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魔法世界は運用で回る  作者: 月の位相
はじまり

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第10話 郵便局は戦場より地獄

 郵便局は、建物に入る前から“燃えて”いた。


 怒鳴り声が外まで漏れている。

 紙が擦れる音が混ざっている。

 どこかでベルが鳴っている。


 そして――空気が乾いているのに、なぜか息が詰まる。


「……ここ、怖い」


 リゼが小さく言った。


「うん。怖い」


 私は正直に頷いた。

 戦場みたいに矢が飛んでこないだけで、精神的には似ている。


 扉を押し開けた瞬間、熱が来た。


「違うっ! その袋は西区だ! 東じゃない!」

「知らん! 札がそう言ってる!」

「札が間違ってるんだよ!」

「じゃあ誰が直すんだよ!」


 声がぶつかり合い、壁で反響し、さらに大きくなって戻ってくる。

 まさに全館呼び。授業で聞いた“燃える”が、そのまま現物になっていた。


 床には手紙が散らばり、袋が積まれ、紐が絡み、印章が転がっている。

 机の上には宛先札の束。棚には未処理の山。

 人が多いのに、仕事が進んでいない。


 最悪だ。好きなタイプの最悪だが、今は好きと言いたくない。


 局長らしい男がこちらに駆け寄ってきた。

 顔色が灰色。手が紙で真っ黒。目が乾いている。


「ユウ・サカモト殿ですね! 助けてください! 郵便が……郵便が……!」


 語彙が死んでいる。現場が死んでいる証拠だ。


「何が起きてる?」


「全部です!」


 全部です。

 現世の障害報告で一番信用できないワード。


 ルドーが後ろでぼそりと言った。


「ほらな。作文では直らん」


「先生、今日は黙っててください」


「無理だ。教師だからな」


 最悪だ。


 私は深呼吸した。

 まずは止血。まずは範囲を決める。まずは“何が燃料か”を見つける。


 耳を澄ますと、怒鳴り声の中に同じ文句が何度も混ざっているのが分かった。


「この手紙、誰の担当だ!」

「この袋、どこに置くんだ!」

「黒札が分からん!」

「聞け! 誰か知ってるだろ!」


 ……黒札。次の受け渡し先。


 授業で言ったやつだ。


 ユウは心の中で呻いた。


(知りたいのは“次の一歩”だけだ。なのに、世界じゅうに叫んでる……そりゃ届かなくなる)


 口に出したら終わるので出さない。


———

「局長」


「は、はい!」


「今、ここで一番仕事を止めてるのは“仕分けの手”じゃない。叫びです」


「叫び……?」


「担当が分からないから、全員に聞いてる。

 全員が返してる。返事を聞いてる間、誰も仕分けしてない」


 局長がぽかんとした。

 でもその顔は悪くない。原因が一つに見えた顔だ。


 私は続けた。


「全館呼びを止めます。今すぐ」


 局長が震える声で言う。


「でも……担当が分からないと、動けません!」


「だから区切る。近所だけで聞く。近所の外は門番が処理する」


 局長は理解していない。

 でも理解を待ってたら街が止まる。


 私は声を張った。


「聞け! 全員!」


 郵便局の怒鳴り声が一瞬だけ弱まる。

 “新しい怒鳴り声”が来ると、人はつい黙る。悲しい習性だ。


「今からルールを変える!

