の生活空間じゃない」
AIエージェント:「観測:なお悪いです」
最悪だ。AIに説教される日が来るとは。
いや、何回目だろう。回数を数えるのも嫌になってきた。
私は端末を手に取って、画面をぼんやり眺めた。
地図。メモ。タイマー。現世の写真。
歌詞は出ない。でも、頭の中で勝手に音が鳴る。
この世界では、こんな速度で情報が出てくることはない。
王国端末は遅い。郵便はもっと遅い。
速いのは、だいたい炎上だけだ。
こいつは究極に便利だ。便利すぎる。
だからこそ――私は最近、こいつを戦場に持ち込まなくなっていた。
使い方を間違えると、世界が壊れる気がする。
いや、世界じゃなくて、自分が壊れる。
そんなことを考えていると、廊下の向こうから足音が近づいてきた。
軽い足音。迷いがない。
そして――
ガラッ。
ノックもなく、戸が開いた。
「起きて。昼だよ」
リゼが立っていた。
片手に紙束。もう片手に湯気の立つ木の椀。なんで椀まで持ってるんだ。
「……ノックは?」
「うちだから」
「うちじゃないんだが」
「居候だから」
居候という単語の暴力が強い。
言い返せない。悔しい。
リゼは椀を机に置き、紙束を私の腹に投げた。
「授業のプリント。先生が“読める形で提出しろ”って言ってた」
「昨日も聞いた」
「聞いたのに寝坊してる」
「今日は休みなんだよ」
リゼは私の机の上を見て、露骨に顔をしかめた。
「……ユウ、これ、何?」
札と紙とジェムと、赤い札が混ざっている地獄を指している。
「現場の残骸」
「現場の残骸を家に持ち込まないで」
正しい。正しすぎる。反論の余地がない。
リゼは勝手に片付けを始めた。
札を札だけに分け、紙を紙だけに分け、ジェムをジェムだけに寄せる。
「混ぜるな危険、家でも適用ね」
「……仕事みたいだな」
「仕事だよ。居候の仕事」
居候の仕事、という概念を初めて聞いた。
たぶんこの世界には普通にある。悲しい。
そのとき、端末がまた震えた。
AIエージェント:「観測:あなたは居候としての自覚が不足しています」
リゼがピタリと手を止めた。
「……今の、なに?」
私は端末を持ち上げた。
「こいつ」
「喋るの?」
「喋る。余計なことも言う」
AIエージェント:「補足:あなたの印象を悪化させています」
「黙れ」
私は端末を伏せた。
リゼは少しだけ笑った。
「ユウ、友だち多いね」
「友だちじゃない。監査だ」
「監査って言えば許されると思ってる?」
「許されたい」
リゼが、ちょっとだけ優しい顔をした。
「許す。今日は」
今日。
“今日は”が嬉しいの、やめたい。
リゼが机の端に端末を置き、私の顔を覗き込む。
「それ、何ができるの?」
「……だいたい何でも」
「ずるい」
「ずるいけど、使い方を間違えると死ぬ」
リゼが眉を上げた。
「また死ぬの話」
「先生の口癖が移った」
「やだ」
私もやだ。
リゼは端末の画面を少し覗いた。地図が開いている。
「これ、地図?」
「そう。現世の」
「現世って、ユウがいた世界?」
「うん」
リゼはしばらく見て、素直に言った。
「意味は分からないけど……すごいね」
「……だろ」
自慢したいわけじゃない。
でも、こういう反応は、ちょっと嬉しい。
私はぽつりと言った。
「この道具って、世界を変えるためのものじゃないのかもな」
自分で言って、少し驚いた。
私はずっと、世界を変える道具として見てきたはずだ。
リゼが聞き返す。
「じゃあ何?」
私は少し考えて、言った。
「……今の俺が壊れないための道具」
言ってから恥ずかしくなって、目を逸らした。
弱音っぽいことを言うつもりはなかったのに。
リゼは、あっさり言った。
「壊れそうなら、壊れないようにするのが普通でしょ」
普通。
またその言葉だ。
でも、普通って言葉が、今日は嫌じゃなかった。
———
しばらく、静かな時間が流れた。
リゼは片付けを続け、私は椀の中身を口に運んだ。温かい。
家の音がする。鍋の音。皿の音。誰かの笑い声。
居候の休み。
借り物の平和。
その平和を、壊す音が玄関の方から聞こえた。
ドンドン。
遠慮のないノック。
家の中の音が一瞬止まる。
リゼが顔を上げた。
私も、嫌な予感で体が固まる。
端末が震えた。
AIエージェント:「外部訪問者。王城職員の可能性が高い」
「……今日は休みだ」
AIエージェント:「確率はあなたの希望を考慮しません」
黙れ。
廊下の向こうで、家族の誰かが玄関へ向かう足音がした。
次に聞こえたのは、男の声。硬い声。仕事の声。
「ユウ・サカモト殿はここか! 至急だ!」
リゼが立ち上がった。迷いがない。
「行こう」
「……逃げても追ってくる?」
「うん。家まで来てる」
それはそうだ。
居候の家にまで来る時点で、もう逃げ場はない。
私は渋々、ベッドから起き上がった。
ローブを掴み、ジェムをポケットに入れ、端末を手に取る。
端末が最後に一言、淡々と言った。
AIエージェント:「休息時間:終了」
「最悪だ」
リゼが小さく笑った。
「居候に人権はないね」
「……ないな」
玄関の方から、また催促の声が響く。
「急げ! 時間がない!」
私は息を吐いて、歩き出した。
借り物の平和は、いつも短い。




