名誉なこと
お読みいただき、ありがとうございます。
今回も、クルナの物語が続きます。
よろしくお願いいたします。
帰ると、祖母が食卓で豆の筋を取っていた。
「おかえり。昔のままだったかい?」
「……うん」
クルナは日記を背中に隠し、祖母の向かいに座った。
「おばあちゃん。御迎え子って、何?」
祖母は手を止めた。
「どこで、その言葉を聞いたんだい?」
「……メルが、選ばれてたって」
祖母はクルナを見た。それから、手元の豆を籠に戻した。
「そうだったね」
『知ってたんだ』
「神様に、この村をお守りいただくためにね。選ばれた子が、おそばへ行くんだよ」
「それって、死ぬってこと?」
祖母はすぐには答えなかった。
「……そうだよ」
「メルは、嫌だったんだよ」
膝の上で、拳を握った。
「怖いって。死にたくないって思ってたのに。それでも行かなきゃいけなかったの?」
「誰だって、怖いもんさ」
「そうじゃなくて」
思ったより大きな声が出た。
「行かなくていいって、誰も言ってあげなかったの?」
「……言ってあげたくても、言えないことはあるんだよ」
「どうして?」
「御迎えの子が神様のおそばへ行くことで、この村は守られてきたんだ。畑で作物が育つのも、こうして毎日ご飯を食べられるのもね」
「メルが行かなかったら、食べられなくなるの?」
「私が生まれるより、ずっと前から続いてきたことだよ。勝手にやめて、何かあってからじゃ遅いんだ」
クルナは膝の上の日記を抱き寄せた。
『メルには、何かあってもいいの?』
「……おばあちゃんも、行ったほうがいいって思ってた?」
祖母は、取りかけの豆の筋を指に巻きつけたまま黙っていた。
「メルちゃんのお父さんも、お母さんも、つらかったはずだよ」
「メルもつらかったんだよ」
「分かっているよ」
「分かってない」
椅子を引く音が、台所に響いた。
「クルナ」
祖母が手を伸ばした。
いつもなら、その手に背中を撫でてもらうと安心した。
クルナは日記を抱えたまま、一歩下がった。
「……もういい」
祖母の顔を見ずに、部屋へ戻った。
扉を閉めてからも、しばらく取っ手を握っていた。
台所から、祖母が豆を籠へ入れる音が聞こえた。
『メルも、こんな気持ちだったのかな』
怖いと話しても、聞きたかった返事はもらえない。
それでも誰かに聞いてほしくて、メルはこの部屋の窓まで来た。
クルナは寝床に腰を下ろし、日記を開いた。
〈知らなくてもいいから、聞いてほしい。〉
『私なら、聞いてくれると思ったんだよね』
文字がにじんだ。目を拭っても、同じ一行から先へ進めなかった。
「行かなくていいよ」
誰にも聞こえないくらいの声で言った。
「そんなに怖いなら、行かなくていい……」
あの日、言ってあげたかった。
何も知らなくても、一緒に考えることくらいはできたはずだった。
クルナは日記を閉じずに、そっと胸へ抱えた。
*
数か月が過ぎた。
その日、食卓には家族のほかに、村長が座っていた。
「クルナ、こちらにおいで」
父に呼ばれたが、クルナは台所の入り口で足を止めた。
母は父の隣に座り、祖母は来客の前に茶を置いていた。
「お話があるんだ」
村長が、空いている椅子を示した。
クルナは座らなかった。
「……ここで聞きます」
「そうか」
村長は私に告げた、
「御迎えの子に選ばれました」
台所に、器の触れ合う小さな音がした。
祖母が盆を食卓に置いた音だった。
『メルの、代わりに?』
「御迎えは、あなたが十七歳になる年です。それまでに、祈りや作法を学んでいただきます」
クルナは父を見た。
父は唇を結び、それから、うなずいた。
「村のための、大切なお役目だ」
母の目には涙が浮かんでいた。
「お母さんたちも手伝うから。一つずつ覚えていけばいいのよ」
『覚えられるかなんて、心配してない』
日記に書かれていた文字が浮かんだ。
――二人とも、わたしが死んでも悲しくないのかな。
「……断ることは、できるんですか」
母が父を見た。
代わりに答えたのは、村長だった。
「突然のことで、驚いたでしょう。御迎えまでは、まだ五年あります。ゆっくり心の準備を――」
「五年たったら、死ななきゃいけないんですよね」
「クルナ!!」
父がクルナの名前を呼んだ。
「その言い方はやめなさい」
「だって、そうなんでしょう?」
母は膝の上で両手を握り合わせていた。
「……断れるか、聞いてるんです」
誰も答えなかった。
クルナは祖母へ目を向けた。
祖母は空になった盆を両手で持ち、黙って立っていた。
『メルも、こうやって聞いたのかな』
あの日、日記に向かって口にした言葉を、今度は誰かに言ってほしかった。
『行かなくていいって、言ってよ』
クルナは入り口に立ったまま、返事を待っていた。
けれど、村長が話し始めたのは、御迎え子の務めについてだった。
御迎え子は、二十年に一度、十二歳の子供の中から選ばれる。そして五年後、十七歳になると、神様のおそばへ行く。
選ばれた子が、その日を迎える前に亡くなった場合は、同じ年の子供から代わりを選ぶのだという。
『メルの代わりが、私なんだ』
クルナは説明を聞いていた。
断れるのかという問いへの答えは、最後までなかった。
*
それから五年間、クルナは祈りの言葉や儀式の作法を教えられた。
神様の前で恥ずかしくないように。
村のみんなが、安心して暮らせるように。
祈りは覚えた。作法も、間違えずにできるようになった。
でも、死ぬのが怖くなくなる日は来なかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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