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寵妃の憂鬱  作者: 一条さくら
第一章
13/35

12

 ―――とうとう、王都に入ってしまった。

 馬車の外に見える景色は随分と様変わりして久しく、緑や時折通り過ぎる古民家等の長閑な風景から、唐突に派手な色合いの赤い屋根やそこここに出店された露店、区画整理されたと思しき長屋が整然と立ち並んでいる。田舎の方ではあまり見かけなかった派手な色合いの衣服を着た男女の姿や、活気ある商人達の掛け声は多くの人々が行き交う往来で喧騒の渦となって馬車の窓越しに飛び込んでくる程だ。

 メイベル王国の首都でもあるこの王都は、古来から栄えていた都であり、この王都に住む人々も何世代も年を重ねて住まう人々が殆どで、少し物珍しそうに露店を回ったり、きょろきょろと周りを見渡しているのは観光客か田舎から出てきた商人位のものである。


 ここで二年過ごしてきたのだ。私にとっては懐かしい景色だけれども、少しばかり憂鬱になるのは私自身の罪悪感のようなものがあるからだろうか。

 別段私とマルセルは嫌い合って今日に至っている訳では無い。けれどもマルセルを前にして何を話すべきなのか、私には未だ迷いがある。私にとってマルセルは命の恩人であり生涯を誓い合った伴侶だ。けれどもマルセルが本当に私を妃にするつもりがなく、時の流れによってそうせざるを得なかっただけなのならば、これがマルセルと縁を切る良い機会でもあるのだろう。

 もし、これがマルセルにとって違うのであれば私はどうすれば良いのか。


 王宮までは馬車を使っても後もう少しばかり時間がある。目前に見えてきた赤の宮殿を前に、私は馬車の中でとある人物と対面していた。


「リュウホウ様、何故貴方が此処に?」

「何故、と貴女が仰いますか、妾妃殿下?」


 うっと言葉に詰まる私を鼻で笑ったリュウホウは、姿勢良く差し向かいに座っている。馬車の内部は比較的広いものである筈なのに、何処か圧迫感を感じさせるのはリュウホウが放つ鋭い怒気と威圧感のせいだろうか。

 緩んでいた意識を引き締め直すと、リュウホウがふうっと息を吐いた。私は師を前にした弟子のように緊張してしまう。いや、実際にリュウホウと私の関係は実質的にそのようなものだけれど。


「此度はやってくれましたね。貴女にこのような行動力がある事を失念していた私のせいでもあるのでしょうけれどね」

「……」

「まあ、それは宜しい。今は貴女の真意を聞くために来たのですよ。全く、私は忙しい身だというのに手間を掛けさせてくれますね、殿下。さて貴女に聞きたいのは一つのみです。貴女はどうしたいのですか?」

「どうしたい、とは」

「これから陛下の御元へ戻るに当たって、どのような身の振り方をするのか聞いているのですよ」

「戻る前提なのですね」

「当然です。最早貴女以外に陛下を御止めする事は出来ませんから」


 陛下を止める。それはある種のマルセル自身へ向けるストッパーのような物だ。確かに私が妾妃となってリュウホウを始めとするマルセルの側近達に期待されていたのは、マルセルが暴走した際の…或いは暴走する直前のストッパー役である。

 然しながらこれも結局、私がその役目を果たせていたかと言えば疑問である。何故ならマルセルは大抵の問題を冷静に見つめ、自ら対処しているため、私はマルセルの中で決定した最終的な結果を聞き、時に意見をする事しか出来なかったのだから。


