第114話 位置を測る術は時を測る術だ
講堂の天井近くに、薄い光が差していた。
雨上がりの王都は、石畳まで少し明るい。
窓の外では、遠話鏡の配達人が足早に通り過ぎていく。
根幹呼名盤の一件から、数日。
王都の術網は落ち着きを取り戻していた。
人々はまた、基盤を意識しなくなっている。
それでいい。
基盤は、忘れられている時が一番働いている。
だが、ルドーはそういう忘れられたものを授業へ持ち込む。
人の平穏を教材にする。
最悪だ。
———
ルドーは表示盤に短く書いた。
天頂導き盤
「知っているか」
学生たちは顔を見合わせた。
「名前だけ」
「王都の新しい天の術盤ですよね」
「空から位置が分かるって聞きました」
「地図と何が違うんですか」
リゼも首を傾げていた。
「空に術盤を置くと、下の人の場所が分かるの」
ルドーは私を見た。
「説明しろ」
「はい」
「はいは一回だ」
「はい」
早い。
授業開始からまだ短いのに、もう定番が来た。
———
私は表示盤の端に、天の術盤を四つ描いた。
そして地上に、小さな人の印を置く。
「まず誤解しやすいところからです。天の術盤は、地上の人を見て『お前はここにいる』と当てているわけではありません」
「見てないんですか」
「見ていません」
「じゃあ何をしてるんですか」
「自分がどこにいて、いま何時かを告げる印を、地上へ送り続けています」
私は天の術盤から、地上へ線を引いた。
「地上の測位札は、その印を受け取る」
学生の一人が言った。
「それだけで場所が分かるんですか」
「一つだけでは分かりません」
私は線の周りに、円のような輪を描いた。
「一つの術盤からは、このくらい離れている、までです。ここかもしれないし、別の場所かもしれない」
次に、別の術盤から線を引く。
さらに別の術盤。
「複数の術盤から届く印の遅れを比べます。条件を重ねるほど、立っている場所が狭まっていく」
リゼが言った。
「店で待ち合わせを探す時に、鍛冶屋から三軒、橋から二軒、パン屋の向かい、って言われると場所が絞れるみたいな話」
「近い」
「一つだけだと広すぎる」
「そういうことだ」
———
学生が手を上げた。
「遅れって、そんなに大事なんですか」
「大事です」
「印が届いたら、それでよくないですか」
「よくありません」
私は表示盤に、短く書いた。
位置を測る術
時を測る術
「これは位置を測る術のように見えます。ですが、実際には時の差を測る術です」
講堂が少し静かになった。
「天の術盤が『この刻に送った』と告げる。地上の測位札が『この刻に届いた』と受け取る。その差から、どれくらい離れているかを見る」
リゼが眉を寄せた。
「時計なんて、だいたい合っていればよくない」
「だいたい、では迷う」
「そんなに」
「ほんのわずかな時のずれが、地上では大きな距離のずれになります」
私は表示盤に山を描いた。
尾根。
谷。
森。
「町中なら、少し迷っても聞けるかもしれません。山では違う。尾根のこちら側か、谷の向こう側かで、救助にかかる時間が変わる」
リゼの顔が少し真面目になった。
「山では、それで人が死ぬこともある」
「あります」
言葉が少し重くなった。
だが、ここは軽くできない。
———
私は話を戻した。
「だから、天の術盤には、とてつもなく正確な時計が要ります」
「地上の測位札の時計では駄目なんですか」
「測位札の時計は、小さくて安い。ずれます。だから、複数の天の術盤から届く印を使って、位置と一緒に測位札側のずれも押さえます」
学生たちが一斉に嫌な顔をした。
「位置だけじゃない」
「時計のずれも」
「面倒」
「かなり面倒です」
ルドーが短く言った。
「基準が要る」
「はい」
「天の基準だ」
「はい」
「はいは」
「一回です」
少し先に言った。
ルドーは満足そうに黙った。
———
次に、私は大きな天蓋の図を描いた。
いくつもの天の術盤が、世界の上を回っている。
「他国の天蓋測位網でも、おおよその位置は分かります」
「なら、王国で新しく作る必要はあるんですか」
学生の問いは自然だった。
「あります」
私は王国の山地の上に、一つ強く光る術盤を描いた。
「王国の上空に近い位置に、王国内で見えやすい導き盤を置く。これが天頂導き盤です」
「他国のものと何が違うんですか」
「王国内の山や谷で、見える条件が良くなります。印の比べ方も、王国の地形に合わせて整えられる」
リゼが言った。
「広い台所に、遠くの灯りだけじゃなくて、手元の灯りを足す感じ」
「かなり近い」
「遠くの灯りでも見えるけど、包丁を使うなら手元の灯りがいる」
「そういうことです」
天頂導き盤は、見栄ではない。
贅沢でもない。
少なくとも、私はそう考えていた。
———
学生の一人が、少し遠慮がちに聞いた。
「でも、今すぐ必要なものなんですか」
私は少し考えた。
平時に差は見えにくい。
町の中なら、他国の天蓋測位網でも十分なことが多い。
地図と人の記憶で足りることもある。
だが、技術には、必要になってから作るには遅いものがある。
「必要になる時は、たいてい必要になってからでは遅い」
講堂が静かになった。
「山で迷ってから天の術盤を置くことはできません。事故が起きてから測位札を直すこともできません。平時に整えておくから、有事に効きます」
リゼが小さく頷いた。
「備蓄みたい」
「近い」
「使わない日が続くと無駄に見える」
「そして、使う日が来ると足りない」
人類は、必要になるまで備えを軽く見る。
最悪だ。
かなり人類らしい。
———
授業が終わりかけた時、講堂の遠話鏡が鳴った。
術務室からだった。
鏡面に映った職員の顔は、青い。
「ユウ殿、ルドー先生」
「何だ」
「乗合翼竜が、悪天候の中で山中に不時着した可能性があります」
講堂が凍った。
「場所は」
「おおよそは出ています。しかし範囲が広すぎます。山、谷、尾根が複雑で、救助隊が向かう場所を決め切れません」
私は表示盤に描いた山の図を見た。
ついさっきまで教材だった線が、急に現実の山になった。
「翼竜の測位札は」
「積まれています」
「天頂導き盤には」
職員は一瞬、資料を見た。
「対応している可能性があります。最近の更新を受けた機体です」
必要になる時は、たいてい必要になってからでは遅い。
その言葉が、あまりにも早く戻ってきた。




