表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
術負け病編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
107/128

第107話 直しすぎない

 青い羽根亭の朝は、焼きたてのパンの匂いで始まった。

 本来なら、それだけで幸せな朝だったはずだ。


 だが、食堂の端ではバルトが帳面を抱えて固まっていた。

 厨房からは妻らしい女性の声が飛ぶ。

 階段からは客が降りてくる。

 玄関では、昨夜遅く着いた旅人が支え札を探して荷袋をひっくり返している。


 困惑と諦め。


 ここは戦場ではない。

 だが、宿屋の朝はときどき戦場になるらしい。


———

「飯付きが何人だ」


「帳面では二十六」


「厨房では三十一」


「客は三十三って言ってるぞ」


 数字が三つある。

 最悪だ。

 数字は一つでも嘘をつくのに、三つあると会議になる。


 バルトが私を見た。


「王都の人」


「はい」


「見るだけは終わりだ。何が悪い」


 短い。

 助かる。


「宿のやり方そのものではありません」


「帳面が悪いんじゃねえのか」


「帳面は悪くありません。ただ、帳面だけが全部を背負いすぎています」


 バルトは眉を寄せた。


「分からん」


「客が少ない時は、主人の頭と帳面で足ります。常連なら顔で分かる。飯の有無も、部屋も、だいたい覚えられる」


「そうだ」


「でも今は、旅宿支え札で初めての客が増えています。乗合翼竜の遅れで到着順も崩れる。延泊も出る。飯付きと素泊まりも混ざる」


 私は帳面の端を指した。


「頭の中にあったものが、急に頭の外へあふれています」


 バルトは黙った。


 リゼが隣で小さく言った。


「台所で、鍋も皿も注文も全部お母さんの頭に入ってたのに、急に祭りの日になった感じ」


「かなり近い」


「祭りの日だけ、皿に印をつける」


「それでいきます」


———

 私は大きな術盤を頼まなかった。

 王都から人も呼ばなかった。

 宿の卓にある木札と、古い部屋札と、食堂の余り紙を借りた。


 バルトはまだ疑わしそうだった。


「そんなもんで足りるのか」


「足りるところまでにします」


「足りなかったら」


「その時に足します。最初から大きくしすぎると、平日に邪魔です」


 バルトの眉が少し動いた。

 そこは響いたらしい。


 私は札を四つの置き場に分けた。


未着

到着済

延泊相談

本日発ち


「まず、客が今どこにいるかを分けます」


「それだけか」


「まずはそれだけです」


 次に、小さな客札を作った。

 一組に一枚。

 名。

 泊数。

 飯の有無。

 旅宿支え札の有無。


 細かいことは書かない。

 宿の人が一目で見る分だけ。


「客の話は、この札に集めます」


「帳面は」


「残します。夜にまとめます。昼間は動きすぎるので、帳面を何度も直すと崩れます」


 バルトの息子らしい若い男が頷いた。


「昨日、それで何度も消しました」


「消すたびに、前の約束が迷子になります」


「迷子、多いです」


 多い。

 宿に来たのは客だけではなかった。

 約束も迷子になっていた。


———

 部屋札は壁に掛けた。

 客札を、その横に差す。


水路側二階 一組

街道側二階 一組

奥三階   空き


 それだけで、誰がどこに入っているかが見えた。

 見えた瞬間、バルトの妻が声を上げた。


「ああ、三階の奥、空いてるじゃない」


「空いてたか」


「昨日から空いてたわよ」


「言えよ」


「言ったわよ」


 夫婦の会話が始まった。

 これは別の問題だ。

 私は深入りしない。


 次に、飯札を作った。

 朝夕の膳が要る組だけ、厨房の箱へ入れる。

 客札を厨房に持っていかない。

 厨房は飯札の数だけ作る。


「帳面を見に来なくていいんですか」


 若い女が聞いた。


「朝の支度中は、見に来ない方がいいです。厨房は厨房で数だけ分かれば動けます」


「助かります」


「ただし、飯札を入れる人を一人に決めます」