「それはどうでしょう…それに、陛下には多数の情婦方がおられるではありませんか。私が居なくとも陛下ならば問題は無いでしょう?」


 そう言うと、リュウホウは殊更深い溜め息を吐いてその心情を表すかのようにとんとんと肘置きを叩いた。そこから滲み出る殺気にも似た怒りの気配は僅かに身が竦む。

 けれどもリュウホウは直ぐにその怒りを沈めて溜息を吐いた。


「全く、ここまで来るといっそ陛下が哀れでなりませんね。高々一夜を共寝する情婦(お人形)如きに陛下を御止めする事など出来様筈がありません。何より―――」


 喉の奥がつかえたようにぴたりと口を閉ざしたリュウホウは、僅かに顔色を変えて視線を逸らす。その際立った不自然さに私は声を上げた。


「どうかなされたのですか?」

「何でもありません。ああ、貴女が気にする必要はありませんよ。」


 そう言ったきり、馬車の外を眺めるリュウホウからは何の感情も読み取れず、不可解さを増すその態度に、私は嫌な予感が沸き上がってくるのを感じつつも私の問うような視線すら黙殺するリュウホウを前にして、仕方なく流れ行く景色をただ黙って眺める事しか出来なかった。


 そうして馬車はゆっくりと王宮の正門ではなく裏門へと進んでいく。妾妃が失踪したという事実は、私が知る限り公式には発表されていない。王宮内ではどのような処遇がなされているのかは不明だけれど、少なくとも大多数を占める国民にはこの事実は伝わっていない。

 その為、本来であれば王宮に居る筈の妾妃が正門から出入りするのは民へあらぬ疑念を呼ぶだけだ。


「故に裏門を用いるのですよ」


 とリュウホウは心底うんざりとした様子で息を吐いた。

 分かっては居た事だけれど、王宮の敷地に入ると、急速にマルセルとの物理的な距離感が近付いて心臓が嫌な音を立てる。

 けれども私は私の意思で選んだ結果、ここに居るのだから、怯える必要等無いと自分を奮い立たせた。


「私達の徒労に感謝して欲しい位ですね、妾妃殿下?」

「…大変なご迷惑をお掛け致しました。申し訳ございません」

「謝罪は不要ですよ、殿下。申し開きは陛下になさる事です。どうぞお頑張り下さいね、殿下」

「ええ、承知しております、リュウホウ様」


 その言葉に満足したようにリュウホウが唇を歪めて冷ややかな笑みを浮かべた。





 緩やかに王宮の奥へと入って行く馬車は、丁度裏門から入って突き当りにある奥宮の玄関に停まった。先ず先にリュウホウが降りるのを見た後、私もリュウホウの手を借りて王宮に降り立つと、何処からともなく駆けるような沓音が鳴り響き、普段から静寂に包まれた奥宮に似つかわしくないその音に振り向くと、ふわりと柔らかな香が香った。


「女官長」

「ああ、寵妃様…! よくぞご無事でっ」


 崩れ落ちるように平伏した女官長はそのほっそりとした身を震わせて涙交じりに声を上げた。その悲愴に塗れた声は何と切なく悲しい事か。その痛ましさに胸が締め付けられる。


「頭を上げて頂戴、女官長」

「寵妃様、本当にご無事でようございました。お怪我はございませんか?」

「勿論、何も無いわ。心配を掛けてしまってごめんなさいね」

「いいえ、いいえ! こうしてご無事にお戻り頂いたのも陛下のご采配あっての事。不逞の輩をそうと気付かず王宮への侵入を許してしまった、私共の不手際により、よもや寵妃様を危険な目に遭わせてしまう等、本来あってはならぬ事。私共が至らぬばかりに本当に申し訳ございませんでした。どうぞ平に、平にご容赦下さいませ! もし、寵妃様のお気が済まぬのであれば、この首を以て償わせて頂きたく」

「……!」


 何を言っているの! と叫びたかった。何が起こっているのか分からず、ばっと隣に立つリュウホウを見やれば、何も言うなと威圧感のある視線に射抜かれる。

 つまり、私の知らぬ場所で王宮では私が居なくなった出来事について何か大きな事件として扱われていたという訳だ。しかもそれは、私自身の自由意思によるものではなく、事件の首謀者として槍玉に挙げられている人間が少なくとも一人は居るという事。

 一体全体、どうしてそんな話になっているのか。


 マルセル、これは全てあなたの采配によるもの、という訳なのね?


