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寵妃の憂鬱  作者: 一条さくら
第一章
12/35

11

 ―――それは本当に、唐突に起こった出来事だった。

 宿の女将に頼んで湯を使わせて貰い、旅の埃を落とした直後の事。

 濡れた髪を拭いつつ部屋へ戻る為に足を向けた際、私の目の前に複数人の男女がその回廊を塞いだ。宿の敷地はそれ程大きなものではなく、湯殿から部屋へと続く回廊は人気の無い場所にあり、光量も極力抑えられている。その為これ程多くの人影があっても、宿の従業員が何事かと飛び出してくる事は無い。

 一応出入り口には番頭が居た筈だが、この男女の服装から察するに、高級宿の部類に入るこの宿に出入り出来る程の身分では無いのだろう。少なくとも身なりが良いとは言えない者達だ。であるとするならば、宿の番頭は買収済という訳か。

 多勢に無勢。ここで虚勢を張っても、或いは真逆の弱弱しい姿を演じても、恐らく道は変わるまい。ああもう本当に、どうしてこんなトラブルに巻き込まれるのだろう?

 ……いいや、私が余りにも気を抜きすぎていて、無知だったから。だからこのような事件に巻き込まれてしまうのだ。私はやはり、危機管理という面でこの世界の人々の誰よりも劣っているのだろう。

 シャカナーンと呼ばれるこの世界で平和を享受出来るのは、一部の富裕層か或いは富裕層に近い裕福な方だけだ。


「私に何か御用があるのかは分かりませんが、そちらを通して頂けますか?」


 平静を装って努めて淡々とそう声を上げると、彼等は嘲るような籠った笑い声を漏らした。

 成程、やはり彼等は私を目的としてこの場に集まっているらしい。

 湯殿から上がった手前、武器となるような物など何も持ってはいない。こんな事ならば、あの仕込み刀が入った扇を肌身離さず持っているべきだった。

 まさしく、後悔先に立たず。


「はっ、あんたを通す訳ねえだろう、嬢ちゃん。俺達は少しばかり嬢ちゃんにお願いしたい事があるだけだ。その身に着けている宝石類、一切合切こっちに渡して貰おうか?」


 宝石類、というと今手元にあるのは先程まで着けていた首飾りと耳飾りだけだ。けれど何故、この男達がそれを知っているのだろうか。その答えは直ぐに判明した。

 じりじりと近寄ってくる下卑た笑みを浮かべるひょろりと背の高い男。その顔には、見覚えがあった。確か先程まで馬車を走らせていた御者ではあるまいか。その後ろに立っている男女も、馬車を降りて直ぐの市場に立って談笑していた町人だ。

 全く、女性達の忠告は些か遅かったという事か。

 彼らの正体は恐らく町人を装った盗賊集団だろう。流石に短期間でこうも手籠めにされようとする場面に遭遇するなど、私は存外妾妃としてのぬるま湯の生活に慣れ過ぎていたのかもしれない。


 どうする? どうすれば良い?


 心の焦りとは裏腹にどんどん距離を詰めてくる男達に言いようのない恐怖が生まれてくる。どうしたって、私に残されているのは手持ちの宝石類を明け渡す事位しか選択肢が無い。けれども男達がそれだけで満足し得るものとは到底思えないのもまた事実。

 実際、男達の目には獣の如き劣情を隠す様子もなく爛々と目を光らせ、舌なめずりしている。

 後ろ足がとんと縁石に当たった。ぐらりと体が揺れぬよう踏ん張ると同時に、男達が少し手を伸ばせば届く距離にまで近づいている事に気付き、はっと息を飲む。


 最早これまでか、と体を震わせて目を閉じた瞬間、一陣の風が吹き抜けたかと思うと、前方からどさりと何か重い物が倒れる音がした。その後もその音は続き、自身に掛かる圧迫感が薄れた気がしてそうっと目を明けると、男達が呻き声を上げて倒れている様が見え、目を瞬かせた。

 何故、どうして。

 混乱を来した頭でそれらを眺めていると、私の目の前にすとんと何かが落ちてきた。


「白影…」


 片膝を付いて頭を垂れたその人物は、マルセルが以前私に付けていた暗殺集団の長だった。その後ろに隠れるようにして、幾人かの姿が目に付く。薄暗闇に溶け込むかのような黒づくめの服装は、間違いなくマルセルの手の者だ。それを確認すると同時に、気を張っていた神経が緩んでふらりとよろめいた。この場に居る誰もが、マルセルに忠誠を誓った人達。生涯その手をマルセルの為に汚す事を厭わない者達だ。それはある意味私にとって、ある種マルセルに守られた大きな盾を得たようなものである。

 今だけは、彼らの存在が頼もしい。

 けれども彼らが私の目の前に現れたという事は、マルセルから何がしかの命令が下っているのだろう。となれば、倒れている男達を無力化したのも彼らの功績に寄るものが大きいのだろう。いいや、確実に彼らに違いない。