 全館呼びは禁止! 叫んだやつから外に出す!」


「はぁ!?」


 反発の声が飛ぶ。

 当然だ。人は変化を嫌う。


 私は指で床に大きく線を引いた。チョークだ。すぐに折れるが今は十分。


「ここから右が“東区画”、左が“西区画”。奥が“南区画”。

 お前らは今いる区画から出るな。出たら迷子になる」


 ルドーが小さく笑った。


「迷子になるのはお前らだろ」


 黙れ。


 私は続けた。


「区画ごとに三人、門番を立てる。

 門番は声の大きい順じゃない。手の速い順だ。局長、指名しろ」


 局長が狼狽しながら、現場の古株を三人呼んだ。

 目が死んでるが、手は止まっていない人たち。現場で一番信用できるタイプ。


「君たち! 門番だ! ……えっと、門番ってなんですか!」


 知らんのかい。


 私は門番役の三人にだけ近づいて、短く言った。


「区画内で黒札が分からない手紙が出たら、お前らが受け取る。

 区画内で分かれば返す。分からなければ、隣の門番にだけ聞く。

 全員に聞くな。」


 三人が、疲れた顔で頷いた。


「……要するに、問い合わせ窓口か」


「そう」


「……最初からそれ言え」


 ごもっとも。


 私は局長に言った。


「鐘、ありますか」


「あります!」


「鳴らしてください。今から新ルール開始の合図にする」


 局長が震える手で鐘を鳴らした。


 チン。


 音が通る。

 不思議と、それだけで現場が“区切られた”気がした。


———

 最初の十分は地獄だった。


 区画を跨いで走ろうとする者。

 叫びそうになる者。

 門番に手紙が雪崩れ込む者。


「門番! これどこ!?」

「門番! 東区ってどっち!?」

「門番! この印章、見たことある!?」


 でも、前よりマシだった。


 叫びが“全館”に飛ばない。

 せいぜい区画内で止まる。

 耳が死なないだけで、人は手が動く。


 私は門番の後ろに立って、やり方を少しずつ整えた。


「門番、いきなり全部答えなくていい。

 まず宛先だけ見て、大分類しろ。都市、区、通り。大箱に入れる」


「宛先って何だよ」


「住所だよ」


「最初からそう言え!」


 今日はそればかりだ。


 門番は宛先で大箱を作り始めた。

 東区箱、西区箱、王城箱、外地箱。


 これだけで、迷子が減る。

 “次の受け渡し先が分からない問題”を、先に大分類で潰す。


 しばらくすると、門番の一人が言った。


「ユウ殿。東区箱はだいたい同じ通りに行く。

 毎回聞かなくても……この箱、同じ配達人に渡せるぞ」


 私は頷いた。


「それが“覚える”ってことです。札を貼りましょう」


「札?」


 私は棚から木札を取り出した。郵便局の備品だ。

 そこに短く書く。


『東区箱→配達人:カド』


 門番が目を見開く。


「……それ、便利すぎるだろ」


「便利だけど、油断すると死ぬ。

 札は貼りっぱなしにしない。今日だけ。明日見直す」


 門番が笑った。


「現場の人間みたいなこと言うな」


 私は内心で笑った。

 現場の人間だよ。もう。


 こうして“札”が、仕分けの決め事になっていく。

 札が増えるのは怖いが、増やし方を管理すれば強い。


 区画の門番たちは、少しずつ“問い合わせ”を減らした。

 問い合わせは門番同士の短い会話だけになる。


「東区の“湯の町”ってどっちだ」

「南の門番の担当だ」

「了解」


 全館に鳴り響く怒鳴り声は消え、紙の擦れる音が戻ってきた。


 郵便局が――動き始めた。


———

 だが、最後に一つ問題が残った。


 局長が青い顔で持ってきた封筒。

 王城の印章。封蝋が二重。重い。


「これが……行方不明だった重要書類です。

 でも、誰も“どこへ送るべきか”が分からない」


 宛先の欄が空白だった。


 門番たちが顔を見合わせる。


「宛先がない? そんなの配れない」

「誰かが持っていけばいいだろ」

「持っていっても誰に渡すんだ」

「全館呼びするか?」


 その言葉で、空気が一瞬だけ揺れる。

 “燃える”が戻ってきそうになる。


 私は封筒を手に取った。

 重い。怖い。

 こういうのは、だいたい政治が混じってる。


 封筒の裏に、小さく刻印があった。

 王城の印ではない、別の印。


 私は目を細めた。


「……これ、宛先が書いてないんじゃない。

 “書けない”んだ」


 局長が息をのむ。


「え?」


「誰に渡すかを紙に残したくない。だから宛先を空にした。

 でも刻印だけ残してる。刻印で渡す相手を指定するタイプのやつだ」


 ルドーが後ろで鼻を鳴らした。


「面倒な大人の郵便だな」


「先生、楽しそうですね」


「誤解するな。面倒が好きなだけだ」


 最悪。


 私は局長に言った。


「この刻印、誰が読めますか」


 局長が震える声で答える。


「……王城の、書記局です。特殊な印です」


 私は頷いた。


「じゃあ、この封筒は“門番扱い”にする。

 門番から門番へ。最後に書記局の門番へ渡す」


 門番たちが納得する顔をした。

 宛先がなくても、経路があるなら運べる。


 私は息を吐いた。


「……これで、燃えない」


———

 夕方。

 郵便局の怒鳴り声は、ほぼ消えていた。


 代わりに、紙の擦れる音と、印章を押す音が響く。

 現場が“仕事の音”に戻ると、世界が少しだけまともに見える。


 局長が、床に座り込んだ。


「……流れてる……郵便が……」


 リゼが小さく笑った。


「ユウ、顔がちょっと嬉しそう」


「嬉しくない。安心してるだけ」


「それを嬉しいって言うんだよ」


 またそれだ。言い返せない。


 ルドーが言った。


「よし。宿題の半分は終わった」


「半分?」


「区切りと門番で“燃えない”のはできた。

 だがまだ“届く保証”はない。落ちる。盗まれる。改ざんされる。

 ……続きは後で教える」


 局長が震える声で言った。


「ユウ殿、これは……魔法ですか?」


 私は正直に答えた。


「魔法じゃないです。

 ただ、全館呼びをやめただけです」


 局長が泣き笑いした。


「そんなことで……こんなに……」


「そんなことが一番難しいんです」


 私は言った。

 現世でも、異世界でも、それは変わらない。


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