 勿論、マルセルの意図は明確だ。けれども私の意思とは別の所で、事が納まろうとしているのには複雑な感情を抱かざるを得ない。それが自身の妾妃に対するマルセルの配慮だとしても。

 途方に暮れそうになる思いを堪えて、私は女官長の前に片膝を付いた。


「女官長、貴女の職務に対する忠実さ、誠実さは確かに受け取りました。けれども私はこれからも、貴女にその役目をお願いしたいわ。だからどうか、これからも私の側で仕えてくれるかしら?」

「寵妃様…」


 感極まったように涙を流しながら私を見上げる女官長に微笑みかけると、再び顔を伏せた女官長は小さくともはっきりとした声で「はい」と呟いた。

 その肩をそうっと撫でながら、王宮で此度の出来事がどのような話になっているのか後程女官長か或いはリュウホウから聞き出さなければと決意する。けれども視線の先に居るリュウホウはその視線を黙殺し、女官長へ声を掛けた。


「女官長、寵妃様は長旅のお疲れが出ています。先ずは湯殿で旅の埃を落とし、ゆるりと休まれるように案内なさい」

「承知しております、尚書郎様。申し訳ございませんでした、寵妃様。どうぞこちらへ」

「ええ」


 何が起こっているのか今の私には理解できない。だからこそ、一刻も早く女官長から話を聞かなければという思いを強くする。

 そうして私は、女官長の先導の下、数か月ぶりに王宮の中へと足を踏み入れた。





 ぶくぶくと湯殿の大きな浴槽に浸かりながら、私は女官長と、湯殿で待っていた女官達の話を頭の中で統合する。

 つまりはこういう事らしい。


 ―――妾妃である私は、第二都市の前太守であった、ドウラン・グンホ太守の手によって王宮から誘拐された後、その屋敷に囲われていた。それを突き止めたマルセルが州兵を派遣し、太守の身柄を押さえ、既に太守は投獄されているとの事。

 この件とは別に、太守による婦女暴行容疑や横領疑惑等、大小様々な容疑が掛かっているらしく、恐らく打ち首になるのも時間の問題だという。

 あの屋敷で別れてしまったファンリュを思い出す。ファンリュはヤーイー旅楽座の座長であり、恐らくは太守に強要されヤーイー旅楽座に属する女性達を斡旋し、太守に女性達を献上していた。その中には勿論、ファンリュ自身も含まれているのだろうけれど。

 ファンリュ自身も、何かしらの罰を受けているのだろうか?


 私自身、あの太守には些かも良い感情を抱いては居ないけれど、妾妃を誘拐したという容疑は既に公然の事件として扱われている。即ちそれは、打ち首――死刑となる公算が高いという事でもある。一応、と言っても良いのかあの太守のお手付きとなるのを未然に防がれたものの、私の件が契機となって死刑に追い込んでしまったこの状況は、少しばかり複雑な感情を抱かざるを得なかった。

 と同時に、私が王宮から失踪した事件と絡めて首謀者に仕立て上げたマルセルの手腕には最早感服することしか出来ない。

 然し、それが国として、建前として全てが丸く収まるのだから、恐らくマルセル以下高級官吏達は安堵しているに違いない。納まるべき所に納まったな、と。

 けれどもそれは、やはり私があの太守を死刑に追い込んだという事実に変わりはなく、胃の腑に重い鉛が飲み込んだかのような重苦しい感情が胸中に渦巻いた。


「寵妃様、入ってもよろしゅうございますか?」

「ええ、勿論」


 余りにも長風呂が過ぎたのだろう。湯殿の外から声を掛けてくる女官長に返事を返し、私は浴槽から上がり、女官長が肩に掛けてくれた上衣を引き寄せ、女官長以下女官達が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのに任せて湯殿を後にした。


 妾妃の私に与えられた部屋は、出て行った時と寸分違わず綺麗に整えられていた。女官達が気を遣ってくれたのだろう。部屋の窓際や円卓のそこここに美しい花が活けられていて、以前よりも華やかな印象が強くなっている。

 あのような事があったからだろうか。私の部屋の外には衛士が詰めており、女官達も気遣わし気に私を見つめている。私の我が儘で巻き込んでしまった多くの忠実な女官や侍女達に申し訳ない。

