第12話 読めない端末は、ただの騒音
郵便局は、また燃えていた。
いや、厳密には“燃えかけていた”。
前回ユウが区切って門番を立てて、ようやく「怒鳴り声が減った郵便局」になったはずなのに。
入口の前で聞こえる音が、もう嫌な音だった。
「これ、なんて書いてある!?」
「読めない!」
「???って何だ!」
「東区が■■になってるぞ!」
紙の擦れる音じゃない。
困惑の音だ。
私は扉の前で一度だけ立ち止まった。
「……嫌な予感しかしない」
隣のリゼが即答した。
「当たってると思う」
ルドーが背後で鼻を鳴らす。
「現場は予感で動くな。だが、今回は当たっている」
「先生、混ぜるな危険の次は何ですか」
「読めない通信は騒音だ」
昨日、教室で言ってたやつだ。
嫌な予感が確信に変わる。
私は扉を押し開けた。
———
中は地獄だった。
いや、地獄というより、地獄に新しい機械を導入した直後の空気だ。
壁際に、見慣れた王国端末が三台並んでいる。
その前に人が群がっている。
そして、端末の画面には――
『■■■■■■■■■■』
『?????????』
『※※※※※※※※※』
読めない。
局長が私に気づいて、駆け寄ってきた。
顔色が灰色から青に進化している。
「ユウ殿! 助けてください! 端末が……文字が……!」
「落ち着いて。何が起きた?」
「読めないんです! 宛先が! 区画が! 担当が!
端末に出るはずの一覧が、全部……全部……!」
局長は端末を指差した。
画面の上部には、辛うじて読める文字がある。
『しわけ しじ いちらん』
その下が読めない。
私は目を細める。
「……全部が壊れてるわけじゃない」
局長が泣きそうな声で言う。
「上の文字は読めるのに、肝心なところが読めないんです!」
それが一番最悪だ。
“半分だけ読める”は、現場を誤解に導く。
実際、現場はもう誤解しかけていた。
「これ、東区だろ? たぶん」
「いや、これ西区の記号だって!」
「じゃあ誰が正しいんだよ!」
「全館呼びするぞ!」
その言葉で空気が揺れる。
全館呼び。燃える合図。
私は声を張った。
「ストップ!」
人が止まる。
新しい声は、やっぱり強い。悲しい習性だ。
「全館呼びは禁止。戻るな。
今は“読めない”が原因だ。叫んでも文字は読めない」
門番係の一人が、乾いた笑いを出した。
「……助かった。叫びたくて喉がうずいてた」
やめろ。癖になる。
———
私は端末に近づいた。
画面の「読める部分」と「読めない部分」を見分ける。
これは第11話の授業でやった現象だ。
符丁表が合ってない。
端末は番号を送る。
戻す表が違えば、文字は変な記号になる。
壊れているのではなく、合意が壊れている。
ルドーが後ろで言った。
「授業の続きだ。符丁表が揃ってない」
「分かってます」
「なら早い。現場の地獄は、理解が遅い者のためにある」
「先生、余計なこと言わなくていいです」
リゼが小声で言う。
「でも、先生の余計なこと、今日は正しい」
「リゼ、味方の仕方が雑」
———
局長が焦って言った。
「昨日までは読めたんです! 今朝から突然!」
私は頷いた。
「昨日まで読めたなら、符丁表が変わった。
誰かが端末の“設定”を変えたか、札を差し替えたか、端末が更新されたか」
局長がぽかんとする。
「更、新……?」
ルドーが横で言う。
「新しい符丁表が配られたのかもしれん。王城はそういうことをする」
局長が震える声で言った。
「そんな……知らせがないと困ります!」
「現場は困る。だから地獄だ」
先生、黙って。
私は端末の側面を見る。
符丁表を入れる場所がある。
そこに貼られた札。青い札に小さく印が押されている。
『表:第二版』
隣の端末は違う。
『表:第一版』
……は?
