第112話 七人全員は要らない
王都の朝は、妙に静かだった。
静かというより、音の届き方が少し遅い。
遠くの鐘が鳴ってから、通りの遠話盤が一拍遅れて震える。
市場の掲示札が、古い店名をしばらく出したままになる。
最初は、誰も大きな異変だと思わなかった。
魔文が少し遅い。
遠話鏡の継ぎ先が一度だけ迷う。
役所の照会盤が、目的の台帳を探すのに時間を食う。
地味だ。
だが、地味な不調が同じ方向へ重なる時は、だいたい根が深い。
最悪だ。
———
王城術務室に呼ばれた時、空気はすでに重かった。
術務官たちは、遠話鏡と表示盤を行き来している。
王都だけではない。
アマネ。
北方の塔町。
南方の海港。
いくつかの地方都市から、同じような報せが上がっていた。
「魔文の宛先が迷います」
「魔法映像会議の継ぎ先が、たまに古い席へ行く」
「行政術式が、参照先を見失う」
完全停止ではない。
だから余計に嫌だった。
世界の床が少しずつ傾いている感じがする。
ルドーは腕を組んでいた。
「根は」
術務官が青い顔で答えた。
「根幹呼名盤です」
講堂ではない。
だが、全員が少し黙った。
根幹呼名盤。
各地の術網が、目的の相手や術式がどこにあるかを確かめるための基盤。
普段は誰も意識しない。
意識しなくて済むから、基盤なのだ。
———
調査盤には、不整合の記録が並んでいた。
同じ呼名が、時間によって別の継ぎ先を示す。
古い記録と新しい記録が、ところどころ噛み合わない。
再照合をかけても、しばらくするとまたずれる。
「再起動が必要です」
術務官が言った。
「なら、やるしかありません」
「できません」
「なぜ」
術務官は唇を噛んだ。
「根幹呼名盤の再起動には、七賢者全員の承認が必要です」
部屋の空気が、一段沈んだ。
「全員」
「はい。七賢者は世界各地に散っています。北方の塔、海港都市、砂漠観測所、東方学府、山岳修院、南島の灯台、王都旧院」
「今すぐ集めるのは」
「不可能です」
誰かが小さく息を吐いた。
ルドーが短く言った。
「猶予は」
「数日、持つかどうか」
数日。
世界中の術網が、じわじわ不安定になるまでの猶予。
短い。
———
私は表示盤を見ていた。
七人全員。
重要な基盤。
再起動。
世界規模の不調。
どうにも引っかかった。
「おかしい」
声に出ていた。
術務官がこちらを見る。
「何がですか」
「そんな重要な基盤で、七人全員が同時に必要なのは不自然です」
「ですが、そう伝わっています」
「伝わっていることと、実際の仕組みは別です」
ルドーが目を細めた。
「続けろ」
「七人で守る、という制度は分かります。誰か一人が勝手に再起動できないようにするためです」
私は表示盤に書いた。
七人で守る
七人全員が毎回必要
「この二つは同じではありません」
リゼが横で言った。
「店の蔵の鍵を家族みんなで守るのと、家族全員が毎回蔵の前に立たないと開かないのは違う、みたいな話」
「かなり近い」
「誰か一人が旅に出たら終わるものね」
「そう」
古代の賢者たちが、そこまで雑な設計をするだろうか。
そんなはずがない。
少なくとも、私はそう思いたかった。
———
王立図書館へ行くことになった。
根幹呼名盤の古い設計書や儀式書は、王城術務室ではなく、図書館の封蔵庫に残っているという。
リゼがついてきた。
古文書を読むのが得意というわけではない。
ただ、私が黙って古い紙をめくり続けると、たぶん戻ってこなくなる。
そういう時の見張りとして、かなり優秀だ。
封蔵庫は、冷えていた。
古い革。
乾いた紙。
封蝋の匂い。
棚の奥には、根幹呼名盤に関する儀式書が並んでいた。
題名からして重い。
七賢者の開扉
根幹呼名盤再醒式
石の預けと責の分かち
雰囲気が強すぎる。
中身が運用手順書であることを忘れそうになる。
———
古文書は厄介だった。
詩のように書かれている。
比喩が多い。
同じ石を、星、目、点、欠けた灯、と呼び分けている。
リゼが隣で覗き込んだ。
「読めるの」
「読める部分と、読めない部分がある」
「つまり」
「古い設計書を詩で書くな、という気持ち」
「賢者だからね」
「賢者でもやめてほしい」
何冊目かで、私は手を止めた。
そこには、こう書かれていた。
七つに預けし石は、いずれも全き鍵にあらず。
されど、定められし数だけ集えば、真の開扉式は自ずと現る。
胸の奥が少し熱くなった。
「あった」
「何」
「石ひとつひとつが鍵そのものではない」
私は別の頁をめくった。
七賢の備えは、全員の参集を待つためのものにあらず。
不測の時に、少数で責を果たすためのものなり。
リゼが眉を寄せた。
「全員を待つためじゃない」
「そう書いてある」
「じゃあ、七人全員が必要って話は」
「運用の言い伝えかもしれない」
———
さらに図を見つけた。
円の中に、七つの点。
そのうち三つが結ばれている。
横には、古い注釈がある。
一つは点に過ぎず。
二つは道に過ぎず。
三つにて、隠れた形は名を持つ。
私は息を止めた。
これは、単純な鍵の分割ではない。
七つの石に、鍵の欠片が一つずつ入っているわけでもない。
一つでは何も分からない。
二つでもまだ足りない。
三つそろって初めて、本当の再起動鍵の形が定まる。
「古代の設計者、やるじゃないか」
思わず言った。
リゼが少し笑った。
「嬉しそう」
「かなり」
「危機なのに」
「危機だからこそだ」
強い仕組みは、全員がそろうことを祈って作らない。
誰かが来られなくても、それでも動くように作る。
古代の賢者たちは、たぶんそれを分かっていた。
———
王城術務室へ戻ると、空気はさらに悪くなっていた。
魔文の遅延は広がっている。
遠話鏡の継ぎ先も、不安定になっている。
根幹呼名盤はまだ動いているが、無理をしている。
術務官が詰め寄った。
「何か分かりましたか」
「七人全員は要らない可能性があります」
部屋が止まった。
「何ですって」
「賢者の石は、単純な承認札ではありません。鍵そのものでも、鍵の欠片でもない。定められた数がそろった時だけ、再起動鍵が立ち現れる仕掛けです」
「定められた数とは」
「古文書の図では、三つです」
ルドーが短く言った。
「任意か」
「おそらく、任意の三つです」
私は答えた。
「もしそうなら、今からでも間に合います」
絶望の中に、小さく道が見えた。
七人を待つ必要はない。
来られる三人を探せばいい。