「頭を上げなさい。発言を許します」


 妾妃たる私は一応彼らの階級に照らし合わせれば、私の方が上になる。故に、微動だにせず頭を下げる彼らに対して行動する許可を与えなければならない。

 しかし実際には、マルセルのいわば懐刀である彼らの方が階級は上の筈だ。私はマルセルの正妃ではなく、単なる妾妃でしかないのだから。

 大いなる矛盾を感じながらも彼らにそう言葉を下せば、彼らは直ぐに顔を上げた。目元しか伺えぬ白影の目を見つめると、白影は静かにこう宣った。


「陛下の命により、御身を王宮までお連れします」

「そう…相分かりました。ですが私には連れがおります。彼に申し開きをせねばなりません。少し時間を貰います」

「それには及びません。どうぞお早くお支度を。陛下は御身の早急なる帰還をお望みです」

「……! よもや彼に手荒な真似をしたのではあるまいな? もしそうであるのならば、」

「いいえ。どうぞご安心を」

「分かりました。ですがもし彼に無体な真似をすれば、私が黙っていない事を通告しておきます」

「御意」


 深々と頭を下げる白影に、私は諦める他無かった。

 呻き声を上げる男達と、奇異の眼差しで見つめる宿の女将達を振り切って、私は白影が用意したらしい貴人用の馬車に乗り込んで宿を後にした。





「どこだ、ここは」


 ずきずきと痛む頭を抑えるが、この場所が何処に当たるのか全く分からない。視界は闇で閉ざされている。耳を澄ませば音が聞こえてくるものの、夜目に長けていないヒカイでは暗闇の中で見えてくるものも限られてくる。出来る限り首を動かしてみるものの、両足は何かで縛られているのか動かず、背中で一纏めにされた両手が痛みを訴えてくる。幾ら両手を擦っても拘束された両手が動く様子はなく、足もまた同様だ。

 頑張って上半身を反らして目を凝らすと、若干周囲の物が見えてくる。ごとごとと不規則に揺れる床と些か粗末な作りの壁を見るに、もしかすると自分は馬車か何かに押し込まれているのかもしれない。少なくともこれは単なる部屋の一室などではないだろう。

 体を変な体勢に捻っていたせいか、上半身がずきずきと痛む。仕方なく痛む頭と体を考慮してゆっくりと体を横たえて目を瞑った。

 思い出すべきことは、ここに至った経緯だ。

 ヒカイが記憶しているつい先程までの情景を思い出し、ヒカイは少しばかり時を遡った。


 確かそう、ヒカイは居なくなったシェンリュを探して宿を飛び出した時の事だ。往来を歩く人々は少なくなっていたものの、その辺りにシェンリュの姿は無く、ヒカイは宿のすぐ近くにある路地裏へと飛び込んだ。薄暗いそこは普段人が行き来しない通りなのだろう。静まり返っていて、何とも言えない冷気が漂っていた。

 シェンリュ、と声を張り上げるのも憚られ、「何処に居るんですか!」と少しばかり声を上げて探していると、不意に後ろから鈍器が落ちてきた。

 ヒカイとて一介の武人。人の気配を読む事にも長けている筈だが、後ろから襲ってきた人物には全く持って気配というものがなく、ヒカイが気付いたのも単なる直観に過ぎない。人の気配も感じさせず、正確無比に鈍器を振るう人影は一切の容赦なくヒカイを追い詰めていく。ヒカイが腰に差した刀で応戦するも、然程人影に追い付いているとは言い難く防戦一方。勝敗が決したのは、案外直ぐの事だった。

 鈍器を刃毀れ覚悟で受け返し、人影に一閃を振るうと、何か嘆息するかのような音が聞こえ、その次の瞬間にはヒカイは地面に叩きつけられていた。

 強かに顔を打つヒカイの口元に布のような何かが被さった。毒物等では無いのだろう。劇物特有の苦みも無臭もなく、視界がぼやけてくらりと目眩がした。手から力が抜け、刀を取り落した瞬間にヒカイの視界に映ったのは、大きな麻袋をヒカイに掛ける小柄な人影だった。


 遅れを取った事は甚だ遺憾ではあるものの、ヒカイは生き残っている。…いいや、生かされているというべきか。であるとするならば、ヒカイはまだ利用価値のある存在と見做されているのか、はたまた取るに足らぬ小物故に見逃されているのか。まあ後者なのだろうなとヒカイは胸中で溢した。

 侮られている、という現実はあまりにも業腹物だが、実際に手合わせをして敵に敵わなかったということは事実である。だとするならばここでヒカイが暴れても意味の無い事なのだ。