 けれどもここで謝罪をすれば、マルセル達が整えた事実に綻びが生じてしまう。だから私はただ、彼女達の誠実な言葉や行動をただ享受することしか出来なかった。


「女官長、尚書郎様をお呼びして欲しいのだけれど、良いかしら?」

「畏まりました。然しながら陛下より、本日は一日ごゆるりとお休み下されますようにと仰せつかっております。ですから明日の朝、尚書郎様をお通しするという事で、宜しいでしょうか」

「そうなの。ええ、分かったわ」


 まあ、それはそうか。リュウホウとて仕事が山積みだろうし、いち妾妃に時間を割く事は直ぐには出来まい。

 女官長の言葉に頷いて、私はぼうっと宙を見つめた。ほかほかと温かな体温のお陰か、それとも少しばかり緊張の糸が解れてしまったのか、急激に睡魔がやって来る。


「寵妃様、お休みになられますか?」

「ええ、そうするわ」

「お支度は整えております。どうぞこちらへ」

「ありがとう、女官長」


 女官長の手を借りて寝室のベッドに横たわった私に、女官長は一礼して「お休みなさいませ」と声を掛ける。その言葉に返事を返す間もなく、私は心地良い眠りに身を委ねて、久方振りにふかふかと柔らかなベッドの中で眠りに付いた。

 だからその姿を女官長がどのような思いで見つめているかなど、その時の私には全く気付いて居なかった。





 寵妃様がお眠りになられたのを確認し、私は部屋の隅にある椅子へと腰掛けた。本来であれば眠っている寵妃様のお側に例え女官長を拝命しているとはいえ、私が同席するのは間違っている事なのだろう。けれどもこれは陛下から厳命された命である。だから私は椅子に浅く腰掛け、注意深く寵妃様の寝息に耳を澄ませた。

 寵妃様が誘拐されてからというもの、寵妃様のお世話を仰せつかっていた女官達は大層取り乱し、自身が担うお役目の最中に不逞の輩に寵妃様を攫われた事で、皆打ち首を覚悟していた。それだけで済むならば良い。けれども陛下であるならば、一族郎皆殺しにされる事も覚悟しなければならなかった程だ。

 陛下のラピス寵妃様に向ける寵愛は深く、幾重にも張り巡らされた囲いの中で静かに穏やかな時の中で寵妃様を長く慈しんでおいでになった。

 だからこそ、寵妃様を自身がお住いの王宮から目を離した隙にその身を攫われた事による怒りは深く、当然の事ながら私自身も打ち首を覚悟していた程だ。


 けれども陛下はそのようなご裁可を下される事はなく、逆により一層勤めに励み、寵妃様にお仕えするようにと下達された。勿論、それは喜ばしい事で、その慈悲深さに感謝こそすれ、訝しく思う事などありはしない筈なのに。

 私はどうしても、今回の出来事がただの誘拐事件だとは思えなかった。

 寵妃様が居なくなる前のあの口ぶりや態度、振る舞いには何処か違和感があった。けれどもそれは例えば首謀者たる太守から脅されていた事による恐怖を滲ませたものではなかったし、或いは不安に駆られたものでも無かった筈だ。

 ―――今回の一連の出来事には、何か別の裏がある。

 そう思えてならない。

 けれどもそれを口にすればどのような事になるかは火を見るより明らかで、だからこそ私は自身の中に沸いた疑問を胸の底に沈めて口に出す事はしない。


 こうして、寵妃様が戻ってきてくださった。

 その事実さえあれば良いのだと、女官長という立場上、そう納得する他無い。


「お帰りなさいませ、寵妃様」


 だから私は、口を噤んで静かにそう呟いた。その言葉に返される言葉は無いけれど、寵妃様の健やかな寝息がその言葉に対する答えを返してくれている。

 この王宮内で、これから寵妃様がどのような立ち位置となるのかはまだ未定だけれど、それでも私は変わらず真っ直ぐに寵妃様にお仕えしていく事を、私は改めて決意した。


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