第二十九話 地霊決戦
今回はいつもよりシリアスめに書いてみました。
きた
とも呟いた者は誰一人いなかった。
低く、くぐもった足音が近づいてくる。地霊の吐息が暗雲を形成し、それが上昇気流にのってマイマイのように渦巻いて地霊の身体―
甲羅の上を覆っていた。
目にはヤニが浮かび、どうにも白い髭のような何かが生えている。コケが生い茂ったように深い緑に包まれている。ときどき白や黄色の光が見えたように感じさせた。
古代中国の空想の神獣に北の方角を守る玄武、というのがいるが恐らくそれに近しい見た目をしていた。
それは神秘的で妖しい。
背後で援護射撃のため控えている魔法師たちも不安の色を拭えないでいた。
ある者は足を硬直させたかと思えば震えが止まらなくなり、
ある者は喉が渇いて送るべき唾液がなくなったりした。
これに負ければもうお終いなのか
と、恐怖でむせび泣く者も少なくなかった。
地霊は怪物だ。少なくとも人間のかなう相手ではないと誰もが思うが、口には出さない。出せばそれが現実になることを恐れた。
そんななかスズカは一段高い場所に立ち、左手に杖を持って、右手でローブの裾をグッと掴んで放さなかった。
平素からスズカは緊張とは無縁の性格を自覚していた。いや、自覚していると思い込んでいた。
自らに自信と安寧を刷り込むことで目の前に迫りくる恐怖を軽減しようと無意識のうちに努力していた。
そのうち雨が降ってきた。
降り始めはパラパラと小粒の雨だったが、だんだんと強まり豪雨と言って差し支えないほどに降ってきた。
これを吉兆ととるか、悪夢のファンファーレと見るかは各自の信念に任されていた。
『距離2000メートル!』
伝令が少し裏返った、カン高い声で叫ぶように報告した。
スズカの重厚なローブに雨粒が染み込み、靴下までグショグショとなっていたが、どうにも気にならなかった。
裾を握る右手に力がこもる。
ランドが一歩、スズカの水球の維持を補助している魔法師たちの方へ歩みでて、
『今!われわれは未曾有の困難へ敢然と立ち向かわんとしている。
軍人の本懐は戦というこの一分一秒の刹那にすべてのエネルギーを注ぎ込み、これに打ち勝つことである。
戦とは勝つか負けるか、片方しか得ることはできない。いずれにせよ諸君らの奮戦は諸君らの子孫の代にまで轟く名誉となるだろう!』
ランドは実のところかなり高貴な生まれである。
ランド自身、高貴なる者はその者の立場を全うしなければならないと考えている。ランドは現状軍人ではないが、将来的に軍の要職に――
たとえそれが名目だけのお飾りであろうとそれを全うすることが、偶然にもやんごとなき家の血縁という恵まれた立場の者の役目であると思っている。
そういう意識から言えばランドとしては今の激励は至極真っ当なことであった。
あいつは何者だ?
と思わない魔法師も少なくなかったがこの鬱屈とした悲劇の役者たちに抗う勇気を与えてくれた。
「ランドって実はいいとこの出だったりする?」
「...地霊に勝ったら教えてあげましょう」
もしや、一級死亡フラグ建築士?
『距離1000メートル!』
伝令が叫んだ。
スズカは反応を示さない。
しびれを切らして、魔法師たちの長が
「まだ放たないのか?」
と、聞いてきた。
「まだ遠いなぁ...」
独りごちともとれたが魔法師長は妙に納得した。
今さっき実験を行ったばかりの魔法である〈貫く流れ〉の有効射程距離はおそらく200メートルかそこらであるとスズカは踏んでいた。
それより遠いとたぶんあの分厚そうな皮膚を貫いてはくれないと考える。
実際、スズカの勘は正しかった。地霊の皮膚は分厚く、通常の魔法では傷一つつかないほどだ。
この魔法に全力で魔力を込めてしまう以上、一撃で地霊を屠ることがスズカには求められた。
魔法師たちの援護射撃もあるにはある。けれど、あの山一つあるサイズの地霊には鳩に豆鉄砲だろう。もとより期待はしていなかった。
そもそも王国軍の魔法師は質が良いかと聞かれればそうではない。
王国では未だ剣士が敬われる傾向が地方ではあって、優秀な魔法師は他国に行ってしまう。
隊長クラスなら優秀な者は多いが、今回は緊急事態のため、本来は戦場に出さないような新兵まで駆り出されていた。つまるところ烏合の衆だったわけだ。
魔法師長の焦りはずんずんと積もってゆく。
『もはや500メートルです!』
「...みんなを退避させて」
「...わかった」
ランドの指示で騎士たちと一部の新兵たちが後方へ退避してゆく。
兵士たちは体力増強の魔法をかけながら、急いで去っていった。
一部始終を見たあと、その場には、
スズカ、ランド、魔法師長とベテラン魔法師、距離測定の伝令兵だけが残った。
スズカは、
(もっと早くに退避させるべきだったかな...)
と、後悔した。
「射撃用意。」
低く呟いた。
スズカは持っていた杖を横倒し、脇腹に抱え、両足を強く踏ん張った。
スズカの周囲から煌めくモヤが舞いはじめ、水球は形を形成してゆく。
同年代から見ても小柄な体躯で踏ん張るスズカの杖に施された黄金の装飾がなぜだか青錆びて見えた。
魔法師長も自前の杖を強くにぎりしめた。
自分はスズカがさきほど披露したような一撃必殺の魔法は所持していない。もしあの魔法に対抗できる魔法師がいるとしたら、それは七聖ぐらいのものだな。
と、考えていた。
が、すぐに今自分ができる全力を出しきることだ、と改めた。
ズンッ!
木々が揺れ、空気が揺れ、大地が揺れていた。
その姿はその名が大地を冠するように雄大だった。
スズカの水球は背後に控える魔法師たちの応援で、ついに熊ほどの大きさにまで膨れ上がり、いまか、いまかとそのときを待っている。
「まだまだ...」
もはや地霊の息づかいが林野にこだまするほどに接近していた。
魔法師長が叫んだ。
「おい!いい加減にせんと!」
「黙ってろ!」
ぴしゃりと黙らせられるとむく犬のように萎縮してしまった。
とそのとき、白目を向いていた地霊の目がグルンッとこちらを向いた。
『今!!!!!!!!』
グッッゴゴゴッ!
家一軒に匹敵する大きさとなっていた水球がついに放たれる。
巨大な渦となって音よりも速く飛翔した水の柱は地霊の眉間を深々とつらぬいた。




