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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
術負け病編

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第105話 名前がつくと、直せるようになる

 翌日、昨日の特別講義は学生たちの間で妙な広がり方をしていた。

 金属の船が空を飛ぶ。

 魔法なしで遠くの姿を送る。

 祈っても病が消えない世界で、人が制度と薬と衛生で戦う。


 いくつかは、すでに少し大げさになっていた。

 金属の船が山ほどの人を乗せて雲の上を走る。

 これは正しい。

 炎を吐きながら星まで行く。

 これも、方向としては間違っていない。

 だが、学生の語り口がもう伝説だった。


 人類は珍しい話を聞くと、すぐ神話にする。

 最悪だ。


———

 講堂の隅では、数人の学生が翼の絵を描いていた。

 金属で飛ぶなら、翼の形が大事だと言ったからだ。

 紙の端を折り、息を吹き、どうすれば浮くかを試している。


「魔力なしで浮くなら、風の押し方が要る」


「速さがないと駄目なんじゃないか」


「落ちる」


「落ちるな」


 かなり真面目だ。

 遊びに見えるが、こういう遊びは強い。


 別の場所では、疫病対策について話している学生がいた。


「病を治す術だけが技術じゃないんだな」


「広げない工夫も技術」


「触れ札も、離れ講義も、配給の刻ずらしも、そうか」


 その言葉を聞いて、私は少し足を止めた。

 昨日の話が、ただ珍しい異世界話で終わっていない。

 自分たちの世界を見る目に、少し戻ってきている。


———

 リゼは窓際で、その様子を見ていた。

 少し誇らしそうだった。

 本人はたぶん隠しているつもりだが、隠れていない。


「人気ね、異世界先生」


「その呼び方はやめてくれ」


「昨日の話、みんなしてるわよ」


「大げさになっている」


「それだけ面白かったんでしょ」


「事故に近い授業だったが」


「いい事故もある」


「ないとは言わない」


 リゼは少し笑った。


「私は、少し誇らしかった」


 不意に言われた。

 私は返事に詰まった。


「そうか」


「そう」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 短い会話だった。

 だが、胸の奥が少し温かくなった。


———

 その日の昼、学生の一人が私のところへ来た。

 実家が小さな工房をしている学生だ。


「先生、家の仕事で、なんか遅いところがあるんです」


「なんか遅い」


「はい。注文札が来て、材料を取りに行って、作って、渡して、でも途中でよく詰まります」


「どこで詰まるかは」


「そこが、よく分からなくて」


 私は頷いた。


「まず、名前をつけましょう」


「名前」


「問題は、最初から問題の顔をしているとは限りません。なんとなく嫌な感じ、なんか遅い、なんか危ない、では誰も対処できない」


 表示札を借りて、短く書いた。


注文待ち

材料待ち

作業待ち

確認待ち

受け渡し待ち


「起きていることに名前がつくと、ようやく考えられます。比べられます。直せます」


 学生は、表示札を見つめていた。


「名前がつくと、直せるようになる」


「そうです」


 自分で言って、少しだけ気恥ずかしかった。

 だが、これはたぶん、私がずっとやってきた仕事の芯に近い。


———

 小さな変化は、他にもあった。

 学校の事務担当が、遠話盤の席札を確認していた。


「これ、外見えの印が小さいですね」


 彼はそう言って、赤い紙片を貼った。


外見え注意


 少し大げさだ。

 だが、かなりいい。


 別の学生は、離れ講義の開始前に言った。


「この混乱、まず名前をつけませんか」


 講堂に少し笑いが起きた。

 しかし、笑いながらも、誰かが表示札を持ってきた。

 声遅れ。

 映り止まり。

 返事かぶり。

 招き札迷子。


 名前がつくと、妙に扱えるものになる。

 それを見て、私は少しだけ息を吐いた。


 昨日の授業は、ただ異世界の話をしただけではなかった。

 世界の見え方を、少しだけ動かしたらしい。


———

 午後、ルドーが講堂に顔を出した。

 熱は下がったらしい。

 だが、まだ本調子ではない。

 いつもより歩き方が少し遅い。


「先生」


 学生たちがざわついた。


「寝ていてください」


 誰かが言った。


 ルドーは短く返した。


「寝た」


 短い。

 本調子でなくても短い。


 学生たちが、昨日の授業の話をした。

 魔法がない世界。

 金属の飛ぶ船。

 安定した物の決まり。

 名前をつける話。


 ルドーは黙って聞いていた。

 そして、少しだけ口元を動かした。


「ほぉ」


 間。


「興味深い」


 また間。


「聞きたかったな」


 それだけだった。

 だが、講堂には十分だった。

 ルドーにそう言われると、昨日の授業が少しだけ正式なものになった気がした。


———

 夕方、王都の報せでは、疫病に関する制度見直しの話が流れていた。

 新治癒術式の普及で、重くなる者は少しずつ抑えられ始めている。

 医療所の崩れも、最悪のところは越えつつある。

 ただし、術負け病が消えたわけではない。


 王都と役所では、一律の強い制限を少しずつ見直す議論が始まっているらしい。

 町区ごとの混雑。

 医療所の余力。

 魔導石の配布状況。

 学校や市場の動かし方。


 全面解除ではない。

 勝利宣言でもない。

 社会が、どう付き合うかを考え始めた段階だ。


 学生の一人が言った。


「これも、名前をつける話ですか」


「近いです」


 私は答えた。


「ただの我慢ではなく、何をどれだけ緩めるか、どこを守るかを分けて考える。名前をつけ、段階を作り、比べられるようにする」


 学生は頷いた。


 異世界の話は、また王都の現実へ戻ってきた。


———

 夜、リゼの家の台所で、外は静かだった。

 以前のような硬い静けさではない。

 まだ慎重だが、少し息の通る静けさだった。


「やっと終わりが見えてきたのかな」


 リゼが椀を置きながら言った。


「終わるというより、付き合い方が少し分かってきたんだろうな」


「病と」


「病と、制度と、人の動きと」


「面倒ね」


「面倒だ」


「でも、何も分からないよりはまし」


「かなりましだ」


 リゼは少し笑った。


「名前がつくと、直せるようになる」


「学生の言葉だ」


「いい言葉じゃない」


「いい言葉だ」


 私は窓の外を見た。

 王都はまだ完全には戻っていない。

 魔導石を待つ人がいる。

 制限の中で働く人がいる。

 遠話鏡の向こうで講義を受ける学生もいる。


 それでも、社会は少し学んだ。

 ただ耐えるだけではなく、分けて、名づけて、直しながら進む。


 完全な出口ではない。

 だが、次の段階へ移るための道筋くらいは、見え始めていた。

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