局長を見た。
「端末、全部同じ表じゃないですね」
「え?」
局長が端末を見比べて、目を見開いた。
「ほ、本当だ……! なんで……?」
原因はこれだ。
郵便局内で符丁表が混在している。
だから画面によって読めたり読めなかったりする。
そして職員が端末を移動するから、現場は混乱する。
私は息を吐いた。
「混ぜるな危険、の文字版ですね」
ルドーが楽しそうに言う。
「そうだ。名前を付けろ。表も揃えろ」
リゼが局長に言った。
「まず、表を揃えるのが先じゃないですか?」
局長が泣きそうな声で言う。
「で、でも……第一版の表しかない端末もあって……第二版が足りないんです!」
ああ。現場だ。
———
私は現場を見回した。
端末は三台。
職員は多い。
今この瞬間、仕事が止まっている理由は「端末の画面が読めない」だけじゃない。
どの端末が何の表なのか、現場が分かっていない。
だから私は、まず“札”を使うことにした。
札はコンフィグ。掲示。約束。
読者の皆さん、札は魔法じゃなくて現場の命綱です。よろしく。
私は局長に言った。
「札と縄、ありますか」
「あります! いくらでも!」
「端末ごとに大きく貼ります。
『第一版』『第二版』。文字が読めるように」
局長が叫ぶ。
「は、はい!」
職員が走る。札が貼られる。
端末の上に、大きく
『第一版』
『第二版』
と書かれた札がぶら下がった。
これだけで、現場の混乱が少し減る。
門番係が言った。
「……これ、分かりやすい。
今まで“分かってるつもり”で地獄になってた」
私は頷いた。
「次。暫定の通訳表を作ります」
「通訳表?」
局長が首を傾げる。
当たり前だ。現場は専門語に興味がない。
「第一版の端末で出た文字を、第二版でどう見えるか。
変換表です。これがないと、混在したまま仕事ができない」
局長が目を丸くする。
「そんなの……作れるんですか」
「作ります。現場を止めるよりマシです」
止めると燃える。
燃えると人が叫ぶ。
叫ぶと仕事が止まる。
地獄の循環。
———
私は端末の前に立った。
まず、第一版の端末で「読める文字」を選ぶ。
「東区」「西区」「南区」「王城」みたいな、郵便局の業務で頻出の言葉だ。
そして第二版の端末で同じ番号を受け取ったとき、どう見えるかを見る。
実際に送ってもいいし、端末内の一覧から比較してもいい。
ここで助かったのは、リゼだった。
リゼは端末の画面を見て、すぐに言った。
「この■■って、たぶん“区”だよ。文脈がそう」
「助かる。続けて」
「この※※は“町”じゃない? “湯の※※”って出てる」
現場の文脈。
人間の脳の強いところ。
だから現場は完全自動化できない。悔しいが。
私は紙に書く。
“第二版のこの記号”=“第一版のこの文字”。
門番係が覗き込む。
「これ、何してんだ?」
「読めるようにしてる」
「力技だな」
「現場は力技から始まる」
ルドーが横から言った。
「そして力技を仕組みにするのが本筋だ」
先生、今日だけは正しい。
———
十分ほどで、最低限の通訳表ができた。
『第二版:■■ → 区』
『第二版:※※ → 町』
『第二版:◇ → 王』
『第二版:□ → 東』
『第二版:△ → 西』
完璧じゃない。
でも、業務を動かすには十分だ。
私は局長に言った。
「これを端末の横に貼ります。
第一版の端末で読む職員と、第二版の端末で読む職員が、同じ言葉として扱えるように」
局長が涙目で頷く。
「お願いします……!」
貼る。
貼ると現場が変わる。札は強い。
そして、もう一つ大事なことをした。
“全館呼び禁止”の札も、端末の横に貼った。
『読めないときは叫ぶな。門番へ』
現場には、短い規則が必要だ。
長文は読まれない。読めないから。
———
通訳表が貼られると、郵便局が少しずつ動き出した。
「これ、東区だって」
「え、■■が区で、□が東だから……うん、東区」
「じゃあ東区箱へ!」
紙の擦れる音が戻る。
印章の音が戻る。
怒鳴り声が減る。
局長が、床に座り込みそうになりながら言った。
「……動いてる……! 読める……!」
リゼが小さく笑った。
「ユウ、顔がちょっと嬉しそう」
「嬉しくない。安心してるだけ」
「それ、嬉しいって言うんだよ」
またそれだ。言い返せない。
———
だが、私はまだ終わったと思っていなかった。
暫定の通訳表は、ただの応急処置だ。
現場にとってはありがたいが、いつか必ず破綻する。
だから私は、局長を呼んだ。
「局長。根本対策が必要です」
局長が青ざめる。
「ま、まだ何か起きますか……?」
「起きます。
今は第一版と第二版が混ざってるだけ。
第三版が来たら、通訳表が増えて死にます」
局長が呻いた。
「やめてください……!」
私は続けた。
「だから、端末が“最初に名乗る”必要がある。
この端末は第一版、この端末は第二版。
名乗ってから話す。揃ってないなら揃える。揃えられないなら変換する」
局長が目を丸くする。
「名乗る……」
「はい。
最初に“あなたは誰ですか”を確認する。
確認しない会話は、事故ります」
ルドーが後ろで頷いた。
「良い。ようやく授業の答えが出てきたな」
「先生、答えは教えないのに評価だけはするんですね」
「教師だからな」
最悪だ。
———
局長は深く頭を下げた。
「分かりました……!
王城に掛け合って、郵便局の端末は全て同じ表に揃えます。
それまで、通訳表で持ちこたえます」
現場が現場の言葉で“方針”を言った。
それだけで勝ちだ。今日の勝ち。
私は一枚の札を端末の上に貼った。
『第一版/第二版 確認してから送れ』
地味だけど強い札。
この世界は札で回る。
———
帰り道、リゼが私の袖を掴んだ。
「ユウ」
「うん」
「今日のやつ、授業の宿題だった?」
「そう」
「先生、やっぱり意地悪だね」
「意地悪だけど正しい」
リゼが不思議そうに笑った。
「正しい意地悪って、嫌だね」
「嫌だね」
ルドーが背後で言う。
「嫌でも覚えろ。
届くより、読める方が難しい。
そして読めないものは、ただの騒音だ」
私はため息を吐いた。
「先生、その台詞気に入ってます?」
「気に入っている」
最悪だ。
でも――今日の現場は、確かにその通りだった。
郵便局はまた燃えかけた。
けれど、今度は燃え切らなかった。
通訳表と札が、火を小さくした。
世界は、こうして少しずつまともになる。
たぶん。