 わざわざ手間を掛けてヒカイを移動させているような連中だ。恐らくは何か別の目的があると見て良い。恐らくその目的というのは、シェンリュ本人だろう。

 結局、シェンリュを見つけられぬままこの場に来ている。何も怪我が無ければ良いが、相手がどのような人物か分からない以上最悪の事を想定しておくべきだ。


 本来の主へ謝罪をしつつ、ヒカイは最早抵抗する意思を捨ててそのまま眠りに付いた。何か事を起こすにしても、体力が無ければどうにもならない。だから今はただ静かに状況を受け入れよう。

 ヒカイは再び目を瞑り、静かに眠りの中に入って行った。





 王都への道のりは馬車を夜通しで走らせても五日は掛かる。随分、遠くまで来たものだと思う。

 白影達に馬車に乗せられて既に二日が経過していた。けれど未だヒカイと面会しては居ない。白影は私とヒカイを会わせるつもりは無いのだろう。少なくとも、王宮でマルセルに報告しその許可を得るまでは。

 恐らく、怪我等はしていないだろうけれども、結局私はヒカイを自分の事情に巻き込んでしまった。

 それに関しては、本当にヒカイに申し訳無く思っている。だから王宮に着いてマルセルと会った時には、彼をきちんと解放してくれるように伝えるつもりでいる。

 ヒカイは私の命の恩人なのだから。


 それにしても、馬車というものは中々に不便なものだ。

 何もせずぼうっと馬車に乗っているという事は存外居心地が悪い。マルセルに召し上げられる前は、私自身も何かしらの手伝いをしていたし、舞姫になった時であっても私は雑事をこなしていたのだから。

 働かざる者食うべからず。

 それは日本に居た時、常々両親から言われていた事でもある。けれどもこの世界に於いては、未だ私はメイベル王国の妾妃である。だから労働をする等という事は、ある意味蔑視される事でもあるのだ。


 私の自由は、これで終わり。なのかもしれない。

 久方ぶりに袖を通した曲裾の裾を握りしめ、私は馬車の外を流し見た。


 私が乗っている馬車には外から鍵が掛かっているため、同乗者は居ない。何か用事があれば――と言ってもお手洗いや食事等の必要最低限のもの――馬車の内部に取り付けられた鈴を鳴らすか、御者台に面する壁をノックする他ない。然しながらその鈴を鳴らすことは終ぞ無かった。

 何故ならば彼らが配慮をして、時間がくれば食事を出してくれ、夜は貴人用の高級宿に泊まる事も出来たからだ。お手洗いとて、言わずともタイミングを見て降ろしてくれる。

 適度な距離を保ちながらも、彼らが私の側を離れる事は無かった。息が詰まるという事は無かったけれど、このまま王宮へ行っても良いのかという疑問が段々と頭を擡げてくる。

 実際、マルセルに合わせる顔など何処にも無いというのに、私は王宮へ戻ったとしてどうするべきなのだろうか。

 彼らが運び出してくれていた私物の中から思い出深い赤い菊の花を模した簪を取り出して、私はそっと結い上げた髪に挿した。

 赤い菊の花言葉は、あなたを愛しています。

 それはマルセルに妾妃として召し上げられる直前、私がマルセルの元を離れようとして失敗し、所謂プロポーズを受けた際に渡されたもの。


「マルセル」


 私がこれを受け取った時、マルセルは常に無く顔を綻ばせて微笑んでいた。それで良いのだと。いつでも共に在れと、そう言って力強く私を抱きしめ、これ以後は私が守ると、そう言ってくれたのだ。

 けれど私はその思いに応えられていたのだろうか?

 元々私は奥ゆかしさや恥の文化の中で生まれ、生きてきた日本人であり、表立って愛情表現をするという事は勇気がいるものだ。何度かマルセルに言葉で愛情を伝えた事もある。けれどもきちんとマルセルと話が出来ていたのかと言えば、疑問がある。


 私は、ただマルセルときちんと話す事を避けたいが為に、逃げ出したかっただけなのかもしれない。

 マルセルはのらりくらりとしていて、真意を推し量る事が難しい男性である。

 けれども真正面から正直にその気持ちを更に問いただせば、きちんと答えてくれたのではないだろうか。

 ……いいえ、もしそう問いただしていたとしても、私の選択は変わらなかったと思う。

 妾妃として生きると決めた瞬間から、私は私自身の人生を諦めた筈だった。

 妾妃として生きるのであれば、私事わたくしごとなど不要なのだと。

 けれどもそれは、誤った選択だったのかもしれない。

 私は、私の事を諦めずに、妾妃として生きる事だって出来たのかもしれない。


 ああ、考えが纏まらない。

 これは結局私とマルセルの間でしか解決出来ない事なのだろう。

 ならばやはり、王都でマルセルに会うしかない。


 一度止まった馬車が動き出す。

 馬車の外は夕日が傾いていた。




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