「なぜ」


「全員が入れると、二枚入ります」


 全員が黙った。

 経験がある顔だ。


———

 昼前、乗合翼竜の遅れ札が届いた。

 夕方に着くはずの客が、夜半になる。

 昨日なら、ここで帳面の端に書き込み、誰かが見落とし、鍵が迷子になっていた。


 今日は違った。


「未着に置く」


 バルトが客札を未着の箱へ移した。


「飯は」


「今夜はなし。朝から」


 飯札を入れない。

 それだけ。


 簡単すぎる。

 だが、簡単だから動く。


 私は少し離れて見ていた。

 宿の人たちが、自分たちの手で札を動かしている。

 私が毎回説明しなくてもいい。

 それが大事だった。


 王都式の大きな仕組みは、ここでは強すぎる。

 強すぎる道具は、慣れるまで人の手を止める。

 今の青い羽根亭に必要なのは、止めない道具だった。


———

 夕方には、混乱はかなり小さくなっていた。

 客の苛立ちも、笑い話に近づいている。


「昨日は二階に二組入れられそうになったからな」


「今日は札に名前が刺さってる」


「あれなら間違えん」


 バルトは壁の部屋札を見て、腕を組んだ。


「妙なもんだな」


「何がですか」


「たいした術も使ってねえのに、見えると急に楽になる」


「人の頭の中だけにあるものは、忙しいと落ちます」


「落ちるな」


「落ちます」


 私は言った。


「だから、落ちても拾える場所を作ります」


 バルトはしばらく黙っていた。

 それから、少しだけ笑った。


「おまいさん、王都のすげえ術師だって聞いて、正直、うちみたいなところを馬鹿にするんじゃねえかと思ってたよ」


「していません」


「最初は、うさんくせえとも思った」


「それは少し分かります」


「でも違ったな。わしらのやり方を、まず見てくれた」


 バルトは頭を下げた。


「ありがとな」


 まっすぐ言われると困る。

 私は少し視線を逸らした。


「足りないところを足しただけです。もともと回っていた宿ですから」


「それを言える王都の人間は、あんまりいねえ」


 返事に困った。

 困ったので、湯を飲んだ。

 熱かった。

 最悪だ。


———

 夜、リゼと私は水路沿いを歩いた。

 宿の窓からは、食器を片づける音がする。

 遠くで、乗合翼竜が寝床へ戻る低い声が聞こえた。

 王都より暗い夜だった。

 その分、灯りがやわらかい。


「いい旅だったね」


「仕事をした気もする」


「旅先でまでね」


「不可抗力だ」


「でも、楽しそうだった」


「そう見えたか」


「うん」


 リゼは水路を見た。

 灯りが揺れている。


「直しすぎなかったからじゃない」


「直しすぎなかった」


「家の台所に、王城の厨房みたいな札を全部貼られたら邪魔でしょ」


「かなり邪魔だ」


「でも、祭りの日だけ足りない札を出すなら助かる」


「そういうことだな」


 私は少し歩いてから言った。


「たまには、直しすぎないって判断も要るんだな」


「たまには」


「毎回ではない」


「そこは譲らないのね」


「壊れているものは直す」


「はいはい」


「はいは一回だ」


 リゼが笑った。

 ルドーの真似は、思ったより似ていなかったらしい。


———

 旅宿支え札は、きっとあちこちで似た混乱を起こす。

 急に人が戻る。

 止まっていた流れが動き出す。

 普段なら足りていたやり方が、急に息切れする。


 それは、地方が遅れているからではない。

 王都が正しいからでもない。

 場が違えば、要るものが違う。

 人が違えば、残すべきやり方も違う。


 大事なのは、全部を作り替えることではない。

 どこまで残し、どこだけ足すかを見誤らないことだ。


 青い羽根亭の壁には、たぶん明日も部屋札と客札が並ぶ。

 忙しい季節が過ぎれば、少し減るかもしれない。

 それでいい。


 道具は、人の暮らしの大きさに合わせて置かれるべきものだ。

 この旅で、私はその当たり前を少しだけ思い出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